無意味で無駄な悪あがき
「──」
炎犬を追いかけて来た沙織は、血だまりの中に倒れる花梨を見て何も言えなかった。
世界を守る立場である責任と、親友としての罪悪感の間で板挟みになっていた。
自分が花梨を殺すと決意したところで、どうしても心が揺らぐ瞬間が生まれてしまう。
その葛藤が、沙織の追跡を一瞬遅らせ、どうにか放ったのが炎犬であり、彼女の心中を見抜いていた輝夜が先んじて花梨にとどめを刺したのだ。
そもそも本来は沙織一人でこの任務は終わらせるつもりだった。
そんな自分のことを心配して、こちらに来てくれた輝夜の優しさが心に突き刺さる。
「沙織……」
「──大丈夫。何も言わないで」
沙織を気遣って何か言葉をかけようとする輝夜を制して、彼女はただ雨の中に立ち尽くした。
花梨の死に何も出来なった。
救うことも、殺すことも出来なかった。
そんな自分は本当に花梨にとっての親友なのか。
「え……?」
呆然とそんなことを考えていると、沙織は不思議な現象を視界に捉えて、一歩後ずさった。
輝夜も同様に一歩下がって様子を見ていた。
二人の視線の先。
心臓を貫かれ、血だまりの中に横たわっている花梨の髪の色が白く変色していく。
それと同時に、彼女の身体に開いた穴がどんどん塞がっていく。
「一体何が……。っ! もしかして──」
「うん。多分、沙織の想像通りだと思う」
元々、花梨の能力は治癒能力だった。
それが天霊になって進化したと考えると、彼女の現在の能力は治癒の極致、蘇生の能力も有しているのではないかと二人は推測し、最大限に警戒した。
このまま蘇生が失敗に終わり、戦いが続かないことを沙織は願った。
しかし、そんな願いが届くことはなく、傷が完全に塞がった花梨は立ち上がった。
眩しい光が、閉ざしていた視界をこじ開け、花梨は暗闇の底から引き戻された。
まるで長い間、水の中に引きずり込まれていたかのように、花梨は酸素を求めて荒く呼吸を繰り返した。
呼吸もそうだが、身体中がいつも以上に重く、霊力が欠片も残っていなかった。
霊子を異常に吸収してしまう花梨にとって霊力が枯渇している状態は初めての経験だった。
花梨はゼロになった霊力を回復させながら、彼女は貫かれたはずの胸に手を当てる。
致命傷を負ったのが嘘だと言わんばかりにどこにも傷が見当たらないが、破れた服や服についた夥しい量の血がそれが事実だと告げていた。
そうだとすれば、この傷を治したのは自分だということになるが、花梨の能力は致命傷を完全に、しかも自動で治してくれるようなものではなかった。
天霊へと覚醒してしまったせいで、自身の能力も変化している、ということなのか。
だが、どれだけ進化しようと治癒能力である以上、自分が傷を負わなければ能力は発動しない。
発動しなければ能力が具体的にどれだけ変化したのかは把握できない。
加えて、致命傷も回復できるようになったとはいえ、回復直後は霊力が無くなってしまう。
そこに同じような致命傷を受ければ、さすがに回復出来ないかもしれない。
死への恐怖が花梨の足をすくませる。
自分の能力を完全に把握されてしまえば、沙織たちは今度こそ確実に花梨を殺すだろう。
「……花梨。お願いだから、大人しく私に殺されて」
「──ごめんね、沙織。親友の頼みでも聞けないや」
それでも、花梨は生き残るために圧倒的に格上の二人を睨みつけた。
彼女を突き動かすのは、親友と幼馴染への想い。
沙織が自分を殺してしまったという罪悪感を背負わなくて済むように。
璃空がこれ以上大事な人を失う辛さを味わわなくて済むように。
人ではなくなってしまった少女は、それでもなお一人の人間として立ち上がった。
◇
身体が切り刻まれる。
何度も何度も切り刻まれる。
その度に傷口から血が溢れ出し、その度に傷口がすぐに塞がるのを繰り返す。
傷口が治ると、今度は炎に身体を焼かれ、身体中がズタズタに焼けていく。
焼けて治って、斬られて治って、死んで治っての繰り返し。
何度も何度も繰り返すことで、精神が擦り切れ、頭がおかしくなりそうだった。
今の私は一体何なんだ。
傷を負ってもすぐに再生し、死んでも即座に蘇る。
これではただの化け物ではないか。
何度目かの蘇生を終えた花梨は、虚ろな目でそんなことを考えていた。
