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第2話 知らない神の眷属

 向坂市の南端にある公園の街灯が、LEDに交換されるのを拒んでいるのかのように不規則に明滅している。この当たりは閑静な住宅街からほんの少し外れた場所となり、シャッターが万年下ろされている店が軒を連ねている。アーケード街でも商店街でもなく、駅からもバス停からも遠いこの住宅街の救世主のような存在として自然と様々なお店が集まった歴史があった。

 それも公園から三〇〇m離れたところに幹線が通り商業施設が出来るまでの話だったが。

 そんな忘れ去られた世界を一人の少女が走り続けていた。時折後ろを振り向いては蛇行するように横道に逸れながら走り続けている。夜に全力疾走する少女、人気のない道を選ぶ少女、後ろを気にするように振り向く少女――全力疾走を続けているのに息一つ乱していない少女。


「逃げて! 早くあっちへ!」


 突然声を張り上げた少女の視線の先には二人組の少年が朽ちかけているお店の庇の下で煙草を咥えていた。少年達は一瞬驚いたのか肩を跳ね上げたが、脇道へ向けて腕と指を伸ばす少女の顔を見ると粘つく笑みを浮かべて進路を塞ぐように動き出したところで――上半身が消え去った。


「なっ、回り込まれてたなんて」


 街灯の明かりも遠く、星明かりも人々の営みの輝きに押しやられて闇が歯止めをなくした様に広がるなか、さらに闇を塗りつぶす漆黒が地面に広がっていった。

 進路を塞がれた少女はとっさに背後の交差点を曲がり公園に行き着いたが、そこには予想と違って無人ではなかった。街灯のしたに設置された申し訳程度のベンチに座り、おいしそうにアイスクリームを頬張っている己より五歳は年下に見える子供がいた。そろそろ日付を跨ごうとする時間に人がいるわけが、さっきの少年達が例外だと思っていて油断していた少女は自分でも不快になるほどの音を出して歯ぎしりをした。

 周囲を警戒しつつも子供、明滅する光に時折浮かび上がるとても可愛らしい女の子を逃がそうと近づくが、背後からの水をたたき付けたかの様な音に中断せざるを得なかった。


「スペアが逃げるとは主様に対する裏切りだぞ」


 言葉を発したのはゆっくりと少女へ近づく朱い水で作られたような大蜘蛛。牙の見える口を器用に動かし、流暢な言葉を話しながらも体は波紋が広がるように微かに脈動している。


「うるさい! 私だって自分がスペアだって受け入れてるし、主様に逆らうような事はしたくない。でも当の主様がおかしくなっているって歌泉、あなただって気付いているでしょ」


 大蜘蛛は歩みを止め少女の目を体中の朱い水から作り出した目で見つめるが、その内一つの目が少女の後方でアイスクリームを持ったまま身動きしない女の子を捉えた。


「とりあえず、見られたからには先に消すか」


 十の脚を器用に操り瞬時に方向転換したした歌泉と呼ばれた大蜘蛛は歩を進めようとしたところで、目の前に朱い金属の様な物で出来た巨大な槍が突き刺さった。


『メタモルフォーゼ:フォルム=ナイト』


 少女の体から滲み出た光沢をもった鮮やかに朱が蠢きながら体中を覆うと、そこにはフルプレートに身を包んだ身の丈三mはあろうかという騎士が現れ、先ほどの巨大な槍を地面から引き抜いた。


「どういうつもりだ。おまえ、自分の首を絞めているんだぞ」


 元少女だった騎士は引き抜いた槍を体に引き寄せると顔の前で掲げた後、槍を持った右腕を後ろに引いて刺突の構えをとり、腰を少し前方に向かって落としていつでも最高速度で突き出せる様に体の重心を整える。


「別に正義の味方の真似でもないし、私もあなたも同じ穴のムジナだって理解してるわよ。でも主様が仰っていたじゃない、生は失ってからこそ輝かしさに気付けるって。主様が私たち眷属の亡骸を大事に保管しているのだってそれが理由でしょ」

