エラ
あの目が怖いと思った。
彼は全て気づいているのではないだろうか。
もし、この事がバレたら旦那様は怒り狂うだろう。
そしたらまた、お嬢様は感情のない人形の様に、ただ機械的に日々をお過ごしになるのだろうか。
私は、どうなるのだろう。
私は今、シエナ・クラークとして、この地の領主様であるローワン・シェラード様と共に教会にいる。
初めてローワン様を見たとき、なんて美しい人がいるのだろうと思った。
お嬢様と並ぶそのお姿は、一枚の絵を見ているようだと思った。
けれど今、彼の隣にお嬢様はいない。
私はエラ。
神の前で、偽りの名の元に愛を誓う。
彼に初めてお会いしたのは2年前、街へお使いに行った時だった。
風で飛ばされてしまった私の帽子を親切に拾ってくれたのが彼だったのだ。
その時の彼は、質素な服を着ていたが、仕草がとても上品で美しかった。
「はい、これ。」
「ありがとうございます。」
そのたった一瞬のやり取りで、私の心は彼に奪われてしまった。
次にお会いできたのは、私の勤めるお屋敷内でだった。
お嬢様の婚約者が初めていらっしゃる日、私はお客様にお茶をお出しするよう言いつけられていた。お嬢様は領主様の元へ嫁ぐことになったそうだ。
お嬢様の婚約者様はどんな方かしら。
部屋に入るとあの日の彼がいた。
そうか、彼は領主様だったのか。私は手が震えそうになるのをこらえ、彼に給仕した。
彼はちらりと私を見たが、私に見覚えはないようだった。
彼はその後も、お嬢様に会いに定期的にお屋敷を訪れた。
彼はいつも、お嬢様にピンク色をした花束を渡す。お嬢様が何故いつもピンクの花束なのかと聞くと「シエナにはピンクが似合うと思って。」と言っていた。
可愛らしいお嬢様には、私もピンクが似合うと思った。
「そうかしら。」と言って少し微笑むお嬢様は
とても美しく、お似合いの二人だった。
お嬢様はあまり表情の出ない方だった。旦那様が、貴族に嫁がせようと厳しくされたせいだろう。
それは婚約者であるシェラード様といる時も変わらなかった。
あんなに素敵な方が婚約者で、大切にされているというのに、ちっとも嬉しそうではない。
私はお嬢様が羨ましかった。
だからつい、言ってしまったのだ。
「お嬢様はあんなに素敵な婚約者様がいらっしゃって、お幸せですね。」
お嬢様は、私をじっと見つめた。
「エラ、私幸せそうに見える?」
「勿論です。」
「では、私と代わってちょうだい。」
いつもはあまり表情のないお嬢様の目に、力がこもっている気がした。
「エラ、私は今までずっと、お父様の言うとおりに生きてきました。お友だちも結婚相手も、何もかも全てお父様が決めた事に従ってきたのです。」
確かにその通りなのだろう。お嬢様は自分の意見を述べる事もなく、人形のように過ごしていたように思う。
「ねぇエラ、私は貴女が羨ましいのです。」
私はお嬢様が羨ましかったというのに、お嬢様はただのメイドである私が羨ましいというの?
私は黙ってお嬢様の話を聞く。
「エラ、鏡をよく見て。私たちとても似ていると思わない?」
鏡の中の私とお嬢様は、到底似ているとは思えなかった。同じなのは、精々目の色と身長くらいではないだろうか。
そんな私の心の声を察したのか、お嬢様は続ける。
「エラのソバカスをメイクで隠して、私にソバカスを描くの。そして、エラの眉を少し下げて、私は眉を上げるのよ。エラの真っ直ぐな髪を巻いて、私は髪をひっつめる。ね、絶対に似ているわ。」
そんな事をしても、私とお嬢様が似ているとは思えなかった。
あの美しい彼とお似合いのお嬢様。私があんな風になれるはずがないのだ。
「ねぇ、明日試してみましょう。明日、1日私と貴女は入れ替わるの。そして、誰にもバレなければ私と貴女を取り替えてちょうだい。」
お嬢様はひどく真剣な声音で続けた。
「私はローワン様と結婚などしたくないのです。」
いつの間にかお嬢様の机の上には赤い花が飾られていた。
「ねぇ、エラ。貴女ローワン様をお慕いしているのでしょう?」
見たことのない、艶やかな笑顔で笑うお嬢様を見て、彼女には柔らかなピンクよりも苛烈な赤が似合うのかもしれないと、その時初めて思った。
次の日、鏡の中にはお嬢様そっくりな私がいた。
「ね、言った通りでしょう?」
そう言って、私の姿をしたお嬢様は楽しそうに笑った。
「そうそう、今日は午後からローワン様がいらっしゃるから。」
「お嬢様、それはまずいのでは...」
「お嬢様は貴女よ、エラ。」
シェラード様とお茶をする。本当ならば一生あり得ない機会だ。
「ねぇ、エラ。大丈夫、バレたりしないわ。だってあの人、私の事なんて見ていないもの。」
そうよ、一度だけ。今日だけならバレないかもしれない。私はその、甘美な誘惑に負けてしまった。
「今日はいつもより楽しそうに見えるのは、気のせいかな?」
