翡翠色の風の糸
職人街にいた時に、鏡華との霊力の繋がりが消えたことは分かっていた。
何らかの理由で深雪が死に、能力が解けたのだろう。
それが分かっていても、鏡夜には自身の全力を出すことは出来なかった。
もしかしたら、ほんの少しのか細い糸で、最愛の妹と繋がっているかもしれないと考えていたからだ。
しかし、それが原因で、命を落とし、仲間を死なせるようなことがあっては本末転倒だ。
故に、鏡夜は、最愛の妹との繋がりを手放し、自身の力を全て取り戻した。
それこそが、『天裂風魔』。
天霊である白蓮鏡夜の真の異能。
辺り一帯の風を統べる、風の支配者とでも呼ぶべき能力である。
「風よ、私に傅きなさい……!」
「無駄だ!!」
つまり、ルクスリアがどのような手段を用いて、風を従えようとも、鏡夜はその風をも支配する。
「はぁ……!?」
飛来する風の弾丸を、風のベールで包み、大きさも速度も量も、何もかもが倍になった弾丸を弾き返す。
「くっ……!」
たった一度の攻防で、風や大気の主導権は完全に鏡夜にあると理解した彼女は、まだ用意していた駒を盾に、全ての攻撃を防ぎ切り、次の一手へと動こうとする。
「──遅い」
それよりも早く、彼女の背後に回り込んでいた鏡夜は、風の渦を発生させ、彼女の身体を切り刻みながら、空中へと投げ出した。
「……ちっ。まだ精度が甘いな」
完全に風を制しきれていない、自分の能力の甘さに舌打ちをしながら、空を見上げる鏡夜。
そこには、ほんの少しだけ風を支配し、傷を最小限に抑えたルクスリアがいた。
「でも、そこじゃ何もできないだろ……!」
そんな身動きの取れないルクスリアを、風の刃で切り裂こうとする。
「……さあ? それはどうかしら」
しかし、彼女は空中に投げ出されたままの状態で、魔力の弾丸を雨のように放ち始めた。
苦し紛れの攻撃を前に、鏡夜は冷静に対処する。
風の流れを作り出し、弾丸の軌道を全て、ルクスリアの方向へ向ける。
自身で放った弾丸に貫かれた彼女は、どういうわけか、不敵な笑みを浮かべていた。
一体、何をする気なのか警戒する鏡夜だったが、既に手遅れだったことに気が付いたのは直後だった。
「なっ!?」
凄まじい爆発音とともに、鏡夜が立っている建物が傾き始める。
「私の駒がまだいたこと、忘れてたでしょ?」
彼女は、鏡夜の猛攻の最中、自身の駒である天霊を動かし、鏡夜がいる建物を爆破する準備をしていたのだ。
「お前こそ、俺がこの空間全ての風の支配権を握ってること、忘れてるんじゃないか?」
しかし、先ほどまでとは違い、全ての風の支配権を取り戻した鏡夜から足場を奪ったところで、何の意味もなかった。
鏡夜は冷静に、隣の建物へと飛び移ろうとする。
「──!?」
だが、そんな鏡夜の身体は、指一本たりとも動かすことは出来なかった。
先ほどと同じ現象ではあるが、先ほど以上に、その拘束力は増していた。
口を開くどころか、魔力を操ることも出来ず、神経の全てが彼女の支配下に置かれたような感覚だった。
「魔力も神経も細胞も、あなたを構成する何もかもが、私の愛に溺れる感覚はどう?」
決定的な瞬間を狙って、自身の能力の全力を温存し続けていたルクスリア。
まんまと彼女の策に嵌った鏡夜は、どうすることも出来ず、地上へと落下し続けていく。
「私の能力は、『魔性溺水(ブリ―ジンガーメン)』。この空間上にあるものは何であろうと、私の愛には逆らえない。この空間自体も、ね」
だからこそ、風だけとはいえ、彼女の支配権を奪い返されたのは想定外だった。
「確かに、この空間……だけじゃないか。この世界中の風の支配権をあなたが奪い取ろうと、それを可能にするあなたが愛に溺れてしまえば、どうすることも出来ないでしょ?」
暴論にも思える彼女の言葉を、鏡夜には否定することが出来なかった。
愛に溺れる、というのは理解できないが、魔力を封じられてしまえば、鏡夜が無力であることは事実だった。
だが、それを理由に、全てを諦めるわけにはいかなかった。
何のために、妹との唯一の繋がりを手放してまで、天霊としての力を取り戻したのか。
決死の覚悟の末が、一人の女の愛に溺れさせられた挙句、殺されるなど笑い話にもならない。
鏡夜は、仲間たちのために、最愛の妹のために、懸命に身体を動かそうと足掻き続ける。
「せっかくの覚醒だったけど、残念ね。ここであなたの戦いは終わり」
そんな彼を見下ろしながら、引導を渡すべく、彼女はゆっくりと近づいてくる。
「……でも、ほんの少しだけ残念ね」
鏡夜の眉間を風の弾丸で撃ち抜こうと、指を向けたルクスリア。
「──」
その口から零れ出た言葉は、放たれた弾丸の音にかき消されて、ほとんど聞き取れるようなものではなかった。
「──意味が、分から、ねえんだよ……!」
しかし、その言葉は、鏡夜の耳にはっきりと届いてしまい、それが彼の怒りに火をつけた。
全くもって、意味が分からなかった。
一歩でも間違えば殺されていた相手に。
今から殺そうとする相手に、どうしてそんな言葉を口にしたのか。
ただそれだけの感情が、鏡夜の震えなかった喉を震わせ、動かなかったはずの身体を動かした。
どうにか動かせた指先で、風の糸を手繰り、首を傾けることで、弾丸を回避した。
「え……」
その光景に、ルクスリアは、本当に信じられないものを見たというような、間抜けな声を発した。
「あ」
そして、同時に、ルクスリアは自分の敗北を悟った。
その目に映るのは、ルクスリアと自分を繋ぐ、たった一本の翡翠色の風糸。
背後に回り込まれたあの時に、こっそりと結びつけられていたのであろう糸。
それをどうにか動かせるようになった腕で、鏡夜はしっかりと握りしめていた。
「アンスリウム……ルクスリアぁぁぁ!!」
彼女の名前を叫びながら、彼女の浮かべる表所をその目に焼き付けながら、鏡夜は彼女の身体を、近くの建物へと叩きつけた。
何の抵抗も出来ずに、壁面へと叩きつけられたルクスリアの身体は、壁を叩き壊し、建物の床を転がった。
その勢いに引っ張られた鏡夜の身体も、壁に叩きつけられそうになるが、壁面を蹴り、
ルクスリアとの衝突で空いた大穴へと飛び込む。
着地の勢いを殺しきれず、彼女と同じように地面を転がる鏡夜だったが、すぐに起き上がり、地面に倒れるルクスリアの元へと向かった。
血塗れで倒れる彼女の身体を風の糸で拘束し、喉元へと刃を突きつける。
まだかろうじて意識のあるルクスリアと、無言で見つめ合う鏡夜。
「……何でだ」
しばらくの静寂の後、鏡夜が口を開く。
それは、彼女の愛を打ち破る最後のトリガーとなった疑問。
「何であの時、お前は……」
アンスリウム・ルクスリアという『色欲』を背負った彼女に対する疑問。
「──あなたのことなら、本当の意味で愛せたのかもね、なんて言ったんだ……?」
彼女が求め続けた愛とは、一体何なのかという疑問だった。