「我ら眷属と価値すらない生き人形を同列に扱うか! 貴様こそ主様を理解している振りをして愚弄するなど、スペアじゃなければ今すぐ八つ裂きにして殺してやるものを!」

「主様はあの女と出会って狂ってしまった」


 朱い騎士は体を前方にわずかに傾けたと認識した瞬間、大蜘蛛に向かって空気が悲鳴を上げるような音を奏でて槍を突き出す。槍は確かに大蜘蛛の体に突き刺さっていたが、大蜘蛛は人の頭など一瞬ですりおろせるような大量の牙を不気味に打ち鳴らした。


「相変わらず芸がないな」


 大蜘蛛の体が一際大きく脈動すると水が弾けるような音とともに体が溶け出し、地面に血の池のような常に波打つ不気味な何かに変貌する。


「くっ」


 朱い騎士となった少女は己の攻撃が全く通じていないとみるや後方にとびすさろうとするも、血だまりから無数に伸びた血の蔦に槍をもった右腕を絡め取られ、下がることも攻撃することも出来なくなってしまった。


「無力を感じながら人形が朽ちるのを見てるんだな」


 大蜘蛛の意識の中にはすでに騎士の姿はなく、後方のベンチにいるはずの女の子に体中から作り出した目玉を向けると、女の子は――無邪気に笑みを浮かべていた。

 予想外のことにほんの一瞬思考に空白ができた大蜘蛛は、左手に槍を持ち替えた騎士の無理な体勢からの弱々しい突きの一撃を体の中心に穿たれ、体を痙攣させながら脚を折り曲げ顔とよべる複数の目をもった部分から倒れ伏した。


「なん、体の中が凍って……」


 痛みにまともな思考が鈍り始めた大蜘蛛は、先ほどから視界に捉えていた女の子の瞳に己が絡め取られ、捕食される立場が誰なのかを震えだした体から理解した。


「こっち! お願いだから付いてきて、逃げるよ」


 まるで着ぐるみを脱ぎ捨てるかのように騎士の姿に割れ目が生まれ、中から飛び出た少女が女の子に向かって駆け出し右手の手のひらを広げて差し出した。抜け殻となった塊は色が抜け落ちていくかのように世界に溶けていく。


「あー、私のアイス」


 手を引っ張られた女の子は先ほどまで頬張っていたアイスクリームを地面に落とし、目の前で起こった事など些事だったとでも言うように無邪気な様子だった。少女は一瞬違和感を感じたがあまりの恐怖から心を守る為に逃避しているのだと思い込み、今は何をするのが最優先か考え直し女の子の体を抱きかかえ可能な限りの速度で駆け出した。


