壊れていく八雲
「はあ、はあ」
八雲は他の学生が何ごとかと振り返るのも構わず、ものすごい勢いで何かを探すように大学中を走り回った。
「いた!」
八雲は、抗議堂に入り、中段右端の席に座り、取り巻き連中と談笑している純を見つけると、そこに向かって、ものすごい勢いで走り寄った。
「エメラルダス。お前は何を考えてるんだ」
八雲は、純たちの近くまで行くと、純に向かって突然叫んだ。純とその取り巻きが驚いて、一斉に八雲を振り返って見る。
「エメラルダス、お前は何を企んでるんだ」
八雲はさらに叫んだ。全員きょとんとして、八雲を見つめる。何を言っているのか、全員訳が分からない。
「エメラルダス、なんとか言え」
しかし、そんな視線などまったく無視して、八雲は純に向かってなおも叫ぶ。八雲の目はどこか尋常ではない狂気を帯びていた。純はそんな八雲の剣幕に怯え、身を縮めた。それを見た周囲の取り巻きの男たちの表情が変わった。
「お前何なんだよ」
その中の少しガタイのいい男が、純を守るように八雲の前に立った。
「エメラルダス、なんとか言え」
しかし、八雲はその男を無視して、純に向かってなおも叫ぶ。
「エメラルダス?お前何言ってんだ。頭おかしいんじゃねぇのか」
男が八雲に怒りを露わにする。そして、体を近づけ、その顔をガンを飛ばすように八雲の顔に近づける。
「お前は何を企んでいるんだ」
しかし、八雲は男を押しのけると、純をものすごい形相で睨みつけたまま尚も迫ろうとする。
「お前いい加減にしろよ」
男は八雲に押しのけられたことに怒り、純から八雲を遮るように再び八雲の前に立つと八雲の胸を押した。その他の取り巻きの男たちも八雲を囲むように近づく。
「お前には関係ない」
しかし、八雲は引くどころがさらに興奮して、その男の胸を男が押した力以上の力で押し返し、さらに純に迫った。その八雲の勢いに純は怯えた表情で身を後ろへ引いた。
「エメラルダス。なんとか言え」
八雲はそんな純に尚も執拗に叫び続ける。
「テメェ」
押された男が本気で怒り、ついに八雲の胸倉を掴んだ。
「ほんとお前いい加減にしろよ」
その他の取り巻き連中も、さらに八雲に詰め寄った。
「お前頭おかしいんじゃねぇのか」
八雲の胸ぐらを掴んだ男が眉を吊り上げる。
「どけよ、お前たちには関係ない」
八雲が叫ぶ。
「なんなんだよお前はよ」
「純さんが怯えてんだろ」
男たちの怒りは爆発寸前まで高まる。その場は一触即発の空気に包まれた。
「どけよ、俺はエメラルダスに話があるんだ」
「何がエメラルダスだ。さっきから訳の分かんねぇこと言ってんじゃねぇ」
男たちはいきり立つ。
「てめぇ、いい加減にしろ」
そして、ついに八雲の胸ぐらを掴んでいたガタイのいい男が、八雲に殴りかかった。その拳が八雲の顔面に向かって飛んで行く。
「まあまあ、まあまあ」
その時、八雲が殴られる寸でのところで、そこに、割って入る男がいた。
「落ち着きましょう。みなさん落ち着きましょう。こいつはちょっと、最近おかしいんですよ」
泰造だった。たまたま純たちと同じ講義だった泰造が騒ぎを聞きつけ間に入ってきた。八雲の胸ぐらを掴んでいたガタイのいい男よりもガタイのいい泰造に、取り巻きの男たちは一瞬怯む。
「エメラルダス、お前は何を考えてるんだ」
しかし、異常に興奮した八雲は、泰造をも目に入らないかのように無視して純に向かって叫び続ける。
「お前が何を考えてんだよ」
泰造が八雲の目の前に立って八雲に向かってたしなめるように言う。
「すみません。こいつ最近ノイローゼ気味で」
泰造が笑顔で、純といきり立つその取り巻き連中に愛嬌よく頭を下げる。
「お前はエメラルダスだろ」
しかし、なおも周囲の見えていない八雲は、純に向かって叫び続ける。すでにそんな騒ぎの周囲には他の学生の人垣ができていた。
「お前は何を企んでるんだ」
「すいません。最近こいつほんとおかしくて」
泰造が何とかこの場を収めようと、八雲を抑えながら愛想を振りまく。
「なんなんだよ。こいつ。純さんが怯えているじゃないか」
取り巻きの男が泰造に訴えるように言う。純は、男たちの後ろで、怯えた表情で状況を見守っていた。
「すみません。すみません」
泰造がぺこぺこと愛想よく謝り、何とか収めようとする。
「エメラルダスなんとか言え」
しかし、泰造のそんな努力もまったく目に入らず、尚もしつこく八雲は一人興奮したまま、純に迫る。
「いい加減にしろ」
ついに泰造も堪り兼ねて、力任せに八雲をその場から引き離し、後ろに投げ飛ばした。
「・・・」
吹っ飛ばされた八雲は、そこで初めて我に返ったように呆然と自分を見つめる人間たちを見上げ、ゆっくりと自分を確かめるみたいに見回した。
「お、俺は・・」
「お前何やってんだよ」
泰造がそんな八雲の前に立ち、見下ろし怒鳴った。
「・・・」
八雲はそんな泰造を呆けたみたいに見上げた。
「お前、本気でおかしいぞ。どうしちまったんだよ。いったい」
泰造が今度は嘆くように言った。
「・・・」
八雲の目の前はグラグラと揺れていた。
「俺は・・」
抗議堂にいた大勢の学生全員がそんな八雲を冷たく見下ろしていた。
「八雲」
騒ぎを聞きつけ、やって来た茜が心配そうに八雲の傍で声を掛ける。
「俺は・・」
しかし、茜の声も届かず、八雲は一人呆然としていた。壊れていく自分という現実が、八雲の目の前を覆っていた。自分が消失していくような不安と恐怖が八雲を襲っていた。
「俺は・・」
八雲は、もう自分で自分が分からなくなっていた。




