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2−1.女神の名前

 ジョキ、ジョキ―――


 前髪に鋏が入れられ、黒髪が床に散る。

 騒動から一夜明け、少女が望んだものは湯浴みと鋏だった。国教会の関係者を中心とした女性陣は、埃だらけで、ボロボロで、モサモサのその姿を憐れみ協力を惜しまなかった。身包み剥がして、全身丸洗い。複雑に縺れた髪の傷んだ毛先を切り、背中の真ん中あたりで切り揃え、何度も、何度も梳る。櫛に髪が引っ掛かる度に少女の頭が右に左に、前に後ろに引っ張られる。魔力は髪に宿るとの考えが根強いため、女性陣にバッサリと切るという選択肢は無かった。

 洋服は、見窄らしい姿で視界に入るのは許せないと貴族令嬢である巫女のお下がりだ。言動に魔獣から助けてもらった感謝の意が込められているのは自明であったが、敢えて誰も触れなかった。

 少女がクルリと回るとスカートがふわりと翻る。一見飾り気のないシンプルなデザインのワンピースだが、スカートには贅沢にギャザーが寄せられ、フリルいっぱいのペティコートがそれを膨らませている。教会から貸与された服も素敵だったが、それ以上に贅沢に布地を使われた服に少女は喜びを隠し切れなかった。

 縺れた髪と格闘の末に完成した少女の姿を女性達は満足げに眺める。


「そういえば、袖を通していない深紅のドレスがあったわね。それに共のリボンもあったはず。黒髪にはそれも似合いそうね」

「黒エナメルの靴も可愛いけれど、動きやすさならやっぱり編み上げブーツよね。蹴りが入れやすいもの」

「そのまま下ろすよりサイドを編み込みにしてハーフアップの方が良かったかしら…それとも……あー惜しいわね。巫女様のような金髪か伯爵様のような赤毛なら完璧だったのに」

「ああ、年寄りが良く言っている美人の条件って奴ね。でも何故、金髪か赤髪なら美人扱いなの?顔立ちはどうでもいいわけ?あ、巫女様と伯爵様はもちろんお顔も文句なしの美人ですけどね」

「あら、お褒めに預かり嬉しいわ」


 女伯爵はニッコリと微笑み、貴族のお嬢様である巫女は当然とばかり胸を張って言った。


「まあ、これで碧眼でしたら、わたくしも完璧でしたけど」


 と言いつつ、本人は榛色の瞳に満足しているので、彼女なりの謙遜である。


「あれでしょ。神話上の三大美神。金髪碧眼の月の女神セレネ様。燃えるような赤髪赤目の暁の女神カーネリアン様……あれ?もう一柱って誰?」

「古い神話にある夜の女神様ですね。今では月の女神セレネ様と同一視されています」

「じゃあ、三大美神と言いつつ、実態は二大美神なのね。なぜ未だに三大なのかしら」

「三の方が良さげだからじゃない?建国の物語でも三人の若者だしね。それより伯爵様と巫女様は、やはり女神様の名前を戴いていらっしゃるの?」

「私はローゼリアンなので違うわね。赤毛は珍しくないもの、昔ほど女神の名前は戴かないのではないかしら。祖母の代ならカーネリアンだらけでしょうけど」


 女伯爵、ローゼリアンが翠の目を細めてふふふっと笑う。この国には赤毛は多いが、赤目は存在しない。


「わたくしはルチルレイテッド・アゲートと申します。女神様と同じ金髪碧眼でなければセレネやセレンなんて烏滸がましくて名乗れませんわ」


 この国でセレネやセレンといえば間違いなく金髪碧眼である。逆に金髪碧眼の女性はほぼセレネかセレンでもあるのだが。


「そう言えば、まだ貴女のお名前を伺っておりませんでしたわね」


 この場の女性陣の視線が少女に集まる。


「私は―――」


 トン、トン、トン。


 ノックの音が言葉を遮った。

 神職の一人がドアを開けると、アンバーが所在なげに立っている。


「申し訳ないが、既に皆が集まっている。えーっと、アイツ……いや、彼女にそろそろお出まし願えないだろうか」

「まあ、スピネル様。お会い出来て光栄ですわ。わたくし、ルチルレイテッド・アゲートと申します。ルチルとお呼びください。この度、巫女として月の大聖堂でお勤めさせていただきますのよ。今後とも、是非とも、お見知り置き願いますわ」

「いや、あの……」

「アゲート家は男爵に過ぎませんが、商会を経営しておりまして、異国の品々も多く取り扱っておりますの。私のこの美しい金の髪を御覧になって、珍しい南国の植物の油を使っておりますのよ。もちろんわたくしの髪は元から輝く黄金と褒め称えられておりますけど、更に美しく輝いておりますでしょう?それにこのわたくしの滑らかで美しい白い肌、勿論染み一つございませんわ。もっとお近づきになれましたら、直に確認いただいて……まあ、わたくしとした事がはしたない。これもうちの商会で取り扱っている――――」


 ルチル嬢の勢いにアンバーは仰け反り気味になり、完全に押されていた。

 アンバーの困り顔を眺めながら女伯爵はよく似た男を想起していた。あの男が困っているようで楽しい。


「ふふふ、面白いからもう少し見ていたいけど……さすがにこれ以上司祭様達をお待たせするわけにはいかないわね。ルチルちゃん、続きはまた後でね」

「お、面白……って、続きがあるのかよ」

「あら、わたくしもご一緒しますわ」


 ルチル嬢が主張する。


「ごめんなさいね。ちょっとだけ偉い人の集まりなの。それじゃ、黒髪のお嬢ちゃん、お呼びよ……あら?貴女もいらっしゃるの?」

「この教会で起こったことですもの。当然、立ち会わせていただきます」


 女性神職がさも当然とばかりに同行する。

 アンバーは漸くこの場を離れられることに安堵した。だが、まだ苦手な女伯爵がいる。これも壁を壊した罰の一環なのかとアンバーはため息を吐く。遺物管理所長は罰を与えると称して、少女の迎え役をアンバーに任せた。不可抗力とはいえ、建物の壁を壊したことに間違いはなく、アンバーに断るという選択肢はない。人的被害が無かったことは不幸中の幸いである。


 ――兄さんのことだ、絶対こうなることを見越して、狼の群れ(女性達)生け贄の羊()を差し出したに違いない。


 と、ちょっと被害妄想気味に思った。

 子供の頃から兄は歳の離れた弟が可愛くて仕方が無く、どこにでも連れ回したが、まだ幼い弟は兄のようには上手く立ち回れず、酷い目に遭うことが多かった。それが繰り返されるうち、弟は兄の行動にすっかり疑心暗鬼になってしまっていた。

 さて、これから事情聴取が待っている。当事者三人、中でも一番の注目は彼女であろう。魔獣に包まり、黒い毛玉のように眠る少女。アンバー自身も訊きたいことは多々ある。

 アンバーは少女に目をやり――――――――――――固まった。

 そこに毛玉は無かった。

 女性陣によって磨かれた少女は、この国の美人の基準には当てはまらないが、予想に反してキリッとした整った顔立ちをしていた。黒い瞳は理知的な光を湛え―――


「え……黒い目?」


 アンバーは、戦いの中で見た少女の瞳の色と異なることに首を傾げた。


 ――見間違い……か?


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