第3話 再び壊れ始めた日常
昨日は同胞に追われ、女の子をかばって戦いとは名ばかりでいいように弄ばれ、運良く二人で逃げ切れたんだっけか。覚醒を始めた意識からすくい上げた最初の記憶は昨日の顛末だった。私に何かをしようと考えてただろうあの二人組の事はどうでもいい、私は聖人君子でもないし人ですらないのだから。でも本当にあの子を救えて良かった、好き好んで殺しをするのも見るのも嫌だし、なによりあの優しかった主様が無意味な殺生をとても悲しむから。
意識が体の中から外へ向かい目を開け終わって体を起こそうと体を捻った私の目に、太陽の光が主張が強すぎるほど飛び込んできて本能的に目を細めた。
この頃はあの人達に見つかるのを警戒してカーテンは開けていなかったはず。そういえば記憶にあった女の子はどうしたのだったか、目から突き刺さった刺激でやっと本当に目が覚めた私は跳ねるようにベッドの上で立ち上がろうとし、現前に広がる光景に体が動かなくなり床へと顔からダイブした。
「あなた、何やっているの」
それは私のセリフだ!
「歌泉こそ、何やってるのよ」
深夜に私を追いかけ回して関係のない人たちを殺したり殺そうとしたり、お互い力を使って殺し合いまでしたのに何であんたはベーコンエッグとサラダの乗った皿を両手に持ってるのよ。
「マコッチやっと起きたー! これで解放されるー!」
「マコの所為で死にかけた。責任とって欲しい……もうあんなの二度と嫌」
泣きそうな顔だけど元気いっぱいな小学生高学年くらいの男の子の瑠偉、瑠偉と双子の大人しいけれど芯の強い女の子――のはずの瀬奈が可愛い口を震わせて私に身を寄せてくる。年齢的には昨日の晴ちゃん位の年だけれど見た目と違って私より遙かに強い力を持っているので油断が出来ない。この二人がいるということは私達が寝入った後、ここに侵入されたということ? だから歌泉もいる? ならなんで寄り添ってくる二人はおにぎりがのったお皿と、お椀やマグカップを持っているの。
「琴音お姉ちゃんおはよう。どうどう見て見てすごいでしょ、しゃっきんとりを三人も捕まえたよ」
声を嬉しそうに張り上げたのは滅多に使わないコンロに鍋をかけながら振り向いた晴ちゃんだった。先ほどの三人がもっていた料理とは違う匂いが漂ってきて、味噌汁を作っているのだと分かった。
いつもは惣菜やレトルトなんかで済ますからお米以外の食材をこんなに確保していたかなと不思議に思ったけれど、歌泉のあれを見ろと言わんばかりの視線を感じて目をそらすと覚えのないコンビニの袋が部屋の隅に綺麗にたたまれていた。私が使うコンビニの袋は緑のマークで、視界に収まっている物は青いマーク。嬉しそうな晴ちゃんと、顔から生気がそがれているような三人。普通に考えなければ今の状況に納得できるような気もしないけれど、普通に考えれば名探偵も迷探偵に職替えしなければいけなくなる状況だと思う。
「朝ご飯冷めちゃうから食べようよ」
一人だけのんきで朗らかな晴ちゃんの言葉に皆異論はないようで、五人分の朝食をおける机がないから行儀は悪いけれど床に座って食事を開始した。だからおにぎりなのか。
(たかだか借金取り扱いでこの仕打ち……)
(マコッチの所為でこうなったのに、マコッチのおかげで助かった)
(――茶番)
まあ、この三人が大人しくしてくれてるなら今は何でもいいや。
清水小春。晴と名乗った女の子は可愛らし笑顔に似合った穏やかな良い名前を改めて私に教えてくれた。小春ちゃんが名乗った瞬間、三人の体が揺らいだ気がしたがそれが気のせいではなく事実だと時間が経つごとに増えていく冷や汗が証明していた。体が硬くなったように縮こまり、関節も張り詰めたように動く気配がない。その中で徐々にうなだれていく頭と震えが強くなっていく握りしめた両手だけが三人が生きている証に見える。