「...そうでしょうか。いつも楽しく過ごさせていただいておりますが。」
「そう?それならよかった。私は君と過ごせてとても嬉しい。」
結果として、シェラード様は私に気がつかなかった。彼と過ごすお茶の時間は、まさに夢のようだった。
ただ、彼は今日私に花束をくれなかった。
用意してくれていたのだが、渡す直前に萎れていることに気づいたらしい。
私はそれでも構わないと言ったのだが、萎れた花など渡せないと言って、早々に彼の従者に渡してしまったのだ。
彼から花束を貰えたならば、私の宝物になったのに。
「ねぇ、エラ。誰にもバレなかったでしょう?ローワン様も、お父様でさえも気づかなかったのよ。私は今日、とても楽しかった。」
「はい。お嬢様のお陰で、私も夢のような時間を過ごせました。」
こんな危険な遊びは今日限り。私はそう思っていたのに、お嬢様は違った。
「エラ、次は5日後に代わりましょう。」
「いけません、お嬢様!これ以上は...」
「あら、言ったでしょう?私はローワン様と結婚したくないのです。だから、エラ。貴女がローワン様と結婚するのよ。そうすれば、私は自由になれて、貴女は好きな人と結婚できるのよ。」
これは悪魔の囁きだ。
「誰も私たちに気づかない。ねぇ、エラ。私も貴女も幸せになれるわ。」
そんな恐ろしい事をしてはいけない。
「少しずつ、入れ替わる頻度を増やすの。そうして、ローワン様との結婚を機に、私と貴女は完全に入れ替わるのよ。」
お嬢様は本気だ。
「ねぇ、エラ。幸せになりましょう。」
━━━私はお嬢様の誘いに頷いてしまった。
5日後、再びお嬢様となった私の元へ、シェラード様がやって来た。
彼が従者に何かを告げる。すると、従者は花束を持って来た。
「前回はすまなかったね。今回は前回の分も込めて大きいのを用意してしまった。」
そう言って、彼がくれた花束はピンクではなく黄色だった。
花束を受け取る手が震えた。
もしかすると、私がお嬢様の偽物だとバレていたのではないだろうか。
けれど彼は続けた。
「いつもピンクだったから、そろそろ飽きられてしまったかと思って今回は黄色にしてみたんだけど、どうかな?」
「とても綺麗ですね。嬉しいです。」
彼は優しく微笑んでいる。大丈夫、私は今シエナ・クラークになれている。
それにしても、どうしてお嬢様は彼は自分のことを見ていない、なんて思えたのだろう。
彼はこんなにも優しい眼差しで、私を見つめてくれるのに。
その後も私はお嬢様であるシエナ・クラークとして、シェラード様と会い続けた。
彼が私にくれる花束はいつも黄色だった。
初めて入れ替わったあの日から、本物のお嬢様は一度も彼に会っていない。
彼にとってのシエナ・クラークはもう私だろう。
いつの間にか彼を騙している罪悪感はなくなり、私は彼に愛されていると勘違いしていた。
初めて彼に会った日から2年程経ち、遂にシエナ・クラークとローワン・シェラードが結婚する日がやって来た。
控室で美しい真っ白なウエディングドレスを着る私。そこへお嬢様がやって来た。
彼女の左手薬指にはシンプルな指環が嵌まっている。そして隣には庭師のジャン。
あの日、お嬢様の部屋に飾ってあった赤い花はジャンからのプレゼントだった。
「ねぇ、エラ。私本当に幸せよ。貴女には感謝しかないわ。」
ローワン様といるお姿は絵のように美しかった。
ジャンといるお嬢様は質素な服に身を包み、美しく化粧をしているどころかソバカスがある。けれども、くるくる変わるその表情に、本当に幸せそうに笑う笑顔は、あの頃よりも美しく魅力的だった。
「私たちは今日、このままこの街を出るわ。もう会うことはないでしょう。ねぇ、エラ。貴女も幸せになるのよ。」
「お嬢様...。」
━━━コンコンコン。
ガチャリと扉が開く。
入ってきたのは旦那様とローワン様だった。
お嬢様とローワン様の目が合った。
ローワン様が一瞬、目を見開いた。
「旦那様、お嬢様にお祝いと最後のご挨拶をさせていただきました。」
「お嬢様、大変お世話になりました。このご恩は一生忘れません。どうかお幸せに。」
「うむ、ご苦労だったな。」
そう言って、お嬢様とジャンは部屋を出た。
旦那様は最後までお嬢様に気づかない。愚かだと思った。
ローワン様は私を真っ直ぐに見つめる。
「綺麗だよ。」
けれど、私はその目が怖かった。
彼は本物のお嬢様を見て、私が偽物だと気づいてしまったのではないだろうか。
段々と麻痺してしまったけれど、私は今とても恐ろしい事をしようとしているのではないだろうか。
私はようやく気がついた。
彼に一度も名前を呼ばれていない事に。
彼は私に、君、あなた、と呼び掛ける。
初めから私はシエナ・クラークになど、なれていなかったのかもしれない。
けれどもう、ここにお嬢様はいない。
私は神も愛する人も偽って、今日ここで愛を誓う。




