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冬の楽園  作者: 森崎緩
先輩視点
17/24

春の微睡の裏側

 目覚めると、清田くんが隣で寝ていました。

「……え」

 危うく、もっと大きな声を上げるところでした。


 だって日頃から気になっていて少なからず好意を持っている男子が、自分のすぐ隣で目をつむって寝ていたら、誰だって驚くでしょうし何事かとどぎまぎするでしょう。

 私も目覚めたての鈍い頭で考え始めます。

 見回してみればここは写真部の部室で、清田くんは机の一つに突っ伏して眠っています。ぐっすりです。そして私はその隣の席に、やはり伏せるようにして寝ていたようです。

 ふと顔を上げれば、窓の外では早くも日が暮れ始めていました。

 ぽかぽかした春の陽射しは徐々になりを潜め、静かに宵闇が迫りくる時分でした。


 しばらく混乱した後、私はようやく思い出しました。

 今日はとてもよいお天気で、五時限目の初め頃から眠たくて眠たくて仕方がなかったのでした。

 そのような状態で部室に足を運んだので、辿り着いた頃には睡魔の前に倒れ伏すところだったでしょう。部室の机に身体を預けた時、清田くんがしきりに話しかけてくれていたのはおぼろげですが記憶にあります。しかし健気な彼の声でも眠気を覚ますには至らず、そのまま寝ついてしまったようです。

 でも、不思議です。

 私を起こそうと努めてくれたはずの彼が、どうして私と一緒に眠ってしまっているのでしょうか。

 先輩は後輩の規範となるべき存在ですが、何もこんなところまで真似てくれなくてもいいのに。というより、お手本にするべき部分とすべきでない部分との判断はきちんとつけて貰いたいものです。自分を省みて、いささか気恥ずかしくなります。


 斜めに射し込む夕暮れの光が、目映く部室内を照らしています。

 思わず目を細める私に、清田くんは何の反応もしません。睫毛を伏せ、微かに前髪を揺らしながら、規則正しい寝息を立てています。まだまだ目覚める気配はないようです。

 一緒に部活動をする仲とはいえ、彼の寝顔なんて目にしたのは初めてです。

 しかもこんなに間近で。

 しかも人目をはばかることなく、じっくり観察できます。

 これはラッキーです。日が完全に落ちるまではまだ時間もありますし、もうしばらく清田くんを寝かせておいて、しげしげ眺めていようと思いました。

 彼は可愛い人です。可愛いという言葉を男の子へと向けるのは、あまりよろしくないことなのかもしれません。でも可愛いとしか言いようがないのです。後輩としては素直で人懐っこいとてもいい子で、私が清田くんを好ましく思うのも当然のことでしょう。

 でも、彼の顔立ちは可愛いというより、ごく普通に男らしい顔立ちをしています。

 こうして目を伏せていると、その男らしさがはっきりとわかって、胸がどきどきしてきます。額がきれいだったり、鼻筋が通っていたり、唇の形が好みだったりするので、やはり私にとって彼は特別な、気になる存在なのだと実感するわけです。


 清田くんは、どう思っているのでしょう。

 彼は私のことをどのように捉えてくれているのでしょうか。

 もしも彼も、私を特別だと思ってくれていたら――そんな夢を見たことも一度ならず幾度となくあるのですが、現実はとても残酷です。

 彼は極めて鈍い人です。私を特別だと思うどころか、私が彼を好ましく思っていることに全く気づいていないらしいです。彼は私のことを写真部の先輩、もしくは部長というだけにしか認識してくれていないようなのです。

 それはとても寂しくて、切ないことです。

 大体、彼が私を特別だと思ってくれていたら、こんなふうに隣でぐうぐう眠るはずがありません。

 例えばもし好きな女の子が眼前で眠っていたとしたらです。その隣に座り、何の躊躇もなく寝入ってしまえるような男の子は珍しいのではないでしょうか。

 私だってそうです。

 もしも清田くんの方が先に、この部室で寝入っていたとしたら、私の眠気も吹っ飛んでしまっていたことでしょう。

 眠いどころの話ではありません。ちょうど今のように胸がどきどきして、彼の寝顔に釘づけになっていたでしょう。

 隣から動けずに、こうしてうっとりと見つめ続けて――。


 現実を認識して、思わず溜息をついてしまいました。

 これは私の片想いです。

 でも、諦めたくはありません。

 私にはまだ一年残っています。彼とこの高校で共に過ごせる残りの一年間で、この想いをきちんと形にして、伝えられたらいいなと思っています。それはとても緊張することでしょうし、私ならきっと取り乱してしまうでしょう。想像するだけで胸がどきどきすることですが、いつか、ちゃんと。

