檻の中の少年と鳥籠の少女
「──ちっ。目が覚めたか。そこで少し、自分がどういう立場にあるのかをよく考えるんだな」
目を覚ました璃空の耳に届いたのは、そんな冷たい言葉だった。
ドアが閉まる音とともに、璃空は身体を起こす。
肌に伝わる冷たく硬い石畳の感触。
陽の光だけが差し込む部屋の中は、音一つない完全な牢獄だった。
あの後、璃空は傷だらけの腕で、古町を抱きかかえたまま、灯里や和希たちと合流した。
今にも途切れそうな意識の中で、一同は古町をどうするべきか結論を下した。
職人街の建物はほとんど壊滅しており、彼女を匿える場所はどこにもなかった。
さらに、事件調査のために、Orpheusの人間が職人街を訪れる可能性が高かった。
結論として、古町はOrpheusが保護することになった。
ゾディアック本拠地に帰還した璃空たち。
そんな彼らを待ち受けていたのは、怒りの表情を浮かべる三崎だった。
「鳴神璃空……どういうことか説明してもらうぞ」
璃空に下された指令。それは、『新藤古町を保護し、即座に本拠地に帰還する』というものだった。
三崎の指示に、グリフォンの討伐は含まれていなかった。
だが、璃空はその指示を無視し、グリフォンを殺し、職人街の人々を救った。
その行動は、Orpheusに、自分たちの居場所を知らせる行為でもあった。
璃空の霊力は既にOrpheusに記録され、派手な戦闘行為はすぐに彼らに感づかれてしまう。
そんな危険な行動に打って出た理由を三崎は知りたかった。
「──どいてくれ」
しかし、璃空は立ちふさがる三崎を押しのけて歩き出した。
璃空は意識が途切れる前に、食傷兎を悠乃の元に返そうとしていた。
「──貴様っ!!」
その態度が、三崎の逆鱗に触れた。
彼の手から放たれた黒い波動が璃空の身体を吹き飛ばした。
霊力が尽きかけ、意識が途切れそうになっていた璃空は、そのまま崩れ落ちた。
「……それでこんな牢獄か。この拠点の構造どうなってんだ……」
本拠地の構造に疑問を覚えながら、璃空は立ち上がって、大きく伸びをした。
しばらくの牢獄生活を覚悟して、部屋にあるものを確認する。
しかし、部屋には何もなく、あるものは小さな窓と、鉄格子だけだった。
こんな部屋に何日も閉じ込められれば、死んでしまうだろう。
「とりあえず、寝るか……」
今後のことは明日考えることにして、璃空は冷たい床に再び寝転がった。
疲労のせいか、璃空はすぐに眠りについてしまった。
◇
それから、しばらくして、部屋のドアがゆっくりと開けられる。
しかし、その音は璃空の耳には届かなかった。
こっそりと、部屋に忍び込んだ少女、水宮悠乃は、手に持っていた食事の乗ったトレイを、静かに檻の前に置いた。
璃空との接触を禁止された灯里に頼まれてやって来た悠乃は、用は果たしたと、さっさと部屋から出ようとした。
扉を開ける直前、悠乃は振り返って、檻の中で眠る璃空の姿を黙って見つめていた。
石畳で小さく丸まって眠る璃空。
自分が生み出した魔獣に好かれ、自分がよく知る灯里を少しだけ変えた人物。
一体、彼の何が周りに影響を与えているのか。
それを知りたいという思いが、悠乃をその場に留まらせた。
悠乃は、檻の前まで戻って、腰を下ろした。
「……ふぁ」
石畳の冷たい無機質な感触を味わいながら、悠乃はあくびを漏らした。
彼女の能力は、『魔胎蒼母』と呼ばれる、何かしらの権能を持つ魔獣を生み出すというものである。
この能力は、魔獣を生み出す時は多くの霊力を消費するが、魔獣の存在を維持する分には大した霊力は消費しない。
それでも、数日の間、食傷兎の存在を維持していた負担は少なくない。
悠乃は、疲労に負けて、そのまま眠りについてしまう。
◇
「ん……」
差し込む月明かりで目を覚ました璃空。
石畳で寝ていたせいか、昨日戦闘のせいか、身体中が痛みを訴えていた。
全く取れない疲労感を抱えて、身体を起こす。
寝ぼけ眼を擦りながら、ぼーっと窓の外の青空を見つめていた。
「──くしゅん」
「……?」
意識がはっきりとしてきた璃空の耳に、誰かのくしゃみが聞こえてきた。
一体何だと思い、璃空は視線を下げた。
「……誰だ?」
璃空の目に映ったのは、檻の向こうで、体育座りをして眠っている黒髪の少女と、食事が乗ったトレイだった。
何となくどこかで見たような気はするけど、それが思い出せず、頭を悩ませていた。
すると、少女はゆっくりと顔を上げて、璃空の顔を見た。
「……悠乃?」
「……おはよう、ございます」
顔を上げた少女は、髪の色こそ違えど、そこにいたのは悠乃だった。
「もしかして、ずっといたの?」
「……うん。灯里に頼まれて、ご飯、持ってきた」
「玖遠さんに?」
璃空の質問に、悠乃は黙ってうなずいた。
「そっか……ありがとな」
「……お礼は、灯里に言って。私は、持ってきただけ」
「何言ってんだよ? 持ってきてくれたのは悠乃なんだから、お礼を言うのは当たり前だろ」
璃空は自然にお礼を言って、目の前のトレイの食事を食べ始めた。
その様子を見ている悠乃の心は、大きくざわついていた。
