揺らぐ想い
赤熊百合の花言葉「あなたを想って心が痛む」
翌日。
「お母さま……」
いつものように姫と会話を楽しんでいると、一人の中年女性が現れて姫が驚いたようにつぶやいた。
姫がお母さまってことはもしかすると皇極天皇? ということは孝徳天皇の妹?
姫のひざの上で寝ていたミケが庭に行ってしまった。
その女性はミケのことが好きではないのかもしれない、ミケの様子を厳しい目で見つめていた。やがて、姫へと視線が向けられる。表情からはなにを考えているのかうかがい知れない。だけど、人間の本能なのか、この人はあまり好きではないと感じる。
「姫、元気にしていましたか?」
「えぇ……」
「兄上からはあなたが体の調子を崩していると聞きましたが、」って言いながら私を厳しいカオで見て、「この者を行かせたのではありませんか?」とイヤミっぽくきく。
兄上? 昨日のことを言ってるってことは孝徳天皇のこと? ってことはやっぱりこの人皇極天皇か。
確かに似てる。姫と母娘だってよく見ればわかる。
姫は押し黙っている。
再び私を見る皇極天皇。
「あなたの存在は皇子から聞いています」
「は、はぁ……」
皇極天皇は中へ入ってくると腰を下ろし、ちょうど私たち三人がトライアングルに座る形になった。
「お母さま、今日はどうなされたの?」
姫もおそらくはこの人にあまりいい印象を抱いていないような気がする。そんな感情を隠しているようだけれど、なんとなくそれが私には伝わってきた。
「単刀直入に言いましょう。皇子の足手まといになっていませんか?」
表情も声のトーンも冷静。だからこそ、そこに怒りが込められているように感じた。
姫も負けてない。にらむようにして皇極天皇を見返す。けれど、それが精一杯で黙ったままでいる。
だけど、足手まといなんて……。娘に対してよくそんなことが言えるなと思うけど、歴史を考えてみれば、親の血なんて都合よく大事にされたりないがしろにされたりしてるから、そんなことも平然と言えるんだろうな、きっと。
昨日の孝徳天皇の気持ち悪い目つきを思い出される。ぞっとして急いで打ち消した。
「あなたと皇子、二人の事は私の耳に入っていますよ」
姫の瞳が一瞬ゆらいだけど、すぐに「だったら何ですか?」と冷静に返した。
すると、皇極天皇は厳しい視線を姫に向ける。それはまるで私まで怒られているような気持ちになる。
「皇子が未だ帝になっていないのは、あなたとの関係を一部の者から咎められたからなのですよ」
え……。
私は初めて知る話に驚いたけど、姫は知ってたみたい。唇をかみしめて悲しそうに目を伏せた。
「あなた方二人は私がお腹を痛めて産んだ子。それがどういう意味かは分かっていますね?」
まるで私まで非難されてる気がする。
姫はたえきれなくなって涙ぐんでいた。
「私が公務で忙しい事をいいことに。兄上からもあなた方の関係についてきつく言われました」
「……お兄さまには何かもう言われたのですか?」
「えぇ、何度となく」
「お兄さまは何と?」
「……皇子はいつもあなたを庇っています」
「庇う?」
「“俺が好きでしている事。姫は無理矢理応じているだけだ”と」
それをきいて姫はわぁっと声を上げて泣き崩れた。
「皇子がこの国の為に懸命に動いている事はあなたも存じているかと思います。そのような人の邪魔をして、あなたは気が咎めないのですか?」
だけど、そんな娘の姿を見てもちっともゆらいでいない。それどころか皇極天皇は言葉をかぶせた。
「……私からお兄さまを取り上げるの?」
「ふっ」
姫は涙でほっぺたをぬらした顔を上げて訴えたことに対し、皇極天皇は鼻で笑った。
「あなた方は初めから同腹の兄妹。取り上げるなど。……他の兄妹と同じように振る舞えば何の問題もありません」
ひどい。赤の他人よりもよっぽど冷たい。まるで氷のよう。
そして、胸に突き刺さる。姫に言ってるはずなのに、まるで自分が言われてるみたい。
「嫌よ、嫌!!」
子供みたいに首を何度も振る姫を皇極天皇は本当に冷めた目で見てる。母娘なのかと思うほど冷たい瞳。
「私はお兄さまを愛しているの。どうか許して」
姫は両手で顔をおおいながら力なく言う。
「あなたは私の顔にも泥を塗っているのですよ」
どこまでも冷淡だ。淡々と発する言葉、氷のような視線。母娘の情なんて存在しない。
天皇にまでなる人はこんななの?
