運命の扉
西洋桜草の花言葉「運命を開く」
目が覚めると、カーテン越しに外はもう明るかった。
お天道さまは今日も関西地方を晴れにした。私の気持ちとはうらはらに。
日頃のおこないがいいのか悪いのか。
……私の場合、後者か。自覚して小さくため息。
同じ部屋のしほりも他の二人もまだ起きていない。
昨夜は三人が部屋に戻ったのも気づかないほどぐっすり眠りこんだ。そのおかげか、あんなイヤな夢も見ず、気づくと朝になっていた。
枕元に置いてあるスマホを見ると、五時を少し過ぎている。
七時に食堂に集合になっているから、それまで二時間近くあるけれど、もう眠れそうになかった。ふとんの中で過ごすのもなんだかかったるい。
散歩してこようかな。
今のところは昨日とは違って体調はすごくいい。
自分の健康が恨めしい。今日が昨日みたいに体調が悪ければ、孝くんと過ごす約束も果たさなくてすんだのに。
でも、そっか。私が約束を果たせなくても、智が太田さんと過ごすのなら意味はないのか。
いずれにしても、もうダメなんだ。どうあがいたってこういう結末になっちゃうんだ、私と智は。
ロビーに行くまでに一部のセンセーや生徒に遭遇した。
「あれ~美姫ちゃん。おはよう!」
大きめのTシャツを羽織って裾を無造作に曲げたジャージを履いた孝くんが玄関でストレッチしてる。
私に気づいて脚だけ続けながら、ニコニコしながら手を振ってくれる。まるで、今日みたいなお天気の孝くんが私には眩しすぎて、思わず目を細めた。
周りにもおんなじような格好をして同じようにストレッチをする男のコたちがいた。多分、孝くんと同じバスケ部の男子。見知った顔もある。
でも、智の姿がない。
「おはよ」
「おはよ~!」
ストレッチを中断して、私にブンブンと手を振ってくれる。
「孝、やめんなっ」
「うぃ~」
孝くんは隣でストレッチしてる男子に怒られ、いたずらっコが怒られた時みたいに私に向かってニヤッとした。
「早いね~」
「孝くんこそ」
「うん、テスト前からずっと部活ないでしょ。だから、カラダなまっちゃうから、バスケ部の仲間でちょっと走ってこようかってハナシになってさ」
「そうなんだ」
「体調どう?」
「うん、……見てのとおりだよ」
「そっか!よかったぁ」
私の体調がよくなったのはもちろん、その言葉には絶対に今日の自由時間のことが含まれているから、曖昧に笑うしかなかった。
顔ぶれの中には何度探しても智がいない。もしかして今度は智の体調が悪い、とか?
智は基本的には元気なんだけど、昔から行事の時に限って熱とか出しちゃうような子供だったから、もしかしたら……。
でも、それなら、私の体調がよくなったのが尚更に悔やまれる。
「すまん遅れた」
背後からする声。誰かは振り返らなくてもわかる。
「おっそいよ、智~」
孝くんが口を尖らせて言う。
「ホント、お前だけ長く走れよ~」
「だな~」
「よし、孝。智の居残り決定だな!」
「けってーい!」
孝くんを筆頭に、メンバーから口々にやいのやいの。
「するかバカ」
智はそう言いながら、一瞬だけ私のほうを見た。
視線が絡み合う。本当に一瞬だけ。
胸が痛い。
私をすり抜けて智はみんなの輪に溶け込むと、ストレッチを始める。
「美姫ちゃんも一緒に走る?」
「え~、ムリムリ」
「ザンネ~ン」
孝くんは両頬に両手を当てて首をかしげる、まるで女のコみたいなリアクションをとった。
「よし行こうか」
クラスメートでバスケ部の次期主将と言われてる仙道くんが走り始めると、みんなそれに続くように走り出す。
一方、孝くんは小走りで私のほうに近づいてくる。
智はチラリとこちらを見たけれど、すぐに走り出した。
「孝行くぞ!」
仙道くんが段々と遠くになりながら、孝くんをせかす。
「は~い。……じゃね美姫ちゃん」
そう言いながら、私の隣に並ぶと、「今日楽しみにしてるね」とそっと耳打ちをして孝くんは走り出し、最後尾の智に並んだ。
楽しみにしてるね、か。