「アイスなら私がたくさん買ってあげるから、今はおとなしくして」

「ほんと? お姉ちゃん嘘ついたら怒るからね」


 女の子は少女に抱きつき先ほどまでの現実離れした世界が幻覚だと思わせるような笑みを浮かべた。

 相反するような雰囲気を纏った二人は時折後ろを振り返りながらも非日常から日常の世界へ消えていった。




「ここは弱いけれど結界が張ってあるから、変な事をしなければ大丈夫だよ」

「変な事?」


 首を捻る女の子の姿に、先ほどの不可思議な出来事をなかったことにしようと防衛本能が働いていることを忘れていた少女は、後悔と共に少しの間声を発する事が出来なかった。

 此処は少女が借りているアパートの一室。1LDKの間取りで一人で住むには十分であり、小柄な女の子が六畳の寝室に少女と向かい合わせに座っていても狭くはなかった。


「えっと、変な事というのは周りの人に迷惑をかけないことだよ」

「うーん、私には難しいや」


 今度は逆に方向に首を捻った女の子を落ち着いた気持ちで少女が改めて見ると、その可愛らしさに欠点どころかこれ以上より可愛くなる要素が見つけられない事に驚いた。


「何で私の周りにはこんなに人外が多いのよ」

「え?」

「ご、ごめん何でもない。こっちの話だから」


 少女は心の中でつい口にしてしまった人物達を思い浮かべたが、やっぱりこの女の子と同じく欠点も何も見つけられず同じ女としての自信を削られてしまった。


「ねえ、お姉ちゃんはお名前は何というの。私の名前はね、きよみ――」


 女の子から紡がれる言葉を断ち切るように少女はとっさに女の子の口を両手で塞ぎ、勢いそのままで押し倒す形となってしまった。

 目を瞬いて驚く女の子はのしかかってきた少女の手をどかそうとするが、力の差は歴然で口を塞ぐ手をどかすことができず口からわずかに漏れる吐息で間抜けな音を奏でている。


「ひゃっ」


 少女がとっさに手をのけると手の平はしっとりと濡れていて、一瞬のくすぐったかさから手のひらを舐められたのだと理解した。相手が子供で何をするか分からないということを思い知った少女が手の平から視線と落とし女の子を見ると、口からわずかに出た舌が唇をゆっくとなぞりあるべき場所に戻る。濡れた瞳をする目の前の子は本当にあの可愛らしい女の子かと胸の中に不気味な感情が巡った。


「ねえ、なんで名前がだめなの」


 意識を引き戻された少女は目の前の女の子が先ほどの可愛らしい子に戻っている事に安堵し、恥ずかしながらも借金取りに追われているので巻き込みたくない為に嘘を口にする。


「しゃっきんとり? 悪い人に追われているの」

「悪い人というか私が悪いというか……うん、そんな感じ。だから本当の名前じゃなくて嘘の名前で呼び合いたいな」

「嘘の名前……なんか格好いい。なら私は『晴』がいい」

「ハル、晴ちゃんね。じゃあ私は『琴音』って呼んでね」


 お互いがお互いの嘘の名前を言い合い、無邪気に笑い合った二人はすでに日付をかなり跨いでいる事に気付くと一緒にベッドの中に入りこんだ。

 晴は床で寝ることに不都合も辛さもないとさっさと寝入ろうとしたのだが、頑として琴音がベッドで寝ることを譲らず、瞼が重くなってきていた晴は逆らい続ける事が出来なかった結果だった。




 外の世界でみる夜空は町の明かりに塗りつぶされて里でみた世界とは違っていた。それでもこれが本当の世界なのを証明するように、遙か彼方に存在する輝く星から微かに魔素の揺らぎを晴は感じることができた。


「私が放ったちょっとの殺気で震えてたのによく来たね」


 二階建てのアパートの屋根に腰掛け、向かいと言うには少しい遠い五階建てのビルの屋上を晴は眺める。


「さっきは不意に感じた殺気に油断したが、よくよく見ればただの人形より少しだけ力が強い程度。はったりはもう効かないぞ。それにスペアの居場所はもう分かったのだ、人質として使う必要がないなら路傍に捨ててやろう」


 琴音に歌泉と呼ばれた大蜘蛛はゆっくりとビルの壁面を降りていき、その姿には先ほどの怪我は微塵も見つからなかった。


「ねえ、結界が張ってあるのに何で此処に気付いたの。公園からずっと付いてきていた二つの変な気配が教えてくれたの?」

「おまえ、本当に何なのだ」


 動きを止めた大蜘蛛に呼応するようにアパートの周囲の民家や地元企業のオフィスの影から滲み出るように気配と違和感を消しながら朱い大狼、大カラスが姿を現し徐々に晴との距離を詰めていった。


「あ、出てきてくれたんだ。私が下手に動くと壊し過ぎちゃうから悩んでたんだよね」

 アパートの屋上で立ち上がった晴は楽しそうに笑ったあと、大蜘蛛に向かって生涯心に突き刺さったまま抜けることのない恐怖を叩き込んだ。


「私は霊狐、霊狐の清水小春。皆からはマガツガミと呼ばれているよ」

『世界を呪え……神を殺せ』


 マガツガミの体を覆う神衣纏禅の衣、形をなしていく黒い狐耳と尾、煌々と朱く輝く瞳。

 大蜘蛛は本当のマガツガミの姿を捉えた瞬間あれは己達とは全く違うもの、主様と同列のものだと理解させられた。手を出してはいけない、抗うだけ無駄と瞬時に判断した大蜘蛛はほかの二人にも思念を飛ばしたが、すでに時は遅く無慈悲な言葉により未来が決定した。


「動けば――殺す」


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