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冬の楽園  作者: 森崎緩
後輩視点
10/24

二度目の冬の現実(1)

「部長さんっ」

「え?」

 呼ばれ慣れない名前の後に、ぽんと肩を叩かれた。


 振り向けば背後には、明るい笑顔の早坂先輩がいた。

 毛先がくるりとカールした、つややかな黒髪は今日もきれいだ。制服の上に羽織った白いコートもよく似合っていた。


 そして俺はその顔を見た途端、口元が嬉しさに緩んでしまう。

 それを必死に押し隠しながら答えた。

「部長なんて呼ぶから、誰かと思いましたよ」

「だって部長さんじゃない。新部長」

 平然と言う先代の部長殿が、写真部に顔を出さなくなってから久しい。

 OG訪問したいとは言っていたものの、今の早坂先輩は受験生でもある。それが一段落するまでは先輩らしいのんびりもできないらしい。


 もっともそんな十二月にも、俺と早坂先輩はちょくちょく話をしていた。

 もちろん前部長と新部長の引き継ぎという用件ではあったけど――メールしたり電話したりと今まで以上に密に連絡を取り合っていて、正直なところめちゃくちゃ楽しかったし、嬉しかった。『写真部通信』の編集の仕方も、来年度の新入生歓迎会用の例文も、新入部員勧誘のやり方もじっくり教えてもらっていた。

 ただ、顔を合わせたのは本当に久し振りだ。同じ高校に通っていても、二年と三年は教室の場所も違うし、部活でもない限り意外と会わないものだった。


「肩書上は確かに部長、なんですけどね」

 俺は先輩に首を竦める。

「どうも呼ばれ慣れなくて。部の連中に呼ばれても、ぴんと来ないんすよ」

「あらら。まだ後輩気分が抜けてないと見えるなあ」

 そう言って笑う先輩は、二人きりで話した文化祭の夜から変わりないように見えた。

 今は、卒業を控えてるって実感は持てたんだろうか。れっきとした受験生なはずの早坂先輩だけど、他の先輩がたと違ってプレッシャーを背負っているようにも見えない。成績もいいと聞くし、きっとすんなり通るんだろう。


 そうこうしている間にも季節は冬になり、外では雪がちらつくようになった。

 カレンダーはもう残り少なく、来年の話をしても鬼が笑わない時期だ。そしてこの冬が終わり、春がやってきたら、先輩は高校を卒業してしまう。

 放課後の廊下も学期末と年の瀬を控え、どこかそわそわしているように見える。

 そんな中で早坂先輩だけが、いつも通りのマイペースを貫いているようだ。きっと先輩は卒業したって、こんなふうに笑っていられるんだろうな。

 何だか俺の方が、妙な感慨に囚われてしまった。


 言葉が出なくなって黙っていると、先輩が尋ねてきた。

「ところで清田くん、クリスマスパーティの計画は進んでる?」

「え? ああ、はい」

 唐突な話題の振られ方に、俺はぎこちなく頷いた。

 部員の少ない写真部でも、一応クリスマスには皆でパーティらしきものをやるのが通例だ。

 何の因果か寂しい連中ばかり集まる部だから、例年出席率もすこぶるいいらしい。まあ、俺も他人のこと言えないけど。

「こういう時こそ、先代の部長に頼る時でしょう!」

 早坂先輩は得意げに胸を張った。

「もしもわからないことがあったら、何でも気軽に聞いてね。どのお店が穴場かとか、予約する時のコツとか、美味しいケーキのお店とかもアドバイスできます!」

 それはすごい、さすが早坂先輩だ。

 だけど俺は頭を下げなければいけなかった。

「すみません、パーティの計画はほぼ決まっちゃってて」

「え? そうなの?」

 意外そうな顔をされたけど、もう十二月も半ばってところだ。なのにクリスマスパーティの予定が経ってないなんて、さすがに遅い。予約するなら早めにしないと間に合わないんだから。

