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冬の楽園  作者: 森崎緩
後輩視点
13/24

三度目の春の正直(2)

 春は、校庭で満開の桜を撮った。

 逆光のせいできれいに撮れなかった俺に、先輩は優しく教えてくれた。

 夏は、夜空に上がる花火を撮った。

 花火大会に行かない先輩に、音のない花火を見せてあげたかった。

 秋は、葉が落ちた街路樹を撮った。

 先輩が見せた涙のことを、どうしてか忘れられなかった。

 そして冬は――冬だけは写真がなくて、仕方なく部屋にあるこたつを撮った。

 こたつ好きな先輩が俺の部屋に来た日のことを、すごくいい思い出だと感じていたからだ。


 俺の高校入学からの二年間も、早坂先輩でいっぱいだった。


「えっ!?」

 先輩は、俺の告白にすっとんきょうな声を上げた。

 潤んだ目を大きく見開き、口もぽかんと開けたまま、しばらく黙って俺を見ていた。

「だって、俺の写真。先輩も見たでしょう?」

 俺が尋ねると、早坂先輩は考え込む顔で頷く。

「はい……見ましたけど」

「あれだって全部思い出です。俺が、先輩と過ごした大切な思い出ばかりです」

 そう告げれば、先輩は記憶を掘り起こすように目を伏せた。

 もしかしたら思い返すだけでどんな写真か思い出せるくらい、じっくり見ていてくれたのかもしれない。

 そうして思い出した後、腑に落ちた様子で頬を赤くしていた。

「あ……そういえばそうですね。ということは、えっ、つまるところその、りょ、両想いというものでしょうか……えええ、どうしましょう……」

 まるで困ったように俺の前でくるりと一回転した後、はたと我に返って俯く。

「でも写真だけだと、かなりわかりにくいかな」

「それ、先輩が言いますか」

「うん。こんなやり方で伝わるはずがなかったね」

 俺が突っ込むと、早坂先輩は恥ずかしそうに肩を揺らした。


 俺たちは写真を撮ったけど、そこに込めた想いや、その瞬間の思い出を、写真を見た人にそのまま伝えられるわけじゃない。

 残しておける思い出は、撮影した人だけの特権だ。

 今となっては俺と早坂先輩、二人だけのものだ。


 早坂先輩がおずおずと顔を上げる。

 赤い唇を震わせて、静かに切り出した。

「清田くんが好きです」

 ずっと聞きたかった言葉をくれた。

「私の傍にいてくれて、ありがとう……」

 そう言ってから造花が飾られた胸に手を当てて、ようやく微笑む。

「両想いなら、もっと早く言っておけばよかったな」

 それは俺も同じように思う。

 もっと早く言えてたら、クリスマスイブの夜も、あの秋の日だって、先輩を泣かせることはなかったのに。

 怖がっていたのは俺も同じだ。

「遅くなってすみません」

 俺が詫びると、早坂先輩はちょっと笑った後で唇を尖らせた。

「全くです。もう少し早く聞きたかったな」

「本当にすみません」

「……なんて、偉そうに言うことならできるんですけど」

 拗ねていたのは一分も続かず、先輩が溜息をつく。

「私だって、本心はちっとも言えませんでしたから。おあいこです」

「でも、俺が――」

「それ以上言うと、責任を取らせちゃいますよ!」

 尚も謝ろうとする俺を、そうやって先輩が遮る。

 責任って、前にも聞いた言葉だったな。そう思いつつ聞き返した。

「責任取るって言うと、カイロですか」

「違います!」

