燃ゆる想い
緋衣草の花言葉「あなたのことばかり思う」
(赤い色の場合)「私の心は燃えている」
「いやよっ!」
「姫!そこをどうかお願いいたします!」
どうしたんだろう?
部屋から姫のところへ向かっていると、姫と男性の言い争うような声が聞こえてきた。
「どうか姫、お願いですっ!」
庭先にいた男の人がペコペコと頭を下げて懇願してる。
「だから、嫌だと言っているじゃありませんか!」
姫はやっぱり育ちがよいせいか比較的温厚。だから、こんなにも声を上げて感情をあらわにするのを見るのは初めてかもしれない。
「あ、そうだわっ!」
私がおそるおそる姫の前に姿を現したとほぼ同時に、彼女はまるでいいことを思いついたかのように私を見た。
なんとなくヤな予感……。
「ねぇ美姫」
「はい?」
気味が悪いほどの笑顔。
こんなカオをする時は絶対ロクなことを考えてない。それは彼女との付き合いの中でわかってきた。だからあえてなにもわからない風を装ってとぼけてみる。
「帝に会ってみたいと思わない?」
「へ?」
なにを姫は考えてるんだろう。
帝って今は孝徳天皇だよね。姫と皇子の伯父さんでもあって、……後世では姫のダンナさまだって言われてる人。だよね?
姫をはじめ、その男やうたさん、秋保さんの視線が一斉に集中する。
「姫は姉君か妹君はいらっしゃいましたか……?」
男は目を大きく見開いて私を見ていて、発した声が震えてる。
あれ? この人、どっかで見たことある気がするんだけど、どこだろう……。
「ああ!?」
「なんです、頓狂な声を出してっ」
うたさんが目をつり上げてる。
「ごめんなさい……」
両手で口元をおさえてもう一度男の顔を見る。
間違いない。あの時の夢-大坂から奈良に向かうバスの中で見た夢-であの気持ち悪いオジサンと一緒に現れた人だ。
で、あのオジサン、確か帝って呼ばれてた。
ってことは? もしかして帝ってそういうこと?
「いやぁ、ご遠慮します。そんな高貴な方にお会いするなんて。おそれ多いですからっ」
「ふふふ、遠慮しないで。私の伯父さまでもあるから」
「い、いえっ、決して遠慮してるとかそういうことではっ」
姫は男性を見て、「ねぇ、阿倍。私を連れていかなければ、伯父さまからとがめられるのでしょう? あなたもご覧のように、幸いここにいる美姫は私と瓜二つ。お兄さまも初めて美姫を見た時には驚いていた程。美姫が黙っていれば、伯父さまも騙されるわ」と矢継ぎ早に話す。
てか、私の意見はスルーかよ!
「し、しかしっ」
阿倍と呼ばれた男性は帝をあざむくような姫の計画に当然戸惑ってる。
うたさんを見ると、なんとも言えない表情。でも、口をはさむ気はないらしい。口がまったくうごく様子はない。
「私は絶対に行きませんからっ」
姫のカオがまるで般若のよう。よっぽどヤなんだろうな……。
確かに、あの夢の気持ち悪いオジサンが孝徳天皇だとしたら、私も会いたくないもん。
「さ、美姫。行ってらっしゃい」
姫の気持ち悪いほどの笑顔に、男はもうなにも言えなかった。
そうして、秋保さんとともに男になかば強引に連れてこられたのは天皇や平安貴族とかの住まいとして歴史の資料集なんかで紹介されてるような大きな建物。
帝がいる場所ってことはここって宮中?
板張りのだだっ広い部屋に通された。
部屋には奥のほうに、古代中国の皇帝が座ってたような豪華なイスが置いてある。
秋保さんは部屋の外で待ってくれていて、私のすぐ後ろには阿倍さんが控えてる。
「おぉ、姫よ!!」
やっぱり……!
声を弾ませて部屋に入ってきたのは、あの夢に出てきた気持ち悪いオジサンだった。
その人はイスにどっしりと腰かける。
「ん? どうした? なにかワシの顔についておるか?」
元々細い目がニヤついて線になり、気持ち悪さを増幅させてる。
しかめっ面になりそうになってるのを自覚して、私は一生懸命に笑顔を作って首を横に振った。
「元気にしておったか?」
「………」
なんて答えればいいの? 声は私と姫あまり似てないし。
「帝。姫はお体の調子が思わしくなく、声が出ないそうです。付きの者が申しておりました」
コクコク。私は何度もうなずく。
ナイスフォロー。グッジョブ! きっとこの人も必死なんだろうな。
「おお! それはそれは可哀想に。そのような中、ワシに会いに来てくれたのか?」
いや、アンタが来いって言ったんじゃないの?
「はい、随分と顔を見せておらず申し訳ないと付きの者に姫はおっしゃっていたそうでございます」
はぁ? 絶対それ言いすぎだからっ!
