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冬の楽園  作者: 森崎緩
後輩視点
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冬の楽園

 窓ガラスが白く曇りがちな季節になった。

「はあ、暖かーい」

 早坂(はやさか)先輩はこたつテーブルの上に突っ伏して、至福の表情を浮かべている。

 俺はと言うと、先輩のその顔と、テーブルの上に流れる緩くカールがかった黒髪を眺めている。毛先辺りでくるりと弧を描く一房をこっそり手に取っても、全く気づかれない。きれいな髪だ。

「本当、こたつって最高だよね」

 しみじみと呟く早坂先輩は幸せそうだった。

 じゃれつくように天板に頬ずりすれば、先輩の髪は俺の手からするっと逃げる。

「すっかりくつろいじゃってごめん」

 目が合って、いい笑顔で言われた。

「いえ、いいんですけど」

 俺は何でもないそぶりで首を竦めた。

 たったそれだけの動作がいやにぎくしゃくした。自分の部屋にいるというのに、先輩のようにくつろげない。

「もうね。こたつ、大好きなんだ」

 心なしか普段よりのんびりした口調で先輩は言った。

 見ればわかります。俺は頷く。


 朝晩の寒暖の差が開くようになり、日が落ちるとめっきり冷え込むようになった今日この頃。

 灯油価格の高騰にも備えて、俺はいち早くこたつを部屋に設置した。

 そのことを部活の時間に、世間話のついでに早坂先輩に話したら、猫にかつお節の勢いで食いつかれた。いいなあいいなあと羨ましがられて、こたつに入りたいとねだられて。

 あれよあれよと言う間に部屋に来て貰うことになって――今は、こんな感じ。


 俺の部屋に早坂先輩が遊びに来たのは初めてだ。

 というか、まさかそんな日が来るなんて思ってもみなかった。

 同じ写真部の部長、早坂ふゆ先輩。カールがかった長い黒髪、透けるように白い肌、人形みたいにきれいな顔をした先輩は、部内でも憧れの的だ。当然、俺にとっても。

 だからこんな日が来ればいいなとはこっそり思っていたけど、現実になるとは思わなかった。お蔭で五分で掃除の早業を身につけた。クローゼットの中は見せられない。

 不意の訪問に備えはなく、買い置きのみかんとサラダ煎餅、それに番茶があるだけだった。それでも先輩は文句ひとつ言わず、ひたすらこたつを堪能していた。とりあえずこたつだけあればいいみたいだ。


清田(きよた)くん、番茶冷めたかな?」

 早坂先輩が突っ伏したまま尋ねてくる。

 ほとんど口の付けられていない湯呑みを覗くと、淹れた直後より湯気が弱まっていた。

「冷めたみたいですよ。淹れ直して来ます?」

「あ、いいのいいの。私猫舌だから」

 そう言うとむくりと起き上がり、緩やかに湯気立ちのぼる湯呑み茶碗に手を伸ばす。

 そして躊躇なくずずっと啜って――、

「あち」

 すぐさま先輩は顔を顰めた。ぺろっと赤い舌を出す。

 熱いようには見えなかったけど、それでも駄目なのか。

「そんなに重度の猫舌だったんすか」

「です。もう全然だめなの」

「はあ……すみません。水、入れて来ましょうか」

 俺はこたつから抜け出し、立ち上がろうとした。

 その時。

「だめ」

 早坂先輩が素早く制した。


 と同時に、俺の右足が何かにがっちり挟まれた。

 浮かせた腰がそのまま床に落っこちる。

 視界の落下はほんの十数センチほどだったものの、どしんと尾てい骨に衝撃があった。

「な、何ですか!」

 勢い良くしりもちをついた俺は、思わず先輩に文句を言った。

 慌ててこたつ布団を捲って中を覗き込む。俺の右足を捕らえていたのはやっぱり先輩の細い両足首だ。がっちり蟹バサミ。一体何やってんだこの人。

 だけど先輩は悪びれた様子もなく、それどころかこたつ越しに俺を見据えて、

「だめ、行かないで」

 真剣な顔で告げてきた。

 せがむ眼差しの強さと切実そうな声に、俺は思わず息を呑む。


 こんな至近距離から見つめられるのも初めてだ。

 考えないようにしていたのに、この閉鎖空間を妙に意識してしまう。

 まずい。

 一旦考え出すと余計なことまであれこれ思いを馳せてしまうから、そして先輩といつも通り接するのが困難になってしまうから、二人きりで俺の部屋にいるって事実を考えないようにしてたのに。


 でも、事実だ。

 今、俺と早坂先輩は二人きりで、俺の部屋にいる。

 そして一緒にこたつに入っている。

 おまけにいつになく近い距離で見つめ合っていて、俺は一人暮らしだから二人で黙ると本当に静かで、こたつの中では互いの脚がしっかり絡み合っていて――こんな状況下で俺を呼び止めて、先輩は何を言いたいんだろう。


