突きつけられた刃
夾竹桃の花言葉「危険」
皇子は忙しいのか、今夜も来ない様子。
そして智の手がかりはつかめてないのか、依然皇子からの連絡はない。
「美姫さま」
夜もかなり更けてふとんの中でウトウトしてると、秋保さんがそっと声をかけてきた。
「智いたの!?」
急いでふとんから出る。
「いえ」
ローソクの灯りに照らされた秋保さんが小さく首を横に振る。
「美姫さまを訪ねて来られた方が」
「こんな遅くに?姫じゃなくて私に?」
「はい」
「誰?」
「姫のお母さまの使いです」
え!? 皇極天皇の?
なんで? なんで私?
おそるおそる玄関へ向かうと、かすかな灯りにぼんやりと見える男性が頭を下げる。
「姫、ではありませんよね?」
「はい、違います」
「本当によく似ていらっしゃる」
「……あのご用件は」
「明朝来ていただきたい場所がございます」
「どこですか?」
「それは私からは申し上げられません」
「私が行かなくてはならないんですか?」
「はい。あの者のことで話があると伝えれば分かると」
あの者?
「智のこと!?」
「私には分かり兼ねます……」
「………」
「明朝迎えに参ります」
「……わかりました」
「くれぐれも皇子や姫には内密にと」
「言ったらダメなの? なんで?」
「私の口からは申し上げられません」
もうっ! なんでよ! 肝心のことは“申し上げられません”って!
でも、絶対に智のことしか考えられない。
「ではよろしくお願いいたします」
皇極天皇の使いは去っていった。
あんなことをきかされて当然眠れるはずもなく、夜がしっかり明けないうちにあの男は迎えにきた。
秋保さんとともに家をこっそりと出る、悪いことしてるワケじゃないのにって思うけど。
「姫や皇子には言ってないでしょうね?」
「美姫さまが此度家を空ける事について、姫の付きの者に上手く話していただくよう伝えております。従いまして、姫や皇子の耳に入る事はこちらからは絶対にございません」
秋保さん、そんなことまでしてくれてたんだ!
彼女を見ると小さくうなずいた。
「了承いたしました」
男は私たちを見て真顔で答えた。
おそらくは五分もかからない場所で男が立ち止まった。
目の前には姫の住んでいる邸宅と同じような家。
「こちらでございます」
「ここは……」
秋保さんはどうやら家の主を知ってるみたいで複雑そうにそれを見てる。
ここってやっぱり皇極天皇がいるの?
きこうとすると男が私に鋭い視線を送ってくるから、私は開きかけた口を真一文字に結ぶ。
いい、どうせ中に入ればすぐにわかること。誰がなんのために私をここに呼んだのか、全部わかる。
「こちらでお待ち下さい」
中に案内され、私は畳と板張りが混在してる部屋に通された。
秋保さんは部屋の外、男は私の後ろに控えてる。
ツバを飲み込む音をたてるのもはばかれるほど、緊張で激しい心音が響きそうなほど、空気がピンと張りつめてる。
やっぱり!
部屋に入ってほどなくして現れたのは姫と皇子の母親・皇極天皇だった。
彼女が入ってくるとうっすらとお香の薫り。
「美姫、元気にしていましたか?」
微笑んでくれるけど、その笑顔はアンドロイドみたいで不気味。
「はい……」
「今日来ていただいたのは他ならぬあなたに頼みがあるからなのです」
どんな感情を伴ってるのか表情や口調からはまったくわからない。
だけど、今までのことを考えればそれは私にとって受け入れにくいことなんじゃないかって思う。
ゴクリ、小さくツバを飲み込んだ。
「……私に頼み、ですか?」
「ええ」
まただ。ニッコリと笑ったものの、それはまるで人工的。
「なんでしょうか?」
じっと私の目を見つめてくる。こわい。
まるでメデューサみたい。私は石のように固まってしまった。
「兄上が姫を妻にとおっしゃっている事はあなたもあの日話を聴いていたのでご存知でしょう」
私が初めてこの人と会った日、確かに孝徳天皇が姫をお嫁にほしいって言ってた。
そして、孝徳天皇から姫をお嫁に出さないなら皇子は追放すると言われてることも知ってる。おそらくはそのことを私が知っていることぐらい把握しているのかもしれない。
「……はい」
「あなたに兄上の妻になっていただきたい」
えっ!? はぁ!? えぇ!?
自分でもマヌケなカオをしてると思う。皇極天皇にフッと鼻で笑われた。
「あの子の代わりにあなたが兄上の妻になって欲しいと言っているのです」
口の右端をクイッと上げる。
え!? マジで? 本気で言ってんの?
