結んだ指に空は晴れて
「Orpheus上層部の野望……どういうことだよ……!!」
璃空は彩乃の言葉に動揺し、立ち上がる。
それもそのはずだ。
璃空にとってのOrpheusとは、友達である沙織が所属する組織だ。
いくら敵対してしまったとは言え、数少ない友達の一人であることに変わりはない。
「私は元々Orpheusの人間だった。かつてのOrpheusは天霊を無差別に殺すようなことはしていなかった。世界を守るという変わらない理想を掲げて、天霊の中でも、危険思想を持っていたり、人々に危害を加える存在だけを殺していた」
「でも、今のOrpheusは何もしていない天霊を平然と殺してる」
彩乃の言葉に、璃空は拳を握りしめた。
脳裏に浮かぶのは灰になって消えていった花梨の姿。
少なくとも、彼女は危険思想を持っていなければ、誰かに危害を加えたりもしていない。
花梨は誰よりも優しい能力を持っていたと、璃空は思っている。
だから、そんな花梨を殺したOrpheusが、かつては彩乃が語ったような組織だと言うことが信じられなかった。
「まあ信じられないでしょうね。でもそれが真実。切っ掛けは、十数年前の天霊災害『デウカリオーン』。あの事件以来、Orpheusは完全に天霊を殺す方向にシフトした」
天霊災害『デウカリオーン』。
一人の天霊が暴走したことで、数万人の死傷者を出し、最終的に『英雄』と呼ばれる男によって決着が着いた事件である。
それと同時に、人々が天霊に恐怖を抱き、忌み嫌うようになった決定的な事件だ。
璃空もその事件は知っているし、知らない方がおかしな話だ。
確かにそんな事件があれば、天霊が危険視され、殺す方向に話が動くのも納得できる。
しかし、それでも全ての天霊を殺そうとするのは極端すぎではないか。
「民衆の意見もあったとは言え、それだけで完全抹殺に移行するわけがない。あいつらは、自分たちの野望のために天霊を殺したいの」
「……結局、Orpheus上層部の野望って何なんだ?」
そう。まだ肝心な部分を璃空は聞いていなかった。
Orpheus上層部の野望というのが天霊を殺すことと繋がることは分かるが、それ以上のことは分からなかった。
「──十二ノ塔、って知ってる?」
「授業とかで聞く程度の知識なら」
遥か昔、人類は異能によって世界を変えることを目指した者たちと、それを拒む者たちの二つに分かれていた。
そんな両者が争うまでに時間がかからず、最悪の戦争が始まる。
最終的に、変革を目指した人間たちは敗北し、世界の裏側に追放。
そして、その門が今日まで開かれることはなかった。
それが十二ノ塔。世界の裏側に至る道を封じてある神聖な塔である。
しかし、その塔は天霊が現れ、世界中の霊子のバランスが崩れたことで、現在十二本中三本の塔が倒壊していた。
「十二ノ塔っていうのは、かつての戦いで命を散らした天霊たちの魂を利用して作られた物なの。魂で作られたものには干渉できない。封印にはうってつけね」
呑気な顔をしている彩乃と対照的に、璃空は顔を引きつらせていた。
話の流れからOrpheus上層部の野望には何となく察しがついていた。
ただ、それをどうやってやろうとしているのかが全くもって分からなかった。
「もう分かった? Orpheus上層部の野望は、十二ノ塔をすべて破壊して、世界の裏側に至ることよ」
「それは何となく分かったけど、それをどうやってやるんだ? 天霊のせいで塔が壊れるなら、天霊を殺したら意味ないような……」
「そうね。天霊が世界中の霊子のバランスを崩すっていうのが本当ならね」
「……は?」
「よく考えてみて。霊子は世界を構成するほど圧倒的な情報量を持ってる。それを膨大な霊力を持つだけの天霊が、本当に乱せると思う? 極論を言ってしまえば、天霊だって霊子の支配下みたいなものよ」
言われてみれば、その通りだ。
多くの霊子を取り込むことで、異能者は身体構造が書き換わり、天霊に変わる。
つまり、天霊も世界の一部ということだ。
そんな天霊が存在するだけで、世界中の霊子のバランスを崩すと言うのは普通に考えればおかしな話だ。
だというのに、自分も含めて、誰も疑わなかったのはきっと天霊という存在への恐怖が大きいのだろう。
「Orpheus上層部は天霊を自然に殺せる理由と状況が欲しかったの。彼らが欲するのは天霊の魂。それもより多くの」
彩乃は立ち上がって、窓の近くに歩いていく。
そして夜空を見ながら呟いた。
「あいつらは、大量の天霊の魂を圧縮した剣を十二本創り出し、塔にぶつけることで全ての十二ノ塔を破壊しようとしている。そして、塔に封じられた門を開こうとしてる」
「な、んだそりゃ……!」
語られたOrpheus上層部の計画に、璃空は絶句した。
理解の範疇を超え、もはや頭がおかしいとしか言いようがなかった。