「しゃっきんとりじゃないって分かったんだから怖がらなくてもいいのに」
ねえ? と小首をかしげて私に視線を送る小春ちゃんからは微塵も怖さを感じないのだが、何をそんなに怯えているのやら。
「でも小春ちゃんがいるおかけで落ち着いて話が出来そうだから感謝かな」
「真琴お姉ちゃんがしゃっきんとりは悪い人っていうから」
真琴お姉ちゃん……その心を包み込んで話さない響きに一瞬意識がどこかへ行きそうだったが、この私の嘘を鵜呑みにしてしまった無垢な子にちゃんとした事を伝えないと。
「嘘ついたのはごめんなさい、小春ちゃんを危ない目に遭わせたくなかったから。借金取りは悪い人だけど、この人たちはそうじゃないの。ちょっと喧嘩してたというか」
「ちょっと喧嘩で殺し合ってたの?」
うぐっ。痛いところを突かれたのだけれど、何で私は追っ手の三人を庇っているんだろうか。いくら私がスペアだからってあの女が現れなければいがみ合うことは無かったからなのか。そう、あの女が来てから全てがおかしくなった。主様は言葉を発する事が無くなり、なぜかあの女の命令に眷属が従うようになったのだ。そう、先日まで喧嘩はすれど中の良かった怯えているあの子達とも気軽に付き合えていたのに。
「しゃっきんとりじゃ無いけれど、悪い人っていうことは合ってるのかな」
死んだ目をこちらに向けて必死に無言で懇願してくる歌泉、瑠偉は固まったまま何もできず瀬奈はがん泣きしていた。
「だ、大丈夫だよ小春ちゃん。ちゃんと仲直りするから。ほら、喧嘩するほど仲が良いっていうじゃない」
「仲が良いと喧嘩しちゃうんだ。私とあの子が喧嘩なんかしたらこの世界なんて簡単に壊れちゃいそうなのに。あの子力の使い方が下手だからちゃんと教えないとうっかり世界滅ぼしそうだし――私はうっかりじゃない、うんそうだ」
私には子供時代にかかる症状に見えただけなのに、三人の私に訴えてくる意思が必死どころか全てを捨ててでも良いから助けて欲しいと圧力をかけてくる。ちょっと卑怯とは思うけれどどここはギブアンドテイクでいくのが良い案だと思う。
「もう仲直りしたから、仲良しだから。三人共もう私を追わないって約束してくれたからね」
「なんだぁそうなんだ。ならすぐ言えば良いのに」
泣きそうな悔しそうな有り難そうな魂が抜けたような、表情をコロコロと入れ替えて遊んでいるか
のようにしか外からは見えていないけれど、泣き続ける瀬奈と顔色が土気色まで抜け落ちた二人を見ると実感は出来ないけれど想像は少し出来た。
「仲直りしたならこれ返して良いのかな。首の後ろに刺さってたんだけど嫌な気配がしたから抜いちゃったの」
小春ちゃんがフローリングの上に置いたのは裁縫に使うものより少し短い金色の針だった。手に取って見ると細い針には緻密な文字にも見える文様が刻まれ、手に伝わる感触からただ彫り込んだのではなく、針として使うのに支障が無いようにとても丁寧になめらかに磨かれていると感じた。
「嫌な気配は私が喰っちゃったからもう無いよ。別にいいよね、あんな不気味な力なんだから」
手に持った針を戻すとまだ完全に日常に復帰できていない可愛そうな人たちが、絡みつくほどの視線を針に向けているのに気付いた。小春ちゃんは首の後ろに刺さっていたと言っていたけれど、そんなところに針を刺す意味なんて無いだろうし、この様子だと知らなかったのではないか。
「聞いて……いいか」
歌泉の絞り出した質問に小春ちゃんは笑顔で応じ、じゃっかん怯えながらの問いに答えてくれた。
己達は針という存在には気付いていなかったし想像すらしたことがない、何の為に針が刺さっていたのかも分からない。そんな物をほんの少し接しただけで見破るおまえは何なのか。昨日といい今回と良い、主様を彷彿とさせる力と持つおまえは一体何なのかと。
主様を彷彿?
