第二話・「ギルド」
正門で札を受け取った俺は、浮かない顔のままとぼとぼと街道を歩いていた。年に二、三人現れるとはいえ、やはり異世界人は珍しいのだろう。道行く人々の視線を感じて思わず俯きがちになる。そういえばまだ確認してなかったなと思い手元の札に目をやると、この国の文字だろうか、楔文字に曲線を組み合わせたような図形が描かれていた。
身分証・アカシから削り出した木札・「異人」の身分を証明するもの・品質:低
そんな情報がつらつらと頭の中に流れ込んでくる。札の表面に描かれているものは相変わらず図形にしか見えないが、鑑定スキルのおかげで書かれている内容と意味は汲み取れる。そしてはたと気付いた。あれ? もしかして鑑定スキルなかったら割と初っ端から厳しかったんじゃないの? と。異世界では無条件で言葉が通じ読み書きができると思い込んでいた俺は、これは思わぬ収穫だと小さくガッツポーズをした。
俺が鑑定スキルを選んだのにはもちろん理由がある。
一つにはステータスの確認。
自分や周囲の人間を鑑定する事で、相手の体力や魔力、所持スキルなどを知ることができる。日常・戦闘問わず役に立つ。腕力、精神力、敏捷性などから職業適性を見極める事もできるだろう。通常であればハズレとされるアビリティだが経験値を注ぎ込むと最終的にチート級の効果を発揮する……というような場合でも、それがわかっていれば、周囲からどんなに笑われようと安心して邁進できる。買い物の際、同じ値段でより良い品質のものを選び取る事もできる。
二つ目にスキルを利用しての仕事の安定。
異世界ではこの身一つで生きていかなければならない。鑑定士となり、ダンジョンから日々発掘される遺物を鑑定、証明書を発行して手数料を取れば安定した収入が見込めるだろう。ギルド職員としてスキル保持者を募集している可能性もある。また、一つ目の理由と被るが、自分がダンジョンに入る場合であっても、価値のあるものとそうでないものの取捨選択ができれば無駄が減らせる。そして先程知った事実だが、恐らく鑑定スキルを持たない他の異世界人はこの世界の文字が読めない。文字が読めなければギルドでのクエスト受注にも難儀する事だろう。そこで俺が代わりに内容を伝えてやれば手間賃ぐらいは受け取れるだろう。
そして最後に。
俺は体を動かすことが好きではない。かと言ってややこしい理論だとかを学ぶのもごめんだ。剣術だとか魔法だとか、華々しいスキルに憧れがないではないが、とにかく前線に立たずあらゆる種類の練習・努力をせずに、この異世界でスローライフを満喫したいのだ。
鑑定スキルがあれば何かを学んだり調べたりする必要は全くなくなる。なぜなら見ただけで全てが理解るからだ。
これが俺がこの数年間、叡智の書から学び、導き出した最良のスキルである。一見地味で誰も選ばなさそうなスキルが実は最強だったりするのだ。
自分が唯一こちら側に来た人間ではないことに戸惑い、気力を削がれていた俺は、改めて自分のスキルの有用性を確認したことで当初の自信を取り戻していた。他の異世界人だって、むしろ同郷と思えば心強い。
やっと周りを観察する余裕が生まれた俺は、立ち止まって周囲をぐるりと見回した。せっかく異世界に来たのだから足元ばかり見ていてはもったいない。持ち前の鑑定スキルを使ってこの世界のこと、まずはこの国のことをもっと知らなければ。
しばらく見回した俺は、ある事に気が付いてしまった。どんなに目を細めて力一杯見つめようが、ステータスに類するものが見えてこないのだ。そんなはずはないと通行人を見つけては、その姿が見えなくなるまで目で追った。恐らく獣人と思われる女性と目が合い、相手はあからさまに嫌そうな顔をして通り過ぎて行った。当たり前だ。得体の知れない異世界人が自分の事を血眼で見つめてくるのだから、通報するまではいかずとも不快感を伝えるくらいはしたくもなるだろう。しかし、瞬きすら忘れどれほど集中して見つめたところで、彼女のレベルどころか種族名ですら脳裏には浮かんでこなかった。
小一時間足掻いた俺は、頭痛を散らすように頭を振って、再び歩き出した。そうだ、個人情報だからな。大体そんなものが見えてしまったらいくらでも悪用できてしまう。弱みを握って恐喝するとか、個人情報を売るだとか。物体のアレソレについては問題なく読み取れるのだ。それでいいとしようじゃないか。
