赤夜の始まり
ゾディアック本拠地、会議室。
そこでは、二人の女性がお茶を飲んでいた。
相手に制約を取り付ける能力、『繋ギノ契リ(コネクション)』を使用する筒乃守深雪。
ありとあらゆる血管を見抜く能力、『欠陥看破』を使用するフェリル・レインハート。
鳴り響く衝撃音に顔をしかめながら、深雪はお茶を飲む。
「はあ……何を子供みたいに騒いでるんだか」
「あなたも、たまには騒いで来たらどう? 何も考えずに暴れる日があってもいいんじゃない?」
「馬鹿言わないで。あいつらの戦いはお遊びの域を超えてるっての」
微笑むフェリルの軽口に、深雪はぶっきら棒な口調で返す。
現に、とても遊びとは思えないような、霊力のぶつかり合いを感じていた。
深雪はため息をついて、暴れている二人を止めに行こうと立ち上がろうとする。
「……?」
しかし、そこで何か違和感を感じ、動きを止める。
正確には、金縛りにあったように、鎖で絡めとられたように、身体が動かなくなった。
そして、何かに恐怖するように身体が震えだす。
「こ、れは……憤怒……憎悪……殺意……」
「深雪? どうした?」
見るからに様子のおかしな深雪に、フェリルが声をかけるが、彼女の耳には届かない。
彼女の頭の中を駆け巡るのは、この不可解な状況の答えと、数十秒後の自分の未来予想だけだ。
「嘘……まさか……まさか…‥‥! いや、そんなことできるわけない! でも、でも、でも、もしそんなことをする気なら……!! くっ!!!」
深雪の能力は、自身の霊力を対象の身体に取り込ませることで、契約あるいは制約を取り付けるものだ。
言い換えれば、深雪の能力を受けたものの体内には、彼女の霊力が残留したままなのだ。
相当な技術と莫大な霊力を要するが、それを利用し、逆に相手が深雪に対して霊力を流し込むことも不可能ではないのだ。
そして、自分が契約している人間の中で、そんなことを仕掛けてくるような人間は一人しかいない。
今すぐに契約を解除しなければ、殺されるのは自分だ。
即座に、彼女との契約を断ち切ろうとするが、既に時遅し。
「あ、あ、あ」
爆発的な霊力が、深雪の身体の中に流れ込んでくる。
それは、彼女の血流を加速させ、血液は踊り狂い、全身の血管が千切れていく。
「深雪!!」
フェリルが彼女に駆け寄った瞬間、筒乃守深雪の身体は弾け飛び、フェリルの身体を赤く染める。
彼女は、事態を呑み込めないまま、その場に呆然と立ち尽くす。
いつの間にか、建物の揺れは収まっており、残ったのは鉄の匂いと静寂だけだった。
◇
「──っ!!」
「はぁ。ようやくお目覚め?」
ファムファタルの外れにあるこじんまりとした建物の二階。
そこで、ガハットは目を覚ます。
ようやく意識を取り戻した少年に、テラリスは冷たい視線を向ける。
「テラリス……」
「精々、頭を冷やしなさい。マクスウェルとメイリアに言われたこと忘れたわけじゃないでしょ?」
「……分かってるよ。この街に、外部からの招かれざる客が現れた時、ファムファタルは終焉を迎える、だろ?」
「分かってるならいいわ」
ガハットの言葉を聞いたテラリスは、隠し持っていたナイフを床に突き刺す。
「お前なぁ……」
「別に殺すつもりじゃなかったわよ? ただ、分かっていないようなら教えてあげようかなって思って」
人形のような作り物の笑顔を浮かべる彼女に、ガハットはさっさとどこかに行けとジェスチャーをする。
「「────!!」」
しかし、その瞬間、強大な霊力が街全体を震わせる。
ガハットとテラリスは、今までに感じたことのない霊力に、目を見開く。
さらに、いくつもの衝撃音と悲鳴が聞こえ始めた。
「この霊力……さっきの…‥!?」
ガハットは、その異常な霊力が、先ほど戦った少女の霊力と同質のものだと感じる。
