第5話 スペアとオリジナル
乱暴だと自分でも思うけれど、コンクリートの床を槍で穿って大きな穴をつくり、四人の遺体を乱雑に埋めて騒ぎになるのが出来るだけ遅れるように隠した。血の跡が隠しきれないほど倉庫中に存在するから本当は騒ぎにならないわけがないけど、それでも時間は稼げると思う。四人の内一人は元が何だったか判別出来ないだろうし、砕けたコンクリートがあっても何メートルも下に埋まっているとはすぐに思わないと思う。
血だらけの格好で学校に行く事なんて出来るわけがなく、日が落ちるまで倉庫の奥に隠れていた。
「ただいま」
疲れ切った声を隠しもせず私はアパートに帰ってきた。いつもより遅かった所為か今は誰も――本当に浅ましい、こんな所に誰も居るわけが無いのに。何がただいまだ。
アパートに戻れるはずが無い、私に敵対しなくなった三人と小春ちゃんを巻き込むわけにはいかない。私は今、県境にある一級河川を跨ぐように通る国道、その橋桁の下に居る。橋桁の下にはソフトボールのグラウンドが四面広がっており、仮設トイレが置かれ水道も引かれている。
時間がたって血の染みが取れにくくなっているけれど、水で何回もすすいで手で揉んで近くで見ないと気付きにくいところまで綺麗にする事ができた。ブラウスにスカート、首元のリボンと軒並み血で汚れてしまった制服を洗い、ベンチの上に広げて干している。いくら暑いといってもすでに日は落ち、過ごしやすさをほんの少し感じ始めたのだから乾くまで少し時間がかかるかもしれない。
「それまで下着姿かあ……羽月ちゃんじゃないけど、これじゃ痴女だ」
水泳の授業で着替える為に女子は特別にあてがわれた教室を使うのだが、その時にはすでにクラスで浮いていた羽月ちゃんにわざわざ教える人はおらず、痴女なんて言うあだ名が出来る出来事が起こってしまった。
周囲に男子しかいない教室のなか、迷いなく制服を脱いで完全に裸になった羽月ちゃんは黙々と水着に着替えてプールへと向かっていった。
後には喜ぶ男子と引く男子、人が良いそのときの副委員長の男子は女子に今度は羽月ちゃんも連れて行けと注意を促し、その時になって私たちも羽月ちゃんがやらかした事を知った。その時に馬鹿ツカサがまたしても大爆笑をし、わかったわかったと返事をしてからツカサの羽月ちゃん攻略が始まったと思う。それに、副委員長の男子の言葉を聞いてまともに動いたのはツカサ位で、周りを巻き込みたくなかった私は避けようとして関わらないようにしていた。
なのに今じゃセレスも含めて四人で友達付き合いをしているし、危なっかしさにとてもじゃないけど眼を離せない。それに、今までが何だったかのように朗らかで明け透けで都合が良いこと言うけれど居心地が良かった。
制服を干しているベンチとは別に横にもう一つベンチがあり、私はそこに行儀が悪いけれど寝そべる形で星空を見つめていた。よくテレビでやっているように桜が満開になっているような空を覆う星空では無いけれど、知っている星座が探せるぐらいには星が見えている。
星空を眺めた記憶、中学に入学するまでの記憶や人を殺した記憶、歌泉と瑠偉や瀬名との記憶――スペアの私には本来持ち得なかったオリジナルの記憶、私から見たら中身のない虚ろな記憶。
でも、四人で馬鹿をやっている記憶や小春ちゃんや三人と遊んでいた記憶、主様に優しい言葉をかけてもらった記憶、これは本当の私の記憶で今では宝物になりつつある。
「そんな格好で居ると襲われちゃうわよ。それに風邪を引いちゃうわね」