姫、怒り狂うだろうなぁ……。
「そうなのか?」
ニヤニヤニヤニヤ、キモいんだけど。ヌメッとしててカエルみたい。
私はうなずくのがやっと。
「帝、やはり姫のお体にさわります故、付きの者から早く帰っていただくように言われておりますので、今日のところはこのあたりで……」
「おお、そうじゃな」
相変わらずニヤニヤしていたものの、もう姫が帰るのがさみしいと見える。少しだけ悲しそうに私を見てる。
だけど、気持ち悪さはちっとも軽減されない。それどころか、トリハダが……。
「姫、今日は久しぶりに会えて嬉しかったぞ。……お主、 ますます美しゅうなって」
ゾッとした。どう見ても、伯父さんが姪っコを見る目じゃなかった。オヤジが女性をいやらしい目でなめ回すように見てくる。
私は乾いた笑みを貼り付けるのが限界だった。
「さっ! 姫行きましょう」
「また体調が整ったらば会いに来なさい。楽しみにしておるぞ」
ニヤ~として見てるから、背筋に寒いものが走る。
私はテキトーに笑い返すのが精一杯だった。
「なにそれ!」
帰ってから姫に帝とのやりとりを伝えると思った通りたいそうご立腹。
「今度阿倍が来たら追い返してやるっ!」
本当に姫がこんなに怒るなんて、よっぽどあの伯父さんがキライなんだろうな。
まぁわかるけど。
「あの人、気持ち悪かったでしょう?」
ブフッ! 姫ストレートすぎる。わかる、わかるけど。
「姫っ!」
うたさんがさすがにいさめようとする。
「うただってそう思っているのは分かっているのよ」
「姫~」
どうやら図星らしい。うたさんは言い当てられて明らかに動揺してる。
「美姫、遠慮しないで正直におっしゃい」
姫がにらみをきかせるから、うたさんは眉間にシワを寄せて口を真一文字に結ぶ。
「えっと、その、姫の意見に同意します……」
「でしょう! 本当にあの人気持ち悪いんだからっ」
伯父さんは姫にとってはあの人扱い。だけど、まぁわかる、姫の気持ちは痛いほど。
「姫、もうそれくらいに……」
「……ふんっ」
姫はうたさんの制止に渋々黙った。
その夜、皇子と智がやってきた。
「美姫、今日は伯父上のところに姫の代わりに行ってくれたそうだな」
「はい」
「すまんな。姫は昔から伯父上が苦手でな」
「だって、あの人気持ち悪いんですもの」
姫は口を尖らせてる。
「まぁそう言うな」
「……はい」
大好きな皇子の制止にはすごく素直。しおらしく黙った。
「心配するな。姫のことは俺が守るから」
「まぁ嬉しい! お兄さま絶対よ、約束よ!」
そう言うと皇子の胸に飛び込んだ。
あー始まった……。
ふたりがイチャイチャし始めるから、私と智はそっとその場を離れた。
部屋に入るなり、智は私を抱きしめて私のすべてを食べてしまいそうなキスをくれる。
頭の芯が心地よくしびれる。
キスするだけで、智とひとつになりたいってカラダがココロが叫ぶ。別々のカラダなのがもどかしくなる。
私たちはそのままひとつになった。
「どうだった?」
ふとんに入ったまま智は私のカラダのあちこちに口づけをしてくれていた。その心地よさにまどろんでいると智がきいてきた。
「ん?」
「孝徳天皇。会ったんだろ?」
智は私と並ぶと腕枕をしてくれる。私は智の胸に頭を押し当てた。
「あ~、うん。姫が言ってた通りだよ」
顔を上げると少し斜め上の智は軽くキスをくれた。
「気持ち悪いってヤツ?」
智はクスッと笑った。
「うん。でね、私あの人見たことあるんだよね」
「え?」
「夢で」
「夢?」
智がけげんそうに私を見る。
「うん、夢で。ほら私、研修旅行の初日、体調悪かったでしょ?」
「あぁ」
「その時、バスで寝てた時に見たの」
そうして、私はその夢のことを話した。
話し終わると、智は私をきつく抱きしめた。
「絶対美姫のこと離さないから」
「うん」
私は大きくうなずく。
「美姫が離しても、」
「私は離さないよ? だって智と離れたくないもん」
「わかってる。だけど、それくらい美姫のことを好きだってことだよ」
「うん、私も一緒だよっ」
「ありがとう。オレ、美姫は誰にも渡さないから」
力強い智の言葉に涙があふれる。
「オレたち離れられない運命なんだから」
口を開こうとするとますます涙があふれてとまらなくなりそうで、黙ったまま何度もうなずいた。
「オレさ、この世界にきてからずっと思ってたんだけど」
少しだけ照れた口調。
顔を上げると、口調同様照れくさそうにしてる智。
「うん?」
だけど、真顔で私を見つめ返してくれるから、それに応えるように真剣な彼の瞳をのぞき込む。
「美姫と家族になりたい」
ん?
私と智は兄妹だし。この時代のいわゆる通い婚の条件はクリアしてるから、夫婦として認めてもらえてるはず。
私は首をかしげた。
「美姫との子供がほしいんだ」
はっきりとした口調で言い切る。驚いたけど、それ以上に喜びがあった。
「美姫はどう思う?」
「私も智の子供がほしいっ」
「サンキュ」
智はぎゅっと抱きしめてくれる。
「……もう本当に帰れなくなると思うけどいいのか?」
私はうなずいて、「だって、戻ったら智とこんなふうに過ごすこともできなくなるもん。そんなのもうやだよ」って言いながら思わず涙ぐんでしまった。
「そうだな」
つぶやくと、智は私にそっとキスを落とす。
それは段々と息の仕方も忘れるくらい激しいものになる。
私と智はこの世界で生きていくんだ。現実ではかなえられなかったことをかなえるんだ。
その夜、智は初めて私の中で果てた。




