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 今まで心の支えとしていたものを取られた時、人は一体どうなるんだろう?


 私には分からない。  


 いくら人より奇想天外な経験が多かろうと、私はまだ十五歳。


 だから分からない。


 私にはまだ誰かの助けが必要で、実際なにかあったら誰かが必ず助けてくれる。



 でも、そうじゃない人は?



 千年を越える年月、一人で生きてきた孤独からようやく抜け出すことをが出来るチャンスを見つけた彼。

 標的の少女を執拗に狙い、少女が一人の女性に成長し、子を持つ母になり、孫を愛する祖母になり、老婆になり、その命が尽きてもなお、諦める事が出来ず、何百年もその魂を捜し続けた。


 そう、私をずっと捜し求めてきたのはなにもシオンだけじゃない。


 彼もずっと捜し続けてきたのだ。

 未だその名を知らない、満月の夜に銀狼と化す美しい男。

 世界で一番不運な少女の心臓を喰らい、元の人間に戻るためにずっと私を捜し続けてきた男。


 ……その男が今、茫然自失の状態で大口を開けている。


「な……。ど、どういうことだ?」


 顔面蒼白で震える声を出す狼男はカッと目を見開き、魔女をまじまじと見つめている。

 顎外れんじゃないの? ってぐらい大口開けてる。

 しつこいけど、悔しい事にそんな顔をしていても綺麗なんだ。

 映画のワンシーンみたい。本当、美形って得。……なんて事はさすがになく、結構な間抜け面を男はいま晒している。



「……に、人間に戻れないだと?」

「そうなのよお」



 魔女が可愛らしく首を傾げて、にっこりする。


「な、なにを言って……。お前は言ったじゃないか!!?」


 魔女の衝撃発言に愕然としていた狼男だけど、うろたえながらも叫ぶ。


「そうだとも! お前は言った!」


 予想外の展開に、パジャマ姿のまま立ち尽くしている私を指差し訴える。

 ちなみに、狼男は魔女のマントを腰にまいて大事な部分はちゃんと隠してた。


「この娘の心臓を喰えば、俺は元の人間に戻れると! お前はそう言ったじゃないか!?」


 最後、悲鳴に近い声をあげた狼男だけど、対する魔女はのほほんとしている。


「うん、言ったんだけどねぇ。嘘だったのよお、それぇ」

「……嘘だ!! 信じないぞ!!」

「そんなこと言っても本当だも~ん」


 ちょっと狼男に同情してしまいそうになるぐらい魔女はいい加減だ。


「シオンが予想外に手強かったからぁ、誰か対抗できる人が欲しかったのよお。んでぇ、あなたがちょうど適役だったのよねえ。嘘教えたらあ、あっさり信じちゃったしぃ。狼男って単純よねえ。やっぱ犬科だからぁ? うふふ、それとも私ってば実は中々の策略士?」


 あーあ。やっちまったよ、こいつ。


 魔女の言動には、被害者側の私でもドン引きだ。

 私の心臓を食べればうんねんってのが嘘だったのはいい。狼男がこれで私を狙う理由はなくなるもん。

 正直ホッとした。これで一件落着だ。

 ここ数日頭を悩ませていた問題の一つは消える。まったく人騒がせな魔女だよね。

 でも、魔女が狼男を騙した事によって、前世の私も現在の私もえらい迷惑したし、自分の心臓が餌にされたってのは腹が立つ。

 何よりも、魔女が狼男にしたことちょっと見過ごせることでは無いと思う。


「……そんな。そんな、嘘だ! 嘘に決まってる!!」

「だ~か~ら~、本当だってぇ」

「信じない! お前は嘘をついてる!!」

「嘘はついたわよお。この子の心臓食べれば、あんたは人間に戻れるってねぇ」


 魔女。その嘘はひどいよ。

 これは絶対に許せない嘘だよ。


「……ほんとうに。本当に嘘なのか?」

「だからあ、さっきから言ってるじゃなぁい」


 狼男が小さな呻き声を上げながら、震える両手で顔を覆う。

 なんだかその姿は本当に切なくて、見ていて辛いものがあった。

 この人、本当にずっと信じてたんだ。それだけをよりどころにずっと、ずっと生きてきたんだ。

 それって、すごく悲しくて、ただ悲しくて、他に何て言ったらいいか私には分からない。

 対して、魔女はのほほんとしている。

 つまらなそうに枝毛のチェックなんかしている。……この女、一発ぶん殴ってやろうか? 


