離れられない運命
菊の花言葉「高貴」
(黄色の場合)「破れた恋」
金木着け 吾が飼ふ駒は 引き出せず
吾が飼ふ駒を 人見つらむか
撰者:孝徳天皇(日本書紀より)
宮中に着いて阿倍さんに案内された部屋の大きさは姫のところで住まわせてもらっていた部屋の倍はあった。そして、立派な調度品の数々。
部屋に通されるまでに見かけただけでも使用人の数が姫のところよりもはるかに多いことがわかった。
姫のところも絶対にこの世界では一流のおウチなんだと思う。
けど、やっぱりここはけた違いだ。なにもかも違いすぎる。
これ、秋保さんがいてくれなかったら、絶対ホームシックになってた。
ふふふ。ヘンなの。私がいた世界じゃなく、姫の家を思い出すなんて。
秋保さんを見るとやさしく微笑んでくれて、ホッとする。
阿倍さんから孝徳天皇は今夜部屋にくるらしいことをきかされた……。
それがどういう意味なのかわかってる。
あの日姫の代わりに会って以来、久しぶりの再会。一度見たら忘れられない気持ちの悪いオヤジ。
あんな男とシないといけないのか……。死んだほうがマシかも。
後世に残っている姫の記録だと、彼女は孝徳天皇との間に一人子供がいた。このままことがすすめば、それは私のことになる。
そのコのことを私は愛せるのかな。かなうなら、智との子供がほしかったな……。
はぁ……。ホント、往生際が悪いってこういうことなんだな。
私はいつでもそうなんだ。
あの頃だってそうだった。そして今も。
もう叶えられないことを願ってしまう。
「美姫さま。私、少し席を外します故」
この部屋に着いてから少し経った頃、そう告げた秋保さんが廊下に出ると「きゃっ」と小さな声を上げ、慌てて口元を抑える。
ん?
えぇ!?
皇子が足音ひとつ立てずに中に入ってきた。
私も思わず声を上げそうになって、皇子から「静かに」と言われて口元を抑える。
驚いてる私に顔色ひとつかえずにいる。
てか、この人、足音立てずに行動できるんだ。姫んちでいっつもドタドタいわせて現れるから。なんてどうでもいいことを思ってしまった。
てか、なんで? どうしたんだろ。
「どうしたんですか?」
小声できくと、皇子は廊下をキョロキョロしたあと私に近づいてくる。
「美姫、耳を貸せ」
「へ?」
「いいから耳を貸せ」
皇子は強引に私の耳元に顔を寄せると、「智と逃げるのだ」と言った。
えぇ!?
声にならない声を上げて皇子を見ると、満足そうにうなずく。
ど、ど、どういうこと!?
私がよっぽど驚いたカオをしてたのか、皇子は小さく笑って「智を見つけたぞ」とニヤリしたり顔。
えぇ!?
「で、でもっ!!」
皇子は私が言いたいことがわかったのか、真顔になって首を横に振る。
「お前たちは幸せになれ」
え……。
「俺と姫はこの国のこの小さな世界でしか生きられないのだ」
皇子は少しだけ哀しそうに笑った。
「で、でも、姫がっ」
「姫にはもう言っておる。お前が伯父上の妻になるのだと」
「え、いつですか……?」
「昨夜」
え?
今朝、姫はそんな様子、少しも感じさせなかった。そんなことを告げられたなんておくびにも出さず見送ってくれた。
それどころか、私の冗談にも乗ってくれた。
なんて強い人なんだ。
私とは外見こそ似ているけれど、やっぱりなにもかも違いすぎる。
「姫は俺の言う事は何でもきくのだ」
皇子は目を伏せた。
姫の心情を思うとつらすぎる。そして、皇子の彼女への想いがイヤというほど実感させられる。
そんなふたりが犠牲になってもいいの?