だが、魂で作られた物質を破壊するには、同じく魂で作られた物質をぶつけるしかないというのは理に適っている。
「でも、既に塔が壊されてるってことは、もうその剣は完成してるってことだろ? だったらこれ以上天霊を殺す必要はないんじゃ……」
「いいえ。塔の元になった天霊の核が違うせいか、ぶつかり合うことで剣を形成している天霊の魂も霧散してしまう。……だから、あいつらは自然発生した天霊だけでは飽き足らず、作為的に天霊を増やして、目的を達成しようとしてる」
「……」
璃空は黙って彩乃の背中を見ていた。
大量の情報を頭の中で処理しているうちに、ふと根本的な疑問が脳裏に浮かんだ。
彼女がゾディアックのリーダーであることも、ゾディアックの目的、Orpheus上層部の企みも理解した。
ただ、そんな話を自分にしてどうする気なのだろうか。
その答えはすぐに分かることになる。
「やつらの目的を打ち砕くためには一人でも多くの戦力がいるわ。──鳴神くん、私たちと一緒に戦ってくれないかな?」
「俺が、ゾディアックに……?」
「そう。あなたの戦いは見ていたわ。あなたの力はきっと私たちを救う鍵になる。もちろん、ただで入ってほしいなんて言わない。こちらから渡せるものは一つ」
困惑する璃空に、彩乃はとある情報が掛かれたメモ用紙を手渡してきた。
その内容に璃空は顔を強張らせて、彩乃を睨みつけた。
「何でこんな情報を……!?」
「元々私たちも暴食を追っていたのは知っているでしょ? あれは私たちにとっても邪魔な存在なの。だから、どうせ殺すなら因縁のあるあなたが決着をつけてくれた方が良いと思ってね」
「……いい性格してるよ、あんた」
璃空は彩乃が手渡してきたメモ帳を乱暴に受け取って立ち上がった。
そして、彼女の横を通り過ぎて、部屋から出て行った。
「ちょっ、鳴神くん!?」
「いやー、大変そうだねえ」
そんな璃空を追いかけて、灯里と和希もその場を後にした。
璃空が手渡されたメモ。
そこに書かれていたのは、とある男の現在地。
飽くなき食欲を満たすために人を喰らい続け、さらには周りの人々にも食欲を伝染させ狂わせた暴食の罪人。
セブンスの一人、旺膳律瀬の居場所が書かれていた。
メモを握りつぶし、怒りのままに歩く璃空の腕が不意に誰かに捕まれる。
そこには息を切らした灯里が立っていた。
「待ってって!」
「玖遠さん……」
「どうする気……?」
「……殺すよ。あんなやつ生かしておくわけにはいかないだろ」
「それはそうだけど……でも、鳴神くんが一人で抱え込む必要なんてないでしょ?」
「分かってる。……それでも、俺がやらなきゃいけないんだ。それ以外、どうすればいいか分からないんだ……!!」
悠斗を失い、花梨を失い、沙織と敵対し、戻るべき日常も消え失せた璃空は、どこに向かえばいいのか分からなかった。
前を向いても広がっているのは暗闇だけ。
だから、示された道標に縋るしかなかった。
「……はあ。分かった。その代わり、これぐらいは持ってって」
そんな璃空の心境を察したのか、灯里は説得を諦め、自身の腰に携えていた剣とポケットから取り出した通信機を手渡した。
「これって……?」
「ちょっと物騒だけど、お守り替わり」
「……ありがとな」
「……うん。じゃあ、和希君、おねがい」
璃空は灯里から渡されたものを少し照れくさそうに受け取り、身に着ける。
その間に、灯里は追いついた和希に声をかける。
面倒そうな顔をしながらも、和希は璃空が握りつぶしたメモを取り上げて、璃空をその場所の近くに転移させた。
◇
全身に身体強化を施すことで着地の衝撃を相殺した璃空。
一方で、地面は衝撃に耐えられず、ひび割れ、砕け散る、砂埃が巻き上がる。
その中で、璃空は視線の先にいる男を睨みつける。
衝撃音に足を止め、振り返ったその男は、虚ろな瞳で砂埃の中の誰かを見つめていた。
璃空は怒りに身体が震え、雷撃が迸る。
自分の欲望を満たすためだけに、人を殺すだけでは飽き足らず、他人の人生を狂わせてきた。
感情が昂ぶり、暴発し、もはや自分でも制御できないほどに荒ぶる。
それに呼応するように雷撃が身体中から迸り、街灯を砕け散らせる。
自分の限界を超えてあふれ出した力を、璃空は無理矢理従え、眩く輝く雷光を纏う。
今までにない異常な力に身体が悲鳴を上げ、血管が千切れ、筋肉が痛む。
だが、そんなものはどうでもよかった。
目の前の男に対する怒りが、憎悪が、璃空の背中を突き飛ばした。
「暴食……お前を、殺す!!!!!」
全ては一瞬だった。
圧倒的な速度で駆け抜けた璃空は、すれ違いざまに首を切り落とし、さらには肩から一刀両断した。
先手一撃必殺。それが璃空が相手を狂気に陥れる暴食に勝つための唯一の勝ち筋だった。
鮮血をまき散らして崩れ落ちる旺膳律瀬。
それと同時に、璃空もその場に崩れ落ち、膝をついた。