「はい。ケーキもチキンもきっちり予約済みっす」

 今度は俺が得意げに言った。

 早坂先輩は目を瞬かせている。

「全部予約できてるの?」

「ええ!」

「計画も全部ばっちり?」

「もちろんっすよ!」

「会場はどこにするか決めた?」

「ああそれ、俺の部屋でやることにしたんです。お金かかんないし、今の部員数なら余裕っすから」

 まあ、余裕ってのは言い過ぎかもしれない。ちょっときちきちかな、ってレベル。

 だけどいいんだ、その分のお金を浮かせて飲み食いしまくるって決めたんだ。美味しいものを食べてれば、部屋の狭さなんて気にならなくなる。クリスマスっていうのはそういうもんだ。

「そうだったんですか……」

 相当びっくりした様子の早坂先輩が唸る。

 それからぱっと笑顔になってくれた。

「さすがは新部長さん。手際がよくて頼りになる!」

「い、いえいえ、それほどでも」

 面と向かって誉められると照れる。

 しかも相手はあの先輩だ。少しの間会わなくたって、まるで変わったところなく接してくれる先輩の、明るさや優しさ、可愛いところが好きだ。


 俺の気持ちも何一つ変わりなく、早坂先輩が好きだった。

 誉められて嬉しかったのは事実だけど、まだまだこんなもんじゃ先輩と釣り合わないのもわかっている。早くそうなりたいって逸る気持ちを抑えつつ、新部長としての十二月を過ごしていた。


「そっかあ。先代部長の敏腕ぶりを見せつけるチャンスでしたのに」

 早坂先輩は、今度は何だか悔しそうに溜息をつく。忙しい人だ。

 俺は笑いながら尋ねてみた。

「ところで先輩はクリスマスイブ、空いてます?」

 すぐに先輩はにっこり笑って頷いた。

「お蔭様でフリーです」

「なら、一緒にパーティしません? 部の連中も先輩のこと呼びたがってたんすよ」

「本当? 遠慮せずお邪魔しちゃうね。受験勉強の息抜きに」

 迷わず答えてくれた先輩が、その後で呟く。

「しかも清田くんのお部屋ですから。絶対行かなければです」

「ああ、こたつもありますよ」

 今年は写真を撮る為に、少し早めに出していた。

 せっかくだから早坂先輩にも入りに来てもらいたい。何と言ってもこたつ大好きな人だからな。

「楽しみにしています」

 先輩はそう言うと、くるりと身軽に踵を返す。

「じゃあ、詳しく決まったら連絡してください! 部活、頑張ってね!」

 手を振りながら去っていく先輩の、白いコート姿から目が離せなかった。


 こうして学校で会えるのもあと少し、か。

 せめて同い年だったらよかったのにな。後輩って難しいよな。たった一つしか違わないのに、それだけで何もかも違ってしまう。

 卒業してもOG訪問するって、早坂先輩は言ってくれた。

 だけど現実にはどうだろう。引退後、まだ一度も写真部に来ていない先輩に、ほんの少しの不安があるのも事実だった。受験が済んで大学生になったら、先輩は今以上に忙しくなるんじゃないだろうか。

 この先ずっと会えなくなるわけじゃない――それは、わかっているけど。


 俺の複雑な思いはさておき、パーティの準備は滞りなく進んだ。

 そして迎えた、クリスマスイブ当日。


 俺の六畳の部屋には予定通り、写真部の連中、そして早坂先輩がやってきた。

 こたつの上にチキンとケーキを置くと、それだけでもう容量オーバー気味だった。床の上に並んで座れば肩がぶつかる狭さだったけど、誰も文句を言わずにクラッカー鳴らして、シャンメリー開けてと大はしゃぎだった。予約していたチキンもケーキも、とびきり美味しかった。

 早坂先輩は誰より一番楽しそうにしていた。シャンメリーの蓋が勢いよく飛び出して、天井にぶつかった時のびっくりした顔。ケーキを口に運ぶ時の幸せそうな顔。写真部の連中と思い出話に花を咲かせる、懐かしそうな顔――その一つ一つが目に留まる度、何とも言えない気持ちになった。

