天獄の果て
「ははははは!! さっきまでの威勢はどうしたのですかぁ!?」
嘲るような笑い声を上げながら、逃げ回る璃空を追いつめていく哭井。
彼の進路上の空間を抉り取り、徐々に、退路を断ち、自分の間合いへと追い込んでいく。
そんな危機的状況に追い込まれ始めていることを、璃空も理解していた。
哭井の操る飢餓と怠惰の能力の厄介さに加え、まだ彼には、彼自身の能力も存在する。
灯里曰く、恐らくは対象の状態を、自身と同じにするものではないかと推測していた。
それが正しいかどうかも分からなければ、戦闘中にどうやって使ってくるのかも未知数だった。
特に、セブンスの二人の能力は、戦いが長引けば長引くほど、周囲への影響も出かねない。
なるべく早く、勝負を決めたいところではあるが、天霊能力の使用感に慣れず、今の今まで逃げに徹していた。
「でも、もう十分だ」
しかし、それもここまで。
ようやく、霊力の感覚を掴んだ璃空は、攻めに転じる。
そのために、逃げるルートも考えていた。
自分の進路上に、建物が見えた瞬間、一気に加速する。
「んー? 何を考えているのか知りませんが、そんな単調な逃げ道では──」
哭井は、真っ直ぐに走る璃空の進路事、一直線に抉り取った。
「──簡単に、食べられてしまいますよぉ?」
建物には大きな穴が開き、璃空が走っていた場所は、無惨に抉られていた。
「……何とも呆気ない。何か企んでいるのではと期待したのですが……」
「いや、期待には応えられると思うぜ」
「……!? 上ですかっ!」
残念そうに肩を落とす哭井に対し、建物の壁面に張り付いた璃空は、不敵に笑いながら彼を見下ろした。
楽しそうに笑いながら、璃空のいる場所を抉り取る哭井。
「──星迅・氷像」
だが、そこに璃空の姿はなく、建物の瓦礫とともに、氷の欠片がガラガラと音を立てて、地面に転がり落ちた。
「っ!? 一体、どこに……」
どういう仕掛けか分からないが、彼が攻撃を放つよりも早く、璃空は姿を消していた。
では、彼は一体どこに姿を消したのか。
哭井がその答えに気が付くよりも早く、彼の真横から、冷たく突き刺すような冷気を感じた。
「──遅いんだよ。氷雷斬華!!」
既に、彼の背後に回り込んでいた璃空は、哭井が振り向くよりも早く、雷の刃を振り抜こうとする。
「あはぁ! ──飢餓絶空」
だが、流転哭井という男は、一切振り向きもせず、霊装を地面に突き立てた。
「──!?」
ここにいてはまずいと直感の告げるままに、攻撃を中断するとともに、刃を振り抜く力のままに、その場を離脱する。
その瞬間、彼を中心とした一定範囲の空間が跡形もなく消え去った。
璃空の翼もその攻撃に巻き込まれ、消滅する。
あと一歩遅ければ、自身も巻き込まれていた事実に背筋が凍りつく。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
自身の最高速度は、哭井の速度を上回っていることが分かった以上、攻撃の手を緩めるわけにはいかない。
だが、強制的に距離を離されてしまった以上、哭井のペースになるのは当然だった。
彼は、璃空の周囲、四方八方の空間を無差別に抉り取っていく。
「空間は、抉り取られれば、当然空っぽになる。つまり、そこには何かを入れることが出来るということです」
「まさか……!!」
彼の言葉で、これから何が起きるか勘付いた璃空は、空間が抉られていない場所に向かって飛び立つ。
「そのまさかです! さあ、不細工に、滑稽に、醜悪に、踊りまわりなさい!」
彼が指を鳴らした瞬間、抉られた空間から、何か液体が溢れ出してきた。
その液体は、地面に触れた瞬間、そこにあったものを跡形もなく消し去った。
「黎水氾濫!!」
かつて、科哭青花が多用した王水。
それを、抉り取った空間に満たし、彼の合図によって、世界に解き放つ技。
璃空は、王水が溢れ出していない、かつ、哭井が空間を抉り取れない場所を目指して、宙を翔けていた。
「ええ、ええ。そうすると思っていましたよ? 全く、浅はかにもほどがある」
飛び回る璃空を眺めながら、満面の笑みを浮かべた哭井が指を鳴らす。
「なっ……!?」
その瞬間、璃空の前で、空間がひび割れ、毒の弾丸が乱れ飛んだ。
「既に、全範囲に設置済みですよ。ありとあらゆる毒がね」
飛び交う毒の弾丸に、視界が塞がれ、体勢を崩してしまう璃空。
「その翼は、邪魔ですねぇ!!」
どうにか体勢を立て直そうとするが、哭井はすかさず、璃空の翼を抉り取り、璃空を地面に叩き落した。
──何もかもを溶かし尽くす、毒の海となった地面へと。
だが、璃空は、毒の海に落ちるのではなく、その上を転がった。
「……おや? どうやら、前言は撤回した方がよさそうだ。そこまで、浅はかではなかったらしい」
璃空は、攻めに転じると決めた時から、自身を中心に冷気を放出し続けていた。
この冷気の鎧のおかげで、先ほどの毒の弾丸を防ぎ、毒の海にも落ちずに済んだのだった。
「ただ、その頼りない鎧も、いつまで持ちますかなぁ?」
哭井は、璃空を試すように、どんどんと空間を抉っていく。
