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冬の楽園  作者: 森崎緩
後日談
21/24

聖なる夜の葛藤

後輩視点でクリスマスのお話。

 ふゆさんがこたつテーブルに突っ伏している。

 大好きなこたつの暖かさに、ケーキをたらふく堪能した後の満足感を加えたらこんな顔になるんだろうな、という至福の表情だ。毛先がくるりとカールした黒髪をテーブルの上に波打たせ、ぼんやりこの時間を楽しんでいるようだ。

 俺はそんな彼女をすぐ傍で眺めている。

 テーブルの角を挟んだすぐ横で。

 俺の部屋で二人きり、一緒にこたつに入って、ついでにお腹もいっぱいで。

 これ以上、何を望むことがあるだろう。この上なく幸せだった。


 今年のクリスマスは実に穏やかで、和やかだった。

 去年は先輩含む写真部の皆を呼んで、俺の部屋でパーティをした。でも今年は俺も写真部を引退していたから、後輩たちのパーティにちょっと顔を出した後は、ふゆさんと二人で過ごすことにした。

 大勢で騒ぐこともクラッカーを鳴らすこともない。シャンメリーの蓋を開ける時だけは大きな音がしたけど、それ以外は静かで平和なクリスマスだ。

 ケーキのいちごも、今年は取られる前に譲ってあげた。

 ふゆさんの幸せそうな顔を見ているだけで俺は満足だった。


 でも何よりも去年と違うのは、俺が馬鹿じゃないってことだ。

 去年の俺は手の施しようがないレベルの馬鹿だった。ふゆさんが泣くほど苦しんでいたのに何にも気づけなくて、部屋を飛び出していく彼女をぼんやり見送った。そして後になってから、写真に込められた彼女の想いに気づいた。

 あんな過ちはもう二度と繰り返さない。

 これからは何も見過ごさないよう、見落とさないよう、彼女のことを見ているって決めた。

 お蔭で今年はとても幸せなクリスマスになった。俺は相変わらず敬語が抜けないけど、ふゆさんのことを好きな気持ちは本物だ。そしてその気持ちは、これからもずっと変わらない。