「もう気付いてると思ってたんだけど。みんなはその主様の眷属なんでしょ」
私は小春ちゃんに眷属なんて言葉は言ってない。小春ちゃんの口ぶりからしても三人も言ってないように聞こえた。じゃあどこでそんな言葉を聞いた? なんで当たり前の様に言ってきた? 三人を怯えさせる小春ちゃん、眷属の事を知っている小春ちゃん。嫌な想像が抑えきれないほど、誤魔化しきれないほどに泉の様に湧き出しては私の周りに広がってく。
「三人も真琴お姉ちゃんも十柱の神の内、誰の眷属なのかな。教えて欲しいな」
世界が変わったと思った。今までいた世界から突然見た目だけ同じ世界に放り込まれた様な錯覚をしているみたいだ。喉が渇く、体が凍る、視界が揺れ脳が活動を停止していくみたいに意識が鈍くなるのに目の前の何かに恐怖という鐘を鳴らし続ける。
「私は十一番目の神、禁忌の眷属で霊狐だよ。ねえ、皆の事も教えてよ」
禁忌。主様が昔、絶対に関わるなと、主様自身も二度と関わりになりたくないと言っていた最悪の神。体をさらに締め付ける殺気に恐怖をかき立てられ、記憶の中からくすぶり始めた不安や不吉に私という存在が揺さぶられ意識が体から離れていった。最後に見たのはすでに倒れ伏している瑠偉と瀬奈、私と同じだろうと思える朦朧としている歌泉だった。
眠い。今日はとにかく眠い。あの後、朝早く起きたのもあって意識が戻った時はギリギリ学校に間に合う時間になっていた。
学校につくなり机に突っ伏し、午前の授業は全て寝て過ごした。担任や各教科の担当が注意してきたけど、まだ来てもいない初潮という嘘をついてなんとか誤魔化せたのかな、と不安に思う。あまりにも余裕がなくて朝のホームルームで担任に尋ねられた時に周りに聞こえるのも考えずに嘘の暴露をしてしまい、男子の奇異の視線と女子の一線を置かれたような雰囲気を感じた。
そんな中で三人だけがクラスメイトと全く違う反応を返してきた。私を指さして爆笑する伊勢ツカサ、興味のなさそうな狭間セレス、何も分かってなさげにボケッとしている栗原羽月……本当に大丈夫かなこの子、変わり者過ぎてなんか心配になるんだよね。
保健室に行かずに授業を受けさせてくださいという私の願いは届いたが、昨日の出来事の所為で体の疲れと心の疲れとほとんど徹夜の三重奏で安らかな世界へと沈んでいった。
「真琴ー、お昼ごっはんだよ」
遠慮無く私の背中を叩いてくるとにかく明るいこのお馬鹿。でも私はこいつが本当はすごく頭がいいと思っている、馬鹿を演じているだけで私が仮病を使って寝ていると気付いていたんだろう。
「真琴、早く学食行かないと席無くなっちゃうよ。それとも今日は購買にするの」
いつも私と一緒に食堂や購買で済ますセレスが少しそわそわした様子で尋ねてくる。一人暮らしとはいえ、私は家事が得意じゃないので食事はもっぱら外食が惣菜を買ってくるだけなので、学食と購買の常連になっている。
「えっとそれがさ」
鞄からゆっくりと、そっと、恐る恐る柔らかな布に包まれた手のひらより少し大きい塊を取り出して机の上に置く。
普段の私をしっているツカサは食えない物を作ってもしょうがないのにと後で殴りたくなる事をのたまい、セレスは裏切り者とずっと呟いている。羽月ちゃんは、まあ、今までが今までで普段の私を知らないだろうから皆の反応を不思議に感じているようだった。
「それ真琴……ちゃんのお弁当? 包み布かわいいね」
「真琴でもちゃん付けでもどっちでもいいよ。遠慮される方がくすぐったいから」
全くの別人になったような羽月ちゃんをよく見ると、私と同じようにお弁当箱を持っていた。羽月ちゃんはいつもお昼はどこかに消えるから食事をどうしているか分からなかったけれど、お弁当だったのかと納得した。食堂にも購買にもその姿は無かったから。
「え? 羽月もお弁当なの。ツカサもいつもお弁当だし。ちょ、ちょっと待ってよすぐ購買でパン買ってくるから」
さすがの運動神経で上履きなのに一瞬でトップスピードにのったセレスが廊下にでるとすぐに姿が見えなくなった。毎日毎日陸上部から勧誘がくるほどの足の速さをもっているのに部活に所属することもなく、放課後は私たちと少しだべってから帰ってしまう。陸上部の顧問が言うには学生レベルに収まる器じゃない、世界を取れる天才だっていうけど私からみれば馬鹿のツカサに並ぶアホのセレスだ。
「真琴ちゃんのお弁当って、なんか渋いね」
羽月ちゃんが私のお弁当をのぞき込みながらの第一声がそれだった。ツカサもセレスももっともだと言う同じ気持ちなのかこれでもかという位に頷き、私も頷き返して同意した。