私がなにを感じているのか、皇子には多分お見通し。今見せていた弱い部分などまるでなかったかのように、いつもの皇子みたいにふてぶてしいほどにニヤリと笑う。
「言っておろう、俺と姫は所詮はこの世界でしか生きられないと」
そして、力強く言い切った。
この人が何故後世に遺るほど名を馳せたのか少しだけわかった気がする。姫があんなにも無邪気に慕っているのかわかった気がする。
私はいつのまにかこぼれていた涙を左手の甲で拭った。
「行くぞ、美姫」
「ど、どこへ!?」
「智の処に決まっているだろう」
秋保さんが私を見ていて、嬉しそうに涙ぐみながら大きくうなずいてくれた。
「急ぐぞ」
皇子は玄関とは違うほうへ向かう。
私は急いでそのあとを追う。
チラリと秋保さんを振り返ると、彼女は頭を下げていた。
「美姫さま、どうかお幸せに」
秋保さんの声が後ろでした。彼女の人柄をあらわすような柔らかな声。
秋保さん、今までありがとう。
本当はちゃんとお礼を言いたい。だけど、今は感傷にひたる場合じゃない。
皇子の背中をただ夢中で追いかける。
皇子は人に会わないですむルートや時間帯を熟知していて、宮中の外に出るまで一度も人とすれ違うことはなかった。
外に出て、皇子は周りを警戒しながら早歩き。私もそれに置いていかれないように必死についていく。
「母上の仕業だったんだな」
ボソリ。小声で言う。
ななめ後ろから見える皇子の表情が少しだけ見えて、そこにはいつもの自信満々で傲慢な人はいない。
きっと生まれながら母子というよりは国を支える主従関係だったと思う。
だけど、皇子は心のどこかで母親として愛していたんだろうと思う。その人のやったことに戸惑いを隠せなくて当然かもしれない。
そして、その母親によって自分の想いは引き裂かれようとしている。
そして、私と智にもそれが反映してる。
自分の母親がそんなことをしたと知って平気なワケがない。
私は自分に置き換えた。
お母さんはどんなことがあっても私と智のことを考えてくれていた。
恋人・藤原さんとのことよりも私たちのことを優先してくれてる。
時代が違う、立場が違う。
だけど、やっぱり母親がそんな人だったらつらいのはいつの時代もきっと同じ。
「……はい」
「すまんな、何も知らず。いつかはお前を怒った」
声には悔しさや悲しさがにじんでいた。
「いいんです、皇子は悪くありません」
「……伯父上も、どうやら一枚噛んでいる」
え?
今度は、皇子のカオに怒りのようなものが見える。
「俺が智を解放して美姫を智の処へ連れて行こうとしている事は恐らくはもう二人の耳にも入っているだろう。……急ぐぞ」
「はい」
皇子は周りを常にうかがいながら歩き、私は皇子の足手まといにならないように必死についていく。
そして、智と再会した山のふもとまでやってきた。
ここでようやく皇子は歩調をゆるめる。
「おそらくここまで来れば、当面は大丈夫であろう」
そう言いながらも、周りを警戒してる。
「最初に倒れていた場所で智を待たせている」
この世界で再会した場所。そこで、智と会えるんだ。
泣きそうになるのをぐっとこらえる。今はまだ泣かない、絶対に。
段々と近づいてくる。
早く早く。気持ちばかり焦って、全然体は言うことをきかない。
「美姫、そんなに焦ると転ぶぞ」
皇子も軽口をたたく余裕がある。表情も幾分やわらいでる。
見えた!!