「っふざけるなあぁ!!」


 狼男が激昂した。


 うむ。この様子だと、私がぶん殴る必要はなさそうだ。

 そりゃ、そうだ。狼男が怒るのも無理が無いって話だよ。この女は一発どころか、二発も三発も殴られていいレベルだ。

 ちなみに、ここまでの会話、二人とも私には本来チンプンカンプンな言語で喋ってるんだけど、何故それを私が分かるかってことは長くなるから詳しい話はまた今度ね。

 今、人型を取っていた狼男が、銀狼になって魔女に飛びかかっところなの。


「キャウン!?」 


 しかし、悲しいかな狼男。中々、可愛い声をだしてはね飛ばされてしまった。


「……うふふっ。ばっかねぇ~ん」


 魔女が心底楽しそうな笑い声をもらし、私は息を飲む。


 指先一つ。


 指先一つだった。ピンッと、まるでデコピンでもするみたいに、魔女が人差し指をはねた瞬間に彼女の周りを目に見えないシールドでも張られたかのようになり、狼男は衝撃ではね飛ばされてしまった。

 その衝撃は予想以上に凄まじく、狼男は軽く十メートルは後ろに飛び、背後の大木に激しく撃ちつけられた。狼男はそのまま力なく地面に落ち、ピクリとも動かない。

 そして、大木は狼男が撃ちつけられた証拠を主張するかのように、幹が深く内にのめりこんでいた。

 パラパラと衝撃で幾枚もの葉が落ち、周囲の木々に止まっていた鳥が忙しなく羽を羽ばたかせながら飛んでいく。後は不気味な静寂だけが残った。


「駄目じゃなぁい。ご主人様に逆らっちゃあ」


 魔女が口に手を当てて、くつくつと笑う。


「犬畜生の分際で調子に乗ると痛い目に合うわよぉ。って、もうあってるかぁ」


 相変わらず間延びした喋り方が今は怖い。


「なあに? あんた、もしかして私に牙を向ける気だったの? 殺せると思った?」


 その目に宿る狂気が恐ろしい。


「ねえ? 答えてよ? 寝てないでさ」


 話しながら滑るように歩き、狼男の元に来る。


「この数百年、私にかすり傷一つ負わせる者はいなかったわぁん。ふふっ、私ってば最強」


 狼男は動かない。

 一瞬死んでいるのかと焦ってしまうけど、注意深く見ればその体が上下している事が分かるはずだ。

 柔らかそうな銀色の毛並みも日の光に眩いほど輝いている。それは生の証だった。

 私は安堵しつつも、そんな自分がちょっと可笑しくも思う。だって、こいつは私の命を狙っていて、何度も殺そうと襲ってきた相手なんだもの。


「この私を襲うなんて、お馬鹿さんもいいところよぉ」


 魔女が腰に手を当てて、実に尊大な様子で狼男を見下ろす。


「……本当に馬鹿。私はこの子と話したかっただけなのに勝手に付いて来たりするしさ」


 その声質が変る。瞳に宿る冷ややかさが更に鋭くなる。


 ああ。やばい。狼男、やばいよ。


 日の光が降り注ぐ森の中にぽっかりと開いた空地はあたたかく、日向ぼっこには最適だ。でも、いま感じているこの冷たさはどうだろう? 

 この瞬間にも太陽の恵みを確かに感じることが出来るのに、魔女から発せられる“それ”は自然界の法則などまるっきり無視して、完璧に打ち勝っている。

 この圧倒的なまでの存在感、思わず逃げたくなるほどの恐怖。敵に回しちゃいけない人って、きっとこういう人のことを言うんだと思う。


「……っ」


 狼男が呻き声をあげながら、なんとか顔を上げるけど、立ち上がることが出来ない。

 もう一度、苦しげに呻くとトスンッと顔を地に落としてしまう。

 青とも緑ともつかない悔しそうに細められた瞳で、楽しそうに微笑む魔女を見上げる。


「ふふっ。お利巧さんねえ」


 魔女がくすくすと笑う。


「私に逆らっても無駄って分かったでしょ? そうよ。あんたなんて私の足元にも及ばないの」


 狼男は何も言わない。ううん、何も言えないのかも。

 私も動けない。魔女から放たれるなんともいえない圧迫感に萎縮して、ただ一人と一匹の姿を見守るしか出来ない。


「観念して、私の配下になりなさいな」


 可哀想に。配下ってことは、魔女の飼い犬になっちゃうってことだよね?


「いっぱい可愛がってあげるわよお」


 ああ、駄目。何それ? 可愛がるっていったい何をする気なの?


