真偽のはざま
紅紐の木の花言葉「偽りのない心」
翌朝。いつものようにうたさんに呼ばれて姫の部屋へ行くと、姫はミケを抱いて座っていた。
「ねぇ美姫。私を気遣って言っているのなら本当にやめてほしいの」
姫は悲しそうな目で私を見てる。多分、自分のせいだって思ってるんだと思う。
確かにそれもあるけど、皇極天皇の目的はおそらくは皇子。皇子に今いなくなってもらっては困るんだと思う。
そして、お兄さんの孝徳天皇の機嫌を損なわないように。
皇極天皇の今回の目的は娘かわいさというよりはすべては政治的な目的なんだと思う。
私は姫の言葉に首をゆっくりと横に振る。
「姫を気遣って言ってるんじゃないよ。智は本当にもう帰ってこないような気がするし、私もいつまでもここでずっとお世話になり続けるワケにもいかないし」
「そんなことは気にしなくてもいいのよ?」
私はやっぱり首を横に振る。
「気は遣ってはないの。でも、姫?じゃあ姫は帝のお嫁さんになりたいの?」
姫の瞳が大きくゆらぐ。それを見て、ニッコリと笑いかけた。
「ねっ。だから、私がいけばちょうどいいでしょう?」
「でも……」
「皇子はあれからなんて言ってました? 私が帝に嫁ぐことに反対していましたか?」
「いえ。ですが、美姫が智とあんなにも想い合っていたのに、急に心変わりしたのかと心を痛めていましたわ」
心変わりなんてできない。多分一生。私の心から智がいなくなることなんて多分ありえない。
でも、そんなこと言えない。
この世界でもまた自分のキモチを偽らなくちゃいけないなんて。
心に引きずられないように顔を引き締める。
「でも、私と智は先日から段々と気持ちがすれ違うようになっていました」
姫が驚いたようなカオで私を見る。
「それは思い過ごしなのでは? 智は毎夜美姫に会いに来ていたのですし、行方が見えなくなったあの夜だってこちらに向かっていたというではありませんか。毎日あなた方を見ていた私にはとてもそのようには見えませんでした」
「だけど、私と智にしかわからないことはたくさんあります。姫と皇子だってふたりにしかわからない想いがたくさんあるでしょう?」
「えぇ、まぁ」
「そういうことです」
「……そうですか」
姫はがっくりと肩を落としてそれ以上は口をつぐんでしまった。
私はそんな姿になんともいえない気持ちをひきずったまま、とぼとぼと自分の部屋に戻った。
「美姫さま」
部屋に入ると秋保さんがそっと寄り添ってくれる。
「ねぇ秋保さん」
「はい」
「私が帝のところにいったら、一緒に来てもらえるの?」
私の問いに、秋保さんは哀しみと嬉しさが混じったような笑みを浮かべる。
「どうでしょうか。ただ、私は美姫さまに一生ついていく所存でございます。ですので、同行させていただけるよう姫さまにお願いするつもりです」
きっぱりと言い切る秋保さん。彼女の心意気が嬉しくて涙が出そうになる。
「ありがとう。秋保さんがいてくれたら心強いな」
「おこがましいかもしれませんが、私は美姫さまの心の支えになれたらと思っております」
もうダメ。涙があふれてとまらない。
秋保さんがそっと背中に手を当ててなでてくれる。あったかいな。
私は彼女の胸に飛び込んだ。
今日は食事以外の時間は自分の部屋で過ごした。こんなにも姫と一緒に過ごさないのはこの世界にきて初めてのこと。
智にもしものことがあったら――
ほとんど独りでいてそんなことばっかり考えてしまう。
こんなふうになにもできずにただじっとしているのははっきり言って苦痛。
もちろん、極端なことを考えれば、もうすでに智は殺されてる可能性だってある。
仮に命はあったとしても、ひどく殴られたりしてるかもしれない。拷問みたいなことをされてるかもしれない。
そこまでいかなくても満足にご飯ももらえてないかもしれない。