「……しなくていいのに」
小さくなっていく孝くんと智の姿を見ながら、小さくつぶやいた。
今日は、午前中はバス移動で法隆寺のほうまで足を伸ばすことになっている。
法隆寺を見学して昼食、そして午後から夕方の集合時間までは自由行動。
私は孝くんと、智は太田さんと。それぞれ別々の人と過ごす。そして、ジンクス通りならば、私は孝くんと、智は太田さんと付き合うことになるんだろう。
時間が刻々と迫っている。
どうにかして私と智がそのような形をとらなくてすむ方法はないのか、なんて思うけれど。方法なんてない。そんなもの存在しない。
この世界はイジワルだ。なんて、私がおかしな感情を抱くからイジワルに感じることぐらいアタマではわかってる。
ココロがついていかない。ただそれだけ、たったそれだけのハナシ。
「やっぱりまだ体調悪いの?」
しほりが心配そうに私のカオをじっと見る。
「う~んどうだろ。でも、なんかちょっとムカムカするかも」
朝食はバイキング。色々欲張ってお皿に盛ったものの、ほとんど食べれない。
起きた時は全然そんなことなかったのにな。
しほりや他の友達はとっくに食べ終わって、部屋に戻ろうかって雰囲気になってるのに。
あきらめきれない想いがカラダにまで支障をきたしたのか。でも、私だけが体調を崩しても、智は……。
智たちが座っているほうをチラッと見ると、孝くんがこちらを見てる。声を出さず口だけで『ダイジョウブ?』って言ってるのがわかった。
私は小さくうなずく。
智は私に背を向けるように座っている。
そして、太田さんがしっかりと智の隣を確保してる。今までは、そこは私の場所だったのに。
「もう残そうかな」
「うん、そだね。あとでセンセーになんか薬もらったら?」
「うん、そうする」
胃がムカムカするし、また車に酔う可能性があるから乗り物酔い用の薬を出発前に飲んだ。だけど、やっぱりバスに酔ってしまって、結局、昨日と同様、午前中の見学はバスの中で休んでいた。
ムシャクシャイライラ。いろんな負の感情を抱えながら、いつのまにか眠っていた。
薬を飲んだのとあまり朝ご飯が食べれないのと午前中はずっとバスの中で寝たのと、そういうモロモロのことがきいたのか。昼食の時間にはすっかり元気になっておなかペコペコだった。
「よかった、美姫が元気になって~」
お昼のからあげ定食をペロリたいらげたのを見て、しほりはホッとした様子でいる。一緒のグループの友達もニコニコして私を見てる。
おなかがすいていたからいつもよりも早いスピードで食べたせいもあるけれど。正直、味なんてわからなかった。
この後のことが頭の中を侵食してたから。だから、それを考えないですむように、一生懸命食事に集中した。集中するしかなかった。
「あ、大友だ」
食べ終わった大友くんが手を振るしほりに気づき、嬉しそうに手を振り返す。まるでシッポが見えそうなくらいニコニコしてる。孝くんがマメ柴なら、大友くんはゴールデンレトリバーかな。
いいな、ふたりは。この後の時間がお互いに楽しんだろうな。
「美姫ちゃん!大丈夫?」
大友くんの少しだけ後ろを歩く孝くんが走り寄ってきた。
「午前中も気分悪かったみたいだけど」
「うん……、もう大丈夫みたい。ご飯もしっかり食べれたし」
「そうなんだぁ。よかった~」
「よかったな、孝」
「うん!」
「美姫ちゃん、孝ね、『美姫ちゃんが体調悪いから今日の午後一緒にまわれなかったらどうしよう!カップルになれなーい!!』って泣いてたよ」
「余計なことは言わなくていいっ」
ドスッ。思いきり、孝くんのパンチをくらって一瞬後ろにのけぞった。
「ちょっ、お前!本気で殴んなよ」
「大友がバラすから悪いんだよ!」
「まぁまぁ」
「チッ。しほりちゃんに感謝しろよっ」
「ハイハイ」
しほりの仲裁に、冗談まじりで捨てゼリフを吐く孝くんとそれをニヤニヤしながら受け流す大友くん。
そして。
「じゃしほりちゃん行こっか」
「そだね~」
