デス・カウントダウン
「はあ……はあ……」
科哭は、荒く息を吐き、大量の汗が地面に流れ落ちていた。
彼女が創り出そうとしているものは、非常に強力で凶悪な猛毒だが、当然、問題点もある。
この毒は、理論上の産物でしかない。
一度解き放てば、全ての生命を殺し尽くす猛毒であるが故に、軽率に実験を行うことができなかった。
そのため、どんな環境、状況下でも発動する方程式を導き出す必要があった。
長年の研究の結果、科哭は究極の毒を創り出す方法を確立したが、それは非常に繊細で、時間のかかるものだった。
この毒には、科哭が創り出せる全ての毒を必要とした。
それに加えて、その時の周囲の状況、科哭の霊力残量などを、即座に算出し、理論式に反映しなければならなかった。
つまり、一度この毒の生成に取り掛かってしまうと、完全に無防備で、隙だらけの状態になってしまうのだ。
そんな状況を防ぐために、科哭に近づけば近づくほど、身体が急速に蝕まれるような毒を生成していた。
しかし、今の科哭には、白蓮と奏城の相手をしていたせいで、他のことに回す霊力はなかった。
それでも、科哭は、実験を着々と進めていく。
もはやこの場に、彼女を止められるものは一人としておらず、周囲からも霊力は感じられなかった。
仮にいたとしても、自分の毒が完成する方が早いと確信していた。
毒の塊はひび割れ始め、完成はもう間もなくだった。
「あと少し……もう少しだ」
自身の半生を費やした研究の完成を目前に、科哭は、頭上を見上げて、笑顔を浮かべた。
その瞬間、科哭は、周囲への警戒を完全に解いてしまった。
それが、決定的な隙となる。
科哭の意識の隙間に潜り込むように、正面の空間が揺らぎ、青髪の少女が姿を現す。
「──は?」
目の前に現れた大きな霊力に、科哭は思考が停止する。
「っ!! あぁああああ!!!」
だが、小さな拳が、眼前に迫ってきていることを認識した彼女は、即座に状況を理解した。
その場から動けず、少しでも集中を切らせば、科哭の悲願は、ここに潰えることになる。
そんなことはさせまいと、彼女はかつてないほどの思考する。
消費しても理論式に影響を与えない霊力量を算出し、状況を打破するための策を作りあげる。
「神皇黎水・傀儡!!!!!!」
そして、悠乃の拳が直撃するコンマ1秒前に、彼女は、あらゆる物質を溶かす白銀の猛毒液で人形を創り出し、悠乃の攻撃を防御した。
それは、直前の戦いで、自身の身体を動かすために鏡夜が使用した風糸傀儡を参考にしたものだった。
「ぅぐあ……!!」
猛毒に阻まれた悠乃は、拳を溶かされる激痛に、苦悶の声を漏らした。
人形の腕は形を変え、悠乃の腕を絡めとる。
「私の──邪魔すんな!!」
そのまま、身動きを封じられた少女の腹部を、科哭は蹴り抜いた。
「がっ……!!」
人形を貫通した科哭の脚は、白銀色の猛毒を纏っており、悠乃の腹部は大きく抉れていた。
右腕も溶かされ、大量の血を流しながら、地面に崩れ落ちる悠乃。
しかし、意識を失った悠乃は、不敵な笑みを浮かべていた。
「……おかしい」
その笑みに、科哭は、違和感を覚えていた。
決定的な隙をついて現れた少女が、何の策も講じていないはずがない。
そうでなければ、ただの犬死。
無駄に命を散らしただけである。
「まさか……!!」
そこで、ある可能性に辿り着いた科哭は、目の前の少女の頭蓋を完全に溶かし尽くした。
すると、少女の姿が薄れていき、そこにいたのは頭部を失った獣だった。
「──ありがとう、悠乃」
「──!!!」
獣が消滅すると同時に、科哭の背後から、誰かの声が聞こえてくる。
