傷だらけの少女
部屋の片隅、ベッドの上。
布団の中でうずくまっていた少女は、扉の前から立ち去る足音を聞いて、顔を出した。
扉の前では、灰色の兎が、足音の聞こえる方を名残惜しそうに見つめていた。
少女は布団から抜け出し、いつの間にか痛みの消えた身体で、悲しそうな兎を抱きかかえた。
「……ごめんね。本当は、鳴神さん?に返してあげるべきだったのに。でも、一人は寂しかったんだ……」
「……?」
悲しそうな、嬉しそうな、複雑な表情をしている少女の言葉に、兎は首を傾げた。
その可愛らしい仕草に、少女は兎の頭を撫でながら、再び布団に潜りこんだ。
「お父さん……お母さん……」
涙をこらえた声で呟きながら、少女は兎を抱きしめて、眠りについた。
◇
少女は夢を見る。
父と母がいて、友達がいて、何も変わらない当たり前だと思っていた日の思い出を。
雲一つない青空と、眩しい太陽に照らされた、キラキラとした思い出を。
しかし、それはすぐに目をそむけたくなる光景へと変貌していく。
大好きな街は、燃え盛る炎に包まれ、崩れ落ちていく。
隣を歩く友達の顔は、苦痛に歪み、悲鳴が木霊する。
家で娘の帰りを待ちわびていた両親は、業火に焼かれながらも、愛した我が子に生きてくれと叫び続けた。
そんな地獄を、少女は走り続けた。
目の前の助けを求める手を無視して。響き渡る悲鳴を無視して。
肌が焼ける熱さも痛みも、何もかもを無視して、ただ走り続けた。
本当は泣き叫びたかったし、立ち止まりたかった。
両親を見捨てて行きたくなかったし、友達も街の人も助けたかった。
炎に焼かれる痛みなんて、正直大したことではない。
昔から、痛みに耐えることは得意だった。
でも、それは肉体的な痛みの話である。
小学校を卒業したばかりの、十三歳の少女が受けた心の痛みは計り知れない。
それでも──。
少女は、背後に迫る炎と街を焼き尽くした獣から、全力で逃げ続けた。
それが、両親の最後の願いだったから。
生きてくれという、二人の想いだけが、少女を突き動かしていた。
そうして、少女は職人街にたどり着いた。
どこもかしこもボロボロで、何一つ考えられない状態で。
やけに熱く疼く火傷も気に出来ないほど、少女の精神はすり減っていた。
彼女の姿を見て、何人もの人が必死の形相で駆け寄ってきた。
何を言ってくれたのか、何をしてくれたのかなんて全く覚えていない。
ただ一つ覚えているのは、自分が口にした言葉。
それはは、この場の誰かに向けたものではなく、今なお、炎の中で苦しみ続けている最愛の家族に向けた言葉だった
「──約束、守ったよ」
その一言を最後に、炎の街から逃げ出した少女、新藤古町は意識を失った。
◇
ゾディアック本拠地に帰還した璃空は、深いため息を付いた。
鏡川から聞いた少女の話が璃空の気分を重くしていた。
京都を襲う放火殺人犯。その被害者である少女、新藤古町。
職人街にたどり着いた彼女は、かすれた声で何かを呟いて倒れた。
それから、街の人達は古町に会っていないらしい。
古町と直接関わったのは、大國とこの街の医者だけだそうだ。
恐らく、状況的にも、職人街で匿われている天霊というのは古町のことだろう。
悠乃の兎を保護しているのが彼女だというのも、何かしらの巡りあわせなのだろうか。
「でもなぁ……」
全てを失い、部屋に閉じこもってしまった彼女を、無理矢理部屋の外に連れ出すことなど出来るはずもない。
少なくとも、璃空には、あの扉をこじ開けることは出来なかった。
「はぁ……とりあえず、玖遠さんと和希に相談してみるか……」
こういう時、どうするのが正解なのか分からなかった璃空は、一人で悩むよりも相談した方が良いと思った。
それに、悠乃に兎のことを謝るべきだと思った。
「お、いたいた。鳴神くん」
「フェリルさん……?」
しかし、歩き出そうとした璃空を呼び止める声が聞こえる。
振り返ると、そこにはフェリル・レインハートが立っていた。
「どうしたんですか?」
フェリルに呼び止められたということは、また検査でもするのだろうか。
そう考えていた璃空に、フェリルは想定外の言葉を発した。
「緊急事態よ。──職人街が襲撃された」
「……は?」