それに比例して、量を増していく毒の海。
当然、冷気を放出し続ければ、いずれ璃空の霊力は底を尽きる。
結局のところ、璃空に残された選択肢は、霊力が尽きる前に、毒の海を渡りきって。哭井を倒す。
つまりは、短期決戦だけだった。
「ふぅ……。よし……!」
覚悟を決め、作戦を立て終えた璃空は、深呼吸をして、立ち上がる。
「力を貸してくれ、姉ちゃん、悠斗……花梨」
そして、雷撃と冷気が混じり合った翼を大きく広げ、最後の攻撃に打って出る。
「雷華刃・氷瀑!!」
翼から放たれたいくつもの雷の刃は、毒の海に直撃した瞬間、凍りつき弾ける。
その中を、目にも止まらぬ速さで駆け抜けていく。
「飢餓絶空!!」
そんな璃空を迎え撃つように、哭井は、自分の周囲の空間を抉り取り、王水を氾濫させる。
「おおおおおおぉぉぉぉぉ!!」
片っ端から凍らせては砕いていく璃空だったが、このままでは璃空の霊力の方が先に尽きてしまうのは明白だった。
「さあさあ! 精々頑張って、藻掻いて、足掻いて、そして無様に溺れて溶けてしまえ!!」
自身の勝ちを確信しながらも、攻撃の手を緩めない哭井。
だが、それこそが璃空の狙いだった。
「──弾けろ、氷瀑!」
完全に、自分に意識が向いた瞬間、璃空は地面を貫き、哭井の足元へと潜らせていた雷の刃を起爆させる。
「何っ!?」
足元で起きた雷と氷の爆撃に、哭井の身体は宙へと吹き飛ばされる。
「これで、終わりだ……!!」
璃空は、溢れ出る王水の全てを凍結させ、哭井に向かって一直線に飛び立つ。
その勢いは、凍りついた毒の大地を、粉々に粉砕する。
霊装を構え、迎撃しようとするが、間に合うはずもなく、哭井の身体は霊装諸共切り裂かれた。
「──氷雷斬華」
赤い氷の花を咲かせた哭井は、地面に真っ逆さまに落ちていった。
そんな哭井を追って、ゆっくりと地面に降り立つ璃空。
まだ、何か仕掛けてくるかもしれないと、雷の刃を構えたまま、哭井に近づこうとする。
「ごふっ……。ま、まさか、こんな形で、私が敗れるとは……。ははは……」
血を吐きながら、哭井は自分の方へと近づいてくる璃空を見つめた。
「……だが、私もまだ死ぬわけにはいかない。彼女のためにも……!!」
そして、辛うじて動く手を、璃空へと向けて、最後の抵抗を行った。
「何を……ぐっ!? ああぁぁぁああああ!!」
一体、何をするつもりなのか。
何かする前に、とどめを差さなければと思った瞬間、璃空の身体に激痛が走る。
その痛みは、哭井の傷口と、全く同じ箇所から発生していた。
「あの少女から、聞いているでしょう? 私の能力は、他者を強制的に自身と同じ存在に変える能力。名を、『変転覚醒』」
彼の説明に、璃空は、彼に即座に止めを刺さなかったことを後悔した。
自身と同じ存在に変えるということは、すなわち、彼の霊力量や傷の有無なども全く同じになる。
要するに、彼が死ぬという運命が確定した状態で、この能力を使えば、対象にも死を与えることが出来るということだ。
「私は、この能力で玖遠灯里を天霊に変えた。この能力で、君の幼馴染、唯月花梨を天霊に変えた……!!」
「……!! どういうことだ、それ……!?」
「言葉の通りですよ。人食い鬼を庇い、第四部隊に喧嘩を打った君に興味を持った私は、君の身辺調査を開始した。その結果、君は篠宮沙織と交友があることが分かった。──そんな面白そうな事実、利用しない手はないでしょう?」
哭井は、重症とは思えないほど、爽快で悪辣な笑みを浮かべた。
彼の言葉に、璃空は何も答えず、哭井の話を聞き続けた。
「君たちの関係者である唯月花梨を天霊にすれば、君たちがぶつかることは容易に想像できる」
「だから、花梨を天霊にしたのか?」
「ええ、そうです」
「……そんなことのために、あいつを天霊にしたのか?」
「楽しい喜劇だったでしょう?」
哭井の言葉に、璃空は何も言えなかった。
花梨が天霊になったのも。
そんな彼女を篠宮が殺したことも。
そんな彼女を璃空や鏡夜が救えなかったことも。
きっと、灯里が天霊になったことも、全て哭井の愉しみのためだけに行われたことなのだ。
「──咎ノ天獄」
璃空は、哭井の言葉には答えなかった。
ただ、どうしようもない怒りを込めて、玉梓悠斗の霊力を、彼に向けて放った。
「……!? こ、れは……」
「使えないだろ、霊力。霊力が封じられれば、能力も使えない」
元々、悠斗の能力は、結界を展開することで、対象を閉じ込める能力だった。
それが、璃空の霊力と混じることで、その能力は、対象の霊力を封じ込める能力へと変化した。
「お前みたいなやつに言うことなんて何もねえよ」
霊装を折られ、霊力を封じられ、璃空にかけた能力も解除され、もはや無力な一般人とかした哭井。
そんな彼に、璃空は背を向けた。
「ただ、地獄の底で、てめえの咎を償ってきやがれ!!」
その瞬間、哭井の傷口を覆っていた氷の花が砕け、中に込められていた膨大な雷撃が、哭井の身体を貫いた。
血を流し、焼き焦げた哭井は、今度こそ動かなくなった。
璃空は、彼の最後には目もくれず、ただ空を見上げ、静かに涙を零すのだった。




