2ー7.使い魔たち
真昼の空には白い月と“二つ目の月”が浮かび、地上ではいつもの様に多くの人々や馬車が往来している。王都の姿は今日も何も変わらない。『空に二つ目の月がある限り、この国は安泰である』それがこの国の人々の共通認識だ。例え国教会の門が使えなくても、王都師団でちょっとした騒動があったとしても、“世は全て事もなし”なのだ。
ただ―――、アンバーの身体の奥底に残るえも言われぬ感覚―――恍惚感、或いは陶酔感か……それは無かった事ではない。
「はぁ、何だったんだアレは……?」
アンバーは荷馬車の御者台で大きく息を吐いた。今朝は小隊の隊長や副長に剣の稽古をつけて貰う予定だったが、例の騒ぎの後始末があるということで流れてしまった。
『ああ、心配しないでください。“アレ”に全面的に責任を取って貰いますから……ふふふふふ』
ノゼアン副長の黒い笑顔を前にして、皆が口を噤んだ。美形の凄みは恐ろしい。結局あの後、王都師団を逃げるように後にしてしまった。
アンバーはチラリと隣に視線を向ける。確かに“アレ”が事の発端だろう。だが、―――
――“コレ”にも問題が無いと言えないと思うが……
御者台にはアンバーと黒髪の少女が並んで座っていた。少女は興味深げに辺りをキョロキョロと見回している。建物を見上げその高さに驚き、街路を眺めその混雑に驚く。正に田舎者と言った風情だ。御者台から落ち着き無く身を乗り出し、落ちないか心配になる。店頭の色とりどりの装飾に目を輝かせる様には、『こいつも普通の女の子なのだな』とアンバーは微笑ましく思った。
「おい、少しは落ち着け」
「ねえ、あれは何?馬のない箱が動いているけど?魔道具?」
「ん、ああ、自動車だ。魔鉱結晶を用いているものもあるが、主流は化石燃料で動いている機械だよ」
「機械……?」
少女は首を傾げる。田舎ではまだ魔道具の方が一般的なのかもしれない。
魔力、あるいは魔鉱結晶で動く仕掛けを“魔道具”、化石燃料で動く仕掛けを“機械”、いつの間にかそう呼び名が定着してしまった。
この国では魔力のある者が多く、また魔鉱石―――魔力の塊である魔鉱結晶を含む鉱石が採掘できることから魔道具が発達した。一方、魔力を持つ者が殆どいない異国では、魔力を使わない機械が発達した。
しかし、皮肉なことにこの国でも近年魔力を持つ者や魔鉱石の採掘量が減っていることから機械が普及し、化石燃料の需要が高まっている。近い将来、魔道具は比較的魔力の高い貴族か金持ちの道楽となるかもしれない。
アンバーは混雑する街路を眺める。
機械の躍進は著しい。とは言え、まだ街路は馬車の方が優勢だ。それ故に荷台のモノが気に掛かる。荷台には先日の野外調査で持ち帰った遺物―――と麻布で隠されたモノ。よく見ればその麻布が規則正しく僅かに上下しているのが分かる。
ゴォー……ゴォー……ゴゴゴ……。
御者台に寝息と言うか鼾の様なものが低く響いてくる。どうやら麻布の下では獅子栗鼠がお昼寝中らしい。その首には気配殺しの魔道具が掛けられている。そんな怪しげな魔道具が何を目的に存在しているのか疑問に思うものの、アンバーは深く追及しないことにした。どうせあの兄のことだ、碌でも無い理由に決まっている。
魔道具で獅子栗鼠の気配を殺せても姿が見えなくなる訳ではないため、麻布で隠すことにした。最初は静かに横たわっていた獅子栗鼠も今や大鼾だ。
獅子栗鼠の存在に気づかれると馬達が怯え、街中が大混乱になることは想像に難くない。現に近衛師団や辺境師団所有の騎獣は馬達に恐れられているため、騎獣舎と馬房は離れた位置にある。騎獣は兵士が乗る獣であり、馬よりも速く駆け、力もある。辺境との伝令や戦闘には欠かせないものだ。ただ、王都師団は市中の勤務であるため、主要移動手段である馬を怯えさせぬよう騎獣を所有していない。
「そもそも、獣と魔獣、何が違うんだろうな……」
「ん、何か言った?」
黒曜石の様な瞳に見つめられ、アンバーは慌てて視線を進行方向へ向けた。その耳がほんのりと色づいている。
「何なんだ、一体……」
ここのところどうも調子が狂う。王都師団でのあの得体の知れない感情もそうだ。多分、色恋では無い……筈だ。では何かと問われれば―――
――欲、色欲……食……欲…………?