いくら再生できる、蘇生できるとはいえ、痛みや死を乗り越えれば乗り越えるほど、人から離れていくような感覚に陥ってしまう。
「あっ……!」
そのせいで、蘇生直後を狙った輝夜の攻撃を完全に回避することが出来なかった。
腕から血が流れ出し、その傷はすぐに回復しなかった。
それにより花梨と相対する二人は、完全に花梨の天霊としての能力を確信した。
負った傷は即時回復、致命傷でも回復し、たとえ死んだとしても蘇生する。
しかし、蘇生には多くの霊力を使用してしまい、蘇生直後の花梨は、霊力が枯渇した状態である。
これは花梨の異常な霊子吸収体質をもってしても、すぐには回復できない。
つまり、蘇生直後に致命傷を受けてしまえば、花梨は死んでしまうのだ。
「(多分、今ので完全に私の能力についてバレた……。もう次はない……!)」
花梨は自身の能力について早々に気が付いていた。
故に、能力の弱点がバレる前にこの場を離脱したかったのだが、どうやっても二人の連携を崩すことが出来なかった。
「え?」
どうにかしなければと焦る花梨。
そんな彼女の耳に、何かが急接近してくる音が聞こえてきた。
直後、凄まじい突風と共に、花梨の前に見覚えのある少年が姿を現した。
「鏡夜君!?」
「どうにか、間に合った……のか?」
鏡夜は視界に広がる惨状に、自分が間に合ったのかどうか疑問になる。
足元の血だまりに加えて、霊力も髪の色も変わり、服はあちこちが破けているが、どこにも傷は見当たらない。
その様子に、一応は間に合ったと判断して安堵の表情を浮かべる。
花梨も驚きはしたが、何よりも助けが来てくれたことへの嬉しさが勝っていた。
「鏡夜……どうしてあんたがここにいるの……」
だから、この場で驚き、困惑したのは沙織だった。
Orpheusが天霊を狩る際には、事前に警報が発令され、区域内の住民は避難させられる。
ここに来るのは余程その人が大事で自分の命を顧みないバカか、もしくは──。
「……言う必要あるか? Orpheus第零部隊、篠宮沙織」
答えを口にする代わりに、鏡夜は風の刃を沙織に向けて飛ばす、
地面を切り裂く刃は、沙織のすぐ真横を通り過ぎる。
鏡夜が璃空に言わなかったゾディアックの本来の目的のうちの一つ。
それは天霊や天霊になりかけている人間を保護することだった。
今の鏡夜は、ゾディアックの目的を果たすため、友達を守るために、もう一人の友の前に立ちはだかった。
「──そう。そういうことなのね」
何度死んでも立ち上がる花梨の姿と目の前に立つ鏡夜の姿が、沙織に改めて覚悟を決めさせた。
今から自分は二人の友を殺さなければいけないかもしれない。
それでも、もう迷わない。そうでなければ、命懸けで戦う二人の覚悟に泥を塗ることになる。
沙織は動揺も困惑も何もかもを押し殺して、殺意の視線を向けると同時に炎を纏った。
「話は終わったみたいだね」
沙織が戦闘態勢に入ったのを見守っていた輝夜は、Orpheusの標準武装である霊装を構えた。
「花梨。どうにか逃げる隙を作るから、隙が出来たら急いで逃げてくれ」
「わ、分かった」
本当なら、すぐに花梨を逃がして自分も逃げるのが正しい判断なのだろう。
しかし、いつも自分たちの支援をしてくれる和希とは連絡が取れず、この状況で花梨を逃がしても、花梨を殺すことになるだけだった。
今の鏡夜が取れる選択肢は、花梨が逃げられる一瞬の隙を作ることだけだった。
花梨の返事を聞いた鏡夜は、彼女を抱えた。
挟み撃ちにされた状態で、花梨を守りながら戦うのはリスクが高すぎる。
そう判断し、攻撃を仕掛けてきた沙織の後ろに飛び上がり、着地しようとする。
だが、そんな当たり前の行動は簡単に読まれてしまう。
鏡夜が着地する前に、着地地点に回り込んでいた輝夜は、霊装を弓に変え、無数の炎の矢を放った。
「くそっ!」
迫りくる無数の矢の軌道を変えるために、鏡夜は花梨を庇いながら、嵐を巻き起こして、どうにか二人から離れた場所に転がり落ちた。
「だ、大丈夫、鏡夜君!?」
「ああ。大丈夫だ」
そう答える鏡夜は、あちこちにやけどを負っていた。
いくら炎の矢の軌道を逸らしたとしても、矢が放つ熱を逸らすことは出来なかった。
