流転哭井
一人の男が空を見上げていた。
血に彩られた赤夜ではなく、星々が輝く暗い夜空。
その空が、流転哭井という男の完全敗北を告げていた。
「悪巧み、というのは、やはりそう上手くは行きませんね……」
自嘲するように呟く哭井。
「それにしても、ファムファタルとは、我ながらよく名付けたものだ」
朦朧とする意識の中、彼の頭の中に浮かび上がるのは、走馬灯などではなく、たった一人の女性。
「私の運命。私の退屈を壊してくれたただ一人の愛すべき彼女」
灰色にくすんだ、つまらない人生を変えてくれた、狂おしく愛おしい存在。
「──メイリア。私のメイリ―ス=アンバトルジア」
──神霊メイリ―ス=アンバトルジアのことを、彼は考え続けていた。
◇
流転哭井という男は、ごく普通の平凡な男だった。
何一つ不自由なく、何一つ驚くべきこともない、本当に平和な日々を過ごしていた。
そのことを、彼は心の奥底で、退屈だと感じていた。
しかし、彼の周囲には、天霊により家族を失った人や、異能犯罪に巻き込まれた人など、自分よりもひどい境遇の人がいることも理解していた。
故に、彼は、自分に与えられた退屈に文句を言うことなく、淡々と日々を過ごしていた。
そんな退屈は、突如として崩れ去ることになる。
──彼は、出会ってしまった。
この世界では悪と断じられる天霊をも超える圧倒的な力の塊に。
──彼は、狂ってしまった。
もはや、神聖さすら感じる美しくも悍ましい存在に。
神霊である彼女は、自分のことをメイリ―ス=アンバトルジアと名乗り、こう告げた。
「私の傷が癒えるまで、私を匿え。さもなくば殺す」
その脅迫を、哭井は笑顔で受けいれた。
──ああ。これで、僕の退屈は終わる
そう、心の中で呟きながら。
その日から、流転哭井という男は、一人の神霊のために生き続けた。
彼女のことを匿うために邪魔な両親は真っ先に殺した。
どこかで彼女の存在を嗅ぎ付けたOrpheusも皆殺しにした。
メイリ―スに命を捧げる日々の中で、自分も天霊となってしまうが、それを嬉々として喜んだ。
天霊になることで、彼女に一歩近づけたのだから。
◇
虐殺と殺戮を繰り返し続けたある日、哭井は、メイリ―スが幾星霜もの間、抱え続けた思いを知った。
彼女の能力は、かつて存在した同胞たちにとっても非常に有用だった。
それが原因となり、彼女は、他の神霊の能力によって、強制的に不老不死にさせられたのだ。
自身は、戦争のための道具でしかないという認識し、道具として能力を使用し続けた。
だが、神霊が争いに敗れ、世界の裏側に自分たちの理想郷を創り出すことを決めた。
その隙に、彼女は神霊たちの元から逃走した。
人々から隠れながら、自身に対し、無理矢理能力を使い続けることで、自身の存在をどうにか天霊までダウングレードすることに成功した。
その後は、正体を隠し、能力を重ね掛けし続けながら、生活を続けていた。
しかし、数日前、Orpheusに見つかり、傷を負ってしまう。
何百年ぶりに傷を負ったことで、修復に時間がかかり、神霊の状態に戻ってしまったところを運悪く、哭井が発見した。
哭井と出会うまでの経緯を話し終えた彼女は、ただ一言、「私は死にたい」とだけ呟いた。
その言葉が、今の哭井へと繋がることになる。
彼女を殺すための方法を探し続け、彼はOrpheus総帥と出会う。
そこで、彼が企む壮大な天霊の■■計画を知り、哭井はメイリ―スを殺すために、喜んでその計画に加わった。
総帥の計画を手伝う傍ら、自分自身でも彼女を殺すための計画をいくつも考えていた。
そのうちの一つが、天霊都市ファムファタルの設立だった。
天霊による街を創り出すことで、十二ノ剣を作成する原理で、メイリ―スの魂を破壊するための武器を創り出そうとしていた。
また、優秀な天霊は、自身に何かあった時に、彼女の駒となってくれるだろうと考えていた。
そして、今日、天霊都市は崩壊し、自身はここで死ぬことになる。
だが、無意味に死ぬつもりはない。
それもまた、いくつもの計画の中にあったうちの一つだ。
哭井は、近づいてくる足音に耳を傾けながら、ゆっくりと走馬灯から抜け出した。
◇
「──やあ、メイリア。無事でよかった」
「……そうね。私は死ねないから」
哭井の元にやってきたメイリア。
灯里につけられた傷のほとんどが再生されていた。
「そんなことはない。誰にだって死はある」
寂しそうに、投げやりに微笑む彼女に、哭井は楽しそうな笑顔を向けた。
そして、彼女にゆっくりと触れる。
「──っ!? な、なに……!?」
その瞬間、メイリアは自分が何かをされたことを悟る。
だが、それが何なのかまでは分からなかった。
「今、何をしたの……!?」
「──」
彼女の問いかけは、哭井の耳に届いていた。
本当なら、今自分が何をしたのか伝えるべきなのだろう。
だが、上手く言葉を発することが出来なかった。
彼女の求めている死が、自身の背後に迫っていることを感じ取った哭井は、その死が彼女にも訪れることを願いながら、最後にこう呟いた。
「──君を、愛している」
その言葉を最後に、流転哭井は命を落とした。
その場に残されたメイリアは、その言葉に何も言わなかった。
ただ、涙を拭い、掠れた声で呟いた。
「──流転哭井。あなたは、私の心臓になりなさい」
彼女の言葉に従うように、彼の亡骸は、メイリアの中へと消えていった。
それから、どれくらいの時間が経ったのか彼女は覚えていない。
何もなくなった地面を見つめ続けていた彼女の耳に、誰かの声が聞こえてきた。
「……メイリア」
ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには生き残っていたテラリス、マオミル、スピカが立っていた。
「──そう。生きていたのね。……ちょうどよかった」
彼女は立ち上がりながら、怯えた表情で彼女を見つめる三人に言葉を放つ。
「あなたたちは、永遠に私の物言わぬ、感情無き道具になりなさい」
メイリアの言葉は、三人の全てを無慈悲に奪い去る。
何も言わなくなった彼らを従え、彼女は静かに歩き出した。
そして、彼女はある人物へと電話をかける。
「──やあ。君から電話をかけてくるとは、哭井は死んだのかい?」
「ええ。哭井は死に、天霊都市は崩壊したわ」
「そうか。それで、私に一体、何か用かな?」
「……哭井は、その人生を賭して、私を殺そうとした。そんな彼が、あなたたちの計画に乗ったということは、あなたたちには私を殺す方法があるんでしょう?」
「ああ、もちろんだ。私たちはそのために戦っているのだから」
「……そう。なら、私の答えは決まった。あなたに協力してあげる。あなたの思い描く、壮大な■■計画に、ね」
「感謝するよ。君の協力があれば、計画は達成されたも同然だ。ありがとう、メイリ──」
「──その呼び方はやめて。私はメイリ―ス=アンバトルジアでも、メイリアでもない」
男の言葉を遮り、彼女は口を開く。
そして、次の言葉で、彼女は新たな自分を定義した。
「私は妃縁。──流転妃縁」
こうして、妃縁は三人の道具を引き連れ、自身の終わりに向かって歩き出した。




