忌々しき名
「はあ、はあ……」
夜の森の中を、一人の少女が駆け抜ける。
彼女の名前は、霧生扇霞。
ゾディアックに所属する少女だったが、その最深部であるものを見たことにより、彼らに追われる身となっていた。
彼女は木の陰に身を隠し、息を整えながら、周囲を警戒する。
扇霞の能力は、『透淵魔眼』と呼ばれる魔眼である。
その眼は、ありとあらゆるもの見透かすし、自身の存在すら透過させる。
つまり、透過能力発動中の彼女には、誰も触れることはできず、また彼女自身も何にも触れられない。
その能力のおかげで、ここまで逃げ切ることが出来ていたのだが、能力である以上、限界はある。
「上手く逃げられたと思いたいけど……無理、だよね」
諦めの表情を浮かべながら、彼女は空を見上げて呟く。
いくら魔眼とは言え、無限の視界を持つわけではない。
視界という能力範囲内から脱することが出来れば。逃げることは十分に可能だった。
だが、同じ魔眼を持つ者として、扇霞は自分を追う七色の魔眼からは逃れられないことを理解してしまっていた。
彼女は、これからどうするべきか考える。
世界の果てまで逃げ続けるか、逃げることは諦めて立ち向かうか。
「──いや、その必要はないよ」
「……え? っ!?」
そんな彼女の思考を断ち切るように、背後から声が響く。
振り返った彼女の目に映ったのは、空間の裂け目から伸ばされた誰かの手。
それが誰の手か気が付く前に、扇霞は空間の裂け目の中に引きずり込まれていった。
◇
「──それで、これからどうするの? マネージャー」
「いや、聞きたいのはこっちなんだけど……」
その頃、Orpheusを離反した者たちは、どこかの街の廃墟に隠れ潜んでいた。
各々、好きなように会話をする中で、彼らを率いるリーダー二人がこれからの方針について相談していた。
元Orpheus第二部隊隊長・鈴見直輝と元Orpheus第三部隊隊長・佐伯早恵。
「まさか、何の考えもなしに、Orpheusを離反したわけないよな……?」
「はぁ? ちゃんと考えてますけど? それより、あんただってちゃんと考えてる? 明日の収録のこと」
「……はい?」
「だーかーらー! 明日の収録どうするのかって聞いてるの!!」
真面目な口調で、今の状況と無関係な仕事の話をし始める早恵。
「ふ、ふざけてんのか……!? これだけの隊員の命を背負ってんだぞ! 仕事なんてしてる場合じゃ──」
「ふざけてるのはどっちよ……!」
状況を理解していないような発言をする彼女に怒りを露わにする直輝。
だが、その怒りが言葉になりきる前に、早恵は彼の胸倉を掴んだ。
「仕事は私にとってはもう一つの戦いなの。マネージャであるあんたが、それを理解してないなんて言わせないから」
彼女は言いたいことを言い終えると、直輝を突き飛ばし、近くにあった軽食に手を伸ばし始めた。
「……悪かったよ」
そんな彼女の姿に、呆れと尊敬を抱きながら、彼は謝罪の言葉を述べた。
「……いいよ。よくない状況なのは事実だし」
直輝の素直な謝罪に、早恵も不貞腐れながら、彼の言っていることは間違っていないと呟いた。
「でも、無策なわけじゃないのも事実。──いるんでしょ、天霊の許嫁さんが」
「……お前、まさか」
「連絡先、知ってるんでしょ? 教えて」
「待て待て待て……! お前、何をする気なんだ……?」
「決まってるでしょ? 協力してもらうのよ。今の私たちが生き残るにはそれしかない」
早恵は至って真面目な顔で、自分の方策を口にした。
そんな彼女の言葉に直輝は頭を抱えた。
確かに許嫁がいたことは事実だし、その許嫁が天霊になって、自分を追い続けていることも事実だった。
直輝にとって、二度と関わりたくない存在。
だが、早恵の考えは、彼の想いとは正反対だった。
直輝に好意を抱く天霊の協力を取り付けることこそが、自分たちが生き残る唯一の術だと早恵は考えていた。
それが分かっているから、直輝は彼女の提案を拒むことが出来なかった。
自分一人の感情で、多くの隊員の命の行方を左右する。
それをやってしまったら、先ほど自分自身が、早恵に怒ろうとしたことだ。
「……まあ、知ってるけど。昔の連絡先だぞ? 意味あるのか……?」
「バカなの? あるに決まってるでしょ。天霊になってまであんたを追いかけてくるくらい、あんたのことが大好きなのよ? ずっと連絡先を変えずにいるに決まってる」
絶対の自信を持つ早恵は、直樹の携帯を奪い去り、着信拒否の欄にあった一人の女性の電話番号を確認する。
「なっ、ちょ、待っ──」
「あ、もしもし? 初めまして。佐伯早恵です。少しお話、いいですか?」
そして、直樹の制止も聞かず、早恵はとある天霊へとコンタクトを取るのだった。
◇
「──は?」
「だから、君、鳴神千咲の息子だよね?」
時は遡り。
リバース・ジョーカーが集う会議室で、一人の異分子が放った発言が、場の空気を一変させた。
「……何で、その名前が出てくるんだ?」
璃空は、会議室内の異分子、セブンスのアンスリウム・ルクスリアを睨みつける。
殺意の籠った視線を、ひょうひょうと受け流す。
そして、璃空の質問への解答は、さらにこの場を凍りつかせることとなる。
「ん? だって、鳴神千咲はセブンスの一人。嫉妬に溺れた女だから」