こんな所でこのタイミングで私に声をかける人がいる? 普通に考えればまともな人間じゃないと脳裏に警鐘が響き渡り跳ね起きるように上半身を起こし声の主から距離をとった。歳は二十歳前後に見え手には買い物袋を提げている。困ったような顔はこちらを本当に心配しているようで、何よりアイツらとは違ってとても穏やかな雰囲気で見ているこちらの心が静まっていった。
「制服が汚れたから洗って乾かしていたの。お……姉さんはどうしてここにいるの。こんな所に用があるわけじゃないんでしょ」
変わらず穏やかな雰囲気を崩すことなくこちらへ数歩近づいた女性に若干警戒しつつも、敵意を感じないためか体をその場から動かす事無く様子を伺う。
私の制服が干してあるベンチまで近づくと小さく笑みを浮かべ「もう乾いているから着た方がいいわよ」と、予想だにしていなかった言葉を紡いだ。一瞬呆けてしまったけれど、ゆっくりと女性に近づき、私も制服の状態を確認すると確かに乾いている。いくら夏とはいえ、まだ干してから十分間も経っていないはず……風もほとんど吹いていなかったし。
「あら、制服に少し染みがあるわね。このままじゃ染みが取れなくなるから着いてらっしゃい」
勝手に話を進めている女性は私が制服を着た頃合いを狙ったのかすぐに私の左手を右手で優しく握り、ゆっくりと歩を進めていく。
「ちょっと待ってどこに行くの。それになんでこんな所にいたの」
振り向きながらもなおも私の手を導く女性。優しく手を包まれて手を切り離そうと思えばすぐに出来ると思っていたのだけれど、包む力とは裏腹に全く女性の手を開かせる事が出来ない。
「橋の上はね、横断歩道までが遠いのよ。それにスクランブル交差点だから歩行者の信号が青になるのが遅いのよね。その点、橋の下をくぐっちゃえばすぐ向こう側にいけるからいつもここを通っているの。こんなおばさんが襲われることもないだろうしね」
おばさんって……私には飛んで火に入るとか、カモがネギとかにしか見えないんだけど。
「そんな事よりこの時間にここに至って事は夕ご飯を食べてないんじゃないの」
夕ご飯どころかお昼ご飯も食べていないけど、それをこの女性に言ってしまったら余計に関わってきそうで私は否定をした。関わりをもつ人は少ない方がいいから。
それなのに私の体は正直者で、嘘をつくことを許さなかった。
「ふふ、遠慮なんてしなくていいのに、おばさんこれでも料理は得意なのよ。娘には負けるんだけどね」
娘――その言葉を緩んだ頬で形にすると何が楽しいのか上機嫌になり、歩む速度が心なしか上がった気がする。
私に関わると命が危険なんて本当の事を言うわけにはいかず、このマイペースな女性に優しく引きずられながら女性の目的地に着いてしまった。
そこは古くも新しくもない特徴のなさそうなアパートで、外からの見た目では2DKだと予想が出来た。外付けの階段を上り一番の東側のドアに辿り着いた女性は私を何の警戒もなく私を招き入れた。
簡単な物で悪いわねと一言あったけれど、目の前にあるのは溶き卵がトロトロのフワフワで見事な火を通し加減の親子丼だった。
「今日はちょっと早く帰れたから娘が起きてるかと思ったんだけれど残念ね。起きていれば娘にもっと美味しいご飯を作ってもらえたのに」
出来たてで口の中を強く主張するご飯がとても美味しくて、これ以上美味しいご飯を作れる娘さんは私とは違って幸せな人生を歩んでいるのかなと夢を見るような事を考えてしまった。
美味しいのに、とても美味しいのに、こんなご飯を食べられるなんて幸せなことだと思うのに、気付いたら私は食べる手を止めてむせび泣いていた。
「ゆっくりで良いからちゃんと全部たべるのよ。お腹が空いていると心が渇いてしまうからね」
ゆっくりと私の頭を撫でてくれた眼の前の女性は私が夕ご飯を食べるまで辛抱強く待ってくれて、いまは制服の染み抜きをしてくれている。
