君の笑顔を守りたいから
赤く染まった夜空を切り裂くように、無数の赤き剣が飛来する。
雷撃を纏った璃空はそれをどうにか躱しつつ、灯里との距離を詰めようとする。
「──っ!」
しかし、地面に突き刺さった血の剣は、突如発火し、灯里の元へと向かう璃空に襲い掛かる。
「驚いた? 私の普段の能力は『深紅ノ夜衣』。自分の血を操るだけの能力なんだけど、天霊としての私は『赫夜舞姫』っていう血と炎を操る能力に変化するの」
驚く璃空に、灯里は初めて自分の能力について説明をした。
迫りくる炎を炎喰雷獣で防ごうとするが、今の璃空では発動までに時間がかかってしまう問題点があった。
それでは炎を防げても、飛来する血の剣は防げない。
逆に飛来する剣に対処しようとすれば、炎にその身を焼かれる。
「さあ、逃げ場はないよ」
さらに、璃空の逃げ道を塞ぐように、灯里が血の弓矢を創り出し、完全に退路を断つ。
もはや負傷は免れない。
「──だったら……!!」
「は……?」
璃空は、迫りくる炎の中に自ら飛び込んでいく。
あまりにも予想外の行動に、灯里はほんの一瞬固まってしまう。
その隙に、炎の中を駆け抜け、攻撃範囲外に飛び出した璃空。
幸い、雷撃を纏い、高速で移動したおかげで、炎による傷は一つもなかった。
だというのに、璃空は地面に崩れ落ち、その場から動けなくなっていた。
──どうして、天霊になった彼女は炎を扱えるのか。
彼女の説明を聞いた時から、ずっと頭の中に引っ掛かっていた。
今まで璃空が出会ってきた天霊の能力は、元の能力の発展系か、その人の精神性が現れたものだった。
天霊になった人間は、その心のうちに抱えた思いが強く表出しているのではないか。
であれば、灯里の炎を操るという能力の発言にも納得がいく。
その身で、彼女の放つ炎を浴びて、璃空は確信した。
天霊となった玖遠灯里が操る炎。
それは、優しい笑顔の裏に隠した、ぐつぐつと煮えたぎる憎悪と殺意が形を成したものだった。
彼女の深く暗い感情の業火に焼かれた璃空は、立ち上がることが出来なかった。
「玖遠さん……」
璃空を救ってくれたあの優しい笑顔の下に、どれだけの苦悩を抱えていたのだろうか。
夜明けの空の下で微笑んでいた彼女は、何を思って約束を交わしたのだろうか。
オレンジ色の光に照らされた彼女は、どんな気持ちで璃空のことを待っていたのだろうか。
夜の街で、璃空のことを肯定してくれた彼女は、本当の彼女だったのだろうか。
──知らない。何も知らない。
鳴神璃空という少年は、玖遠灯里という少女のことを何一つ知らないし、分かっていなかった。
そんな彼女が、あの日、自分の笑顔を守ってほしいと言ったのだ。
その時の灯里の気持ちも、璃空には分からない。
ただ、その言葉だけは、嘘偽りのない言葉だったと璃空は信じている。
「……もう終わり? さっきまでの威勢はどこに行ったの?」
立ち上がらなくなった璃空を前に、灯里はため息をつく。
そのため息は、何に対するため息だったのだろうか。
彼女は、そのことを深く考えず、璃空にとどめを差すために歩き出そうとする。
その瞬間、璃空は自分の頬を思いっきり殴りつけて、ゆっくりと立ち上がった。
「何だ。もう終わりかと思った」
「──ああ。少しだけ、何も知ろうとしなかった馬鹿野郎に嫌気がさして、動けなかったんだよ。もういなくなったと思うけど」
ようやく自分のすべきことを理解した璃空は、本当の意味で初めて灯里と向き合ったような気がしていた。
「……? よく分からないけど、大口叩いたんだから、あれぐらいで倒れられても困るよ」
「……」
「今度こそ、君を殺して、私は私の復讐を成し遂げる…‥!!」
灯里は、血の翼を広げ、炎を纏った血の羽弾を無造作に撃ち放つ。
「──え?」
そんな彼女の攻撃を、璃空は一歩も動かずに、全て受けきった。
何の防御もせず、無抵抗で、灯里の怒りと憎悪に染まった攻撃を受けた。
「がはっ……! これが……玖遠さんの抱えていた、苦しみ……なの?」
「っ!! 知ったような口を利くなっっっ!!!」