「皇子にも近頃は縁談が持ち上がっています」
え!?
だけど姫は知っていたのかもしれない、泣き声が激しくなった。
「皇子には跡継ぎも必要。但し、あなたがそれをする事は許されません。絶対に」
姫は懇願するような瞳で彼女を見る。
「おそばにいることも適わないのですか……?」
「………まだそのような頭の可笑しなことを言うのですか?」
皇極天皇はバカにしたように笑った。
なんだか自分までもバカにされてる気がする。悔しいけれど、私にはなにも言えない。
「幸いにして、あなたを妻にと兄上が仰っています」
えっ!
やっぱり昨日の孝徳天皇の態度。そういう特別な感情があるんだ……。
「いい機会です、その道を進みなさい」
「嫌よ! 絶対に嫌! お兄さまと離れ離れになる上に、伯父さまと結婚するなんて!」
皇極天皇は冷ややかに目線だけを姫に向け、ため息をつく。
「……皇子にももう伝えました。これは一国の問題でもあります。あなたの振る舞いでこの国の民を辛い目に遇わせるかもしれない事を自覚しなさい」
皇極天皇はそれを告げると出ていった、呆れたような表情をしながら。
姫はあのあとふさぎこんでしまって、夕食をとらなかった。
夕食後、朝からおなかが痛いと思ってたら生理がきた。
できる時は1回でもできるらしいのに……。
やるせない想いとともに、 今日姫が言われたことを思い出す。
神さま。
私と智もやっぱり結ばれてはいけない運命なんですか?
ただの兄妹としていなければいけないんですか?
夜が更けて、皇子と智がやってきた。
皇子は皇極天皇になにか言われたのかもしれない。珍しく神妙な面持ち。
「お兄さま……」
姫は皇子の顔を見ると安心したのか、それとも私と同じようなことを感じたのからなのか、ボロボロと涙をこぼす。
「お兄さま、ひどく疲れたご様子。……お母さまに何て言われたの?」
「姫は何を言われたのか?」
皇子は今日の話をきかされていなかったのか、ひどく驚いている。
「……お兄さまの足手まといになっていると」
「足手まといになどなっておらんっ」
「でも、私が慕っているからお兄さまは帝になっていないし、国の民のためにもならないとおっしゃっていたわ!」
「そんな事など関係ない! 断じて」
皇子は姫を抱き寄せて、そのまま唇を奪った。
私と智はそれ以上他人の情事を見る気にはなれず、私の部屋へ。
部屋に入るとすぐに智は私の手を引いて座り、そのまま智の前に座った。
私を後ろから抱きしめてくれる。
姫の話、自分自身の体のこと。そんなことがあったせいか、今日は一段と智の胸にいると切なくて胸を締めつけられる。智の腕を強く抱きしめた。
「智……」
「ん~?」
甘くのんびりとした返事をすると、私の顔をのぞきこみついばむようなキスをくれて、そのまま私の右肩に顔を置く。
「アレがね、来た」
「アレ? ……あぁ、アレか。そっか」
「やっぱりすぐにはデキなかったりするもんなんだね」
「ま、そうだよな~」
智はたいして気にしてない様子。
「ねぇ、……智も皇子たちのこときいた?」
智の腕が一瞬ビクンとなった。
「きいたけど?」
「皇子と姫は兄妹」
「だから? それがなんだよ。皇子は皇太子だし、国の重要人物だろ? でも、オレたちは違う。カンケーないだろ?」
智の声は明らかにこわばっていて、言葉とはうらはらにおそらくは私とおんなじことを感じてることがわかる。
「うん、だけど、同じ両親から生まれた兄妹は罪なんでしょ? 生理もきたし、多分そういうことなんじゃないかな」
「なんだよ、そういうことって!」
「家族を築いちゃいけな」
“い”という最後の言葉は智の唇にふさがれて言えなかった。
息をするなと言わんばかりの激しいキス。
「はぁ、はぁ、はぁ、……」
唇が離れた時には私は酸欠気味。大きく肩で息をする。
智も少し息が荒くなってる。
「美姫。この世界でふたりで夫婦として生きていくってオレたち決めたじゃん。オレは絶対にあきらめないからな」
智も多分不安なんだと思う。でも、力強く言ってくれる。
私はあふれてくる涙をゴシゴシと乱暴に拭きながら、コクコクと何度もうなずいた。
一週間が経った。
皇子は忙しいのか、あの日から姿を見せてない。
姫に明らかな不安の色が濃くなった。常にイライラしててうたさんや他の人にきつくあたったり、突然泣き出したりするようになった。
私も多分情緒不安定。
幸い智は毎日逢いにきてくれる。でも、あの夜みたいに智を不安にさせることが増えた。
智とせっかく過ごす貴重な時間なのに。智とこの世界で生きるって決めたのに。
私のローソクの灯火は大きく揺れていて今にも消えそうだ。
私と智は夫婦として生きていいの? 子供をもうけていいの?