アンバーは頭を振ってその考えを追い出した。それでは、まるで―――
「…………獣……じゃないか……」
荷馬車は市街の混雑を抜け、邸宅が立ち並ぶ閑静な住宅街を軽快に進む。いつの間にか街路の両脇には煉瓦塀や鉄柵が続き、行き交う馬車や自動車が疎らになっていた。
程なく荷馬車はある邸宅の門を潜る。
出迎えた馬丁に荷馬車を預け、荷物を運ぶように指示していると、いつ目覚めたのか獅子栗鼠がするりと荷台から降り馬丁を驚かせた。
獅子栗鼠が大きく伸びをし、アンバーと少女の間に割り込む。
「ヒッ……」
屋敷の女中は悲鳴を呑み込み何事もない様に装った。さすが優秀な使用人を雇っている。アンバーは目の前の建物を見上げた。石造りの歴史を感じさせる優美な建物だ。
「ふーっ……、よしっ」
大きく息を吐き、形ばかりの気合を入れた。彼にとってここは鬼門である。取次の女中と黒髪の少女に続き伏魔殿―――ロードナイト伯爵邸に入ろうとして足を止めた。
「おい、お前は駄目だ」
お尻を振りながら当然の如く屋敷に入ろうとした獅子栗鼠が、首を傾げアンバーを見つめる。
「え、駄目なの?」
続いて黒曜の瞳がアンバーをウルウルと見つめる。お前ら、その顔は卑怯だろ。
「……駄目に決まっているだろう。常識で考えろ」
少女と獅子栗鼠の耳と尻尾がキュウンと垂れた―――様に感じた。
***
伯爵邸の応接間は、想定に反し質素だった。質素とはいえ勿論庶民には手の届かない調度品の数々である。無垢材のテーブルや椅子の脚は優雅な曲線を描き、カーテンやクッションの布地には繊細な刺繍が施され、暖炉や柱には緻密な模様が刻まれている。
「伯爵様のお屋敷って、もっとキンキラキンなのかと思ってた」
「それはどこの成金だよ」
と言いつつ、アンバーは、地宮―――地上にある王宮を思い浮かべた。あそこはこれでもかと黄金塗れだ。とにかく、この応接間は派手な女伯爵の印象とはかけ離れている。多分、伯爵邸には要人用に別の応接間が用意されているのだろう。
アンバーと少女は長椅子に座り、この家の当主である女伯爵を待っていた。目の前のテーブルには紅茶が湯気を上げ、クッキー、マドレーヌなど数種の焼き菓子が山と積まれている。
「餌付けする気満々じゃないか……ん?」
視界の隅を金茶色の物体が掠める。
応接間の大きなガラス窓(フランス窓)の外では、獅子栗鼠が後ろ足で伸び上がり、空中を掻くように前足を動かしていた。鼻先には蝶がひらひらと舞う。その様子をぼんやり眺めていると、獅子栗鼠の口が大きく開かれ―――
バクッ。
「喰ったな」
「食べたね」
部屋の隅に控える女中が僅かに顔を引き攣らせた。あれをこのまま野放しにしておいて良いものか、少し迷うところである。
少女が紅茶を一口すすり、そっと焼き菓子に手を伸ばす。手にしたクッキーの形が蝶だったので、アンバーが顔を顰めた。
「お前、それ食うのかよ」
「ん?」
サクッと蝶の翅が砕けた。
ドン、ドタドタドタ……
部屋の外から聞こえる物音。廊下から何かが近づいてくる。
バァーーーン!