しほりと大友くんはまるで二人の世界って雰囲気で、手までつないで外に出ていった。
「美姫ちゃんはどっか行きたいとこある?」
「う~ん特にないかな。孝くんは?」
「じゃあね、オレについてきて」
手……。
孝くんは隣に並ぶと、当たり前のように手を握ってきた。
深く考えずその手を握り返すと、孝くんは私のカオを見てホッとしたように笑ってくれた。
うん、これでいいんだ。
姿の見えない智はきっと今頃太田さんとふたりでいるんだと思う。
うん、これでいいんだ。これで。
外に出て、ウチの高校の人たちの行動は本当に見事なまでにバラバラだった。
同性グループで固まってる人たち。男女混合のグループ。その人たちからはすごく注目を浴びた。
中には孝くんのことを好きだった女子もいるようで、私に対する視線がこわいくらい鋭かった。
そして、男女ペアになって行動している人たちの表情も本当に様々だった。照れくさくて距離を置いて歩くふたり。元々付き合ってていまさら感がぬぐえないふたり。私たちみたいに手を繋いでるふたり。
私と孝くんはまだ付き合ってはいないけれど、「ああ、あのふたり付き合うんだ」って思われている視線をビシビシ感じる。
心の中で「そんなんじゃない」と必死で否定してる私。一方の孝くんは決してうぬぼれなんかじゃなく自慢げにしている。
手を繋いでる男女でこんなにも温度差があるのはきっと私たちだけ。
智の姿は相変わらず見えない。
ねぇ、智。智たちも温度差がある? 心の中だけでも、必死に否定してくれてる?
「ここ!」
歩いて五分ほど経った時、孝くんが立ち止まったのはこのあたりだと多分一番大きそうなおみやげ屋さんだった。
「ここね、コスプレさせてくれるんだって」
「コスプレ?」
「うん」
店の中に目をやると、確かに古代の衣装―七夕の織姫・彦星や聖徳太子のような、あるいは韓国の時代劇に出てくるような―を身にまとった人たちが写真を撮ったりしていた。
「一緒に写真撮りたいな。ダメ?」
孝くんは私の返事がどう転ぶかわからなくて少しだけ不安そう。
「ううん、いいよ」
私は首を縦の振った。だって、君のそんなカオを見たらイヤだなんて言えないよ。
「やったね~」
繋いでいないほうの左手をガッツポーズ。
そんなに嬉しそうにしないで。なんて言えない。当たり前だけど。
私と孝くんは手を繋いだまま、店内に入った。
孝くんは鼻唄混じり。私はうつむきがち。
あ……。
店の奥に智と太田さんもいた。
「智たちも来てたんだ~!!」
つないだほうの手をブンブンとさせるから、イヤでも智に私たちが手をつないでることがバレてしまった。
智の目がこわくて店内を見回すフリをしてよそを向く。
「孝くんもコスプレしにきたの~?」
智の代わりに答える太田さんの声は弾んでる。
私はうつむきがちに立っているしかなかった。
「そっ。てか、イガ~イ。智もするなんて」
「オレはあんまやりたくないけど、太田がさ、」
「うん、そうなの~。だって、せっかくなんだもん。ね~」
「ね~」
なぜか意気投合してる孝くんと太田さん。
だけど、智もふたりに比べて温度が低いことが今の私にとってなによりの救い。そんなのほんの気休めにしかならないことはわかってる。でも、それにすがればなんとかここにいることができる。
チラリ、私が少しだけ視線を目の前のふたりに向けると、太田さんは智に腕を絡ませた。それを特に拒む様子もない。
見たくない。
衣装を選ぶふりをするしかなかった。
自分も孝くんと手をつないでたクセに、智がそういうことするのは許せないなんて。どんだけワガママなんだろ。
智はどう思ったのかな。苦しいって思ってくれてる? せめてそう思ってくれてれば、幾分救われる。せめてキモチだけは一緒だったら、幾分か救われる。
「ねぇ、どっちがいいと思う?」
「どっちでもいいんじゃない?」
「えー、”智くん”選んでよ」
今確かに彼女は智のことを”智くん”って呼んだ。よね……?