私と智は兄妹。
この時代だって罪にとわれるのに、姫と皇子だって断罪されようとしてるのに、私たちだけ幸せになっていいの?
覚悟が揺らいでる。誰かがふぅっと吹いたら消え入りそうなくらい。
ねぇ智。
私たちはこのままで本当にいいのかな。
好きだけで自分たちの気持ちだけを優先していいのかな。
結局私はどの世界で生きたって智とのことを悩むんだ……。
「お兄さま!」
皇子を見るなり、姫は嬉しそうに抱きついた。
姫のこんなに穏やかなカオを見るのは本当に久しぶり。
今夜は智と一緒に皇子もやってきた。
良かった。姫の笑顔を見ると、こっちまでホッとする。
「すまんな、ここのところ公務が忙しくてな」
「お兄さま……」
皇子の表情は冴えない。疲労の色が濃い。
姫は皇子の顔をじっと見つめて彼の頬をなでてる。愛しそうに、いたわるように。
皇子はそれに応えるように姫のほっぺたを両手で優しく包むようにしてそのままキスをした。
私と智はそっと部屋をあとにした。
「皇子、すっごい疲れてない?」
「うん……」
智がすごくぼんやりしてる。
「どした?」
「いや……」
智が口ごもって視線をそらす。この反応、絶対になにかある。
「話して?」
「あ~、うん……」
部屋に入って智に後ろから抱きすくめられる。
「孝徳天皇が皇子に姫をくれって言ってて。それは前からなんだけど。今日さ、姫を嫁に出さないなら皇子を追放するって言ってて」
え!
でも、それは歴史的に見ればあり得ないこと。
今も実質的には皇太子の皇子が政治を動かしてるはずだし、皇子は大化の改新を遂行してそのあとに天智天皇にまでなってるから、多分それはあり得ない。
確か姫が孝徳天皇にお嫁にいってるんだったよね。姫と皇子を見てたら、そのことをすっかり忘れてたけど。
そうだった、一度はふたり別々の道をえらぶんだった……。
智はクルリと私の向きをかえ、私たちは向き合う。
「美姫。オレたちはなにも考えないでおこう」
チュッ、軽いキスをくれてやさしく諭すように言ってくれた。
「うん」
智もきっと考えてる。だから私に言い聞かせるように、実は自分自身にも言い聞かせてるんだと思う。
「この世界でオレたちが生きてるのって、現代でかなえられなかったことをかなえるためだって思ってる。美姫は違うのか?」
「違わない、違わないよ」
私は首を振りながら答える。
「だったら、頼むからその気持ち貫けよ」
智が今にも泣きそうなカオしてる、どんな時でも泣かない智が。
鼻の奥がツンとする。
「うんっ」
「オレは絶対に美姫と家族になりたい。兄妹じゃなくて夫婦として。美姫との子供だってほしい」
こぼれそうになる涙を必死でおさえながら何度も何度もうなずく。
「美姫」
智は私を抱き寄せてキスをしてくれた。
智と離れたくない、つながってたい。ココロもカラダも。
ずっとひとつになってたい。