応接間のドアが勢いよく開き、ロードナイト女伯爵が登場し、その勢いのまま、黒髪の少女に強く抱きついた。
「むぎゅ」
「ディー、よく来たわね。我が家の焼き菓子は如何かしら?マドレーヌは自慢の一品よ」
女伯爵は鮮やかな赤毛を無造作に一つにまとめ、白シャツにズボン姿の男性と見紛う姿である。化粧っ気はないが、その美しさは損なわれていない。
「お嬢様、少しはご自重をお願いいたします」
銀灰色の髪の眼鏡を掛けた青年が女伯爵を追って優雅な仕草で応接間に入ってくる。巷で言われている女伯爵の“使い魔”の一人だ。
「まあ、いいじゃない。別に取り繕う必要なんて無いわよ」
「いえ、そのお嬢さんが苦しいかと」
「……あら」
女伯爵の豊かな胸に埋もれて少女が足掻いていた。解放されて大きく息を吐く。
「全く、お嬢様は……」
眼鏡の従者は顔を顰めた。
「ユーレック、仮にも私はロードナイト伯爵家の当主よ。お嬢様はないでしょ」
「おーい、お嬢。あのガラクタ、博士んとこに持ってっといたぞ」
赤銅色の髪の青年がその場に割り込んできた。女伯爵の二人目の“使い魔”である。
「ジャスパー、あなたもよ」
「は?何?」
「お嬢って呼ぶなって言っているのよ」
「は?お嬢は、お嬢だろ」
ジャスパーと呼ばれた青年の顔に困惑が浮かぶ。何だかよく分からないが、流れ弾が当たったようだ。まあ、いつもの事なので気にする必要も無いのだが。
「そうおっしゃられるなら、少しは、ご当主様らしい振る舞いをお願いいたします。先代が草葉の陰で嘆かれます」
「ふんっ、お父様がそんなの気にする訳ないじゃない。頭の凝り固まった貴族でもあるまいし……あいつら、落ち目の魔法にしがみついて、ホントみっともない。あー、あの爺ども、ムカつく。近い将来、魔鉱石は枯渇するわよ。既に王都の人口増加に供給が追いついていないじゃない。化石燃料の時代が来るのよ。これからは新しいエネルギーの時代だわ」
鼻息も荒く、女伯爵は言い放つ。ロードナイト伯爵家は積極的に諸外国の技術を取り入れ、技術開発に資金援助を行っている。しかし、多くの貴族はいつまでも古い考えから抜け出せず、権力争いに明け暮れている。魔法に頼りきりのこの国は既に斜陽であるのにその事実から目を背けているのだ。昔のやり方に固執して没落していく者も多い。そして、それを狙っているのが新興勢力である裕福な商人達である。貴族位を婚姻や金で買うのだ。
アンバーは彼らの会話に素知らぬ顔で耳をそばだて、心の中で女伯爵の言葉に同意する。士官学校の教職や学生でさえも口には出さないが、多くの者が感じていたことだ。
この国の軍隊が無敵を誇るのは魔法があるからである。魔法があるため、他国は攻めて来ない。強力な魔法が使える騎士一人で、魔法の使えぬ兵士数百人と対抗できると言われている。まさに一騎当千だ。しかし、実態は強い魔力を持つ者が年々減少しており、軍事力の低下が著しい。そこで軍は数で補おうと雑兵の増強を図り、門戸を広げて採用している。元傭兵やラズの様な魔力の少ない者も軍に採用されているのはそんな理由だ。もちろん公にはされていない。この国はあくまで魔法が支配する国でなければならないのだから。
二つ目の月は、この国が膨大な魔法を有する強国である証であり、その実、他国に虚勢を張るための張りぼてである。それだからこそ、二つ目の月を堕とす訳にはいかないのだ。
「わかりましたから、外では口にしないでくださいね」
女伯爵に銀灰色の髪の従者、ユーレックが釘を刺す。
「ふふん、そんなドジ踏まないわよ」
「そう願います。我々の生活がかかっておりますから」
「お嬢は結構、抜けてるからなあ」
「失礼ね。そんなことより、ディー、私の部屋にいらっしゃい。私の子供の頃の服があるのよ。旅装もお洒落にしなくちゃね」
「えっ、あの……」
いきなり話を振られ、少女はわたわたとする。
「じゃあ、ディーを借りていくわね。男同士で話でもしていてちょうだい。では、ごゆっくり~」
女中にお茶とお菓子の用意を言いつけ、女伯爵ことローゼリアンは黒髪の少女を拉致して行った。
「え、何アレ?」
アンバーは女伯爵の退場に呆気に取られる。少し、いやかなり印象が違う。ロードナイト女伯爵といえば、愛人を侍らせた酷く嫌な―――最低最悪の女だった筈だ。
「あれ?弟の方はお嬢があんなんなの知らなかったのか?」
現遺物管理所長である兄のジュードは幼い頃からロードナイト伯爵家に良く出入りしていた。当初は伯爵令嬢であるローゼリアンがお目当てかと思われ、婚約の話まで上がったのだが、後にジュードの好奇心を刺激するある人物が存在することが判明した。自他共に認める遺物オタクであるジュード、彼の遺物への興味はその人物に影響されたものと考えられる。否、遺物に興味があったため、その人物に傾倒したのかも知れない。正に鶏が先か、卵が先かである。