皇極天皇がウソを言ってないとしたら、約束を守ってくれるとしたら、今回のことがうまくいけば智は無事に解放される。今はそのわずかな望みにかけるしかない。
「美姫さま、皇子がお呼びです」
「……はい」
夜、部屋でぼんやりしてるとうたさんが呼びにきた。
緊張が走る。
昨日皇子には怒られてしまったし、早くことを進めるためにも私は絶対に自分の本心を悟られちゃいけない。
きゅっと口を結んで、部屋を出た。
部屋の外には心配そうに私を見てる秋保さんがいた。
私は笑って首を横に振る。心配してくれてありがとう。
姫の部屋に入ると、皇子と姫は並んで座っていた。どちらの表情もかたい。
「明日、母上に美姫が姫の代わりに帝に嫁ぐ意思がある旨を伝えようと思っている」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
私は頭を下げる。
これで一歩前進。
「美姫、顔を上げろ」
私はゆっくりと上げた。
皇子は、今日は怒ってるっていうよりも哀しそうにしてる。
「本当にお前はそれで良いのだな?」
「はい」
「本当に俺や姫に遠慮をしてそのような答を出している訳ではないのだな?」
「はい」
「智を待たず、今回の事に及んで本当に悔いはないのだな?」
私を試すように視線をそらさずにきいてくる。私もじっと見つめ返す。
皇子は私の覚悟を見極めようとしてる。私は気を引きしめる。
「……はい」
「そうか」
皇子は少しだけ視線をそらし、「お前の覚悟は分かった。そのように進むだろう。追って、お前には話が来るだろう」と淡々と話してくれる。
「はい、ありがとうございます」
小さく息を吐いてから頭を深く下げた。
「美姫」
ピンと背筋の伸びたような声。
「はい」
私は顔をゆっくりと上げる。
「お前は俺たちに遠慮していないと言うが、俺は決してその言葉信じておらん。智がお前を捨てる事も、お前が伯父上に嫁ぐと言い出した事も、お前たちの事を今まで見ていた俺には到底信じられるものではない」
「………」
昨日とはうってかわって皇子のやさしいカオとその口調に気がゆるむ。
あぁ、ダメダメ。油断したら涙が出ちゃう。
きゅっと唇をかみしめた。
「きっとお前には俺たちには言えない何かを抱えていると考えている」
「い、いえっ! 決してそのようなことはありませんっ」
皇子はあきらめたように小さく何度かうなずくと、「もうよいもうよい。お前の気持ちは分かった。……今日はもう下がれ」と姫のほうを見ながら言った。
姫と皇子はひしと抱き合うのを見て、私は急いで部屋を出た。
ふたりも心を痛めてる。自分たちのせいだって思ってる。
そして、私が今回言い出したこともなにかあると察してる。
でも、絶対に言えないし、私から言わない。
智の命がかかってる。
智、私がんばってるよ。だから、どうか無事でいて。
さ、もう寝よう。今日はすごく疲れた。もう、なにも考えないようにしよう。
そう思って秋保さんが敷いてくれていたふとんに入った。
だけど、目をつむっても浮かんでくる智の姿。
今、智はどこでなにをしてるのかな。
ご飯、ちゃんと食べさせてもらえてるのかな。
やっぱり、牢屋みたいなところに入れられてるのかな。最初にあった日みたいに、縄でつながれて動けないようにされてるのかな。
ごめんね、智。
私だけ今までとおんなじような生活をしてる。こうやってふとんに入って寝ることができる。
智と私はなんのためにこの世界に堕ちたのかな。
もしかしたら、やっぱりこれは全部夢なのかな。
だったらいいな。
目が醒めたらあのウチの自分の部屋のベッドで、部屋から出たらあの頃のようにそっけのない智がリビングにいて。お互いに他人行儀なあいさつを交わして。
智が無事でいてくれるなら、もうあの頃のように苦しい想いを抱えたままでもいいや。
ねぇ智。
智はどう思う?