私は娘の服だというTシャツとハーフパンツを借りて、女性の布団に潜らせて貰っている。本当は染み抜きまでしてもらっていて、先に寝るなんて仇を返すような事はしたくなかったけれど、今日は色々とありすぎて自分でも気付かない位に疲れていたみたいだった。あんな無様は姿をさらしたのもそうだと思いたい。
いつ寝たのかすら記憶からこぼれ落ちているのを朝の日差しと共に感じ、昨日より鮮明になった頭で布団から這い出した。私が布団を奪ってしまった女性は娘さんの布団に潜り込むと言って嬉しそうにしていたから本当にお邪魔しているのだと思う。娘さんの事を口にする度に目尻がさがって頬が緩むのだから。
かすかに体の機能を呼び覚ますような香りを感じ、キッチンがある方へ誘われていくと女性が言っていた娘さんだろう女の子が料理をしていた。もう、臭いだけで絶対に美味しいと断定できる。
「あっ起きたの。お母さん今日は早いね、一緒の布団に入っててすっごいびっくりしたよ」
どこかで聞いた声、振り向いた娘さんはよく知っている娘さんだった。シンプルの薄い桜色のエプロンを着けている娘さんが上品というより穏やかに振り返るとその雰囲気も相まってとても魅力的に見える。将来の旦那さんは幸せだろうけど自制をするのが大変そうだ、女の私でも見惚れるのだから。
「羽月ちゃん」
「あれ、真琴ちゃん。おはよう」
朝食もお弁当も私の分を用意していなかったと急いで追加で作りだす羽月ちゃん。私がいるのが当たり前に感じているのかの様に振る舞う羽月ちゃんはやっぱりかなりずれていると思う。それに――。
「なんとか間に合ったかな、これ真琴ちゃんのお弁当ね。そういえばなんで真琴ちゃんがうちにいるのかな」
やっぱり羽月ちゃんは羽月ちゃんだった事に何故かほっとした。
「昨日ね、ちょっとした事があって今日も学校に行けないんだ。お弁当まで作って貰って悪いんだけどね」
おそらく三人に引き続いて日を置かずに追っ手が来るということはオリジナルに時間的余裕が無くなってきているのではと思う。主様の眷属は人間を人形と罵って関わることを嫌がる傾向が個人で多かれ少なかれあるのはオリジナルから受け継いだ記憶から知っている。いくら私と関係が深いツカサ、セレス、羽月ちゃんを亡き者にするからといって嫌悪している人間を使うなんておかしい。
クラスメイトだから動きにくかった? 時間がないから私たちを一所に集めて効率よく始末しようとした? 見張りと誘い役? あの人間の三人はあのクラスメイトの追っ手と関係があったからまとめて始末しようとした?
考えても答えのでない嗜好の渦から頭を振ることで意識を外へ戻す。そんな私を不思議そうな顔で見つめる羽月ちゃん……本当、写真に撮りたい。出来ればセレスと小春ちゃんとセットで。
「それじゃ私も学校をさぼっちゃお。今日はずっと真琴ちゃんと一緒にいるから」
それは斜め上すぎてなんと言ったものか頭が痛くなる事を羽月ちゃんは言葉にする。普通は私を置いて学校に行くでしょうに、理由もなく私と一緒にいるなんて訳がわからない。
「私は個人的な用だから気を遣……わなくていいってば」
「んーでもね」
私用だと言えばいくらなんでも引くだろうと思ったのに考えに反して食い下がってきて次はどうしようかと考えていると――。
「今の真琴ちゃんは以前の私と同じように見えるから。周りを巻き込んで悲しいことにならないように嫌われようとしてた私に。真琴ちゃんは私を心配してくれてるのかな」
経験は無いけど知識で想像する恋や、恐怖を感じたときの心臓の断続的な悲鳴ではなくて心を突き刺されたような一瞬でとても大きい衝撃。私の心臓は暴れた瞬間倒れたかのように静かになった。
「真琴ちゃん」
