ココロコワレルオト
「天霊の保護……それが玖遠さんたちの目的……」
「まあ正確には目的を達成するための絶対条件、って言うほうが正しいかも」
璃空は花梨の元へ向かう道中、ゾディアックの目的や天霊について、隣を走る灯里から説明を受けていた。
天霊になったものは霊力が変質し、何かしらの外的変化があるという説明を聞いたとき、璃空は自然と姉のことを思い出していた。
未空も死の間際、霊力が全く違ったものになっており、羽のような物が生えていた。
「(姉ちゃんもあの時、天霊になってたのか……? いや、今はそれよりも……)」
璃空の記憶でしか確かめようのない疑問を頭の隅っこに置き、足を動かすことに集中した。
何を疑問に思っても、どれだけ思考を巡らせても、花梨が殺されるかもしれないという事実は変わらない。
大きな霊力がぶつかっている場所は既に把握している。
最悪の事態になる前にどうにか間に合ってくれ。
その一心だけで、悠斗との戦いで肉体的にも精神的にも限界が来ている身体を無理矢理動かして走り続ける。
そんな璃空の願いは簡単に砕かれる。
いくつもの霊力がぶつかりあう場所にたどり着いた璃空が見たものは、血まみれで倒れる鏡夜の姿と沙織が炎剣を花梨の心臓に向けて振り下ろそうとする瞬間だった。
「や、やめろおおおおおおおおお!!!」
璃空は無我夢中で叫んだ。
花梨の親友である沙織ならその手を止めてくれると心のどこかで信じていた。
だが、沙織は璃空の甘えを叩き壊すかのように、無慈悲に花梨の心臓に炎剣を突き刺した。
「あ……ああ……」
その瞬間、璃空の中で何かがひび割れる音がした。
視界が狭まり、血を流す花梨しか視界に入らなくなる。
おぼつかない足取りでゆっくりと花梨の元に歩き出す璃空を、灯里は手を握って止めようとする。
その手を振り払って、璃空は進んでいく。
一歩進むごとに何かがひび割れる音が鼓膜を震えさせるが、璃空はただただ前に進んだ。
「鳴神……。あんたもすぐに花梨の元に送ってあげる」
フラフラと近づいてくる璃空に気が付いた沙織は、立ち上がりながら炎の剣を創り出して、璃空に斬りかかろうとする。
しかし、その直後、沙織の身体を突風が襲い、彼女の足がそれ以上動くことはなかった。
突風に襲われた沙織の身体のあちらこちらに小さな切り傷が生まれていた。
こんなことが出来る人間は一人しかいないが、あの傷で立ち上がることは出来ないはずだ。
沙織が倒れているはずの鏡夜の方に視線を向けると、視界に映ったのは眼前まで迫る風を纏った拳だった。
「くっ……!」
避けることも防ぐことも間に合わず、そのまま沙織の身体は何方向にも吹き荒れる風に揉まれながら、大きく後方に吹き飛ばされた。
「かはっ……あ、ぐっ……!!」
壁にめり込んだ沙織は激痛に顔を歪めて立ち上がろうとするが、上手く立ち上がれず、ある程度痛みが引くまで、そこに留まらざるを得なくなった。
「──驚いた。その傷で立ち上がってくるのは想定外だよ」
「……灯里。璃空と花梨を頼む」
本当に驚いた表情をする輝夜に対して、鏡夜は何も言わず、代わりに灯里に視線を向けた。
鏡夜の身体は至る所に傷が出来ており、特に腹部に開いた穴とバッサリと切られた傷口からの出血がひどかった。
だが、それよりも鏡夜の表情に灯里は息を飲んだ。
「鏡夜、君……?」
「頼む」
鏡夜の表情は、深い怒りと憎悪などが複雑に絡み立ってぐちゃぐちゃになったような表情で、そんな鏡夜の顔を見るのは初めてだった。
それほどまでに鏡夜は自分の中で渦巻き暴れる感情を制御できないでいた。
当然だ。守ると誓ったものを悉く守れない自分に、大事なものを理不尽に奪い去っていく世界に、何も覚えないはずがない。怒りを覚えずにいられない。
だから、鏡夜は立ち上がる。
立ち上がらないわけにはいかない。
本当に大事なものを奪われないために。
吹き荒れる風をその身に纏い、鏡夜は輝夜と向き合った。
そして、鏡夜の覚悟を感じ取った輝夜は霊装を構え直す。
「──名前を。名前を聞いてもいいかな?」
「生憎と、若き英雄様に名乗る名前なんてねえよ。だから、せめて俺の顔でも覚えておいてくれ」
「……ああ。覚えておこう」
そのやり取りを最後に、二人は言葉を交わすことはなく、ただ拳と刃を交わし始めた。
◇
花梨の元にたどり着いた璃空。
そこまでの道のりは何故かとても長く遠い道のりだったような気がした。
横たわる花梨の霊力は見違えるほどに変化しており、髪の色は白と黒が混ざっていた。
花梨の心臓には未だに炎剣が突き刺さっており、そこから花梨の身体が徐々に、徐々に燃やされていた。
彼女の身体はどうにか傷を再生しようとしているようだが、身体が燃える速度に再生速度が追い付いていなかった。
治癒能力者が再生できない傷を誰が治せるのか。
もはやどうしようもない花梨の姿を、自分の目でしっかりと捉えてしまった璃空はその場に崩れ落ちる。
「か、りん……」
零れるように口から出た呟きで、花梨は閉じていた目をゆっくりと開いた。
焦点が合わずぼやけていた視界がどうにか璃空にピントを合わせていく。
「り、く……」
ようやく目に映った璃空の姿に安心した花梨は優しく微笑んだ。
弱々しく璃空の傷だらけの身体に触れた。
「もう……また、無茶したの……?」
「──ああ。俺は、お前がいないと、無茶ばっかりするみたいだ……」
「はあ……これからは、無茶ばっかりしちゃダメだからね……? もう、私はそばにいられないんだから」
「心配すんな……俺だって、もう、子供じゃないんだ……」
そう言いながら、璃空は子供のように涙を流していた。
「泣かないでよ」と言いながら、花梨の目からも涙が零れ落ちていた。
「璃空……ごめんね。本当は、ずっとそばにいたかった。今までも、これからも……!!」
ボロボロと崩れ始める花梨の身体。
彼女は涙を流しながら胸の内に秘めていた想いを吐き出した。
ずっと璃空の隣にいた、たった一人の幼馴染は、初めてどこにでもいる普通の少女として璃空の前で笑顔を浮かべた。
「璃空。ずっと大好きだよ」
「っ!! 花梨……!!」
花梨の告白に璃空は彼女を抱きしめようとする。
だが、璃空が花梨に触れる前に、彼女の身体は灰になって空に舞っていった。
その時、璃空は自分の耳に聞こえていたひび割れる音が一体何なのか理解した。
これは自分の心が壊れる音だ。
悠斗を手にかけたことで壊れる寸前だった璃空の心は、花梨の死で限界を迎える。
ガシャンという音と共に、璃空の心はもろく壊れ崩れ去った。