「まさか……手加減してあれだったってのか……」
同時に、少女が本気を出さずに、自分たちに圧勝したという事実が突きつけられた。
思い返せば、戦闘中の彼女の瞳には、自分たちの姿が映っていないように感じた気がした。
「……ふざけやがって!!」
「は?」
拳を強く握りしめたガハットは、怒りに声を荒げながら、下の階に繋がる階段を駆け下りる。
そんな彼とすれ違うように、下の階から、バタバタと二人の足音が駆け上がってくる。
「テラリス……! 今のって……」
「ガハット!? おい!! どこ行くんだよ!!」
スピカとマオミルも、異常事態に慌てふためきながら、二人の元にやってくる。
その横を通り過ぎて、ガハットは外に飛び出した。
街は炎に包まれており、爆発音とともに、炎を纏った瓦礫が周囲に降り注ぐ。
人々は、絶望に打ちひしがれたり、無様に逃げたりと様々な様子だった。
当然、その破壊に抗おうとする者も見えた。
この街に暮らすのは天霊だ。
彼らにも、何かしらのプライドがあるのだろう。
だが、そんなプライドなど知ったことではないと言わんばかりに、その破壊の中心に向かっていった天霊たちは無残に弾けていく。
「な、何だよ、あれ……」
ガハットの眼に映ったのは、化け物だ。
自我など全く見られず、ただその強大な力を振るうだけの化け物がそこにいた。
それを見たガハットは、これ以上にない強敵との遭遇に楽しそうに笑うが、全身から冷たい汗が流れ出ていた。
「大丈夫だ……俺は強い。誰よりも、強いんだ……!!」
小さく呟いたガハットは、自分の身体にまとわりつく恐怖を武者震いと言い聞かせ、化け物の元に走り出した。
「こっちを見ろ、化け物!! 俺が相手だ!!」
ひび割れた身体から光を放つガハットは、その圧倒的な速度で、化け物の足元に潜り込み、いくつもの光の弾丸を放つ。
彼の天霊としての能力は、『裂空残光』。光を生み出し、空を裂く能力である。
光速で放たれる彼の技は、目にも止まらぬ速さで、化け物に向かっていく。
「……ははっ。嘘だろ?」
だが、それが直撃することはなかった。
化け物の背中から生えた血翼が、球状に形を変え、全ての弾丸を防いだ。
そして、彼女は翼を広げると同時に、翼を四方八方に伸ばし、ガハットの身体を切り裂き、遥か後方に吹き飛ばした。
「アァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
自我を呑まれた天霊は、赤い空の下で叫び続ける。
もはや、自分が何者だったのかも、自分が何をしているのかも分からないまま。
彼女は溢れ出る感情のままに、破壊と殺戮を繰り広げる。
「いやはや。これは想像以上だ」
「何が想像以上ですか。あなたは、危ない橋を渡りすぎです……」
その様子を、街の建物の屋上で眺める流転哭井とメイリア。
「分かっていないですねえ、メイリア。危ない橋でなければ、渡っても面白くないでしょう」
メイリアの苦言に、何の答えにもなっていない答えを返す流転。
その姿に呆れながら、真面目な顔で彼に問う。
「はぁ……。それで? あなたが何も手を打っていないはずがありません。何を仕掛けたんですか?」
「さすがは、我が親友ですね。何。簡単なことですよ」
自分の考えを理解しているメイリアに微笑みながら、流転は楽しそうに言葉を紡ぐ。
「化け物退治は、古今東西、英雄の役目ですよ」
彼の言葉と同時に、化け物の翼を切り落とすように鋭い雷撃が降り注ぐ。
「がぁっ!!」
化け物は何が起きたのか分からず、自身の眼下に視線を動かす。
「──そこまでだ、天霊」
そこに立っていたのは、多くの天霊を葬ってきた、人類の希望。
──若き英雄、明星輝夜が、玖遠灯里の前に立ちはだかった。