「……なにを……する気だ?」


 苦しげに息を吐きながら尋ねる狼男に、魔女は無言で微笑んだ。

 そして、右手を優雅に上げ、何か楽器でも奏でるかのように小指から順に美しく折っていく。

 そこから生み出されるものが、何だったのかは私には分からなかった。


「きゃあっ!!?」


 何故なら、狼男が最後の力を振り絞るかのように身を起こしたかと思うと、一気に飛び跳ねて私の元に到達するや、まるで母猫が子猫の首根っこを噛むようにして私のパジャマの襟元を咥え、もがき暴れる私を引っ張るようにして走り出したからだ。


「琴子!!」


 同時に、何故かシオンの声が聞こえた。

 幻聴かと思ったけど、バキバキと音を立てながら周囲の木々をなぎ倒す勢いで高尾先生が運転する大型ジープの助手席に座り、身を乗り出してこちらを見ているのは間違いなくシオンだった。

 おまけに、竹蔵と梅吉の姿まで後部席にいるのが見える。これも幻覚なんかではない。

 すごいな。どうして、みんな私がいる場所分かったの? わずか半日たらずで私の場所を見つけ出し、ジープで乗り付けて来るなんて感涙ものだよ。

 でも、あっという間にみんなの姿が遠くになっていく。

 何故なら、先程説明したように狼男が私を咥えたまま木々の間をすり抜け、走っていくからだ。

 そのスピードはものすごい速さだ。追いかけてくる皆をぐんぐん引き離し、走りつけたその後に残像を残す勢いだ。


 すごい! 私、風になってる!?


 なんて感激する余裕は当然なく、首根っこを捕まれた状態では下半身を引きずられてしまうので、私は無我夢中で狼男の首に両腕を回し、足を胴体にからめてしがみ付き、もふもふの体にピッタリ自分の体をくっつける。

 目を開けるのも辛い状況の中、なんとか後ろを見ると、ジープで追いかけてくる我が援軍とその周囲を箒に乗って飛び回る魔女の間で、壮絶な死闘が繰り広げているのが見えた。

 竹蔵の式神が空を飛び、梅吉が火炎球を投げ、シオンは……ん? 先生と運転を変った。わっ? 運転をシオンに任せた先生が何かを取り出したと思ったら、どでかいバズーカー砲を構えて魔女に発砲。

 何者だ? お前。モンスターハンターの域超えてんでしょうが!?

 しかし、私のツッコミなんかお構い無しにすさまじい爆発音が周囲に響き、もうもうと煙が立ち昇り、みんなの姿が見えなくなったところで、狼男のスピードが更に増した。

 結局、狼男はそのまま逃げ切り、私もなし崩しの状態で一緒に逃避行。

 先程まで私のこと食べる気満々だった相手じゃ、全然ロマンティックじゃないけどね。




 ◇ ◇ ◇




「……ねえ? この後どうするの?」


 逃避行の末に行き着いた廃墟で、私は聞く。我ながら、なんとも心細げな声だ。


「分からん」


 狼男は短く答えると、一気に疲れたように石畳の床に横たわり、前足に顎を乗せて深々と溜息をつく。

 ものすごく疲れてるみたい。よくよく見れば怪我もしてるし、美しい銀色の毛並みもあちこち汚れが付いている。まさしく満身創痍だ。

 その様子はなんだかとても同情心を湧かせるもので、私は狼男の傍らに跪くと、その頭をそっと撫ではじめた。

 狼男は驚いたように目を見開いて私を見る。

 かすかに口を開け、その鋭い牙を見せたけど私は動かない。じっと狼男の目を見つめ返して、ただ頭を撫で続けた。

 結局、狼男も何もしないで口を閉じて目も閉じる。しばらく経った後、私をうながすようにして立ち上がると周囲を見回した。


「ここがどこか分かるか?」


 狼男の問いに、私は無言で首をふる。

 森の中を切り開いたように建てられた石造りの廃墟に見覚えなんか当然無い。きっと昔はとても立派なお屋敷だったというより、お城のような造りをしてたんだろうなと想像はつくけど、苔に覆われ、草木が生え放題に生えたその姿はどこか不気味で、昼間のいまならともかく、夜中に一人でいたくない。でも、肝試しにはピッタシだろうな。