表情を消した羽月ちゃんはクラスから、学校全体で浮いていたときの雰囲気に戻っていた。もしかして私も同じような顔をしているんだろうかと頬に手のひらを這わすと、まとわりつき始めた空気を弛緩させる柔らかくも眠たい息づかいが近くで聞こえた。
「おはよう二人とも。羽月、学校をサボるなんて駄目よ」
「おはようお母さん」
「お、おはようございます。昨夜は有り難うございました」
私たちが座るダイニングの四人がけテーブルに、眠気をかみ殺す用に手で小さなあくびを隠しながら昨夜のお姉さんが静かに座る。
変わらず私を穏やかに見つめ、羽月ちゃんから茶碗とおかずの乗ったお皿を受け取ると上品に食べ始めた。
「お母さん、真琴ちゃんは大事な友達なの。今まで手が届かなかったけどやっと手に入れられたの。その真琴ちゃんが困っているんだからお願いします」
拝むように両手の平を合わせて懇願する羽月ちゃんは、私をちらちらと見て何かを訴えてくる。これ、私もお願いするのか? 何かおかしくないか。
羽月ちゃんの表情に必死さが刻まれ始めたのを感じて、私は折れて同じように祈る姿勢をとった。
食事の手を止めて箸を茶碗に置いてお姉さんが私たちを交互に見つめ、小さく息を吐いて好きにしなさいとあきらめ顔で口に出した。ああ、やっぱり羽月ちゃんに甘いんだな。
「ただし、必ず夜はここに帰ってくること」
結局、私じゃ羽月を止められないからお願いなんて無意味なのにとこぼすお姉さんは、甘いだけでなく俗に言う親馬鹿も拗らせていた。
向坂市のほぼ中央に位置する向坂駅、その駅の東口を横切るように私たちは追っ手から逃げようと走り続けている。向坂駅は近年急速に開発が進み、東口でも西口でもペデストリアンデッキが常に拡張工事され続け、数年後に完成する駅から徒歩十分の国際展示場に似た商業施設まで繋がるという計画と市のホームページにあったはずだ。
先ほどまで駅ビルの三階にあった割と金額の高めなレストランで昼食を食べ、最後のケーキを食べ始めたときに元凶が現れた。見た目はただのおじさん、しかしその眼は厳しく羽月ちゃんがうっかりおじさんの質問に素直に答えてしまったのが今の状況に繋がる。
『そうですよ、私たちはサボって遊んでいます』
その時の笑顔は可愛かった、おじさんも固まる位可愛かった……馬鹿正直に答えられてあっけにとられただけかもしれないけれど。その隙をついて会計をおじさんに押しつけて私たちはレストランから逃げ出し、東口前を走っていた。さすがに会計する時間があるから既に私達のことは見失っているだろうけれど、念のために向坂駅から離れて街の中心部へと向かっている。
「なんか楽しいね」
いらずらっ子のような、悪いことと知りながら楽しんでしまった様な表情を見て、こんな顔もできるのだと知らない一面を見た気がした。
「羽月ちゃん、もうちょっと考えて動いてよ」
私の苦言は羽月ちゃんの表情を一層際立てるだけだった。
服と食料品、雑貨な物を買うとき以外は駅周りの中心部には来ないそうで私と一緒に歩きながら物珍しさに食い入るように、それなのにすぐに興味の先を変えながらと器用な事やってのけていた。
ふと気付いて首を巡らすとそこかしこの人が羽月ちゃんに視線を向け、中には立ち止まっている人もいる。
ここまで注目を浴びているのに気付く様子のない羽月ちゃんも羽月ちゃんだが、この状況で一向に声をかけられないのは不自然に感じられた。そんな私の疑問に答えてくれるかの様に少し軽薄そうな大学生くらいの男性が私たちに近づいてきたのだが、それに気付いた羽月ちゃんが笑みを向けるとそれ以上近づくことが出来ないように止まってしまう。
羽月バリヤー……私は小学生か。
ただでさへ目立つ上にサボりなんだからこれについては有り難い誤算だった。
