19
「ポチ。……ぷっ」
そう。私にはまだ残されている問題があるのだ。
「ポチ、ポチ、ポチ!!」
ぎゃははははっっと盛大に噴出したのは、高尾先生だ。
「ポチだってよ! 今時つけるか? こんな古臭い名前! 可哀想だな、おい」
「だって、しょうがないじゃん。これしか思いつかなかったんだもん! それに、犬の名前はポチって相場が決まってるでしょ?」
半ば開き直るように私は腰に両手を当てて言うものの、内心しまったなって反省していた。
だって、ただの犬なら別にポチでもいいと思う。
でも、狼男はなんというか、すごく綺麗で、強くて、まるで神の使いみたいに美しい狼なのだ。
ポチ、って感じでは確かにない。人間姿では尚更だ。
「いいじゃないか。ポチか! ははっ。いい名前だ。ポチ!」
シオンまでも楽しそうに、高尾先生と一緒に笑い出すが、そこでハタッと止まる。
「……ということは、こいつは琴子の配下になる。ということは……」
「常に一緒ってこと?」
竹蔵が静かに続ける。
「竹兄でいうところの、式神ってことだよな?」
梅吉が事実を認めたくないかのように顔を歪めた。
「…………そうだ」
更に認めたくないように、狼男、いや、ポチが渋々と頷いた。
「駄目だあ!」
シオンが頭に両手をやって、ぎゃあっと叫ぶ。
「お前が、いくら駄目と言おうが、そうなのだ」
狼男、正しくは、ポチが力なく言う。
「この運命からは逃れられん。お前も、同族なら分かるだろうが」
「僕は、琴子の使い魔でも、式神でもない。夫だ!」
「違うでしょうが!」
聞き捨てならない台詞に私も一緒になって叫ぶ。
「結婚すればそうなる!」
「嫌! 絶対嫌だからね!!」
「……琴子」
シオンの上体がふらっと傾いたかと思うと、ガクッと片足を付く。
「お願いだ。琴子、僕と結婚してくれ」
私の手を取り、指先に口付けを落とす姿は中々素敵だけど、情にほだされては駄目。
「おっ。公開プロポーズか」
高尾先生の野次は無視して、ぺしっと私はシオンの手を払い、一言こう言う。
「ポチ」
すると、サッと狼男、もとい、ポチが風のように動き、シオンを地面に押し倒した。
「わっ? 止めろ」
「これでいいか?」
起き上がろうとするシオンの胸を前足で押さえつけ、狼男、ううん、ポチが言う。
「いい! いい! ポチ、いい子だね」
ぱちぱち手を叩いて喜ぶ私とは対照的に、狼男、じゃなくて、ポチはどことなくプライドをいたく傷つけられたような顔をしている。そうなると私はなんだか気分がよくない。
一応、魔女の配下になることからは助けてあげたんだもん。
ちょっとぐらい感謝をして欲しい。それに、こっちはご主人様なのだから!