「なんであんたが頷いてんのよ」
あきれるツカサを頭の隅においやり、自分のお弁当をまじまじと見ると見事にまっ茶色のお弁当で普通だったら食欲が減退するのだが、冷えててもなお香ってくるおかずに期待に方が高まってきた。
おかかご飯に肉じゃが、昆布締めに多分だし巻き卵とプチトマト。一カ所だけ赤いけれど不思議と違和感がなくこのおいしそうなお弁当に溶け込んでいる。一体何時に起きて準備していたのか、あの三人はこの材料の買い出しにパシられたのか。
「真琴ってさ一人暮らしだし、料理出来なかったよね」
突っ込んで欲しくなかった質問がセレスの口から出ると、私の脳裏に目の前の人外共と相打ちになるような可愛くて恐ろしくて訳の分からない女の子の姿が浮かび、一瞬背筋を撫でられたかの様な錯覚を感じた。
「ちょうど今ね、親戚が遊びにきて泊まってるから」
自身の恐怖を紛らわすように不自然にならないように喉から空気を意識して通す。
「へー、料理上手のおばちゃんなんだね」
羽月ちゃん、それは本人を前にして言ってはいけない。お弁当の中身はおばちゃんやおばあちゃんが作ったようにしか見えないけれど、あの子がどんな反応をするか怖くて想像すらしたくない。
午後は頭がすっきりしたのか普通に授業を受けることが出来たが、途端に元気になっているのでは不自然なので、ここはツカサに犠牲になってもらった。ツカサから生理痛薬をもらってなんとかまともに動ける位には回復したと歴史の担当の先生に伝え、授業を真面目にこなしている。時折、男子がツカサに視線を向けるが鬱陶しそうににらみ返すツカサをみてザマミロと心のなかで復讐を果たした達成感に酔いしれているとツカサが満面の笑みで私を見つめ、多分私もこれ以上ない笑顔で気持ちを伝え合う事が出来たと思う。
――人を呪わば穴二つ――
「あんたら何やってんのよ」
放課後、教室にまばらに残るクラスメイトに溶け込むように私たち四人は羽月ちゃんの机を囲み、険悪な雰囲気の私とツカサをセレスが宥めていた。
「真琴が私を巻き込むから!」
「巻き込まれる事をしたアンタが悪い」
自分でもあまりに低次元の喧嘩だと思う。セレスはあきれかえった様な、困った子供を相手にするように口調で柔らかく私たちに仲裁をするが、不機嫌なツカサは一向にへそを曲げてとがった雰囲気を和らげる事はない。
「二人ともすごく仲が良いんだね」
私も含め三人の視線が一所、人外二号に向かうとこの場の雰囲気にどうやっても似つかわしくない穏やかな笑みを浮かべて小首を傾げていた。
とっさにスマホを取り出そうかとしたが、となりでスマホ片手にセレスに頭をチョップされているツカサを見て、スカートの中に戻した。セレスは見かけによらず運動神経の他に力も強く、思ったよりもあれは結構痛いんだ。
「羽月ちゃん、どこをどう見たらそうなるのよ。自分で言うのもなんだけど結構見苦しい喧嘩だと思ってるんだけど」
美少女二人が喧嘩してるんだから麗しいの間違いだろと馬鹿がのたまうが無視して羽月ちゃんの言葉を待つ。
「だって、二人ともそれだけ喧嘩してるのに少しも殺気がないんだよ」
「「「……」」」
コノコハ イッタイ ナニヲ イッテ イルンダ?
殺気? いくら何でもそれじゃ殺伐としすぎてるでしょ! 一瞬を意識を奪われた所為か頭で考えた事と体が一致せず、声として外に出ることは無かった。
「うん、何だ。羽月は私たちが立派に育てていかないとね」
人外の困り顔なんて私からみたら凶器にしかならないが、今はセレスの言葉に同意して意識をそらした。本当にあの子も含めて人外共は何でこんなに無防備に感情を表現出来るのか。いや、羽月ちゃんはともかくそれがセレスに告白する男子がいない理由か? ノーガード戦法で逆に相手を懐に入れないようにしてるとか……。
バカとアホと世間知らず――とうか純粋? といつまでも無意味に話し込んでいてもしょうが無いので帰宅を促すと全員帰宅部なので賛成一択で決まった。
教室から廊下へ出る間際、一人の男子がこちらを伺うような視線を送ってきたような気がしたけれど私が顔を向けた時には友達と普通に会話にいそしんでいて気のせいかと思った。
告白もしないくせに遠目にセレスを見つめる視線があるのはいつもの事。それとも雰囲気が変わった、変わりすぎた羽月ちゃんへ手のひら返しで見つめていたのか。私たちが大事に育てると決めたからには無用な接触はさせないけどね。