 泣きたくなるほど鈍い彼にも伝わるように。


 次第に日が陰ってきました。

 気づけば部室は薄暗く、窓の外にはくっきりとした月の形が見えています。水銀灯も点り始めたようです。

 私は室内の明かりを点けようと立ち上がりました。

 その時不意に、隣で眠る彼の柔らかそうな頬が目に入ります。

 暗がりの中では白く、なめらかに見える頬。

 触れてみたい、と思いました。


 少しだけ、逡巡しました。

 本当なら許されないことです。清田くんが起きていたならきっぱりと拒まれていたでしょう。こんなことをしたって彼に何も伝わらないのもわかっています。

 でも結局、私は自身に様々な言い訳を重ねて――これは役得です。隣で眠ってもらえるほど、信頼されている先輩としての立場の、役得です。

 だからその頬に、そっとキスをしました。

 彼の頬は見た目の通り、とても柔らかかったです。食べてしまいたいくらい。

 それから私はふらふらと戸口へ向かい、震える指で室内灯のスイッチを入れました。


 しばらくしてから、清田くんは小さく身震いをしました。

 その後で瞼をぴくぴく何度か動かし、やがてゆっくりと目を開きます。

「あっ」

 今更覚えた後ろめたさに、私は声を上げました。

 だけど彼は、きっと寝惚けているのでしょう。瞬きを幾つか繰り返し、怪訝そうな表情を見せました。蛍光灯の明かりが眩しそうで、眉間に皺が刻まれています。

 その顔を覗き込んで、私は言いました。

「おはよう、清田くん。もう日が暮れてるけど」

「え」

 虚を突かれた顔で、彼はゆっくりと身を起こしました。

 辺りをきょろきょろ見回して、ぼんやりした声で尋ねてきます。

「俺……、もしかして、寝てました?」

 かすれた問いに、私は笑いながら頷きました。

「もしかしなくても寝てました」

「マジで……いえ、マジっすか」

 彼は目を擦りながら時計を確かめたようです。

 部室の壁時計は六時を回ったところでした。そのことに気づいてか、彼は少しショックを受けたみたいでした。

「先輩もずっと寝てたんですか?」

 私の顔をしげしげと見ながら、聞いてきます。

「うん。さっき起きたばかりです。目が覚めたら、隣でぐうぐう寝てるんだもの、びっくりしちゃった」

 正直にそう答えれば、彼はますます気まずそうな顔をしてみせました。

 寝顔を見られたのがそんなに恥ずかしかったのでしょうか。弱った表情の彼は、彼には悪いのですがやはり可愛いです。思わず笑ってしまいます。

「可愛い寝顔だったよ、清田くん」

 お姉さんぶって告げた私の言葉に、

「止めてくださいよ」

 彼はがくりと項垂れました。

「何で? 本当なのに」

「いやもう、俺の寝顔なんてとっとと忘れてください」

「やだ」

「お願いです、忘れてくださいってば」


 無理です。忘れようにも絶対に忘れられません。

 だってあんなに素敵な時間、本当に滅多にないことですから。

 でも、正直に言えば、私は眠っている彼よりも起きている時の彼の方が好きです。表情も、声を聞けるところも、反応がいちいち可愛らしいところも、です。


 弱り果てていた様子の彼もやがて吹っ切れたのか、大きく伸びをしながら言いました。

「玄関閉まる前に帰りましょうか」

「え、もう帰っちゃうの?」

 反射的に私は聞き返します。

 今日はちっとも話せていないのに、もう帰るだなんて、寂しいです。

「帰らないでどうするんすか、今から部活なんて無理すよ」

 今度は彼の方が笑いました。

 そうだけど、と私は呟いて、ちょっと不満に思うわけです。

 相変わらず鈍くて鈍くてしょうがない彼には、私の気持ちは伝わっていないようです。はっきり言葉にしなくては駄目なのでしょうか。そんなこと、とっても難しいのに。

 でも、頑張らなくてはいけません。

 今は無理でも、いつか必ず。

「編集はまた次の部活でやりましょうよ。俺、今度こそ手伝いますから」

 そういえば、今日は写真部通信の編集をする予定でした。

 でも次も手伝ってもらえるなら、今日はいっそ何もしない方がお得です。

「清田くん、次もまた来てくれるの?」

「もちろんっすよ。俺、皆勤賞狙ってますし」

「じゃあ是非! 清田くんが来てくれるなら、私も頑張る!」

 次の約束を取りつけたので、今日のところはよしとしておきます。


 寝起きだからか、清田くんの頬がほんのり赤くなっています。

 照明の光の下で見るその頬に、唇に残る柔らかさを思い出して気まずくなりました。

 いえ、気まずくなるくらいなら頑張るべきなのです。彼を振り向かせて、あんなふうに秘密を造らなくてもいいようになれば――。


 だから私は意を決し、何気なく切り出しました。

「それと、帰りにコンビニ付き合ってくれませんか?」

「構いませんけど、買い物っすか」

「うん。何だかあんまんが食べたくなったの」

「あんまん?」

 怪訝そうに聞き返してきました。

 その頬は、柔らかいだけではなく、すべすべしていてなめらかなんです。あんまんみたいにふわふわで――どうして私がそんなことを知っているのか、彼にはまだ秘密ですけど。

 いつか言えたらいいなと思います。

「そう、温かいの。ちょっと身体冷えちゃったから」

「いいすね。俺も腹減ってるし」

 清田くんが快諾してくれたので、私たちはコンビニに寄ることにしました。


 コンビニで購入したあんまんはとても熱く、猫舌の私は食べ終えるまで時間が掛かってしまいました。

 でも、今日は部活動ができなかったばかりか、彼とあまり話せなかったので、その分一緒にいられたのがうれしかったです。

 私はやはり、起きている彼の方が好きです。今度はちゃんと、起きている彼をしげしげ眺める機会があればいいな、と思います。

 あの秘密の、短いキスだけでは寂しすぎますから。

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