「智!!」
智は皇子のお付きの人とふたりでいた。私の声に気づいてこっちを見て、目がみるみるうちに大きくなる。
「美姫!!」
私と智はお互いに駆け寄って抱きしめ合った。智の匂い。
回した手で背中をなでる。
ちゃんと、ちゃんと智だ。
「智だ」
「うん、美姫だな」
私たちは顔を見合わせて笑った。
こんな時に。ううん、こんな時だからこそ? キスしたいって思ってしまう。
じっと智を見てると、キモチが通じたのか、智もそう思ってくれてたのか。私たちはそっとキスをした。
「感動の再会の所申し訳ない」
皇子の声が笑ってる。
智とこの世界で初めて出会った時のことを思い出した。
パッ。慌ててお互いから離れる。
智も思い出したみたいで、ふたりで顔を見合わせて笑った。
「追っ手が来ている可能性が高い」
皇子の真剣みを帯びた口調。
私たちはお互いの顔を見てうなずき合い表情を引きしめる。
「このままひたすらにまっすぐに進めば、俺の使者が待っている。その者に後の事は全て任せておる」
皇子は私と智をじっと見つめる。
「お前たちは俺たちの分まで幸せになるのだ」
私と智は大きくうなずいて頭を下げた。
「さあ行け」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
私たちはどちらからともなく手をつなぎ、皇子に背を向けた。
ききたいことはたくさんあった。たくさんたくさんたくさんあった。
多分智も同じ。
でも、今は逃げなきゃ。皇子が言ってたように、皇子の使いの人のところまで。
だから、私たちはほとんど無言のまま走った。
皇子に言われたまままっすぐに針路をとる。
智が私に合わせて走ってくれてたものの、三十分ぐらい走ると私の足が限界になった。
「少し歩こう」
私が少し足をひきずるようにして走ったのを感じて智が歩き出した。
「ごめん」
「いや、オレもごめん。美姫のペースに合わせなくて」
横を見ると智が心配そうに私を見ていて目が合った。
なんだか信じられない。もう今度こそ本当にあきらめてた。
智も多分おんなじようなことを思ってくれてるみたいで嬉しそうに笑って、つないだ手に力がこもった。
それから十分くらい歩いたと思う。道が十字路になっていた。
「これってまっすぐに進んでいんだよね?」
「だよな。皇子まっすぐに行けって言ってたもんな」
私たちはおそるおそる直進する。
智がふいに立ち止まった。
ん?
横顔が険しくなってる。
「智?」
「しっ」
左の人差し指を唇に当てて“静かに”のジェスチャーをする。
カサ、カサ……。草のすれる音が小さくどこからかきこえてきた。
こわくなってつないだ手をぎゅっと握ると、智は握り返してくれる。
前方から男が走ってくるのが遠くに見えた。
うそっ!!
「いたぞ~!」
男は振り返って後ろにいるであろう人たちに向かって叫んでる。
「美姫こっち!」
智が茫然としてる私の手をひっぱってくれて、きた道を急いで引き返して今度は左に針路をとる。
私たちはひたすら走った。
道が狭くなっていて私たちがやっと通れるぐらい。草木が顔や腕、足をすっていく。
ピシッ。
「いたっ!」
ワリと太めの枝が思いきり私の腕に当たって思わず声が出る。
「大丈夫か!?」
「うん、ヘーキ!」
「こっちだ!」
後ろのほうで声がする。
だけど、確実にさっき見た時よりも声の距離が近くなってる。
これって前に見た夢みたい。
でも、違う。あの時とは。今は智が一緒。
私は智の手を強く握った。
ウソ……。
「マジか」
智の小さくつぶやく声は焦りに満ちてる。
道は途絶えていた。前はガケ。
後ろを振り返ると、続々と集まってくる男五人。追いつめたことでホッとしたのか、全員がしたり顔。
悔しい。こわい。かなしい。つかまりたくない、絶対に。
智をチラッと見ると、窮鼠猫をかむ。まさにそんな表情でいて、私はそれだけで少しだけ不安が薄れる。
智はあきらめない、どんな時も。こんな時でも絶対に。
私ももうあきらめない、絶対に。
唇をぎゅっとかみしめる。
私たちは彼らと対峙した。
彼らは後ろがガケで私たちが観念してると踏んだのか、特に距離をつめるでもなく、じっと見張ってるだけ。
どうしたらいいんだろう。
「帝、こちらです」
そして、奥のほうから阿倍さんとともに現れる孝徳天皇。
やっぱり、夢と一緒だ。
でも、決定的に違う。今の私には智がいる。
「よくもこのワシの目を盗み、逃げようとしたな」
にごりきった目に怒りの炎がメラメラと燃えてるのがわかる。
そして、じりじりと距離をつめてきた。
「美姫、飛ぶぞ」
え!?
智をチラッと見ると、その横顔は真剣そのもの。
「言ったろ? オレたち離れられない運命だって」
そう言って私を見てニッと笑うと、智は後ろのガケに向かって飛び降りた。
手をつないだままだった私たち。
当然、私もひきずられるようにしてガケをおちていった。