璃空には自然なことだったが、悠乃にはとても慣れないことだった。
彼女にとって聞き慣れたものは罵詈雑言や嘲笑であり、彼女の周囲にあったものは、怯えや恐怖の視線、自分のことを駒としか思っていないような冷たい視線だけだった。
少女の視界には青い景色と、その中で自分を嘲笑う人々の姿がちらついた。
「……ねえ」
そんな光景を振り払うように、悠乃は璃空に話しかけた。
急に話しかけられた璃空は、口の中に入っていたものを慌てて呑み込んだ。
「何?」
「鳴神は、何で戦うの?」
悠乃の口から出た言葉は、そんな質問だった。
少女からぶつけられた質問に、璃空は少し考える。
「何で、か。そうだな……姉ちゃんを守れなかったことへの後悔かな……」
「お姉ちゃん?」
「うん。俺の姉ちゃんは、俺の目の前で死んだんだ」
璃空は、改めて自分が戦う理由を考える。
思い浮かぶのは、悠斗や花梨の死、灯里との約束。
そして、一番大きなものは、やはり姉である未空の死だった。
あの日、姉に追いつき、目の前で殺されるはずの姉を守れていれば、今の璃空はなかっただろう。
「俺は姉ちゃんを守れなかった自分が許せなかった。──だから、大事な人をもう失わないために戦おうって決めたんだ」
しかし、実際には姉に追いつけず、目の前で姉を殺された。
そんな自分が許せなくて力を求めた。
せめて、自分の手が届く範囲の大事な人ぐらい守れるように。
「……でも、守れなかった、んだよね? それなのに、どうして戦えるの?」
「よく知ってるな……まあ、知ってて当然か」
悠乃の言う通り、大事な人を守るために力をつけたはずなのに、璃空は悠斗と花梨を守れず、結果的に沙織も傷つけてしまった。
普通なら心が折れて、立ち直れなくなってもおかしくはない。
実際に、璃空も心が折れ、立ち直れなくなる寸前だった。
「一人だったら、もう戦おうなんて思わなかっただろうな。でも、運がいいのか悪いのか、まだ俺のために戦ってくれる人たちがいた。背中を蹴飛ばしてくれる人がいた。──だから、俺は、そんなあいつらを守るために戦うんだ」
それが璃空の答えだった。
璃空は真っすぐな瞳で、悠乃の質問に答えた。
「……そう」
璃空の言葉によって、悠乃の心は先ほどよりも大きく揺れ動いていた。
同情、嫉妬、羨望。いくつもの感情が混ざり合って、少女の心を揺らす。
いつだって、璃空の心は折れてもおかしくなかった。
そのたびに、彼の周りには誰かがいて、そんな誰かを守るために、璃空は立ち上がっているのだ。
きっと、そんな璃空の姿が、灯里が変わり、食傷兎が懐いた理由なのだろうと悠乃は考えていた。
「──あの……」
もしかしたら、璃空と話すことで、自分もほんの少しだけ変われるかもしれない。
そんな心の隅の小さな思いが、悠乃の口を開かせた。
しかし、その言葉は悠乃の端末の着信音にかき消される。
慌てて取り出すと、そこには緊急通信という表示があった。
「……もしもし?」
「もしもし!? 悠乃?」
急いで通信に応じると、スピーカー越しに聞こえるのは灯里の切羽詰まった声だった。
「まだ、鳴神くんのところ?」
「え……う、うん」
「よかった……二人とも、急いで私の部屋まで来て!!」
一体、何があったのか。
それを聞く前に、灯里からの通信は一方的に打ち切られた。
「……よく分からないけど、急いだほうがよさそうだな」
「うん。ちょっと下がってて」
悠乃は、璃空に少し下がるように伝え、霊力を編み始める。
少女の黒かった髪の毛は、一瞬で青色に染まっていく。
「『魔胎蒼母』──斬脚蟹」
悠乃の霊力により生み出されたのは、緑色の蟹だった。
「あの鉄格子を切り裂いて、カーニィー」
カーニィーと名付けられた緑色の蟹は、主人の指示を受けて、鉄格子に近づいていく。
そして、蟹の鋏が鉄格子に触れた瞬間、バラバラと、檻が切り刻まれていく。
「すげえ……」
全ての鉄格子を切り終えた蟹は、悠乃の元に戻っていく。
自分のところに戻ってきた蟹の甲羅を、悠乃は優しく撫でた。
「ありがとね、カーニィー」
そう言って、悠乃が指をぱちりと鳴らすと、蟹は青い光となって、その場から消えていった。
同時に、悠乃の髪の色も黒に戻った。
「──行こ。案内する」
「……うん。ありがとう」
二人は、牢獄のある部屋から抜け出し、一目散に灯里の部屋に向かっていった。
◇
黒く焦げた建物の瓦礫の上。
一人の少女が、鼻歌を歌って空を仰いでいた。
地面には、力なく倒れる人々。
その中には、Orpheus第四部隊の姿もあった。
「あぁ……早く来ないかなぁ……」
「これが、セブンスの……ごはっ!!」
「うるさいなあ。お前なんかに興味ないんだから大人しく寝てろって」
かろうじて倒れずに立っていた奏城も、少女の次なる一撃によって、完全に倒れ伏した。
「早くしないと、みんな私の実験に巻き込まれて死んじゃうよ? 鳴神、璃空」
徐々に腐り始めた瓦礫を見ながら、少女はうっとりとした表情で、この場にいない璃空に向けて、実験場への招待状を送りつけるのだった。