アンバーも幼少の頃はジュードに連れられ度々伯爵邸を訪れていたが、大抵酷い目に遭わされるので、物心がつくと兄を避ける様になった。そのうち士官学校に入学して寮生活となり、ロードナイト伯爵家とは殆ど接点が無くなっていた。
「へー、本気でお嬢が愛人侍らせてると思ってたのかよ。いや、俺はそれでもいいけどな」
「ジャスパー、少しは立場を弁えなさい」
ユーレックは僅かにずれた眼鏡を指で直すと言葉を続けた。
「ご存知の様にお嬢様は、若くして伯爵位をお継ぎになりました。この国では爵位の継承は男女を問いませんが、女性が爵位を継ぐのは大変珍しい事です。しかし、お嬢様は、その辺の馬鹿な御令息連中とは異なり、大変優秀でかつ先見の明があり、いくつもの新規事業を軌道に乗せております。若く、美しく、聡明なお嬢様を巡っては、下心ある馬鹿で間抜けな男どもが近づいて参ります」
「爵位の継げない次男坊とか三男坊以下、野心家の商人とかな。あわよくば、ロードナイト伯爵に収まり、地位も金も手に入れてやろうって魂胆さ。うん、美味い」
いつの間にかジャスパーがアンバーの向かいの席に座り、焼き菓子を摘んでいた。
「で、お嬢は男を侍らせる女伯爵を演じて牽制している訳だ。まあ、俺はお嬢になら抱かれても良いと思っている。あの胸で窒息してもいい」
「ジャスパー、いい加減にしなさい。不敬ですよ」
ゴンッ。
すかさずユーレックが鉄拳制裁を下す。
「私はお側に控えているだけですが、ジャスパー、あなたの行いは目に余るものがあります」
「痛え、お嬢の意向に沿っただけだろ。俺は、お前みたいに可愛い嫁さんがいる訳でもないしな」
「え!?」
アンバーから驚きの声が漏れた。その様子に二人の使い魔が反応する。
「ふーん、そう言う事か」
ジャスパーの顔にニヤニヤとした笑みが浮かぶ。目の前の焼き菓子をもう一つ口に放り込むと紅茶を一啜り。そして、唇に残った菓子の欠片を親指で拭った。
「なあ、“魔の誓約”を行った魔物筋……先祖返りをどう思ってる?見るに耐えない、みっともない色狂いか?お嬢と俺たちの関係をそんな風に思ってんだろ?」
「それは……」
あなた達を見ればそう思うでしょう―――アンバーはその言葉を飲み込む。
「アンバー・スピネル、あなたは魔獣と普通の獣の違いは何だと思いますか?」
窓の側に立ったユーレックが外に視線を向け、唐突に問いかけた。釣られてアンバーも視線をやる。その先には遊び疲れたのか獅子栗鼠が丸くなって寝息を立てていた。
気付くと部屋の隅で控えていた女中の姿がなくなっている。
アンバーは無理矢理答えを探した。
「魔獣は獣と違って魔法に耐性がある……という事でしょうか」
「残念、ハズレ。魔獣は獣と違って魔力を喰うのさ。だから、魔獣は強い魔力に惹かれる。餌としてね」
「魔獣との契約とは、主は魔獣に餌として魔力を分けてやり、魔獣は代わりに力を貸す。そして、主が亡くなる時、魔獣はその遺体と共に魔力を喰らう……」
「遺体を……」
そして、魔力を喰う……アンバーの咽が鳴った。
その様子を横目にユーレックが言葉を続ける。
「我々、先祖返りの“魔の誓約”も結局は同じものです。獣の形をした魔物が魔獣なら、人の形をした魔物が魔物筋、その先祖返りです。流石に遺体を食したりはしませんけどね。そこは魔物の血が流れているとはいえ、人間ですから……」
魔獣の様に魔力を糧とするわけではない。それでも先祖返りは魔力に惹かれる。
「魔物は魔力の高い者に惹かれますが、勿論それだけで主従関係になる訳ではありません。魔力の大小で主が決まるなら、最も魔力の高い者が全ての魔物の主になってしまいます。主従関係になるには相性や信頼関係が必要なのです。誓約は一方的なものではありません。 強いて言えば相互依存関係でしょうか」
「お前、魔法が上手く使えないだろ?強力な魔力を持ってるのに上手く扱えなくて歯痒く思っているんじゃないか?それも“魔の誓約”を行えば解消する。主の魔力を受けて力が思うように使えるようになるのさ。どういう仕組みか知らないけどな」
「それは……」
ジャスパーの指摘にアンバーが言い淀む。
それは知らない訳ではない。ただ……
「あなたは、怖いんですか?魔の誓約を行うことで、あなたの全てが主に占められてしまうことが……。一つ申し上げておきます。“魔の誓約”は恋愛関係とは別のものです。私たちとお嬢様と間に恋愛感情はありません。ただ、その魔力に恋焦がれるのです」
「まあ、俺は誓約抜きにして、お嬢に惚れているけどな」
ジャスパーの全てを否定するような言葉にユーレックがお手上げという様子で肩をすくめた。そして、その存在を無視するようにアンバーに真剣な眼差しを向ける。
「あなたは、お嬢様がずっと怖かったのでしょう?お嬢様の魔力に惹かれ、己が取り込まれてしまうような恐怖感があったのではないですか?それ故、我々に自分を重ね、“あの様になる自分”を恐れていた……。でも、それも過去の話ですね」
「……仰っている意味がわかりません」
「その時が来れば、お分かりになりますよ」
ユーレックは静かに微笑んだ。