 見つめる先で、つやつやした唇がゆっくりと動き出す。

「――寒いから」

 言葉を紡ぐ。

「布団捲ると、寒くなるから行かないで」

 真剣な顔の先輩が、呆気なくそう口にした。

 俺はその言葉に、

「……はあ」

 間の抜けた声しか出なかった。

 寒いから、ですか。

「君が出ていったら寒くなるでしょう。暖かいのが逃げちゃうから、傍にいて」

 早坂先輩らしい、全く悪気のない一言だった。


 だけど俺は落胆した。

 やっぱり先輩はこたつだけあればいいんだな。

 こたつさえあれば、俺の部屋じゃなくてもよかったんだ。

 まあ、そうだよな。そうでもなければ同じ部活とはいえ、異性の後輩の部屋にいきなり上がり込んだりしないよな。いきなり部屋に行きたいって言われた時はびっくりしたけど、それで舞い上がる方がどうかしてた。

 早坂先輩は何と言うか――要するにちょっと天然なんだ。


「わかりました」

 俺は苦笑して、その場に座り直す。

 ちょっと気持ちの整理もついた。二人きりでも、もう過度の期待はしない。

「でも、温くしなくていいんすか、お茶」

「いいの。冷めるまで待つよ」

 テーブルの上に顎を乗せた先輩が微笑む。

「一緒にのんびりさせてよ」

 その言い方が優しかったから、俺もようやく、心から笑い返した。

「いいですけど、足、離して貰えません?」

 先輩の足はまだこたつの中、俺の右足をがっちり捕まえたままだ。

「えー、どうしようかなあ」

「何で迷うんすか」

「だって逃げられそうなんだもん」

「逃げませんよ。ここ、俺の部屋ですし」

 そもそも早坂先輩から逃げたいはずがない。

 とは、言えなかったけど。

「ほんとに逃げない?」

 先輩はいやに用心深く尋ねてくる。

「ほんとですって」

「そっか、じゃあ――」

 そこで不意に先輩が、考え込むみたいに目を伏せた。


 足はまだ離れていない。

 それどころか、ぎゅっと力が強まったようにさえ感じられた。タイツを履いている先輩の足はこたつの中で熱いくらいで、その熱さがこっちにまで移ってきそうだった。 


 そんなふうに、子供っぽく足を絡めて置きながら、早坂先輩は言う。

「明日もまた、清田くんの部屋に来ていい?」

 今更のようにおずおずと、心配そうに尋ねてくる。

 明日も来る気なのか。こたつ、本当に好きなんだなあ。いっそ自分ん家でも出せばいいのに、それは面倒なのかな。

 半ば呆れつつも俺は頷いた。

「いいすよ」

「ほんと?」

 先輩がぱっと身を起こした瞬間、表情も輝いた。こたつ好きのいい顔だ。

 それを見て俺はふとひらめき、

「あ、何なら部の連中も呼びますか。皆で鍋とかするのもよさそうっすよね」

 我ながら名案と思えた意見を口にした。

 途端、ぱちぱちと先輩が瞬きをする。

 長い睫毛が忙しなく動いた後、眉間には皺が寄り、用心深く聞き返された。

「皆で?」

「ええ」

「鍋?」

「はい。何か問題でも……あ」

 俺がはっとした時には既に遅く、先輩はむくれた表情で再び突っ伏してしまった。

 そうだ、先輩、猫舌なんだっけ。ついさっき話したばかりだったのに。

「私、そういう意味で言ったんじゃないんだけど」

「すみません! 先輩が猫舌だってことすっかり忘れてて」

「だからね、そういう意味じゃなくて」

「鍋はやめて、焼肉にしましょうか!」

「もういいです。遠回しにし過ぎた私が悪かったです」

「はい?」

 悪いって何が。

 俺が聞き返す前に、早坂先輩は厳かな声で――でもテーブルに顔をくっつけたままで、言った。

「……先輩の為にみかんの皮を剥きなさい。これは先輩命令です」

「はあ……いいっすけど」

 かくして俺は、すっかり機嫌を損ねてしまった先輩の為にみかんの皮を剥いてあげた。

 結局、俺の足はもうしばらくの間、蟹バサミの拘束を食らっていた。


 機嫌を損ねたはずの早坂先輩は、俺がみかんを剥いてあげたらむちゃくちゃ幸せそうにしていた。

 しかも食べ始めたらますます機嫌がよくなった。みかんの甘さがちょうどよかったらしい。この人の幸せの基準って単純なんだなあ、とこっそり思う。

 でもまあ、俺も単純さじゃそう負けてない。

 だって一緒にこたつ入って、暖まって、一緒にのんびりしてるだけで、それなりに幸せだと思ってしまうからだ。脈がないとかムードがないとか、そんなことはどうでもよかった。


 冬の初めにこたつを囲む、部屋の空気はどこまでも穏やかだ。

 明日もこんなふうに過ごせるなら、それだけでいいかな。

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