今時の複数のシアターをもつ映画館に二人で脚を運んだのだが、ここに来るまでにアイスやたこ焼き、その場で野菜や果物を選んでフレッシュジュースを作って貰い二人仲良く口に運んで楽しい時間を過ごした。
やってる事はデートじゃないかと途中から気付いてはいたけれど、眼の前の相方があまりにも楽しそうなので心の内にしまっておく。
河川敷をあるく二人の影が徐々に伸びていく夕暮れ時、遊び倒した時とは違い今はお互いにこの時間が作り出した落ち着きのある雰囲気に浸っていた。
「羽月ちゃん今日は有り難うね、ちょっと気分が軽くなったよ。それに奢って貰ってばかりで」
「私も楽しかったから気にしなくていいのに。それにこの年になるまでほとんどお小遣いを使う機会がなかったから、私って結構持ってるんだよ」
「う、うん」
さらっと重い話が流れたけれど、ここはあえて無視した方がいいのだろうか。
どうしたものかと無い頭を捻っていると、昼過ぎに羽月ちゃんに声をかけようとした男性が近くを歩いているのに気付く。あのときは声をかけるのに失敗していたけれど、再度チャレンジといったところだろうか。まあ、害になりそうなら私が排除するのも――あのおじさん、おばさん、小学生に私たちを負っていた補導員。今日一日で見かけていた人たちが私たちの周りを我関せずといった体で歩いていた。
とっさに羽月ちゃんの手を取り立ち止まると、不思議そうな顔を向けてくるが今の私にはそれに見とれている余裕も時間も無かった。
私たちの動きに合わせたかのように周囲にいる人たち全員が歩みを止め、ゆっくりに全員が同じタイミングで私たちを視界に捉える。
まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい!
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!
隣で不思議そうな、呆けているような羽月ちゃんを見ると罪悪感からか巻き込んでいまった後悔からか顔の筋肉が思うように動かず、喉も不自然に一度大きく音をならす。
「どうしたの」
その言葉が合図になったかのようにつないだままの手を引っ張り私は全速力で駆け出すと、幸いな事に羽月ちゃんは運動神経が良いのか遅れること手を引かれたままでも着いてきている。 私たちの後ろでは表情を消した人たちが息を乱すことかけ続け、人としての皮を破り捨てたかの様な下半身と上半身の動きが連動しないテレビで見る昔にあったブリキのおもちゃの様だった。
私たちの後を走って追いかけてくる何十人もの人たちに羽月ちゃんも異様な物を感じたのだろう、顔から笑みが消え去りまっすぐ私を見つめてくる。
ごめん、巻き込んじゃった。
走る、走る、走る。私はこの程度じゃ息切れなんてしないけど、羽月ちゃんは辛くなっているはずだ。最悪抱えて走る事になるだろうけど、あのブリキの人形がどこまで着いてくるかだけが不安だ。
視界の先に同じ学校の制服をきた女生徒が後ろを向いて佇んでいるのに気付くと、私は声を張って逃げるよう伝えようとしたけれど、女生徒が笑みを口だけに浮かべて振り向きよく知る人物がその言葉を形にするのを邪魔してきた。脚を止めると追いかけてきた人たちは私達を囲むように距離をとり、私が視界に捉えている存在もゆっくりと近づいてきた。
「こんばんは。スペアとしての人生は楽しかった?」
私と全く同じ顔、同じ声、でも決定的に違うのは私のもつ記憶が泡立ち今にもこの場を離れたい雰囲気。
「――オリジナル」
「え? え?」
混乱している羽月ちゃんを落ち着かせる余裕なんて無い、この場からどうやって逃がしたら良いか焦る気持ちで空回りを始めた頭を無理矢理に働かせながら考える。