太田さんは智のことを”葛城くん”って呼んでた気がする。うん、昨日エレベーターの前でふたりに会った時は確かにそう呼んでた。
呼び方が変わったっていうのはなんでなんだろう。やっぱり特別な関係になったってことなのかな……。
「美姫ちゃ~ん、どっちがいいかな~?」
孝くんの困ったようなカオにハッとした。智たちのことが気になって孝くんとのことが上の空になってしまっていた。
孝くんは二枚の衣装を手に持ってる。一枚は黄緑色、もう一枚は黒。
黒のほう、智に合いそう。
あぁ、ダメダメ。集中集中。
「孝くんならどっちも似合うよ?」
「ありがと。でも、美姫ちゃんの意見がききたいのっ」
「……黄緑のほうかな」
「オッケ~。じゃあ美姫ちゃんの、オレが選んでもいい?」
「うん、いいよ」
そうして、女性用の衣装のところへ向かう。
ふたりはもう着替えに移ったようで、孝くんと話してる間にいなくなっていた。
「じゃあ、オレとおんなじ色のこれで、下はこれかな」
メインの布が黄緑色。下にズボンのようなものをはくんだけど、それはストライプの色とりどりのものを選んでくれた。
「ん、じゃあ着替えよっか」
「うん、そだね」
店員さんに店の“更衣室”って書かれた場所に誘導され、私と孝くんはそれぞれ“男性用”“女性用”って書かれた場所に入った。
更衣室は六畳くらいの畳の部屋があって、鏡が壁一面にかけられていて、ウチの高校の三人の女子が店員さんに着せてもらっていた。
もちろん、その中には太田さんもいる。
太田さんが選んでいたのはメインの上着はショッキングピンクでいわゆるどぎついってカンジ。
彼女のことだから、智にも意見をきいたのだと思うけれど、智はどうせ曖昧に選んだと思う。だって、智はああいう色は好きじゃないから。
ああ。バカだな、私。嫉妬してんだな、彼女に。みっともないなー。
着替えて店内に戻ると、孝くんはすでに着替えを終えていて私を見るなり、「天女みたいだよ~」って恥ずかしくなるようなことを言ってくれた。
「孝くんは聖徳太子だね」
「そ、オレいっぺんに10人のハナシきけるからね」
「フフ」
ほんの少しだけ孝くんに助けられた。
ううん。ほんの少しなんかじゃない。もし孝くんがいなかったら、私はもう立ってすらいられない。
ありがとう孝くん。そして、利用してごめんね。
智たちは着替え終わって、近くにいた。
あ、やっぱりよく似合ってる。
智は黒い衣装を身にまとっていて、私の思った通りよく似合っていた。
隣には太田さん。
私は見たくなくて、すぐ近くにあった姿見に視線をうつす。
え……。
隣にいるはずの孝くんは映っていなくて見知らぬおじさんが映り込んでる。ううん、正確にいえば、昨日夢で見たあのおじさんの顔。
「見つけたぞ」
”見つけたぞ”
その人は確かにそう言っている。
「もう逃がさないぞ」
まるで鬼の形相で私を見ている。
キーーーーーン。激しい耳鳴りがして、目の前が真っ暗になった。
「美姫!!」
遠くで私を呼ぶ智の声がする。
だけど、そこで私の意識はぷっつりと途絶えてしまった。