ほぼ一瞬の攻撃だったのに、何時間も呼吸を止めていたように息が切れ、視界は霞み、全身に激痛が走っていた。
地面に吹き出した汗と流れ出た血の雫がぽたぽたと落ちる。
これで旺膳によって生み出されていた負の連鎖は終わり、悠斗の仇を討った。
「……」
──それで。
それで、これから自分はどうするべきなのだろうか。
もたらされた道標は消え失せた。
ゾディアックに加入したところで、自分に何かできるとも思えない。
それでも交換条件なのだからやるしかない。
分かっている。
分かっているが、全てが終わったという実感からここに至るまでに後回しにしてきた思考が一気に押し寄せてくる。
「──鳴神くん」
暗闇の中に引きずり込まれそうになった璃空の耳に優しい声が響く。
ゆっくり顔を上げると、そこには心配そうに璃空を見る灯里が立っていた。
灯里はしゃがんで、璃空の頬に優しく触れた。
彼女の手の温かさに縋るように璃空は自分の想いを吐き出した。
「俺の選んだ道は、これで正しかったのかな……俺はこれからどうすればいいんだろうな……もう、何も分からないんだ……」
璃空の心は悠斗と花梨の死によって折れたままだった。
それをどうにか継ぎ接いではいたが、ただの一時しのぎでしかなく、こうして簡単に折れてしまう。
悠斗と花梨の死を経て、確かに暴食やOrpheusへの復讐心もある。
実際、この手で暴食を葬った。
しかし、復讐を果たしたところでもう失われた命が帰ってくることもなければ、やり直せるわけでもない。
思考だけが堂々巡りし、結局一歩も進めないで立ち止まってしまっている。
結局、自分がどうしたいのか分からないのだ。
「……私ね、Orpheus上層部の野望とか正直どうでもいいんだ。ただ、成し遂げたい目的があるの。だから、ゾディアックの一員として戦ってる」
灯里はいつも身に着けているネックレスを大事そうに握りしめた。
その瞬間の彼女は何を思っていたのだろうか。
璃空には分からなかった。
「でもね、やっぱり考えるよ。今の私は間違ってないかとか、これでいいのかなって。しょうがないよ。答えなんて誰にも分からないし、自分が歩いてる道が絶対に正しいと思ってる人なんていないと思う」
「……」
「だからさ──」
灯里は一度言葉を切って、璃空の顔を見て微笑んだ。
「一緒に探そうよ。一人で分からないことも、二人でなら見つけられるかもしれないでしょ?」
その優しい言葉は灯火のように、璃空の真っ暗闇だった道を明るく照らしていく。
まばゆい光を見て、璃空は自分がいつの間にか一人でふさぎ込んでいたことに気が付いた。
灯里の言う通りだ。
一人で分からないなら、二人で探せばいいだけのことだった。
それに、璃空は一人ではないし、泣いてばかりで、守られてばかりで、助けられてばかりの自分に、それでも手を差し伸べてくれる人もいる。
「……うん。ありがとう。でも、もう大丈夫」
だから、璃空は彼女の手に自分の手を重ねて答える。
「俺は、もう大事な人を失わないように強くなりたい。俺も、誰かを助けられるようになりたい。……俺を救ってくれた君の笑顔を守りたいんだ」
それが璃空の出した答えだった。
弱くて情けなくてみっともない自分が正しいと思えることだった。
璃空の言葉を聞いた灯里は、何とも照れくさそうな表情をしながら口を開いた。
「えーっと……告白?」
「ぶふっ!! ち、違うわっ!!」
予期せぬ返答に璃空は分かりやすく動揺し、狼狽える。
確かに、告白と捕えらてもおかしくはないことを言ってしまったことは否定できない。
しかし、そういうやましい感情で言ったわけではなく、純粋な気持ちで口にしたのだと、璃空は必死に頭の中で否定するが、動揺しすぎて、言葉にならなかった。
そんな璃空の慌てふためく様子を見て、灯里はお腹を抱えて笑った。
まるで、初めて言葉を交わしたあの日のように、灯里は楽しそうな笑みを浮かべた。
その様子に釣られて、璃空も自然と笑ってしまっていた。
そして、ひとしきり笑った後、息を整えて灯里は口を開いた。
「約束だからね。ちゃんと私の笑顔、守ってね」
「……ああ。絶対に守れるようになるよ」
差し出された灯里の小指に、璃空は自分の小指を絡ませて、約束を違えないと誓った。
◇
その様子を、ビルの上から眺めていた和希は、ため息をつきながら少しだけ楽しそうな表情を浮かべていた。
和希がふと視線を上に向けると、暗い空が明るく色づき始めていることに気が付いて、遠く彼方に視線を向けた。
長らく沈んでいた太陽が顔を出し、眠りこけていた街を明るく照らし出す。
「──やっと夜が明ける」
白い光に目を細めた和希はそんな一言を呟いて、和やかな雰囲気の璃空と灯里を迎えに行くのだった。
遅くなりました。ようやく璃空をスタートラインにたどり着かせることが出来て安心してます