炎と獣
天霊の死体の山を踏みつけながら、二人の異能者が泥仕合を繰り広げていた。
「一体、いつまで、こんな茶番を続けるつもり?」
一人は、最悪の天霊『ブラックアリス』。
「それはこちらのセリフだよ。君が本気になれば、僕たちはもう殺されているはずだ」
もう一人は、Orpheus第零部隊隊長にして、最強の天霊狩りである明星輝夜。
二人の力は拮抗し、互いに後一手足りない状況で、戦況が膠着していた。
そのため、二人の戦いは千日手の状態に陥り、この戦いの行方は、もう一方の戦いがカギを握っていた。
ブラックアリスと輝夜が戦う場所から離れた地点で、それぞれの右腕とも呼べるべき存在が火花を散らしていた。
「どうしたぁ! てめえの炎はそんなもんか!!」
ブラックアリスの忠犬、香里杏沙。
「ちっ……。化け物が……!」
そして、輝夜の右腕、篠宮沙織。
忌々し気に舌打ちをしながら、彼女は炎の弾雨を降らせる。
「──おい。てめえ、今、俺のこと化け物って言ったか?」
頭上に迫る弾雨に気づきながら、杏沙は防御の構えも、回避の姿勢も取らず、ただ沙織のことを睨み続けていた。
「……ははっ。いいぜぇ……! だったら、見せてやるよ。本当の化け物の戦い方ってやつをなぁ……!」
そして、獰猛な笑みを浮かべた彼は、降り注ぐ弾雨の中、一直線に走り出した。
焼け貫かれる痛みなど、闘争心を掻き立てるスパイスにしかならない。
血の流れる感覚が、彼の鼓動を早め、駆け抜ける速度が加速する。
「──!?」
反応することは不可能だった。
駆け出した杏沙は、一歩進むごとに、霊力と速度を加速させていた。
篠宮が彼の姿を視認したときにはもう手遅れだった。
拳は眼前まで迫り、防御も回避も間に合うはずがなく、隕石が直撃したような衝撃が彼女の身体を駆け抜けた。
思いきり吹き飛ばされそうになる彼女の身体を掴んだ杏沙は、その勢いを殺さないように、地面に叩きつける。
砕け散る地面と、骨と臓器の全てが砕けたような激痛。
跳ね上がる身体を、少年は何度も何度も殴り続ける。
飛びかける意識を懸命に繋ぎ止め、全ての霊力を防御に回すように、炎を全身に纏う。
しかし、少年の攻撃が止むことはなかった。
彼女の纏った炎で拳が焼かれようと関係ない。
炎ごと彼女を殴り続け、巨大な霊力を纏わせた一撃で、彼女の身体を地面にめり込ませた。
「ごほっ……」
血反吐を吐き、酸素を求めて呻く沙織。
一瞬の攻防で、ここまで追い詰められることなど、初めての経験だった。
もし、全ての炎を防御に回し、輝夜の支援がなかったら、彼女は最初の一撃で死んでいただろう。
歴戦の天霊狩りである沙織を、ここまで追い詰めているものは明白だった。
尋常ではない霊力と身体能力、それを十全に活かすための異能。
そして、それらの力を全力異常に発揮させているのは、何があっても敵対者を殺すという異常な精神だった。
どんなに身体を貫かれても、全身を焼かれても、彼は止まらない。
化け物じみた力を、悪魔のように残酷に振るい、何があろうと獣のように喉元に喰らいつき続ける。
それこそが、ブラックアリスの忠犬たる香里杏沙だった。
口の中に溜まった血反吐を吐き、痛みに耐えながらゆっくりと立ち上がる。
この化け物相手に、防御も回避も無意味。
であれば、必要なのは、純粋な火力のみ。
輝夜の支援が切れたこのタイミングで、霊力の全てを攻撃に回す。
「──ロア・イフリート」
篠宮の背後に顕現した炎の悪魔が、彼女の残存霊力の全てを咆哮と共に爆炎として解き放つ。
その威力は、街一つを平気で消し去れるほどのものだった。
「──はっ。ようやく、やる気になったのかよ」
そんな一撃を前に、彼は笑った。
「でもよぉ、そんな出涸らしの攻撃じゃ、俺を止めるなんて不可能だぜ?」
そう言いながら、迫りくる爆炎の中に、杏沙はその身を投げ出した。
全身が焼かれることも厭わず、爆炎の中こそが、篠宮を殴り殺すための最短経路だと確信し、走り抜ける。
わずか2秒で爆炎の道を抜け、篠宮の前に現れた杏沙は、彼女が反応する前に、拳を振るう。
反射的に突き出した霊装も、瞬時に叩き壊されてしまい、彼の動きを止めるには足りなかった。
「ロア・イフリート、バースト!!」
篠宮は、放っていた爆炎を四方八方に爆散させる。
爆炎の飛礫が、杏沙の背中に突き刺さるが、それでも彼の動きが止まることはない。
しかし、篠宮は動きを止めることなど端から考えていなかった。
杏沙は、爆炎の中を最短経路と考え、こちらに向かってくることを読んでいた彼女は、目の前に現れた彼に攻撃を当てることだけを考えていた。
まだかろうじて残っていた霊力の全てを拳に込め、拳を振るう杏沙に狙いを定める。
