アンスリウム・ルクスリア
アンスリウム・ルクスリアは、一般的な生まれの少女だった。
しいて特別なことを上げるとするのであれば、彼女は家族からも、友人からも、誰からも愛されていたということだった。
病的なほどに、狂気的なまでに愛されていた。
彼女を巡って、喧嘩が起きることなど日常茶飯事。
挙句の果てには、殺傷事件になることも珍しくはなかった。
しかし、そこまで来ると、流石の彼女も疑問に思った。
確かに自分が可愛いとは思うし、愛されることは不思議なことではなかった。
だが、彼女を巡って、家族内でも殺し合いが起きてしまえば、ただ愛されているだけではないということは理解できた。
だから、彼女はちょっとした実験を行うことにした。
「──ねえ、そこのあなた」
もし、この実験の結果が、彼女の思った通りの結果になってしまったら。
その瞬間、彼女の人生は退屈で色褪せたものになってしまうことは分かっていた。
「ちょっとあそこのビルの屋上から、飛び降りてきてくれない?」
それでも、自分のことを知らずにはいられなかった。
通りすがりの人を捕まえ、無理難題を命じてみた。
「……はい! お任せください!!」
すると、男は、彼女の言う通りに、ビルの屋上へと駆け上がっていき、瞬く間に、肉塊へと姿を変えた。
「──ははっ」
その光景に、彼女の喉から、乾いた笑みが零れ出た。
この日、彼女は自分がただ愛されるだけの存在ではなく、特別な能力を持った特別な人間であることを理解した。
そこからの彼女の行動は早かった。
自分の生まれ故郷の住人たちを、一時間足らずで従え、姿を消した。
そして、彼女が次に現れた時、彼女は天霊へと至り、一国の王となっていた。
全ては、自身の愛がどこまで届くのか試すために。
多くの国を、自分の国へと併合することで滅ぼし続け、その度に、彼女を支持する人々が増え続けた。
まさしく、『色欲』を背負いし、傾国の魔女。
彼女の存在は、すぐに世界全土へと知れ渡った。
そうなれば、当然、Orpheusが動き出すのは道理だった。
「はぁ……ライブ終わって呼び出されたと思ったら、何でこんな面倒ごと……。しっかり、スケジュール管理ぐらいしなさいよね……!?」
「知らねえよ……! こっちのスケジュール管理は明星のおっさんに言え!!」
傾国の魔女、アンスリウム・ルクスリアの討伐を命じられたのは、天霊狩りの専門である第零部隊ではなかった。
事態の緊急性と、早期解決を最優先にしたOrpheus上層部は、最も近い場所にいた第二部隊の鈴見直輝、及び第三部隊の佐伯早恵に命令を下した。
「……っていうかさぁ。この大国を、私たちだけで踏破するって無理ゲーじゃない??」
「それに関しては俺も同感。……でも、ライブ会場を沸かすのも、大国を沸かすのも大差ないだろ?」
露骨にため息をつく佐伯に、鈴見は持っていたマイクを手渡す。
「さすが私のマネージャー! 分かってんじゃん!!」
彼の信頼に満ちた言葉に、満面の笑みを浮かべながら、マイクを強奪し、適当な高台に駆け上がる佐伯。
その動作の中で、彼女の服が、ステージ衣装へと変わっていく。
そして、彼女が全ての景色を一望できる場所に辿り着いた時、彼女はアイドルの佐伯早恵となっていた。
「さてと……国盗り、しちゃいますか……!!」
大きく息を吸い込み、色欲に染まりし全土に響き渡るように、ステージの幕が上がる。
「結構大きな国になってきたのに、ここで終わりか。あれだけの人数ならたかが知れてるけど、どうせ増援も来るだろうし。それに、見た感じ、どっちも私の愛を撥ね退けそうだし」
その様子を俯瞰していたルクスリアは、冷静に、退屈そうに状況を分析していた。
自身に勝ち目のない戦であると理解した彼女は席を立ち、その場を立ち去ろうとする。
「……ここにもいなかった、か。本当にいるのかな」
去り際、彼女は誰もいない玉座を振り返り、小さな呟きを零し、自身の国を後にした。
それからも、彼女は何度も何度も同じことを繰り返し、ついには極東の島国である日本に流れ着いた。
「──お前か。世界中の至る所で、自分の国を築き上げては姿を消す、傾国の魔女っていうのは」
そんな彼女が最初に出会った男は、自身の愛をどす黒い傲慢で塗り潰す不遜な男。
四神穿螺は、彼女を自分の組織へと引き入れようと現れたのだった。
他者の目的など心底どうでもいいが、ただで宿泊できる宿が出来るのであればと考え、彼の提案に頷いた。
本当に、彼女にとっては、誰の目的も理想も知ったことではない。
自分の能力を知ってしまったあの日から、ルクスリアの叶えたい願いは一つだけだった。
『──私の愛に溺れない人を、見つけたい。本当の意味で愛してほしい』
能力で上書きするような、撥ね退けるような抵抗ではなく、ただ心の力だけで、彼女の愛を突破できるような人物を求めていた。
しかし、世界全土を旅しても、そんな存在を見つけることは出来なかった。
もはや、彼女の願いを叶えられるとすれば、この最果ての島国しかなかった。
藁にも縋る思いで、セブンスの『色欲』に身を落とし、多くの人間を愛の海に突き落とし続けた。
だから、今回の戦いもそうなるはずだった。
ルクスリアの愛に溺れて、それでおしまい。
その予想を超え、鏡夜は、ルクスリアの愛に抵抗する様子を見せた。
仲間を守りたいというその想いだけで。
彼ならば、自分の本気の愛をも乗り越えてくれるのではないか。
そんな思いがあったからこそ、彼女は鏡夜を殺す間際、本音を零してしまった。
だが、その一言を切っ掛けに、鏡夜はルクスリアの本気の愛をも乗り越え、彼女を死の間際まで追い詰めた。
きっとこれから、自分は彼に殺される。
それは当然の帰結だった。
でも、その前に、永遠に手に入らないと思っていたものを与えてくれた鏡夜に、伝えたい言葉があった。
「……愛してる」
薄れ行く意識の中で、血に濡れた手は、自然と鏡夜の頬に触れていた。
そうして、絞り出した言葉には、裏表のない純粋な感謝と優しい温もり、強い愛が込められていた。
その言葉を最後に、意識を失ったルクスリアを前に、鏡夜はしばらくの逡巡の後、刃を納め、地面に転がった。
「くそ……本当に、意味が分からねえ」
鏡夜は、天井を見上げ、苛立ち気に呟いた。
彼女を生かしたのは、彼女の言葉の真意を問い質したかったからという理由だけだった。
しかし、その理由を口にしないどころか、さらに理解出来な言葉を一方的に呟いて、意識失ってしまった。
何より、彼女の言葉がその場しのぎの嘘でないことを、鏡夜は理解してしまっていた。
建物の壁面に叩きつけられる直前に、ルクスリアが浮かべた、殺されることを受け入れるような、優しい微笑みを見てしまっているから。
「……はぁ。あんな顔されたら、殺せるわけねえだろ」
自分の甘さに深いため息をつきながら、鏡夜は彼女を背負う。
「こんなところで死ぬなよ……? お前には、まだ聞きたいことが山ほどあるんだ」
そう言いながら、鏡夜は今すぐにでも倒れ込みたいぐらいの疲れや痛みを押し殺して、歩き始めた。