 そう、私が言うと、狼男が可笑しそうに鼻を鳴らした。


「……お前は本当に普通の娘だな」


 髪はぼさぼさ、パジャマは泥だらけという私の姿を見て、目を細める。


「ここ数日、お前をずっと見ていたが、ただの普通の娘だ」

「……初めて言われた」


 狼男の言う事に、私は眉をひそめ、唇をかみ締める。


「そうか?」

「うん。みんな私のこと変な子だって言うよ」


 超不運体質で、変な保護者がいて、いつも何かに追われているような私を見て、みんな距離を置く。

 子供の頃から今までの間に、まともな友達なんて一度も出来た事がない。

 この先もそうなんだと思う。私に普通の青春時代、普通の人生を歩むなんて出来ないのかも。


「普通の娘だ」


 狼男はそれが誰にも否定できない真実かのように繰り返し言う。


「昔のお前もそうだった」

「昔って……、前世の私?」

「ああ。普通の娘だった。家族や友人たち、使用人たちに囲まれ、幸せそうに暮らしていた」


 長い鼻先を動かし、周囲を示す。


「ここで暮らしていた。死ぬまでずっと」

「……ここで」


 私は呆然と呟く。

 ここで暮らしていたんだ。ここが昔、人間だったシオンが領主として暮らし、私の前世であるジルが死ぬまでいた家なんだ。

 そう思うと、先程まで薄気味悪く感じていた場所が一気に近くなり、とても親しいものに感じてしまうから不思議だ。

 ああ、なんでこんなに何もかも壊れているんだろう。もっと昔のままの姿が見たかったのに。



「俺はずっと人間に戻りたかった」



 狼男の声音はとても平坦で、感情が込められているようには聞こえなかった。


「ずっと、ずっと、その方法を探し、世界中を彷徨い続けた」


 なのに、どうしようもなく私の目に涙が溜ってきてしまうのは、きっと彼の絶望的なまでの悲しみが伝わってきたからだ。


「人間ではなくなった俺は、家族や友人の前に姿を現すことも出来ず、ずっと影から彼らを見つめていた」


 でも、私が泣くべきではない。おそらく涙も枯れてしまった彼の代わりに泣くなんていう事は絶対に出来ない。


「彼らが死んでも、その子孫たちの姿を見守り続けた。……そうしていると、少しでも彼らと繋がっているように思えたから」


 最後、少しだけ感情が溢れた。本当に少しだけ。


「昔の自分に戻れるような気がしたから。それもいつしか止めてしまった」


 私をふと見上げる顔はなんだかとても優しい。


「なあ、娘よ」


 右手の甲にざらりと濡れた感触があった。


「もう行け。奴らのところに戻るといい」

「……でも」


 私は狼男に舐められた手を左手で押さえながら狼男を見つめ返して、あとは無言で拒絶するが、再度やんわりと促された。


「行け」


 牙を見せて笑う。


「人間に戻れる、戻れないに関係なく、このままだと本当に喰ってしまいそうだぞ」


 どこか吹っ切れたように笑う狼男とは逆に、私は困り果て、迷う。


「……でも、でもあなたは?」

「俺が?」

「あなたはどうするの? この後どこに行くの?」


 目的を失ってしまった後、どうする気なの?


 燃え尽き症候群になって自暴自棄になるのはまだいいとして、もしやじさ……。


 ちょっと嫌な想像している私の心を見抜いたのか、狼男が可笑しそうに片方の口端だけで笑う。

 姿は狼のくせに、なんだか表情が豊かなんだよね。

 犬って普通にしてても、割りと笑ってるように見えるけどさ。


「……先程やりかけた事を全うする。その後のことは分からんが、お前が考えているようなことにはならないだろう。達者でな」


 そう言うや、狼男は勢いよく地を蹴り、身を翻すと森の中へ駆け出していった。


「ま、待って!!」


 私は慌てて追いかけようとするけど、狼男の姿はあっという間に木々の中に飲み込まれてしまった。


「……どうしよう?」


 私はすっかり混乱し、頭を抱えてしまう。


 待って、待ってよ。先程やりかけた事って……。


 その考えとそこから至る展開を想像した後、つい大きな声を上げてしまった。


「わああっ! 駄目! 駄目だよ!! 狼男!!」


 名前を知らないもんだから、呼称で叫ぶ。

 最強の魔女に、それにシオンたちもいる。シオンたちはもう狼男が私を狙う理由がなくなったなんて知らないからきっと……。


「駄目~!!」


 気が付いたら走っていた。

 元々、私を狙っていた男だ。本来であれば放っておけばいいんだと思う。

 勝手にやってろと。どうせなら、化け物同士で魔女と相撃ちにでもなればいいんだって。

 でも、あの人はなんの証拠も無いくせに、魔女の言う事をあっさり信じて何百年もそれを支えに生きてきた人だ。千年以上もたった一人で孤独を抱えて生きてきた人だ。



「……きっと、きっと悪い人じゃないと思うの!!」



 うん。逆に馬鹿が付くほど単純で、いい人なんじゃないかとさえ思えてきた。


「待って! 狼男!! 待って! 魔女! シオン!! 竹蔵に梅吉に先生~!!」


 連日の疲れが溜っている。体中が痛い。眠い。お腹が空いた。

 だけど、私が行かなきゃ誰が行くの? 誰がシオンを止められるっていうの?



「みんな待って~!!」



 決意を胸に走る私は、いつも不運から逃げ回り、誰かの助けを待つだけだった普段の自分とは真逆のことをしているとは、その時気づきもしなかった。




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