璃空の言葉は、灯里の逆鱗に触れ、先ほどよりも激しい攻撃が璃空を襲う。
それでも、璃空は動かない。
ただ黙って、灯里の攻撃を受け入れ続けた。
それが璃空の選んだ答えだった。
灯里のことを少しでも知るために、彼女の憎悪や殺意、怒りの全てを受け入れようとしているのだ。
肉も、骨も、内臓も、何もかもが彼女の憎悪で焼かれていく。
だが、不思議と痛みはなく、あるのは静かな悲しさだけだった。
家族を殺され、人ではなくなり、全ての罪を被せられたあの日から、彼女はこれだけの感情を隠し続けて生きてきた。
きっとこの苦しみを分かってあげることなど、一生かかっても出来ない。
この苦しみも、悲しみも、絶望も、怒りも、憎悪も、殺意も。
全て彼女だけの感情だ。
だから、本当の意味で灯里のことを理解しようと思うなら、璃空はそれを全て受け止めるしかないと思った。
大事なものを失っていなければ、こんな答えは出せなかった。
──そんな答え出したくなかったなぁ。
璃空は心のどこかでそんなことを考えていた。
大事なものを失った苦しみは誰にも理解できない。
そんなことが分かってしまうほどに何かを失ってきたことが、ひどく悲しいことだと思った。
でも、今はそれ以上に、ただの少女をここまでの存在へと変えてしまった世界が許せなかった。
だから、璃空は灯里を救うために、彼女の全てを受け止める。
それしか、璃空に出来ることはなかったから。
「何で、何で避けないの……!! このままじゃ──」
そんな璃空の様子に、灯里の本音が零れ落ちそうになる。
咄嗟に口を手で覆って言葉を抑えるが、もう手遅れだ。
彼女の視線の先に立つ、血塗れの璃空が微笑んでいたから。
「……そうかな、って、ほんの少しだけ思ってたよ。だって、殺す気なら、右目じゃなくて、首を切り落としてたら終わってた」
それだけではない。
璃空を殺せる瞬間なんて、腐るほどあった。
だというのに、璃空が傷を負ったのは、灯里の攻撃を自ら受け入れてからだ。
それはつまり、最初から灯里に璃空を殺す気などなかったということだ。
「そ、そんなことない……私は、君を殺そうと……」
「だったら……殺していいよ。……俺は、君の全てを受け入れるし、受け止める」
「な、何を言って……」
困惑する灯里を他所に、璃空は何も感じなくなったボロボロの人形みたいな身体を引きずって、彼女の元に近づく。
「──っ! 近づくなら、殺す……!! 本当に殺す……!!」
血の大剣を近づく璃空に突きつける灯里。
その切っ先は、先ほどまでとは違い──いや、気が付かなかっただけで、先ほど同じように微かに震えていた。
その様子を見て、璃空は微笑みながら、歩みを止めようとはしなかった。
「何で……何で、そんなに私を引き留めるの……? 放っておいてよ……こんな化け物のこと放っておいてくれればいいのに……」
「ごめん、それは出来ない」
動いているのが不思議なくらい傷を負っている璃空から目を逸らし、うつむく灯里。
璃空は、ゆっくりと彼女の構える大剣に貫かれながら、灯里の前に立つ。
その剣は、彼女の心を表したように、ただの血の塊になっていた。
「──俺は、玖遠さんの笑顔を守るって約束したんだ。それに、君の怒りも苦しみも理解なんてできないけど、背負うことは出来る。玖遠さんの復讐は、俺の復讐だ。だから……一緒に行こう?」
璃空は、震える灯里の手を握り、優しく微笑んだ。
「……鳴神、くん」
その言葉で、灯里の手から血の剣が霧散し、地面に崩れ落ちた。
そこから先、璃空は何も言わなかった。
ただ、顔を上げず、涙を流し続ける彼女の頭を優しく撫で続けた。
そんなことをどれくらい続けたのか、璃空の記憶にはなかった。
ファムファタルへの移動とここまでの移動で悲鳴を上げていた身体は、灯里の攻撃を受け続けたことで限界を迎えていた。
灯里を救いたいという気持ちだけで無理矢理動かしていたが、それも達成した今、璃空の身体を動かすものは何もなくなっていた。
そうして、璃空はいつの間にかその意識を手放し、深く暗い闇の中に沈んでいった。