もし、今起こってることが現実だとして、私がこんな風に思ってるって知ったら。
智のことだから怒ってくれるかな、くれるよね。うん。
ごめんね。私は、智と一緒に幸せになれないことよりも智が苦しい想いをすることのほうがイヤだから。
約束守れなくてごめんね。
皇子に孝徳天皇にお嫁に行かせてもらうように頼んでから七日が経った。
あの日から皇子は姿を見せていない。
いつもだったら姫もそんな皇子に対してかわいい不満を口にするんだけど。私のことがあるからだと思う、姫はひとことも皇子のことを話題に出そうとはしなかった。
そんな気遣いがよけいに苦しくて、でも、自分から皇子についてなにか言ってしまえば本音をもらしてしまいそうで。私もなにもいえなかった。
お互い一緒にいると息がつまりそうになるから、私は極力自分の部屋にこもるようになった。
もちろん、独りでいると悪いことばかり最悪のことばかり考えてしまうから、それを察してくれているのか、秋保さんがいつもそばにいてくれていた。
この世界にきた時よりももっと強く、「どうかこれが全部夢でありますように」と願いながら床に就いても目が醒めれば、この世界にとどまったままの私がいる。
神さま、どうか私をもとの世界に戻してください。
もうなにも望みません。智の無事だけを願っています。
智との家庭を築くだなんてそんなことワガママだってもう痛いほど自覚しました。
どうか神さま。
智の無事を、そして、もとの世界へ戻してください。
その夜、皇子が現れ、姫の部屋へ呼ばれた。
「美姫、お前は明日帝のもとへ行くことになった」
明日……。とうとう決まったんだ。
姫も知らなかったようで、驚いたカオで私と皇子の顔を見比べてる。
「わかりました……」
「向こうにはお前に必要な物などは全て整えてある。着の身着のまま行くが良い」
「はい。……今までありがとうございました」
深々と頭を下げてから部屋を後にした。
いよいよ明日。
結局、智の行方はわからないまま。智が生きているのか、それすらもわからないまま。
でも、智は生きてて、私がお嫁にいけば絶対に解放してもらえる。
それを信じて今日までなんとかふんばってきたんだ。
もうあっちの世界にも戻れないような気がしてきた。
相変わらず、毎日目が醒めるのはこの部屋だし、今日はとうとう帝のお嫁さんに行く日も決まってしまったもん。
ねぇ智。
もしかしたら私たち一生もう逢えないかもしれないね。もし逢えたとしても私はその時にはもう別の人の奥さん。
でも、絶対に信じていて。私の心は智だけのものだって。
ねぇ神さま。
もうあちらの世界に還ることは私もあきらめました。
だから、どうか智の無事と、そして、私の心は一生智のもとに置かせてください。どうかお願いします。
色々考えてしまってほとんど眠れないまま、朝がやってきた。
覚悟を決めているようで、私の心の中は迷いや戸惑いで溢れていた。
この期に及んで、私がお嫁に行く前に智が見つからないかなとか目が醒めたら全部夢だったらいいのになとか往生際の悪いことを考えていた。
でもやっぱり現実はかわらなくて。
私が姫の家でお世話になっていて、智は見つからないままで。
そして、孝徳天皇のところにお嫁に行くんだ。
ふぅ……。
「美姫さま、そろそろ」
秋保さんが出発を促してきた。
秋保さんも宮中へは一緒にくることになっていて、今の私にはそれだけが唯一の救い。
「はい」
小さく返事をして、玄関へ向かった。
「今までお世話になりました」
頭を下げた。
姫の家の人ほとんど総出で見送ってくれてる。姫やうたさんはすでに泣いていた。
姫に抱かれていたミケがピョンと下りて、私の足にすり寄ってきた。ミケを抱えて頬を寄せると、スリスリ頬ずりをしてくれる。
私がこの世界で初めて会ったのがお前だったね。
なんだかそれもずいぶん前のことみたい。ずっと昔からここで暮らしてたような気がする。
「美姫、私遊びに行くわね」
「帝と会うかもしれないよ?」
「ま、美姫ったら。会わないように伺いますわよ」
私の冗談に姫は怒ったふりをしてから笑った。
その場にいた人たちみんな笑う。でも、みんな泣いてる。もちろん、私も。
「では行きましょう」
孝徳天皇の使い・阿倍さんが出発を促す。
「美姫」
「美姫さま」
「美姫さま~」
みんな泣き声になってる。
姫にミケを渡した。
みんなとこれ以上一緒にいたら離れたくなくなるのがこわくて小さく頭を下げると、そのまますぐに背中を向ける。
姫、うたさん、みんな。本当にお世話になりました。




