世界を記す司書
「ふむふむ……なるほど。興味深い構造だ」
「──え。だ、れ……?」
体力と霊力の消耗を回復するために、少しだけ眠っていた悠乃は、聞き慣れない声に目を覚ました。
そこには、分厚い本を片手に、次元鯨の身体を優しく撫でている青年がいた。
悠乃の掠れた呟きに、青年は振り返って、笑顔を浮かべた。
「やあ、目が覚めたかい? 水宮悠乃くん?」
「……誰?」
「初めまして。僕は、星導生真。一応、セブンスの中では、強欲って呼ばれてる」
「セブンス……!!」
星導の一言に、悠乃は後ずさり、最大限に警戒した。
少女の敵意の視線に対して、星導は、持っていた本を地面に置いて、両手を上げた。
自分に戦う意思はないと示すためだった。
「そんなに警戒しなくても大丈夫。僕は、君たちの話が聞きたいんだ」
「……信じられない。カーニィー!!」
しかし、星導の言葉も、行動も信じられない悠乃は、斬脚蟹を生み出し、星導を襲う。
「はあ……言葉で言っても伝わらないなら、行動で示すしかないか」
悠乃の行動に、星導はため息をつきながら、足元に置いていた本を拾い上げる。
すると、本は勝手にページが捲れ出し、あるページに差し掛かった瞬間に止まった。
「『獣魂』、斬撃蟹」
「え……」
星導の声と共に、本が光り輝き、彼の背後には、悠乃が生み出した魔獣と瓜二つの見た目だった。
二匹の蟹は、巨大な鋏を振り下ろしてぶつかり合う。
その瞬間、星導が生み出した蟹は、簡単に粉々になってしまう。
「やっぱり、即興だとこんなものか。『雷閃』」
そして、その間に、斬脚蟹の足元に入り込んでいた星導は、雷を纏わせた手刀で、蟹を一閃する。
真っ二つになり、崩れ落ちる蟹を無視して、星導はゆっくりと歩いてくる。
その姿に、悠乃は恐怖し、一歩ずつ後ろに下がっていく。
「っ!! それ以上は下がるな!!」
「ひっ……」
そんな悠乃に、星導は声を荒げて、彼女の歩みを制止させた。
「急に怒鳴ってごめんよ? ただ、そこから後ろに下がったら危険なんだ。見てごらん」
「……こ、これって」
恐る恐る振り返った悠乃は、自身の後ろに、何か透明な壁のようなものがあることが分かった。
その壁の向こう側。瓦礫や地面、地面に生えた草花が腐り落ちていた。
「僕と同じセブンスの怠惰、科哭青花が放った毒が蔓延しているんだ。さっきの突風……恐らく、白蓮鏡夜が一時的に毒を吹き飛ばしたんだろうが、結局、彼女を倒さなければ無駄なことさ」
いつの間にか、悠乃の隣に立つ星導は、壁の外の景色を見て、失笑を浮かべた。
「ここにいる限り、彼女の毒に犯されることはない」
「な、んで……」
悠乃は、星導が、どうして自分にここまでしてくれるのか分からなかった。
その考えを見透かしたように、星導は口を開く。
「さっきも言ったけど、僕は、君たちの能力や経験、記憶を記録したいんだ。それが僕の役目だからね」
「……」
「ただ、勘違いしないでほしい。僕は君たちの味方というわけでもない。君たちのことを記録するために、グリフォンと科哭を差し向け、君たちをこの場所に引きずり出した。そんな僕を全面的に味方だと思え、なんて言うつもりはないさ」
星導の言葉を黙って聞いていた悠乃は、彼の言っていることに、嘘偽りがないと感じた。
確かに、彼のやったことは許されることではないが、悠乃を守ってくれていたこともまた事実だ。
殺す気ならば、いつでも殺せただろうし、こんな結界で悠乃を守る必要もないはずだ。
次元鯨を殺していないのが何よりの証拠だ。
だから、少しだけ話を聞いてもいいかなと、悠乃は思っていた。
しかし、それは星導の話をしっかりと聞いていた悠乃だから出せた結論である。
何も知らない人間が、この現場を見れば、仲間のピンチだと思われても仕方がないことである。
星導の背後から、何発もの雷弾が撃ち込まれる。
それを、星導は一度も振り向くことなく、全ての攻撃を防ぎ切った。
身体についた砂埃を払いながら、自身の背後を振り返る。
「──っと。全く、危ないな。鳴神くん」
「鳴神……!!」
そこにいたのは、街の人間を助けに向かっていた璃空だった。
救助の傍らで、拾った刀の切っ先を星導に向け、最大限に警戒していた。
目の前の男から感じる気配が、今まで出会った誰とも違っていたのだ。
その不可思議な存在に、璃空の背筋は震え、冷たい汗が噴き出ていた。
「悠乃から離れろ……!!」
「なるほど。本当におかしな霊力をしているんだね、君は」
星導は、鳴神璃空という存在をじっくり観察しながら、近づいてくる。
訳の分からない存在が、じわじわと近づいてくるという、言い知れない恐怖に、璃空は一歩後ずさってしまう。
「まあ、もう一度同じ話をするのも面倒だからね」
「き、消え……」
璃空の反応を、嬉しそうに眺めていた星導は、璃空の視界から一瞬で姿を消す。
気が付いた時には、星導は璃空の横を通り過ぎていた。
「なっ……ごふっ……」
「『氷刃(二ヴルヘイム)』。しばらく大人しくしていてくれ」
璃空の心臓には、氷の刃が深々と突き刺さっていた。
意識が遠のくほどの激痛と共に、何故か懐かしい感覚が璃空を襲っていた。
それが一体何なのか。確かめる前に、璃空の意識は暗闇の中に消えていった。
「鳴神……!!」
「あとで治すから、大丈夫だよ」
星導は、崩れ落ちる璃空の身体を受け止め、地面に、ゆっくり横たわらせた。
「さて。じゃあ、改めて、君の話を聞かせてもらおうか。ああ、大丈夫。君が特別、何かをする必要はない。ただ、君は、自分の過去を追体験するだけでいい」
「え……?」
「『追憶』。記憶を巡る旅に、行ってらっしゃい」
理解の出来ていない悠乃を無視して、星導は、霊力の塊をぶつけた。
それがぶつかった瞬間、悠乃の身体はぐらりと揺れ、後ろに大きく傾いた。
どさりと倒れた身体には、地面の無機質な感触が、身体の芯から凍えさせていく。
その嫌な冷たさから逃げるように、悠乃の意識はどこかに遠ざかっていく。
それを、薄れかかった青い視界で、黙って見つめているうちに、悠乃の意識は完全に途切れた。




