零と天霊
人間は大気中に存在する霊子を取り込むことで、霊力へと変換し、異能を発動させる。
これは霊子の持つ情報と人間の身体自体が、その不可に耐えるために身体構造を進化させたことによって得たものである。
では、人間がさらに過剰に霊子を取り込み続ければどうなるだろうか。
膨大な量の情報に適応するために、人間はさらに進化を続けていく。
何度も何度も進化を繰り返すことで、過剰な霊子吸収に耐えうる身体になり、通常の異能者を遥かに超える異能を行使することが出来るようになる。
しかし、それは人でも異能者でもない。
人々はそんな超常の存在を『天霊』と呼んだ。
そして、そのような人とはかけ離れた存在は忌み嫌われ、恐れられるものである。
◇
オレンジ色の光に照らされた道。
そこに、花梨は一人で立ち尽くしていた。
「ここ、は?」
ここがどこでどういう状況なのかは全く分からないが、非常に長い間ここに立ち尽くしていた気がする。
キョロキョロと辺りを見渡し、少しだけ足を進めると、花梨の目の前に一つの影が落ちる。
黒い影は形を変え、いつの間にか一人の男が立っていた。
「あ──」
それを見た瞬間、自分が目の前の男に心臓を貫かれて、意識を失ったことを思い出した。
あの後、自分はどうなったのか分からないが、とにかくこの場から逃げなければいけないと走り出す。
しかし、その影は花梨の行く手を阻むように唐突に現れ、またしても花梨の心臓を貫いた。
「──っ!!」
その衝撃で、花梨は目を覚ました。
目に映る天井はいつも通り、自室の天井だった。
時刻は昼過ぎ。
自分の身体を見ると、息は荒く乱れ、冷や汗で部屋着は湿っていた。
そして、心臓を貫かれたなんて嘘のように、どこにも傷はなかった。
「そっか……私、あの後、目が覚めて──」
璃空の家を訪れたあの日、流転哭井という男に心臓を貫かれたはずの花梨は、すぐに目を覚ました。
辺りはすっかり暗くなっており、恐怖に震えながらも花梨は急いで家に帰った。
その日はこれといった変化もなく夜が明け、それから丸一日が経過した。
「んー……はあ……」
気の抜けた声を出しながら、大きく伸びをして、カーテンを開ける。
外は重く暗い雲が太陽を覆い隠しており、少しだけ気分が重くなってしまう。
そんな気持ちに引っ張られたせいか、心なしか身体も重くなっている気がした。
しかし、それが気のせいではないことは花梨には分かっていた。
彼女は元々霊子を人より多く吸収しやすい体質だった。
その体質によって困ったことは一度もなかったのだが、昨日の夜から明らかに今までに感じたことのない量の霊力を自分の身体から感じていた。
あまりに異常な量の霊力に適応するために、身体が必死に働いているせいではないかと花梨は考えていた。
動くのは少し億劫だが、今日は友人たちと約束があった。
「まあ、大丈夫かな」
本当は家で寝ていた方が良いのかもしれないが、そこまで深刻に考えていなかった花梨はゆっくりと準備をして家を出た。
「あれ?」
「……おはよう」
家を出た花梨は驚いて目を見開いた。
そこには約束をしていた友達の一人である篠宮沙織が立っていた。
「もしかして、迎えに来てくれたの?」
「……うん」
体調の優れない花梨は沙織の顔を見て安心していた。
だが、嬉しそうな表情をする花梨とは対照的に、何故か沙織は辛そうな表情をしていた。
それに、着ている服も遊びに行くような服装ではなかった。
花梨もそのことに気が付いて、表情を変えた。
明らかにただ事ではない雰囲気。
つい先日の流転哭井の件もあった花梨は、警戒心を高めた。
「沙織。何かあった?」
「……」
「その質問には、僕が答えます」
「っ!? な、んで……」
「え?」
花梨の問いかけには答えず、沙織は俯いたまま黙ってしまった。
そんな沙織に変わって別の誰かの声が聞こえ、沙織は驚いたようにその声が聞こえた方向に顔を向けた。
花梨もその視線を追いかけるようにそちらに顔を向ける。
そこにいたのは沙織と同じく、Orpheusの隊服に身を包んだ爽やかな青年だった。
「初めまして、唯月花梨さん。少しお話をいいですか?」
物腰軟らかそうな言動。
しかし、そんな青年から感じられるのは、誰もを圧倒する凄まじい霊力だった。
そのあまりに異様な存在感に花梨はただ頷くことしか出来なかった。
◇
前日の深夜。Orpheus本部。
緊急招集を受けた篠宮沙織は長い廊下を無言で歩いていた。
自分で選んだ道ではあるが、休日のこんな時間に呼び出されるのはほんの少しだけ面倒だと思う。
そんなことを考えながら、すれ違う隊員たちに軽く会釈をしながら、ミーティングルームに向かう。
「おはようございます」
ミーティングルームに入ると、既に沙織以外のメンバーが揃っていた。
沙織の声に反応して、部屋にいたメンバーも挨拶を返す。
「あ。おはようです、沙織さん」
「おーっす、沙織ちん」
「おはよう、沙織」
その声を聴きながら、沙織は自分より一つ年下の少女の隣に座った。
少女は、沙織のぼさぼさの髪の毛を整え始めた。
「もしかして、寝てました?」
「うん。だって、もう夜だよ?」
「確かに」
そんな二人の様子を見ながら、軽薄そうな少年は相変わらず仲がいいな、などとぼやいていた。
それに隣の少年も頷き、しばしの間、平穏な時間が流れた。
