1−1.王都
リンゴーン―――リンゴーン―――。
時計塔の鐘楼に群れていた鳩が一斉に飛び立った。鐘の音は広場を抜け、街路の建物に反響して王都を渡る。一瞬の静寂の後に再び喧騒が戻った。
シャンシャンシャンシャン…。
カパポコカパコポ…。
鈴の音。蹄の音。
馬車が軽快な音を立てて石畳の通りを行き交う。
パフパフ。
「おい、邪魔だ!退けろ!」
それに混じる間の抜けたラッパの音に怒号。
「なぁに、馬の気が向きゃそのうち退けるでしょうよ」
自動車の運転手がカイゼル髭を振るわせ路肩の荷馬車に文句を垂れ、御者は煙管を片手にのらりくらりと受け応える。
その合間を縫って労務者や子供たちが道路を渡り、馬は我関せずと糞を落とす。街路は馬車と自動車、さらに歩行者が混在し、混沌の様子を見せていた。
放射線状に伸びた街路の中心には広場が位置し、中央の噴水を囲むように様々な露店が立ち並び、噴水の周りには数人の大道芸人が陣取っている。大道芸人の一人がボールを次々と空高く放り投げるとボールはくるくると宙を巡り、やがて白い鳥の姿に変化し、青空に羽ばたいて行った。その妙技に子供たちが歓声をあげる。
広場の一画、巨大な柱が並ぶ神殿を彷彿させる建物――魔法統括省の庁舎前の階段では、ボサボサの黒髪の少女が口をポカンと開けて時計塔を見上げていた。
「……あんな大きな時計初めて見た」
隣町の町長自慢の懐中時計の何十倍、いや何百…何千倍あるのだろうか。大きいのは時計だけでは無い。天を突くような時計塔は別格としても、王都の建物の殆どが見上げる大きさなのだ。少女の知る一番大きな町でも建物は精々三階建てしかない。王都では田舎では見たこともない様な五、六階もある高い建物が街路を見下ろす様に立ち並んでいる。
――あれはもう壁だね。うん。
少女には広場から放射状に延びる街路が巨大な迷路にしか見えなかった。先ほど魔法統括省で入手した地図が途轍もなく貴重な物に思える。実体は部署を盥回しされ、結局魔法統括省の建物から体良く追い出――否、外部の部署を紹介された時に渡された殴り書きの地図にすぎないのだが。
地図が示す道は時計塔の横から数えて三番目。少女は目的地へと足を向け――
「折角だから露店を覗いて行こうかな…」
くるりと進路を変えた。
田舎では市が立つのは春と秋の祭りの年二回、近くの町に隊商が訪れるくらいだ。田舎娘が浮かれても仕方が無いだろう。きょろきょろと物珍しげに視線を彷徨わせる。
露店には様々なものが並んでいる。見事な細工の装飾品、風に揺れる色取り取りの布、山積みの柑橘類の横には絞りたての果実水、甘い香りの揚げ菓子、香ばしい匂いが食欲をそそる串焼き――お腹がくぅと鳴る。
「さあさあ、前時代のありがたい魔法の道具だ。今を逃すともう二度と手に入らないよ。そこの旦那、一つどうだい」
山高帽を被った紳士はちらりと視線を向けたがそのまま通り過ぎる。店主の口上は威勢が良いが殆どの通行人は素通りである。足を止めるのは、何にもかもが目新しい少女くらいのものだ。少女は地面に広げた茣蓙の上に並ぶ薄汚れた磁器や歪んだ金属の器を興味深げに眺めた。
「高っ…」
値札が目に入り思わず言葉が漏れる。ギロリと店主に睨まれ、そそくさとその場を離れる。ガラクタにしか見えない物に一体金貨が何枚必要なのか。
――王都って物価高すぎ……。
少女のポケットには銅貨が一枚きり。食べ物くらいはいくらか買えるだろうが、それだけだ。少女の財力では目的の物は入手出来そうも無い。やはり誰か――例えば国の機関に泣きつく他無いようだ。幸い次に向かう箇所の情報は得ている。少女は役所の窓口で渡された殴り書きの地図を握りしめ今度こそ目的地へ向け足を踏み出した。馬車に交じり目の前を自動車が通り過ぎていく。
――都会は馬車も人もなんて多いのだろう。あの箱型の乗り物は馬が牽いていないけれど魔力を利用しているのだろうか。
少女が車道の光景に気をとられたまま足を踏み出す。
「ちょっと、危ない。どこ見てるのよ」
「あっ、ごめんなさい」
危うく歩行者にぶつかりそうになり蹌踉ける。一歩後退すると背中にドンと軽い衝撃が有り、キャスケット帽を眼深く被った子供が脇を駆けだしていった。
「あ…やられた…」
ダブダブの洋服のポケットを探るとそこに入っていた一枚きりの銅貨が消えていた。既に子供の姿はない。大きなため息一つ。
「まぁ、起こってしまったことは仕様がない…よね」
嫌なことは考えないことにする――
――ゾワッ。
ダメダ。オサエロ。
「………はぁ」
右手の紙片――地図をぎゅっと握る。素早く切り替え前へ進むのだ。前進あるのみ。
「さて、問題はここをどうやって渡るかなんだよねぇ…」
時計塔から数えて3つめの通り――そこへ向かうには目の前の道路を渡らなければならない。引っ切り無しに自動車や馬車が行き交うこの道をである。
少女には道路の向こう側へどうやって渡ったものか分からなかった。
――都会って怖い。
***
「やっちまった」
キャスケット帽を被った小柄な少年は、路地裏の建物と建物の僅かな隙間に身を隠した。ポケットに手を突っ込むと小さな金属片――硬貨の感触が指先にある。
どう考えても金を持っていない田舎者だ。普通なら獲物にしないが、あまりの無防備さについ手がでてしまった。
――まあ、運が悪かったな。これも都会のベンキョー代だ。
今し方の戦利品を確認する。手の中には銅貨――
「なんだこりゃ」
銅貨――ではあるのだが、この国に流通している円形の銅貨ではない。縁は幾分磨り減り丸くなってはいるが八角形をしている。更に一部が黒く変色し、僅かにひしゃげていた。
「見たことねーな。外国のコインかぁ?コレ、飯代になるのかよ」
ワァァァァ…。
広場で上がった歓声が路地裏まで溢れてくる。ひょいと覗くと大道芸人が生み出した炎の鼠数匹が噴水縁をチョロチョロと走り回り、一部のご婦人方が悲鳴を、その他大勢が歓声を上げている。その喧騒の中で上等な外套を着た恰幅の良い紳士が子供のように夢中で手を叩ており――
ニヤリ。
掏摸の少年はひしゃげた銅貨をポケットに突っ込むと帽子を深く被り直し、新たな獲物の元へ人混みに紛れていった。