「わざわざ迎えにくるなんて、そろそろ体が崩れ始めたの」
頬を紅潮させて眼を細めるオリジナル、私の持つオリジナルの記憶が警鐘を痛いくらいに頭に響かせる。あれは、虫けらをいたぶって苦しめて悦に浸ろうとする顔だと。
正面は駄目だ、どうあがいてもオリジナルの残りかすのような力しかない私ではどうにもならない、なら、今までの生活を捨ててでも羽月ちゃんを守り切ってみせる。
『メタモルフォーゼ:フォルム=ナイト』
赤い鎧をまとった……いや、私を作るのに犠牲なった人たちの亡骸をまとい、手にした槍をオリジナルの足下に投擲して足下を不安定にすると同時に土煙で私達の姿を一瞬隠す。
羽月ちゃんを小脇に抱えてそのまま後方に飛び退きのき不気味な、おそらく屍人となっている人たちの包囲を飛び越せばあとはさっこと同じで体がちぎれるまで逃げ続けるのみ。
あーあ、昨日に続いて今日も私の正体が友達にばれるなんてね。
脚に力をこめ思いっきりジャンプをした私は背中から地面に叩きつけられた。体に走る衝撃、眼の前の青い空、そいて私の眼を覗く孤月に歪んだ嗜虐の光を含んだ瞳。いつ、何で、体に走る痛みと巡らせた視界から見える朱い槍、私の四肢が地面に縫い付けられていた。
「どう? 私の力を見るのは初めてでしょ。あなたの中途半端な力じゃここまでここまで強い力は振るえないよね」
オリジナルの力は神話に出てくるようなまさに阿修羅。私の四肢を貫く槍とは別に突端を顔に近づけてくる二本の槍。計六本の槍とどこが顔なのか、この見た目は本当に顔なのかという筒状の形に一週ラインが入っているだけの物が首の上に乗っている。あのラインが眼なのか、あれで周囲全体を見ているのか。
そんな事より羽月ちゃんは!
音が鳴って首の骨が外れるのではというぐらいまで首をねじ曲げ、おそらく後方へ投げ出された方へ顔を向けると倒れ伏した羽月ちゃんに屍人が群がり始めていた。
「あの子は関係ないんだから関わらないで!」
「く、くくく。何言ってるのよ、私達の姿を見たのだから逃がすわけが無いでしょ。それに今日一日居ていたけれどずいぶんと仲が良いみたいね。あの人形達は死んでいるからもう中身は作れないけれど、外見だけなら長く固くする事はできるの」
「あ、あんた」
「私の所為みたいに言わないでよ、巻き込んだのはあなたでしょ。大丈夫よすぐ心なんて壊してあげるから。そうね、抱えながら楽しい楽しい情事を町中で歩き回りながら見世物にすればすぐにあの子は何も分からなくなって楽しくなるでしょうよ。あとは私が慈悲の心であの子を救ってあげる」
こんなのと同じ顔だなんて絶望しかない、こんな奴の代わりの肉体を作る為に生まれただなんて馬鹿にしてる、ふざけてる、許せない。
私にかりそめの幸せを与え、その全てを壊して奪っていく。いつの間にか食いしばった口から鉄の臭いがしていた。
「ねえ、何してるの」
屍人の包囲が狭まっていく中、土埃にまみれて地面に座り込んでいる羽月ちゃん。こんな状況なのに相変わらずのマイペースさに場違いな笑みが零れてしまった。
「なんだもう壊れたのか。手間が省け……いや楽しみが減っちゃったな」
本当にこいつはどうしようもないな。主様が倒れれば眷属全てがただの骸に戻るからっていってもここまで歪んでいると同情のしようもない。
「ねえ、答えて。何してるの」
羽月ちゃん発したなおの質問に不快感を感じたのか、私に向けていた槍の一本を少しずつある方向へずらしていくオリジナル。このままじゃいけないと、どうにか注意を引こうと思った矢先、とても見知ってとても怖くてとても優しいあの子と同じ殺気が吹き抜けた。オリジナルは……気づいていないのか?