思わず眉間にシワを寄せて、多分あからさまにイヤそうに私はしてたんだと思う。
ギロリ、鋭い視線。身がすくむ。
目が本気だ。
「先日皇子から言われました、身分を捨てこの国を姫とともに離れると。あなたもご存知の通り、姫には皇子との関係を解消するよう言いましたが、あのように首を縦に振ろうとはしなかった。未だ、その件を呑む便りもない。兄上は兄上で、姫を妻に出来ないのなら皇子を追放するとまでおっしゃる。姫と皇子を離そうとすればする程に、事は悪化の一途。そこでっ」
ぐわっと目を見開く。
そのさまに私は完全に圧倒された。
「姫と瓜二つのあなたが兄上の妻となり、姫には都から離れた場所で暮らさせる。そうすれば、万事上手くいくのです」
この人、本気だ。
圧倒されて言葉をはさむことができない。
「皇子と姫が後はどのようにしようとも目をつぶるつもりです。離れれば、今程二人の事を見聞きする人間もいなくなるでしょう。だから、あなたが兄上の妻になればそれで良いのです」
天皇にまでなるような人間は利用できるものはとことん利用するのかな。そこに血は通ってない。
孝徳天皇と結婚なんてできないよ! あの人、一緒の空気を吸うのもイヤ。
それに、そもそも私は智と結婚してるんだし、智以外なんて絶対にイヤ!
「まさかとは思いますが、断ろうなどと考えてはいないでしょうね?」
うつむいて答えようとしない私に冷ややかな口調で言葉をぶつけてくる。
「あなたの夫、智と言いましたね」
思わず顔を上げると、彼女はなにかを企んでる笑顔で私を見つめる。
「あの者がどのようになっても良いのですか?」
したり顔で私を見る。
背中にイヤな汗が流れ落ちた。
「もしあなたが此度の事断るならば、あの男の命はないと思いなさい」
全身が逆毛立つ。
この世界で智に再会した時に皇子が智に刀を突きつけた時もこわかったけど、あの時とは比べものにならないくらい。
吐きそう。
「智はどこにいるんですか!?」
「此度の事が首尾良く終わり次第、あの者を解放しましょう。但し、此度の事をあなたが出来ないのならば……分かりますね?」
ヒザの上で握りしめていた手に一層力が入る。
「また此度の事、姫や皇子に話す事もいけません。……よろしいですね?」
口の中に鉄の味がじんわりと広がってくる。舌先で唇をなめてみるとそれはまぎれもなく血でおそらくは唇を噛みしめたあまりの結果。
「さ、美姫。お帰りなさい。姫もさぞやあなたがいなくなり心配しているやもしれませんよ」
今までとは表情を一変させ、とても同じ人とは思えない。ニッコリとまるで聖母マリアのように慈しみ深い笑みを浮かべている。まるで阿修羅みたい。
あまりの衝撃に体が動けずにいると阿修羅はまた表情が険しくなった。
「さ、行くのです。そして、帰ったら姫に言うのです、“帝の妻になる”と」
「さ、美姫さま」
後ろにいた男が彼女の機嫌を察して私の体を引き上げるようにして立たせた。
「美姫さま、大丈夫ですかっ」
ヨロヨロとやっとの思いで部屋の外に出ると、秋保さんが支えてくれる。
「ありがとう……」
どうしたって私があの条件をのむしかないワケで。
智の命を引き換えに、智とはなればなれにならなきゃいけないんだ……。
智とはなればなれになるのはイヤ。あんなオジサンと夫婦になるなんてやだ。
でも、智が死んじゃうなんて絶対にやだ。考えたこともないし、考えたくもない。
頭がクラクラする。地面がグラングランにゆがんでる。
「美姫さま、姫に全てお話した方がよろしいのではないですか?」
外に出て、周りをキョロキョロしながら依然独りだと歩くこともままならない私を支えてくれてる秋保さん。心配そうに小声で言ってきた。
やっとの思いで私は首を振る。もう力が入らない。
「私が話したことがわかったら、智が……」
「しかし、美姫さまお独りで抱えられる事ではございません」
「でも、智にもしものことがあったら」
必ずしも彼女の言いつけを守ったからといって、智の命が保証されるとも思えない。
だけど、私がヘタなことをすれば、智の命がない。それだけははっきりとわかる。
私にとって智がいなくなることがなによりも一番耐えられないこと。
「美姫さま……」
声が震えていて、見ると秋保さんは泣いてる。
それを見ると、急に涙があふれてきた。
「秋保さん……」
ふたりで木の陰で抱き合って声を出さずに泣いた。
ありがとう、秋保さん。やっぱりしほりと似てる。