「プロミネンス・グレイブ──!」
自分の身体に拳が当たるよりもほんの少しだけ早く、炎を纏い赤熱した拳が、杏沙の顔面に直撃する。
大きく後方に吹き飛ぶ杏沙。
千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかないと、彼の身体が地面に叩きつけられる前に追撃をすべく、篠宮も同時に駆け出した。
だが、彼女は杏沙がどれほどの化け物なのかを、まだ理解していなかった。
「は……?」
空中で、自由の利かない身体を無理矢理に動かし、杏沙は強引に地面に着地し、体勢が崩れる前に、走り込んでくる篠宮の腹部を力の限り殴りつけた。
「がっ……!」
無様に吹き飛ばされ、建物壁面に叩きつけられる篠宮。
朦朧とする意識の中、目に映ったものは、全身の至る所が焼け焦げ、出血もしているにも関わらず、平然としている化け物だった。
このまま自分が殺されれば、数の差で、輝夜も殺されかねない。
ここで、杏沙を野放しにするわけにはいかない。
しかし、霊力は底をつき、もはや立ち上がることすらできない状態で、あの化け物を止めるにはどうしたらいいのか。
「……あ」
その答えは、目の前にあった。
化け物を止めることが出来ないのであれば、同じ化け物になってしまえばいいのだ。
それをしてしまえば最後、彼女の戻る場所はなくなり、最悪の場合、愛する人の手を汚させてしまうかもしれない。
それでも、輝夜を守るために、篠宮に残された手段はそれしかなかった。
覚悟を決めた彼女は、空気中の霊子を、片っ端から取り込んでいく。
この街には、用意されたかのように、炎がそこら中にあり、篠宮が霊子を取り込むにはうってつけの場所だった。
自分の限界など無視して取り込み続ける彼女の髪は、次第に赤く赤熱していく。
「おいおい、マジかよ……!」
彼女が何をしようとしているのかを理解した杏沙は、予想外の展開に、心の底から喜びを見せた。
霊力を取り込み続けた彼女は、自分がただの異能者ではなくなったと自覚した瞬間、取り込んだ霊力全てを炎に変換し、能力を発動する。
彼女の身体から放たれた炎は、天と地を染め上げ、世界から隔絶された灼熱の世界を創り出す。
呼吸をするだけで肺が焼けそうになるこの空間で、彼女は一体何をする気なのか。
動き出そうとした杏沙の脚が、前に進むことはなかった。
篠宮は、視界にとらえた杏沙ごと、隔絶された世界を切り裂くように、指で空をなぞった。
その瞬間、彼女の創り出した世界に亀裂が入り、壊れ始める。
「な、んだこれ……!」
その亀裂に巻き込まれた杏沙は、状況を理解できず、身動きを取ることも出来ずにいた。
世界を染め上げていた炎の全てが、亀裂の中に吸い込まれていき、世界が耐え切れないと叫ぶように、崩壊は広がっていく。
「まさか……この女……!!」
その様子に、彼女が一体何をしようとしているのか理解した杏沙は、亀裂から抜け出そうとする。
しかし、一つの世界の終焉に巻き込まれてしまった時点で、どれほどの力を以てしても、脱出することは叶わない。
そして、篠宮沙織は、自身で創り出した世界の終焉を告げるように、その技の名を呟いた。
「──ムスペルヘイム」
炎で創り出した世界に他者を閉じ込め、その世界を終わらせることにより生じる崩壊のエネルギーを炎に変換し、対象へと炸裂させる絶技。
これこそが、“天霊”篠宮沙織に放つことが出来る最大の技だった。
炎で創り上げられた世界は崩れ去り、杏沙の身体に崩壊のエネルギーが炸裂した。
この一撃でも倒れないのであれば、彼女にはどうすることも出来ない。
激しい爆音と爆炎が少しずつ収まり、篠宮の視界には硝煙が漂っていた。
「──ァはぁ……」
しばらくの静寂の後、黒焦げになった地面と穿たれたクレータの中から、うめき声とともに、黒い翼の生えた腕が伸びてきた。
そして、ゆっくりと血塗れになった杏沙が姿を現した。
「悪かったな。お前のこと舐めてたみたいだ」
だらだらと血を流しながら、彼は一歩ずつ、動けない篠宮の元に近づく。
「だから、この一撃は、俺からの敬意だと思ってくれ」
ずるずると、地面に赤い尾を引きながら、彼女にとっての死が、近づいてくる。
「痛みなく、苦しまないように、一撃で殺してやる」
迸る霊力全てを、拳に込めた杏沙は、篠宮の前に立ち、ゆっくりとこぶしを振り下ろそうとする。
「──そこまでよ、杏沙」
その拳を止めたのは、彼の主人であるブラックアリスだった。
何故止めるのか。
そう問いかける前に、降り注ぐ雷撃の音で、彼女の行動の意味を理解した。
天霊都市での戦いに終わりを告げる雷撃と共に、ブラックアリスたちの戦場に、璃空が姿を現したのだった。