 先輩はきっぱり否定して、俺の方へ一歩踏み出してきた。

 まるで怒ったように眉を逆立てつつ、こちらを睨みつつ、俺の胸倉を両手で掴む。

 そうは言っても小柄な先輩だ。引き寄せられるどころかびくともせず、逆に先輩の方が引きずられるように俺の影に入ってきた。

 縋るように制服にしがみつく先輩が、いやに硬い表情で言う。

「私、君に言ってもらいたい言葉があったの」

 そういうふうに強がらないと、言えないのかもしれなかった。

「前に話したことがあったはずだけど、わかる?」

「俺に……ええと」

 すぐには思いつかなかった。

 だけどヒントはあるはずだ。今までの会話の中に、思い出の中に。

「その言葉を君が言ってくれたら、嬉しいです」

 早坂先輩の身体が、ぐらりとこちらに倒れ込んできた。

 具合でも悪くなったのかと思いきや、違った。先輩は俺の制服を掴んだまま、そっと頭を預け、寄りかかってきた。胸元が温かくなる。

 俺は黙って先輩の背中を見下ろしている。

 ふと思い立って手を回してみたら、拒まれなかった。だからそっと両手で触れた。包むように抱き締める。

「前よりずっとずっと大好きになるから――言ってみて、ください」

 顔を伏せた先輩が、俺に言う。


 先輩の言って欲しい言葉って、何だろう。

 たくさんあるようなのにわからない。先輩との思い出はたくさんあるのに、その中からそれらしいものを見つけ出せない。思い当たる事柄は浮かんでこない。

 俺が責任を持って言わなくちゃいけない言葉。

 多分『好きです』でも『ごめんなさい』でもない、先輩が心の底から欲しがっている言葉なんだろう。

 二年間の貴重な思い出の中にあっただろうか。

 ――『先輩』との、思い出の中に。


 そうか、わかった。

 ようやくわかった。

 先輩が何度も繰り返し言っていたこと、それそのものが答えなんだ。

 単純で、いたって短い言葉だった。でも先輩にとってはそれが一番大切なはずだ。他の言葉の何よりも大切なもののはずだ。

 そして俺にとっても、すごく大切で、口にするのがもったいないくらいの言葉だ。


 俺は、その写真が撮りたかったんだから。


 最初はほんの少しためらった。

 何せ初めてのことだ、緊張もする。上手く言えるかどうか、いきなり声が裏返ったりしないか、不安もある。だけど言いたかった。

 俺も、呼んでみたかった。


 先輩を抱き締めたまま、恐る恐る口にする。

「……ふゆ、さん」

 早坂先輩の、これまで一度も呼んだことがなかった名前を、俺は初めて口にした。

 春夏秋冬の『ふゆ』の写真を、撮りたかった。とても頼めなくて、言い出せなくて、こたつの写真にしていたけど――。

 ややあって、

「……はい」

 腕の中で早坂先輩が返事をした。

 顔を上げて俺を見る表情が、まだ拗ねている。

「柊くんは、ずるいです」

 俺の名前を呼ぶ声は、やっぱりぎこちなくて不器用だった。

「何がですか?」

「本当はずっと前からわかってたんじゃない? 私が何を言って欲しいかを」

 俺はわからないつもりでいたけど、もしかすると先輩の言う通りなんだろうか。

 それとも単に、ぼやけて見えてなかっただけなのか。傍で見る先輩がいつもぼやけて、ちゃんと見えなくて、だからわからなかっただけなのかもしれない。もう少しだけでも近づけたら、はっきり見えていたのかもしれない。だって現に、今のこの距離はすごくわかりやすいんだ。