そこで、ふと悪戯心が湧いてきた。私はしょんぼり尻尾を垂らす、狼男、いや、もうポチ! ポチに命じる。
「ポチ! お手!!」
途端に、ポチがばびゅんっと私の元へすっ飛んできて、右手を私の手の平に置く。
置いた後、自分自身の行動に愕然としたように、目を見開き、軽く全身を震えさせたけど、右手はそのままだった。
うむ、悲しいかな。これが下僕体質ってやつだね。
「ポチ。おかわり!」
私は誰が主人か、自分が何者なのか分からせるために、更なる命令を発する。
「いい子だね。ポチ」
サッと左手を出し、またもや愕然とした様子のポチを私は褒める。
すると、ポチが嬉しそうな顔をした。ハッハッっと舌をだらりと垂らして笑い、パタパタと尻尾を振る。
振った後、また愕然とした顔に戻った。舌を垂らしたまま口を半開きにして、目をまん丸にする。
その様子を見て、私の口がだらしなく歪む。
「ふふっ! はははははっ!!」
高尾先生はさっきから笑いっぱなしだ。唾を飛ばして、ポチを指差し笑い続ける。
「……くく」
竹蔵と梅吉も口に手を当てて、控えめに笑う。
「あーはっはっはっ!!」
まだポチへの同情のほうが勝るらしい兄弟とは違って、シオンは先生同様に容赦がない。
倒されたままの体勢のまま、半身だけ起き上がらせて、ポチを見て高笑いする。
「……くっ」
ポチが悔しそうに歯軋りする。
「娘! 止めろ!! お前を主人として認めるが、こんな真似をさせるのは止めてくれ!」
「……娘、じゃなくて、琴子」
私は両手に置かれたままの、ポチの前足をぎゅっと握る。
「あんたの本当の名前を知る事は出来なかったし、確かにポチは反省してる」
身を屈めて目線を合わせて、ポチの目を覗き込む。
「でも、これで家族だよ」
「……家族」
「そう。家族。私とシオンと一緒に暮らそう。これからは家族として」
「僕は、そんなの認めないぞお!」
シオンの叫びは無視して、私は続ける。
「一応、ご主人様と使い魔って関係だし、困った時は助けてもらおうと思ってるけど、ポチは私の大事な家族だよ」
手の平に包み込んだポチの前足を親指で撫でながら、私は微笑みかける。
「ね? ポチ。そうでしょ?」
何も言わないポチへと私は優しく語りかける。
「帰ろう? 家に。一緒に家に帰ろうよ」
その時、ポチの瞳に一瞬輝いた光がなんなのかは分からないけど、ポチは笑い、私もそれを見て一緒に笑った。そして言う。
「最後にするから、これだけはしてみて」
「はっ?」
ぽかんとするポチに、私は力強く命じる。
「ポチ! ちんちん!!」
犬の芸といえば、あとはこれしか思いつかなかったのだ。
ご主人様の命令に、ハッハッっと舌を垂らし嬉しそうにちんちんするを見て、私は非常に満足する。
「はーはっはっはっ!!」
高尾先生がお腹を抱えてごろんごろんと地面を転げまわって、大笑いをする。愉快な三十男だ。少しは落ち着け。
もちろん、シオンも例外ではなく、家族発言を忘れたかのように、ひーひー笑ってる。
竹蔵も梅吉ももう我慢しない。声を出してゲラゲラ笑い出す。
その様子は、本当に普通の大学生と高校生に見える。竹蔵なんかiPhoneで写真まで取ってる。やだ、なんだか黒い笑みが普段と違って素敵だわ。
「……ぐっ。むす、いや、琴子! もう止めろ!!」
ポチが懇願するけど、律儀にもちんちんは止めない。
「グッドボーイ」
私は満面の笑みで、両手で親指を立てて褒める。
だって、ポチが私の名前を呼んでくれたから。
私は嬉しくなって両腕を広げて、ポチに抱きつく。
そのまま地面に転がり、わっしゃわっしゃとポチの頭を撫でてあげると、ポチは不本意そうにではあったけど嬉しそうな顔を少しだけ見せてくれた。
そんな私達の様子を気にいらないように見ているのが、シオンと梅吉。そして、竹蔵。珍しく不愉快そうな顔をしている。
「……これで、また一人増えたか」
ぽつり、と呟いたのを、シオンが聞き逃すはずがなかった。
「竹蔵。やっぱり、君は……」
鬼のような、もとい、吸血鬼のような形相で睨みつけるシオンを物ともせず、竹蔵がにっこりする。
「ええ。そうですよ。僕は、琴子が好きです」
「やっぱり!」
「ええ!?」
シオンにとっては全然予想外ではなかったみたいだけど、私にとっては驚きの発言にポチと一緒にごろごろするのを止める。
「だって……。だって、竹蔵、彼女いたじゃん」
「あれは、カモフラージュ。シオンにバレるとうるさいからね」
竹蔵が実ににこやかに否定する。
「もうこうなってきたら隠す必要ないよ。魔女と狼男を使って、相打ち出来ないかと考えてたけど、なんだか違う方向に行っちゃったし、僕も正々堂々と行く事にするよ」
「竹蔵。相打ちってまさか……」
「うん? もちろん、シオンとだよ。魔女か狼男のどっちかか、もしくは両方とやってくれれば良かったんだけど、もう駄目だね」
若干引きぎみになっている私を気にする事なく、竹蔵はぺらぺらと喋る。
「竹蔵ぉ。君って奴は……」
シオンがぎりぎりと歯軋りする。
その歯といったら、もう滅茶苦茶に尖がってるじゃあーりませんか!?