俺は自分の、良心に基づいて、勝手に他人を詮索しないと心に決めたのだ。もし今後、スキルがレベルアップしたとして、見えるものが増えたとしても、絶対に見ないぞ、と自分に言い聞かせながら。
しかし対人でステータスの鑑定ができないとなると、適正の見極めも、埋もれた神アビリティの発見もできないことになる。この世界に来てたったニ時間ほどの間に二度も出鼻を挫かれた俺は、またガックリと肩を落として役所を目指した。
この国ーー名前はなんと言っただろうかーーは、あれだけ巨大な壁を作る技術力を有しているだけあって、街中も整備が行き届いていた。綺麗に敷かれた石畳と、転々と植えられた街路樹。大通りは歩道と車道が区切られ、馬車ならぬ竜車がガラガラと大きな音を立てて行き交っている。思いの外近代的な街並みと、竜という伝説上の存在が自然に調和した風景は、異世界を夢見てきた俺の心を躍らせるのには十分すぎるほどだった。石造の大橋の上で立ち止まり、街を横断する水路を眺めて水のせせらぎに耳を澄ませる。時折り風に乗って、恐らくこの先にある露店街からだろう、何かを焼く甘辛い匂いが流れてくる。俺はあっという間にこの街が好きになってしまった。
役所の手前にある広場も立派なものだった。ランドマークと呼んで差し支えないほどの巨大な噴水がまず目に入り、圧倒されつつも次にその周囲に目を向けると、蚤の市だろうか、色鮮やかな布が敷かれた上に品物が並べられ人だかりが出来ている。ほんの数時間前までは高層ビルのない牧歌的な風景に心癒されていたはずなのだが、俺の地元より栄えてるんじゃないかと、家の近くにある猫の額ほどの公園に思いを馳せた。
辿り着いた役所は白い石造りの建物で、入り口手前のベンチでは獣人と思われる親子が手遊びをしている。のどかな様子に自然と頬が緩んだ。短い階段を上がり少しの緊張とともに黄色い扉を押し開くと、中は図書館と間違えて入ったかと思うほど静かで、四つ設置されている窓口に利用者はそれほどいないようだった。これならすぐに順番が回って来そうだ。入ってすぐのところに番号札の入った小箱が置かれていたので、中から一番上の一枚を手に取ってベンチへ腰掛けた。
アイの月-23と書かれた札を指先でくるくると回していると、23の方、と声がかかる。窓口へ向かった俺は、番号札と共に、衛兵から受け取った木札を渡した。担当の職員は声質から判断するに女性らしい。前髪の間からこちらを見つめる涼しげな水色の瞳と、手の甲を覆う小さな鱗。肌はほの白い。魚とか蛇とか、その辺りの種族だろうか。
「あの、地図を一部と、ギルドの場所を教えてほしいのですが」
「ギルド、ですね。少々お待ちください」
番号札を回収し木札の番号を手元のメモ帳に控えた職員は、カウンターの下から折り畳まれた地図を取り出して、ギルドらしき建物を綺麗な丸で囲んだ。
「先程の木札はこちらで回収になります。忘れずお待ちくださいね。以降はギルドで発行される身分証をご利用ください」
どうやら異世界人はギルドに行けば身分証を作成してもらえるらしい。冒険者カードの類だろうか。冒険者、という職業に就く予定はないが、今の名無しの異人を卒業できることに安堵した。
ギルドは街の東・ユタン通り沿いにあるらしい。地図を片手に歩きながら、空いた手で腹をさすった。最後に見た向こうの世界は黄昏時だったが、こちらに来て初めて目にしたのは突き抜けるような青空だ。学校で弁当を食べてから何時間が経ったのだろう。ほぼ丸一日何も食べていない、というほどではないから、世界間で時差的があるのかもしれない。
役所から二十分ほど歩き、ユタン通りと書かれたアーチ看板を潜る。大通りの明るく賑やかな雰囲気とは大きく異なり、どこか湿った空気を漂わせる通りに、俺は少々緊張していた。地元のこういう通りには立ち飲みなんかの怪しげな店が立ち並び、あまり治安がよろしくない。冒険者とは意外とアンダーグラウンドな職業なのだろうか。
地図と建物の特徴とを見比べながら、慎重に歩いていた俺は、ある建物の前で驚いて足を止めた。
傷んだ木製の扉。風が通りを吹き抜ける度にガタガタと音をたてる。自信たっぷりと言わんばかりの派手な色の看板には、日本語でこう書かれていた。
「職業紹介所」と。