4話 発端
ベッドが1つあるだけの、狭い室内に、10人ばかりの子供がつめられていた。年のころは10歳前後といったところだろうか。服装はバラバラだが、中にはボロ切れを身にまとい、とても服とは言えない状態のものもいる。
ガラン。
外側にあるカンヌキが引き抜かれる。子供達の中でもとりたてて幼い者たちは、びくりと身を震わせた。大男が中に入ってきて、まるで家畜のように無表情に子供を数えていく。
「病気の子がいるんだ」
男の前に、気の強そうな少年が歩み出た。
男は胡乱げな視線を落とした。
「薬とまでは言わない。せめて十分な食事を――ぶっ」
言葉を言い終わる前に、男の拳により、少年は吹き飛ばされた。
地面にうずくまり、顔を抑えている。
「ああ、早いとこ売らなきゃな。
死体に興味があるお得意様も居るからな」
少年は顔をあげて、男の顔をにらんだ。男はその視線を意に介さず、背を向ける。そして扉をしめて、重いカンヌキをかけた。
誰か。
少年の祈りは誰にも届かない。
助けて。
○
「誘拐が多発している?」
その話題が上がったのは、クリムがいつもの仕事を終えて、夕食を食べている時だった。
クリムの夕食は他のものよりも遅い。患者がひっきりなしにくるためだ。
本来なら聖書を勉強する時間になっているのだが、こっそりとニーナは抜け出してきて、クリムに給仕をしていた。
「はい」
ニーナは出来立てのパイをクリムの食卓に並べると、「私が焼いたものですので、よろしければ」と笑みを浮かべる。
「……、世界は平和になってないのかな」
「魔物がいなくなって、物騒になったという話も耳にします」
それは皮肉な話だった。
魔物がいた頃は、夜に出歩くと魔物に襲われる危険があったため、出歩くものは少なかった。しかし魔物が居なくなった現在では、強盗やゴロツキの類が増えたというのだ。魔物が必要悪だったとは思いたくないが。
「ここは首都から離れてますし、王都の警備兵もなかなか来ませんしね」
「ふうん、見捨てておけない問題だね」
クリムは最後のスープに口をつけながら応えた。
クリムの目標は、魔王を倒すことではない。世界に平和をもたらすことだ。そこが魔王打倒を掲げる勇者たちと違う点でもある。
つまり、魔王が居なくなってもなお治安が乱れているのであれば、まだまだ仕事は残されている、ということだった。
クリムは食器を下げると、白い余所行きのローブを羽織った。
「……どこかにお出かけなさるつもりですか?」
「情報収集」
短く答え、自分の杖を点検する。これがなければロクな魔法も使えない。整備を怠ることはできない。
「わ、私もご一緒していいでしょうか!」
「へえ?」
意外だ、という風にクリムは顔をあげた。ニーナは顔を赤くしながら、両手をもじもじさせていた。
「えっとその、そうです、私も外に出たい気分だったっていうか……」
「リブの村まで行くつもりだから、今日はたぶん帰ってこれないよ。
むこうで一泊すると思う。それでもいいなら」
「ぜんっぜん大丈夫です!」
あまりの勢いにクリムは苦笑して、
「それなら許可を取ってきて。それから出発することにしよう」
「ぜ、ぜひ! こちらこそというか、許可もらってきますね」
ここは学び舎としての側面が大きい。いかに「聖女」として破格の待遇が与えられたニーナでも、無断外出は頂けない。ニーナは矢のように食堂から飛び出した。
○
半分欠けた月が、夜道を照らしている。
漆黒の空に、木々が更に影を落としている。
道は馬車が通れるように舗装されており、迷うことはない。
暗がりの中を、クリムの「マジックライト」がおぼろげに照らしている。
わざわざ夜道を選んだのにも理由はあった。
本当に魔物が出ないのか、の確認。
そして犯罪者が現れるかどうかの下調べでもある。
クリムとニーナは、冒険者というよりは白いローブを羽織った、魔術師の出で立ちである。二人連れであるとはいえ、標的にされやすい格好ではある。