 外は雪のちらつく夕暮れ時。

 早めに明かりをつけてカーテンを閉めると、時の流れがゆっくりし始めたみたいに感じられた。

 このまま二人で、去年の分を取り返すつもりで過ごしたいところだ。


 そこまで考えてからふと見ると、ふゆさんも何か思いを馳せる顔つきになっていた。

 俺と同じく、去年のことを考えているのかもしれない。或いは気持ちが通じ合った後の、これまでの日々を考えているのかもしれない。

 どちらにせよ幸せそうにしてくれているならいいと思う。

 俺が彼女を幸せにできるなら、できているのならそれだけでいい。


「考え事ですか」

 俺は突っ伏したふゆさんの顔を覗き込んだ。

 彼女の目がこちらに動いて、一度瞬きをする。

「うん」

 答えた彼女の口元には微かな笑みが浮かんでいる。可愛い表情だった。

「ねえ」

 ふゆさんはこたつの上に突っ伏したまま、上目遣いで俺を見た。

 長い睫毛に縁取られた大きな瞳に、蛍光灯の明かりがちらりと光る。

 眼差しにどきっとしたのも束の間、彼女が続けたのは思いもよらない一言だった。

「何か、しょっぱいものが食べたくない?」

「え? しょっぱいもの……っすか?」

 聞き返す声は間が抜けていたと我ながら思う。

 だけど、あまりにも予想だにしなかった言葉を向けられたもんだから。

「うん。甘いものを食べた後は、やっぱりしょっぱいものかなあって」

 さも当然という口振りでふゆさんは語る。

「ケーキはすごく美味しかったんだけどね。ちょっとしょっぱいものが欲しくなってきちゃったの」

「はあ……」

 確かに、あれだけ食べたら口の中が甘ったるくなるのも無理はない。


 今年は二人きりだから、小さなホールケーキを用意した。

 その五号のケーキを、ふゆさんが四分の三食べた。その上俺からいちごを貰っていた。さすがに甘いものはもう要らないって気分になるだろう。

 だけどあれだけ食べてもお腹いっぱいじゃないのか……。

 ふゆさん、小柄なのにな、一体どこに入っていくんだろう。


「じゃあ、何か買ってきましょうか」

 俺はそう持ちかけた。

 今ならまだお店も開いてるし、フライドチキンくらいは買えるかもしれない。彼女が何を食べたがっているかにもよるけど。

「何がいいんですか」

 すると彼女はちょっと思案してから、答えた。

「うーん……おでん」

 またしても予想だにしない言葉だった。

「お、おでん? クリスマスなのに?」

 そぐわないメニューだ。ムードの欠片もない。

 でもふゆさんは頬を膨らませて言い張る。

「クリスマスにおでんを食べてはいけないという決まりがあるんですか」

「ないっすよ、けど……正直、ケーキの後におでんって微妙なチョイスだなあと」

 お腹に溜まりそうなものばかりだ。

 と俺は思うのに、

「そんなことないです」

 彼女は頑としておでんを擁護する。

「大体、おでんにクリスマスらしさがないなんて決めつけないでください」

「いや、決めつけって言うか……」

「よくよく見ればおでんの具はクリスマスのオーナメントに似ていると思います」

 え? どこが?