それほどまでに、輝夜が放った矢の纏っていた炎は高温であり、沙織の扱う炎とは別種のものだと感じた。
「考えてる暇があるの?」
「っ! 今のところな!!」
一瞬の思考。だが、目の前の敵はそんな一瞬の隙を逃しはしない。
距離を詰めた沙織が鏡夜に斬りかかるが、どうにか風を爪のように纏った鏡夜は沙織の斬撃をギリギリで防ぐ。
「わ、私だって……!」
「動くな、花梨!!」
「え? っ!? ぁああぁぁ!!」
守られてばかりではいられないと、花梨も加勢しようと立ち上がる。
しかし、それを待っていたかのように背後で弓を構えていた輝夜によって、花梨の方が大きく抉られる。
「花梨っ!!」
「だ! 大丈夫、だから!!」
それにより注意が逸れそうになる鏡夜を制して、花梨はすぐに傷を治して平気そうな顔をする。
その姿を見て少しだけ安心した鏡夜は、再び沙織と相対するが、その胸中は穏やかではなかった。
沙織の実力は知っていたが、彼女と本気で戦ったことはなかったため、本気で戦ったときにどちらが強いかは道だった。
一つだけはっきりしているのは、お互いに一瞬でも気を抜けば、命取りになってしまうということだった。
しかし、鏡夜は自分の後ろにいる花梨や、沙織の後ろで常に自分の隙を伺い、さらには花梨を狙っている輝夜にも最大限の注意を払わなければいけない。
結局、鏡夜は無意識のうちに3人の行動に常に気を配りながら戦闘を行っていた。
そんな極限の集中状態で戦っている鏡夜の集中を乱すことは一人では難しいだろう。
だが、沙織にはそれが出来る心強い味方がいた。
沙織はほんの少しだけ、攻撃を緩め、半歩だけ距離を置いた。
それに合わせて、輝夜も花梨に霊装を向ける。
たったそれだけの動き。
だが、それだけの動きが鏡夜の隙を生み出した。
沙織が半歩下がったことで、鏡夜の視界には輝夜の動きが映ってしまった。
「か──」
「そこよ」
花梨の方に意識が行ってしまった鏡夜に炎剣を振りかざす。
間一髪で気が付いた鏡夜は、片腕を犠牲に沙織の強襲を切り抜ける。
しかし、その隙をついて放たれた矢が、花梨の元に飛来する。
「ちくしょうっ!!」
矢から逃れようとする花梨の行く手を阻むように、沙織が炎の棘を壁のように絡ませて出現させる。
たった一瞬の隙で完全に追い詰められた鏡夜と花梨。
最後の一手を打とうとする二人に背を向けて、鏡夜は走り出した。
ここで花梨を守れなければ、自分が何のためにここに来たのか分からなくなるからだ。
必死で手を伸ばす鏡夜。
だが、すぐに鏡夜の顔は驚きで強張る。
「なっ……!?」
花梨に向かって飛来していた矢が方向を変えて、自分の元に向かってきたのだ。
完全な不意打ち。初めから、輝夜は鏡夜を排除するために行動していた。
花梨を打ち抜いたのも、隙あらば彼女を撃とうとしてると思わせるためのブラフでしかなった。
してやられた鏡夜が思ったときには、もはや全てが手遅れだった。
既に背後まで迫っていた輝夜は、いつの間にか持っていた刀で鏡夜を切り裂いた。
それと同時に、花梨の行く手を阻んでいた炎の壁が解け、再び鋭い棘となって花梨の身体を四方八方から貫いた。
崩れ落ちる鏡夜と地面に無造作に打ち捨てられる花梨。
沙織は地面に這いつくばる鏡夜の横を通り過ぎて、傷が治り、命が蘇り始めている花梨のすぐそばに立った。
花梨が抵抗できないように、沙織は馬乗りになって、身動きを封じる。
そして、沙織が霊装に炎を纏わせた頃に、花梨が目を開ける。
荒く息を吐きながら、虚ろ目で沙織を見上げながら口を開く。
「……沙織」
「……」
ついさっきまで命懸けで戦ってたはずなのに、目の前で悲しそうな顔をしている親友を見た瞬間、不思議と花梨は微笑んでいた。
「私、あなたと親友になれてよかった。あなたが親友でよかった。だから、いいよ?」
「──私も。あの日、花梨と親友になれてよかった。……さようなら」
花梨はまだ心のどこかで迷っている沙織の背中を押した。
迷っても立ち止まっても、最後は自分の信じた道を突き進む。
それが花梨の知っている沙織だったから。
花梨の想いに答えるため、自分が選んだことを後悔しないために。
「や、やめろおおおおおおおおお!!!」
誰かの悲痛な叫び声を聞きながら、沙織は燃える剣を、花梨の心臓に突き立てた。