「ねえ、真琴ちゃんをいじめているの? やっと手に入ったのに私から奪うの? またあの地獄に戻れっていうの?」
徐々に羽月ちゃんの存在が膨れて言っているようだった。オリジナルが気づけないのが不思議なほどに膨れ上がっている殺気。
ああ、羽月ちゃんは優しいから私へ極力殺気が来ないようにしてくれているのか。だから小春ちゃんの時みたいに気を失うこともない。逆に殺気を全て叩きつけられているオリジナルは気づけないのじゃなくて感じないように本能が働いているのかもしれない。
「壊れると最後はただの人形になるのに、面白い壊れ方ね」
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!」
『世界を呪え――神を殺せ!』
あふれ出す力、世界を侵食するような暴力的な渦巻く風。やっと気付いたのか私の両腕から槍を抜き取り美しくも黒に染まった少女へ向けられる。
朱く輝く瞳、全てを吸い込むような深さをもつ黒髪、背後で揺れている膨らんでいる尻尾、そして頭上に添えられた二つの狐の耳。
変わり果てた羽月ちゃんを認識した瞬間、眼の前を黒影が残像を伴って流れて轟音を響かせた。すぐにオリジナルから開放されたと理解した私は音の鳴り響いた方へ体を起こして向けると、堤防の下にある公衆トイレにオリジナルが磔にされたような姿で倒れている。崩れた公衆トイレに羽月ちゃんがゆっくりと歩を進め、堤防を下りきった瞬間にオリジナルから槍の一突きが繰り出された。
あの早さは私じゃ絶対に反応できないと思ったが、羽月ちゃんを体を捻り右足で蹴り上げることで、オリジナルの槍を腕ごと泣き別れにする。
「すごい」
陳腐な言葉だけど、これ以上何も言いようが無かった。羽月ちゃんは私と同じだと言った意味が今分かった気がする。人に嫌われてでもずっと一人で居た理由も。
「あなた、真琴ちゃんをいじめて何なの」
「いじめか……あの体は元々私を入れ替える器なのに自我をもって逃げたのよ。いじめじゃなくて泥棒を捕まえに来ただけ。それこそあなたは何なのよ」
大きい声では無いけれど人通りの少ない堤防はそよぐ風以外の音がなく私の耳にも声が途切れる事無く運ばれてくる。私には羽月ちゃんが一体何なのかあの子の姿を思い浮かべて確信に近い予感を抱いている。そう、主様が二度と関わりになりたくないと言った最悪の神。
「私は禁忌の眷属の黒転狐の片割れ。それ以上はほとんど知らないから答えられないよ」
小春ちゃんと同じ存在……禁忌という最悪の神の眷属。
可愛くて朗らかで抜けていて、それでいてとても怖い羽月ちゃん。小春ちゃんも抜けてはいないけれど同じようなものだ。禁忌って本当に主様が言うように最悪の神なのだろうか、眷属の二人がこれだけ天真爛漫なのに。主様が関わりたくないと言った本当の意味は私が思っているようなものではないのだろうか。
羽月ちゃんの発した言葉に意識を持って行かれていた私は再び二人の動向を見守る。といってもあのオリジナルがまるで虫けらのように六本の槍と手足をちぎり飛ばされ無様な姿となっていた。
「屍人共! スペアを襲え!」
スペアである私を切り捨てるとは予想だにしておらず、反応が遅れた私は屍人の包囲を許してしまった。残りの力ではほんの少しの時間しか鎧を纏うことができそうになく逃げだせる可能性は低そうだ。
「真琴ちゃん、伏せて!」
私に影がかかった瞬間となりに羽月ちゃんが空から舞い降りた。空には輝く円形の幾何学模様がいくつも浮かび、何かしらの術であれを使って一瞬でここに来たのだと気付く。
土の臭いが少し鼻につくが羽月ちゃんの言葉に従いすぐに地面に伏せた。
『闘技=爪握』
羽月ちゃんの手を離れたかのように巨大な爪が現れ、それを使って薙ぎ払えば元は何だったか判別出来ないような赤黒い山がいくつも作られた。
「あっ、逃げられちゃった」
あまりにも軽い感じの言い方だけれど、私からしてみたら心底助かったという感じだ。オリジナルが居たところには足跡だけが残り、すでに逃げおおせていた。
「騒ぎになるから私達も逃げよっか」
人生初のお姫様抱っこをお姫様顔負けの美少女にされるとはなんとも言いがたい物があるけれど、友達を巻き込んで秘密がバレて秘密を知って……仮初めの私はまだ生きている。