「がんもとか、はんぺんとか、そのままツリーに飾ったって違和感ないくらいです」

「違和感ありまくりっすよ、先輩」

「そういえばこんにゃくの三角はツリーの形に似ています」

「こじつけじゃないすか」

「いいですもう、こじつけってことにして貰っても」

 がばっと身を起こしたふゆさんは、きれいな黒髪を振り上げて主張する。

「とにかく食べたいんです。ほら、口に出したらますます食べたくなりました。これはもうおでん以外の選択肢なんてあり得ません」

 どうやら俺にも選択肢はなさそうだった。


 まあこっちだって、別におでんが嫌だって訳じゃない。

 単にクリスマスケーキを食べた後、おでんを食べたがる彼女の食欲にぶっ飛んだだけだ。俺だって一個二個くらいなら付き合ったっていいと思ってる。

 ムードや形式なんて二の次でいいんだ。ふゆさんが幸せならそれで。


「わかりました」

 俺は笑いながら深く頷く。

「じゃあ、おでんを買いに行きますか。コンビニ、すぐそこにありますし」

 そう言えば喜ぶだろうと思ったふゆさんは、しかし表情を曇らせた。

 困ったような面持ちで、テーブルの上に顎を乗せる。

「うーん……」

「まだ何かあるんすか、ふゆさん」

「うん、とっても重大な悩みどころが」

 溜息をついた彼女がぼそりと続けた。

「こたつから出たくないの」

 なるほど、それは重大だ。

「外、雪降ってるでしょう」

「降ってますね」

「寒いんだろうなあ、暖かいこたつから出たくないなあ」

 冬場はことインドア派に変化してしまうふゆさんが、こたつにしがみつく。こうなったらきっと梃子でも動かない。

「なら、俺がひとっ走り行って買ってきますよ。具は何がいいですか」

「一人で行くの?」

「ええ」

 俺が頷くと、ふゆさんはきゅうっと唇を尖らせた。

「私を置いて?」

「ええ、まあ。だって寒いの嫌なんですよね」

 そんな人を無理に連れて行くわけにもいかない。どうせコンビニはすぐ近くだし、急げば十五分で行って帰ってこれるだろう。

「そうだけど、だからって」

 でも、尖ったままの唇はもそもそと言葉を紡ぐ。

「せっかくのクリスマスなのに別行動なんて、寂しいです」

 ふゆさんはまたしても上目遣いに俺を見た。

 黒い瞳がちらりと光って、どきっとする。

「さ、寂しいって言われたって……その、すぐ戻ってきますってば」

 俺は焦りつつ言い聞かせた。

 そんなこと言われるとこっちも困るんだけどな。可愛過ぎて。

「でも、どうせなら一緒がいいです」

 尚も彼女は言い募る。

「今年こそ二人きりでクリスマス、って決めてたんです。別行動なんてしたら意味なくなっちゃう。だからどうしても一緒がいいんです」

 じっと見つめられながら言われて、俺はしばらく言葉を失った。


 やっぱり、去年のことを思い出していたみたいだ。

 彼女も去年のことがあったから、今年こそはって思っていたんだろう。俺たちはまるっきり同じ気持ちだったわけだ。

 大体、こんなに可愛くお願いされて断れるはずがない。俺だってどうせなら二人一緒の方がいい。

 でもとびきり可愛いけど寒がりな彼女の為に、ひとっ走りおでんを買ってきてあげたい気持ちもある。彼女の為にはどっちがいいだろう。悩むなあ。

 全く、何て幸せな葛藤なんだ。


「ふゆさんがいいなら、一緒に行きますか、コンビニ」

 俺は蒸し暑さを感じて、ゆっくりこたつから這い出した。

 彼女はまだこたつの中にいる。ちょっと寂しげにこちらを見上げている。

「でも、寒いのは嫌なの」

「じゃあ俺が一人で行ってきますよ」

「でも、一緒がいいの」

「だったら……」

 どうしようか。

 俺が幸せな葛藤に悩まされている間に、ふゆさんは微笑んでこう言った。

「だから、たっぷり暖まってから出かけたいんだけど、いいかな」

「もちろんっすよ」

 二人きりのクリスマスだ。時間はまだまだたっぷりあるし、誰に気兼ねする必要もない。

 たっぷり暖まって、それから二人でおでんを買いに行くっていうのもいい。のんびり行く方がいかにも俺と彼女らしい感じがする。


 たっぷりこたつで暖まったふゆさんと、その後コンビニへ出かけた。

 ちらちらと雪が降る冬の夜道を、二人で並んで辿っていく。おでんを買いに。

「手を貸して」

 彼女がそう言うから、俺は片手を差し出した。

 すると彼女は俺の手を取り、自分のコートのポケットへと導く。中はぽかぽか暖かい。

「カイロを入れてきたんです」

 妙に得意げな様子がおかしくて、俺は思わず笑ってしまった。

「ふゆさんらしいっすね」

「それ、どういう意味ですか」

「いい意味っすよ、もちろん」

 らしい、っていうのはいい意味だ。俺は先輩の、彼女らしさが好きなんだから。そこはいつまでも変わらなきゃいいなと思う。

 隣で彼女が、ふうと白い息をつく。

「柊くん。そろそろ、敬語じゃなくてもいいんですよ」

 その言葉に俺が戸惑えば、ふゆさんは赤い唇で小さく笑った。

「私が敬語だと変えづらいですか?」

「ええ、まあ……俺の方が年下ですから」

「たった一つしか違わないのに?」

 ポケットの中で小さな温かい手が、俺の手をぎゅっと握り締める。

「私のは癖なんです。ずっとこうだから、こういうものだと思ってください」

「了解っす」

「でも、君は好きに話しかけてくれていいです。話しやすいように」

「なら……もうしばらく、このままで」


 敬語を使うのは距離を感じているからじゃない。

 出会った時からこうだから、思い出深くて変えにくいだけだ。


 俺の答えを聞いたふゆさんは、くすっと声を立てて笑う。

「柊くんがそれでいいなら、君の好きにしてください」

 深い意味もないはずのその言葉は、日の落ちた夜道で聞くとどきっとする。

 まして今夜はクリスマスだ。

「それと、おでんを買って戻ったら、ちゃんと暖めてくださいね。きっとおでんやこたつや、カイロくらいじゃ足りないくらい、冷えてしまうと思いますから」

 更にふゆさんが屈託なく続けたから、俺は困って雪降りしきる空を見上げた。


 どうやら幸せな葛藤はもう少し続くらしい。

 彼女のこと、どうやって暖めたらいいだろう、とか。

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