 嬉しいんだけど、幸せなんだけど、やっぱり寂しかった。


 もうすぐ、早坂先輩がいるのが当たり前じゃなくなってしまう。

 部活に出て、部の連中と顔を合わせた時、そこに先輩の笑顔がないのが現実になってしまう。

 そうして先輩は写真部からも、高校からもいなくなって、そう簡単には会えない人になってしまう。

 ケーキをのろのろ食べながら、俺はずっとそんなことを考えていた。

 お蔭でふと気づいた時、ケーキの上に乗っていた真っ赤ないちごが消えていた。変だなと思って視線を向けたら、先輩が笑いを堪えていたので、犯人はすぐにわかった。

 ――ちゃんと言ってくれれば、快くあげたんだけどな。


 パーティは二時間ほどで終了した。その後は順次解散、帰宅と相成る。

 帰る必要のない俺と、後片づけを買って出てくれた早坂先輩とが最後まで残っていた。先輩はごみの分別やら、食器洗いやら、残ったケーキの処分やらを手伝ってくれた。お蔭で食べ物はちっとも残らなかった。

 それも全て終わってしまうと――、

「もうちょっとだけ、いてもいいかな」

 言うが早いか、早坂先輩はこたつの中に滑り込んだ。

 俺が答える暇もないほど、あっと驚くスピードだった。

 そして呆然とする俺を見ながら小首を傾げてみせる。

「寒いから暖まってから帰ろうと思って。駄目?」

 そんなふうに聞かれて、駄目と言えるはずがありません。

 俺はすぐに頷いた。

「いいすよ。お茶でも淹れましょうか」

「ありがとう、お願い。ちょっと温めでね」

「わかってますって」

 何でもないように答えたけど、内心はそう穏やかでもない。


 だって、日が暮れてしまった。

 カーテンの隙間から見える外はもう真っ暗で、おまけに雪がちらついている。二人きりになった部屋は妙に静かで、そこに先輩の明るい声が響くと、否応なくどぎまぎする。

 今日はクリスマスイブだ。

 イブの夜に俺の部屋で二人きりだ。

 何というか、いろいろと期待しちゃうじゃないか。いや、期待よりもむしろ、不安の方がでかい。この期に及んで俺は、先輩への気持ちを抑え切れる自信がない。

 今の俺じゃ釣り合わないってわかってるのに、雰囲気に呑まれるみたいにうっかり伝えてしまいたくなったら、どうしようか。

 好きな人と二人きりの空間で、意識していることを悟られないように、自然に接することなんてできるだろうか。


 あれこれ葛藤しつつ、温めのお茶を淹れてこたつまで持っていく。

「はあ、暖かーい」

 早坂先輩はこたつテーブルの上に突っ伏して、至福の表情を浮かべている。テーブルの上には緩くカールがかった黒髪が、流れるように広がっていた。

「お茶、どうぞ」

「ありがと」

「いえ」

 俺は湯呑みを置いてから、そのつややかな髪と、先輩の表情とを盗み見る。

 こんなに近くにあるのに直視することもできない。自分の部屋にいるのに、まるでくつろげる気分じゃなかった。

 ふと先輩が顔を上げ、ぼんやり突っ立っている俺に尋ねた。

「清田くん、座らないの?」

「え? いや、その」

 俺がまごつけば、微かな苦笑を向けてくる。

「自分の部屋なんだから、楽にしたらいいのに」

 俺は上手い断り文句が見つからず、結局こたつの傍に座った。膝から下だけを突っ込んで、先輩の脚とぶつからないようにする。

 早坂先輩はどう思ったのだろう。少し、怪訝そうにしていた。

「もしかして、疲れてる? ごめんね、長居しちゃって」

「い、いえ、そんなことないっす。ちょっとお腹がいっぱいで」

「眠くなっちゃった? いいよ、寝ても」

 あっけらかんと言う先輩に、俺は慌てて首を横に振る。

「まさかそんな、先輩の前でそんなことはできませんって!」

「私の前で寝たことあったじゃない。部室で」

 まあ、ありましたけど。あれはあれ、今は今。

 早坂先輩が傍にいるのに、眠くなるなんてことはもはやあり得ない。

「あんま気にしないでください。ほら、お茶どうぞ」

 俺が早口になって湯呑みを勧めると、先輩は眉根を寄せながらもそれを受け取った。


 しばらく、静かになる。

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