クリムは自分のまえを、ニーナに歩かせていた。
いざというとき対処しやすいように、だ。
「つ、月が綺麗ですね!」
フードから顔をのぞかせ、ニーナがクリムを見上げた。
「半月だと魔力が落ちる魔物も居る。だいたい魔物っていうのは夜の生き物だからね」
「クリムさまは物知りなんですね」
「物知りっていうか……必要に迫られて覚えただけだよ」
明るいうちに寝床にたどりつけないことなど、往々にしてある旅をしてきたのである。アランたちと夜空を見上げながら魔物の数とか強さを話し合い、寝ずの番を決めたことも懐かしい。
がさり、と行く先の茂みから音がした。
ニーナはびくりと身を竦ませて、クリムの後ろに隠れた。
クリムは注意深く周囲の様子を探ると、足元に転がっている石を拾い上げ、茂みのほうへと放り投げた。
手のひらほどの石が茂みの中に消えると、静寂が訪れる。
人ではなかったか。
動物だっただろうか。
クリムが警戒を続けていると、
「あ、人です! 子供みたいですよ」
ニーナが駆け出していた。
茂みの中に、少年がうずくまっていた。ボロボロの衣服を身にまとった少年である。さきほどの石が足に当たったようだった。
クリムは手短に詠唱すると、ヒールの魔法を唱えた。
足にあった傷はみるみるうちに癒えていく。
「どうしてこんなところに――」
少年を抱き起こし、少年の身体に目を落としたときに、クリムは気づいた。
足首の腱をきられている。これは逃亡をふせぐためだろう。
少年が目を開き、クリムの姿を認めるやいなや、必死にその手をふりはらって逃げようとする。
「大丈夫です、僕は敵ではありませんよ。それよりあなたはどうしてここに――」
「あ、あ、あ」
少年は自分の喉を指で示した。
赤い痣が残っている。
クリムは自分の内側に暗い怒りが湧き上がるのを感じた。
「なんとむごい」
クリムは自分の杖を、少年の額にあて、優しい口調で詠唱を始めた。
ヒール、の声とともにあたり一面を覆うような光が現れ、少年を癒していく。
「あ、あー」
少年は喉、それから自分の足が快癒したことを確認しながら、飛び上がった。
「すっごいぜ、今噂の大神官さまかい! 」
「そんな大したものじゃないですよ。近くで治癒を施しているものです。
名前はクリムと言います。聞かせてもらえますか、なぜあなたがそんな状態になってるのかを――」
少年は力強い調子で、頷いた。
○
「人売りが流行っている、ってのは聞いたことあるかい。
魔物が消えて、始めみんな喜んだ。
けどそれを喜ばしく思わない奴らもいる。うちみたいな貧乏な家とかはそうだ。
口減らしに、魔物が活発化する満月の夜に子供を棄ててたんだけど、魔物がいなくなったから子供が帰ってきちまう。そこに目をつけた奴らが始めたのが、「人買い」さ。いらなくなった子供を一人いくらで――それこそ家畜同然の値段で引き取っていく」
ニーナは優しく少年を抱きしめた。かすかに震えているのが分かる。
「まあ別に俺らは恨んじゃいねーよ。そこにいたやつらも、みんな親を恨んじゃいなかった。
俺が行かなきゃ兄弟の誰かが行ってたんだろうし、運が悪かったってだけの話しさ」
「かわいそう――」
「かわいそうとかじゃないんだよ、姉ちゃん。
これが運命んだよ。しょうがない」
『人ってのはさ』
クリムの頭に、かつてのアランの言葉が蘇る。
『もっと自由に生きなきゃなんねえんだよ』
それはクリムを修道院から連れ出した時の言葉でもあり、エリッサを呪縛から解き放った言葉でもあった。
自由とは?
人と神に仕えて生きるのが当然、と教育されてきたクリムにその言葉は程遠かった。
アランは照れたように頭をかいた。
けれど、今ならアランの言葉の真意が分かる。
人は自由に生きなければならない。
運命や宿命に縛られて、自棄になってはいけない。
今度は、自分が誰かを連れ出す番なのだ。
「教えてください。あなたをこんな目に合わせた奴らを」
クリムの瞳に、強い意思が宿った。