「常に、べったりあなたが張り付いてましたからね。苦労しましたよ。でも、あなたの信用を得ることで、琴子の側にずっといることが出来たし、あなたを通して色々と裏の世界に精通することが出来たのは大きな収穫です」
「はっ! それももう終わりだ! 君はここで僕に殺されて死ぬんだからな」
「それはどうでしょう? 僕が死んだら琴が悲しみますよ」
私を見て、竹蔵は余裕たっぷりに笑う。
「僕を殺したあなたをはたして許すでしょうか? 何と言っても、僕は琴の兄同然の存在ですからね」
悔しいけど認めざるを得ない。
その想いに応えるのは別にしても、そんな理由でシオンが竹蔵を殺したりしたら、私はきっと一生許せない気がする。
それにしても、竹蔵ってばこんなブラックな喋り方と笑顔だったかしら?
「それに、僕の一族のこともあります。僕に手をかけたりしたら、一族総出であなたを狩りますよ。もちろん、他の一族も黙ってません。全世界にいる陰陽師と忍びの者があなたの命を狙い続けます。あと、彼もね」
と、高尾先生の方を見る。
「まっ。そういう契約なんでね」
私達が一斉に見つめると、先生は肩をすくめ、また煙草を吸いだした。
「ちなみに、俺だけじゃなくて、ハンター協会に登録している全てのハンターたちが同じ契約をしている」
「はああっ!?」
私とシオンが同時に驚き声を上げる。
「シオン。あなたのおかげで、裏世界へのコネクションが出来たんですよ」
竹蔵の様子はあくまで涼しげで、相変わらず綺麗。そして、したたかだった。
「ハンター協会の会長さんとも仲良くさせてもらってましてね。あなたを通じて知りあえたモンスターたちの裏情報を教えてたら、すっかり気にいられてしまいまして、色々融通を利かしてもらえるようになったんです。今回の魔女と狼男の情報も事前に知らされてました」
「……な、なっ」
竹蔵のことを結構気にいっていたシオンは、もう開いた口が塞がらないといった感じだ。
「あなたから、琴子の前世の事は知ってましたし、琴子の体質のことで疑問もありましたらからね。それで、味方のフリして裏から邪魔してみようかなって思ったんです。琴子の本当の体質のことも知りたかったし」
「……そして、あわよくば僕と魔女たちが相打ちにならないかと」
「その通りです」
ブラボーと手を叩かんばかりに微笑む竹蔵はやっぱり黒い。
そうか。こんな人だったのか。嫌いになれないのは、私にとって竹蔵はお兄ちゃんだからだ。
美しいけど、今は腹黒さも感じさせる端正な顔を見つめていると、竹蔵が気づいてくれた。
ギクリ、とする私とは対照的に、竹蔵が爽やかなスマイルで言ってのける。
「そういう訳で、琴。好きだよ」
「んなっ!!?」
途端に、私の心拍数はバクバクと上がり、顔は真っ赤になった。
――ううっ。お兄ちゃんのはずなのに!
私はばふっと狼男の毛皮に真っ赤になった顔を隠す。
「……もう許さん」
シオンがぐわっと飛び掛る。
「ふっ」
竹蔵も心得たもので、サッと後ろに飛びながら扇子を振るう。
一陣の風が吹きぬけ、竹蔵を守るように式神である烏天狗が現れた。
後はもう祭り。あっという間に、吸血鬼と陰陽師のバトルが始まってしまったのだった。