 先輩を両腕で抱き締めてると、何もかもわかる。

 お互いにすごく緊張してることも、心臓が速くなってることも、こうして体温を感じるのがいかに幸せかってことも。

「これからは、『先輩』じゃなくなるんですね」

 何気なく俺が言うと、先輩はその顔にあどけない表情をひらめかせた。

「そうです。だから、今度からはもう、そう呼ばないでください」

「わかりました」

「あと君は敬語禁止。今日からは、いかにも彼女に接するような口調でお願いします」

「それは……あの、急に言われても」

 今まで先輩だった人に、いきなりタメ口なんて利けるだろうか。俺は無理だ。

「これは恋人からのお願いです」

 先輩は――ふゆさんは、慣れた口調でそう言った。

 先輩命令ですって言う時と同じように言った。

 つまり逆らえないってことだ。

「じゃああの、徐々に慣れていくっていう形でどうっすか」

 こわごわ提案した俺に、

「……それでもいいです。その代わり、ちゃんと慣れてね」

 彼女は答えて、それから強くしがみついてくる。

 毛先の方で緩くカールした髪を、俺は初めて撫でてみた。触れてみても滑らかで、きれいな髪だった。

 前に一度だけ触れてみたことがあったけど、あの時はするりと逃げられた。今はそんなこともない。


 ようやく実感が湧いてきた。

 これは最高のハッピーエンドって奴じゃないのか。

 紆余曲折あったものの、終わりよければ全てよし。まさに文句なしの結末!


 と、そこで俺は一つだけ、心残りだったことを思い出す。

「せんぱ――ふゆさん、俺からもお願いがあるんですが」

「何でしょう」

 目を瞬かせる彼女に俺は言う。

「一枚だけ、写真撮らせてもらえませんか」

 春夏秋冬の『ふゆ』、あの写真をちゃんと完成させたかった。

「だめです」

 答えはにべもなかった。

「何でだめなんですか」

「だって、泣いた後だからみっともないです」

「みっともなくないっすよ。いつだってきれいです」

 我ながら歯の浮くようなセリフだと思う。だけど事実だ。

 もっとも彼女は喜ぶどころか、拳で俺の胸をどんどん叩いた。

「そ、そんなこと言ったってだめですからね!」

「けど恋人っていうなら、写真の一枚くらい持ってるもんじゃないですか」

 俺が反論すればその動きがぴたりと止まって、さくらんぼみたいな唇がふっと緩む。

「そうですね。私は柊くんの写真、ちゃんと持ってます」

「え? 部で撮ったやつですか?」

「いいえ。君が一人で写っているものです」

 そんな写真、撮ってもらったことあっただろうか。

 俺一人でなんて覚えがないけど――寝顔でも撮られたかな。

「どうしてもというなら、私からももう一つお願いがあります」

 ふゆさんは、真剣な顔で口を開いた。

「何すか。それも、『彼女のお願い』?」

「そうです」

 大きく頷いて、それから重々しく続ける。

「私、ボタンが欲しいです」

 俺はと言えば、さすがにぎょっとした。

「は? え? お……俺の?」

 尋ね返せば、やっぱり真顔の彼女が俺を見ている。

「他に誰がいるの? 卒業式と言えば、好きな人からボタンを貰うものと相場が決まってます」

「いや、まあ、そうらしいっすけど」

「だから君のボタンをください。第二ボタンです」


 彼女は、わかって言ってるんだろうか。

 いや、わかってないな、多分。何たってあの先輩の――ふゆさんの言うことだ。


「でもですね、俺はまだ高校生活、残り一年あるんですけど」

 俺は慌てて弁解した。

「ボタンついてないと、さすがに目立ちますし……」

 そう説明したけど、案の定と言うか何と言うか聞く耳持たずだ。平然と言い返してくる。

「その方がいいよ。ほら、浮気の予防にもなるじゃない」

「し、しませんって!」

 何でそんなところで信用ないんだ、俺。

 彼女は俺にぎゅっと抱きついたまま、一ミリだって離れない。潤んだ大きな瞳には、ちらちら光が揺れている。柔らかそうな頬は適度に赤みが差して、今はとびきり可愛く見えた。

「くれるまでは写真もだめ。離れませんからね」

 だったら、余計に渡せません。

 ずっと離れないでいてくれる方が、俺にとってもいいですから。


 さて、少ししたら考えよう。

 ボタンの代替品になりそうな、彼女の好きなもの。

 みかんがいいか、あんまんがいいか、わたあめがいいか、それとも――まあ、本人の意向を聞いてみた方が早いな。

 それまではもうしばらく、この幸せを噛み締めていようと思う。


 俺の腕の中で、ふゆさんも同じように幸せそうだった。

 まるで楽園にいるみたいだった。

次回から先輩視点を更新します。

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