それが誰の声かは問うまでもなかった。
本来、科哭が実験体にしたいと望んでいた存在。
最後の実験でようやく現れたことに、科哭は運命を感じていた。
「鳴神、璃空!!!」
科哭が喜びに震えながら、叫び、振り返る。
そこには、雷撃を纏った刀を一閃しようとする璃空と、その背に触れる悠乃がいた。
◇
「──つまり、悠乃の魔獣を囮にして、その隙に敵を背後から斬る……ってことか?」
「……うん。きっと、それが一番確実だと思うから」
奇襲の数分前。
悠乃は、次元鯨を自身の身体に取り込みながら、自分が思いついた作戦を璃空に話していた。
なるべく霊力を確保するために、維持する魔獣の数をなるべく少なくしようと考えていた。
「でも、それでいいのか……?」
そんな彼女の話を聞き終えた璃空は、不安そうな顔を浮かべた。
璃空は、彼女が魔獣を大切にしていることを知っていた。
彼女にとって大事な存在を、囮にした作戦を考えたことに、驚きを隠せなかった。
「……本当は嫌だけど、こんなところで死ぬのはもっと嫌だ」
悠乃は力強い眼差しで、璃空の不安を否定した。
確かに、自分が生み出した魔獣の命を無駄にするのは抵抗があった。
しかし、そうしなければ生き残れないというのならやるしかない。
悠乃は、目を閉じ、深呼吸しながら、頭の中に生み出す魔獣の姿を思い描く。
「──よし。おいで、クマックス」
彼女の言葉に応じて、巨大な熊が姿を現す。
悠乃は、疲労により息を切らしながら、熊の頭を優しく撫で、指を鳴らした。
すると、巨大な熊の姿が徐々に変化していく。
数秒も経たずに、その姿は、悠乃と全く同じ姿へと完全に変化した。
悠乃がその熊に触れると、空間の揺らぎの中に消えていく。
「……はぁ。上手くいった」
その場に座り込む悠乃の近くに、駆け寄った璃空は、彼女の生み出す魔獣の多彩さに、改めて驚いていた。
それを見抜いたかのように、悠乃は満足そうな笑みを浮かべていた。
「あとは、鳴神次第だよ」
「──ああ。任せろ」
悠乃の言葉に答えるように、雷撃を纏った璃空は、差し出された手をそっと握った。
◇
「おおお!!」
科哭の背後に現れた璃空は、彼女の首を目掛けて、刃を振るう。
それは完璧なタイミング。決定的な一撃だった。
回避は不可能。もはや、彼女に待ち受けているのは、死のみだ。
──だというのに、科哭は、ただ笑っていた。
笑いながら、科哭は指を鳴らす。
その音に呼応して、背後に佇んでいた白銀の毒人形が、メキメキと音を立てながら、一つの塊へと変貌していく。
「神皇黎水・爆光」
彼女の一言で、背後の圧縮された毒液は、四方に弾け飛ぶ。
そのまま、毒液の飛礫は、科哭の身体を貫いて、璃空に向かってくる。
「なっ!?」
そんな科哭の行動に、璃空は驚愕する。
彼女の反撃は、当然、想定の内だった。
しかし、その行動が、自分を巻き込んだ無差別攻撃だとは想像できなかった。
璃空は、攻撃を中断し、とっさに悠乃を後ろに突き飛ばした。
「ぐぁっ!!」
「鳴神……!!」
無数の毒の飛礫は、璃空の身体と刃を無慈悲に溶かしていく。
全身を溶かされる激痛に、血を吐き散らしながら、それでも璃空は、科哭から目を逸らさなかった。
ここで、璃空が倒れれば、科哭を止められるものは、誰もいなくなる。
それはつまり、璃空の大事な人たちの死を意味していた。
「俺は……みんなを……守るんだ……!!」
ドロドロに溶けた刀に雷撃を纏わせ、璃空は科哭の心臓に向けて、刀を突き出した。
「──あはっ」
迫りくる死を前に、科哭は嬉しそうに笑みを浮かべた。
そして、璃空の一撃は、あっさりと彼女の心臓を貫いた。