「おう。馬鹿正直に揃ってるな、第零部隊諸君」
しかし、そんな時間もすぐに終わりを告げる。
遅れてミーティングルームに入ってきた男は、誰一人欠けずに揃っていることを笑いながら、席についた。
彼の名は明星白夜。Orpheus上層部の一人で、全部隊を統括・指揮している男だ。
「早速、本題に入ろうか」
白夜は雰囲気を切り替え、自分の後ろに設置されているモニターの電源を入れるのと同時に電気を消した。
暗闇の中に、青い窓だけが浮かび上がっていた。
「まずは、東京都蓮天市内に現れた人食い鬼だが、引き続き第四部隊に調査を担当させる。多少のトラブルはあったが、人食い鬼に関してはあいつらが適任だ」
「まあ、そうっすよね。ってか、奏城さんに喧嘩売ったっていう沙織ちんの友達はどうなったんすか?」
「目下捜索中だそうだ」
人食い鬼の話題は必然的に、沙織にも矛先が向いてしまう。
しかし、沙織も璃空がどうなったのかは知らない。
知っていそうな人物たちは軒並み知らないか連絡がつかないのだ。
そもそも本人にも連絡がつかない時点で、友人レベルで得られる情報なんてろくにないだろう。
この場にいる全員がそんなことは分かっているが、それがたとえ情報源は一つでも多い方が良いのだ。
「それで。本題はこの話ではないですよね? あの緊急招集は、僕らだけに対する招集コードだ」
「そう焦るんじゃねえよ、輝夜。話には前置きってのがあるんだよ」
輝夜と呼ばれた少年の言葉を制して、白夜はモニターに一つの地図を出力した。
それは先ほども話題に上がった、沙織が住む蓮天市の地図だった。
「先ほど、蓮天市内で新たな天霊の出現を確認した」
白夜の言葉と同時に、蓮天市の地図上に白い光が点滅する。
人を超えた存在である天霊。圧倒的な霊力を持つ彼らは、存在するだけで地球上の霊子バランスを崩し、世界の秩序を乱してしまう。
それだけでも十分危険な存在なのだが、天霊は自身が取り込んだ霊子の膨大な情報量に適応しきれずに暴走し、全てを破壊する大災害と化すものも少なくはない。
実際に、天霊が暴走したことで何万人もの犠牲が出た最悪の事件があった。
その事件を解決した男が、明星白夜であり、彼が英雄と呼ばれるようになった出来事である。
それ以外にも天霊の暴走によって起こされた事件は数多く存在する。
人々は次第に天霊を恐れ、忌み嫌うようになっていくが、並大抵の異能者では天霊を止めることは不可能だった。
そこで、Orpheusは天霊を殺すためだけの部隊を立ち上げることにした。
それこそがOrpheus第零部隊。Orpheus最強の存在である。
彼らは天霊の処理に加えて、いくつかの特殊な任務を請け負っている。
だから、この緊急招集もこれから下される命令もいつも通りのはずだった。
しかし、沙織は何故か嫌な予感がした。
白く点滅している光。
それが指し示す場所を沙織は知っていた。
「明星さん。…‥その天霊は、一体、誰ですか?」
「──唯月花梨。お前と同じ、蓮天北高校の一年生だ」
モニターに表示されたのは間違いなく沙織の知っている花梨の写真とデータだった。
その事実に、沙織は動揺を隠せず立ち上がってしまった。
「沙織さん……?」
「嘘、だ……」
「お前の交友関係は把握しているし、お前にとってもつらい話なのは分かっている。だが、全て事実だ」
現実を受け止めきれずにいる沙織に対して、白夜は冷たく現実を突きつけた。
沙織はその言葉を聞いて、崩れ落ちるように座った。
Orpheusに所属している以上、いつかこんな日が来るかもしれないと言うことは分かっていた。
しかし、実際にそんなことになると、人はこんなにも揺らいでしまうものなのか。
常に感情を抑える訓練をしているとは思えないほど、今の沙織からは様々な感情があふれ出していた。
本当なら、彼女だけは見逃してほしいと今すぐに叫びたかった。
だが、それは許されることではない。
今まで自分が殺してきた天霊にも大事な人がいて、彼らもきっと自分と同じことを思っていたはずだ。
やめてくれと訴えかける視線から目を逸らし、悲痛な叫びに耳を塞ぎ、同情する心を押し殺して、天霊の命を奪ってきた。
そんな沙織に、花梨を見逃してくれという資格はなかった。
彼女に与えられた選択肢は、「任務に参加しない」か「自分の手で花梨を殺す」かの二択だった。
「──私が、花梨を殺します」
だから、沙織は選んだ。
自らの手で、親友を殺すことを。
◇
「私が天霊に……? 沙織が、私を殺す……?」
話を聞き終えた花梨は訳が分からなかった。
自分はいつの間にか人ではなくなっており、そんな自分を沙織と輝夜は殺しに来たと言った。
全くもって理解は出来なかった。
だが、顔を上げた沙織の目が、全て事実だと物語っていた。
「──っ!」
ここにいては自分が死ぬと理解した瞬間、花梨は咄嗟に二人を突き飛ばして走り出した。
眼前に迫った死から逃れるために全速力で駆けだした。
「誰か……誰かっ……! 助けて……!!」
花梨の必死な叫びをかき消すように、雷鳴が鳴り響き、どす黒い雲が雨粒を運んできた。
それは花梨に逃げ場などないと無慈悲に告げているようだった。
足をもつれさせる絶望を振り払うように、土砂降りの雨の中、花梨は叫び、走り続けた。