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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
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8.

 イーズの騒ぎを聞くと、シグラッドは血相を変えて帰って来た。


 言い争って以来、はじめて会うシグラッドに、イーズはとまどった。が、シグラッドはためらうことなく抱きしめてきた。髪に頬に腕に足にふれ、無事をたしかめてくる。その手がふるえていることに気がつくと、イーズは胸が刺されたように痛んだ。


「ごめん、誤解なの。髪飾りを拾うために窓から身を乗り出したら、皆が誤解して大騒ぎしちゃって」


 騙すことができず、イーズは本当のことをしゃべった。乱れている赤い髪をそっとなでつける。シグラッドはほっと息を吐くと、やっぱりまたイーズを抱きしめた。


 よかった、と泣きそうな声でいわれて、イーズはまた胸がえぐられたように痛んだ。どうして自分はアデカ王の孫に生まれなかったのだろう、とはじめて悲しくなった。


「アスラインにも寄ったの?」


 シグラッドの身体から、かすかに、レノーラのつけていた香水と同じかおりがしていた。シグラッドは小首を傾げ、ああ、と上着の内側から手紙を取り出した。すっかり忘れていたらしい、くしゃくしゃになっている。


「アスラインの宗主が逝去した。家督はブレーデンに譲るという遺言だったそうだ」

「……」

「で、レノーラは、どこかに嫁入りする気でいるらしい」

「え?」


 イーズに手紙を渡すと、シグラッドは外套や上着を脱ぎ、楽なかっこうになった。水を一杯飲み、侍女に簡単な食事を要求する。


「手紙に出てくる、ダルダロスって、だれ? “父はダルダロスがブレーデンを補佐するなら、アスラインは安泰と申しておりました”――ってあるけど」

「さあ。私も知らない」

「黒いうろこのついた仮面をかぶった変な人? 今、ブレーデンと一緒に城に来てる。窓の外に髪飾りを落としたのも、二人を見ようとしてだったんだ」


 とぼけてもムダと思ったらしい、シグラッドは仕方なさそうに口を割った。


「ある日突然、アスラインにやってきて、ブレーデンを任せてみて欲しいと申し出た男だ。現れたときから、仮面をつけていた。

 宗主は不審がって追い返そうとしたらしいが、衆人に素顔を晒せないブレーデンと同じ気持ちになるために仮面をかぶっているといわれて、宗主は試しに会わせてみたらしい。

 三日ほどして、ブレーデンは男と一緒に部屋から出てきた。それ以来、宗主はすっかりその男を信頼し、ブレーデンもその男のいうことは聞くようになっているとか」


「経歴とか、何もわからないの?」


「分からない。出身も経歴も明かさない。話す言葉になまりもないし、田舎から出てきたという感じではない。各国の事情に精通しているから、以前はどこかの国の宮廷にいたのではないかという話だが。とにかく謎だとさ」


「……そう」


 バルクの語っていた目的からして、ダルダロスはニールゲン周辺諸国出身と思われるが。軽々とアスラインの宗主を丸めこんでしまうほどの逸材がいたという話は聞いたことがないので、正体は見当がつかなかった。


「レノーラさん、どうして急に宗主の座をあきらめる気になったんだろう。この人に、丸め込まれたのかな」

「あの猛女を? だとしたら、たいしたものだ。油断ならないな」


 シグラッドは苛立たしげに中指で親指をはじいた。いまだにブレーデンを敵に回す気でいるシグラッドに、イーズは不満を覚えたが、口には出さなかった。


 また平行線の議論が繰り広げられることは目に見えている。予想が現実となることを、イーズは嫌った。これ以上シグラッドを傷つけることが怖い。自分自身も傷ついて、本当に窓から身投げしそうだった。


 シグラッドも同じことを考えたのか、不自然に、急に黙りこんだ。運ばれてきた軽食をあっという間に片付けると、すぐに席を立つ。


「少し、ゼレイアたちに不在の間にあったことを聞いてくる。また後で」

「……うん」


 いってらっしゃい、とは、この部屋に閉じこめられてから、イーズはいわない。家族のようにふるまうことはできなくなっていた。


「シグはさ。もし、王位を捨てて私と一緒に来てといったら、できる?」


 質問の唐突さに、シグラッドはおどろいていた。答えには、詰まる。イーズは笑った。


「できない、でいいの。私はそんなこと望まないし、そんなことをするシグを好きになったわけじゃない。

 でも、だからこそ私はそばにいられない。そんな貴方のそばにいることは、燃え盛る炎の中にいるようで辛い。竜は火の中でも生きていけるのだろうけど、普通の人間にはむりなんだよ。お互い自分の領分を守って、互いをながめながら暮らすので精いっぱいじゃないのかな」


「何をいっているんだ。大丈夫。もう少し。もう少しで終わるから。これ以上、だれにも傷つけられないよう、守り通すから」

「外に出さず、だれと会うことも話すこともさせず、窓もふさいで? 次は私をどうするの?」


 イーズは皮肉げにいった。窓に板を打ちつけられ、昼だというのに室内はうす暗い。


「お願い、私を好きだというのなら、どうかここから出して。お互いがお互いを嫌いになる前に、お別れさせて」

「ここを出て、どこに行くんだ」


 イーズは先について考えをめぐらせていなかったので、返事に迷った。シグラッドが激情に声をかすれさせる。


「他のやつのものになんか、ならないでくれ。アルカが他のだれかのものになることは、我慢がならないんだ。どうしても私と別れたいというなら、レギンとも別れてくれ」

「シグまで疑っていたの? 私とレギンのこと」


 イーズが頓狂な声を上げると、シグラッドは気まずそうにうつむいた。


「シグは、私が浮気する人で、レギンが大事な弟の婚約者に手を出すような人だって思っていたの?」

「思っていない。でも、もし、アルカが私と婚約していなかったら、二人が自然と結ばれていたような気がして、ずっと不安だったんだ」


 イーズは虚を突かれた。ちがう、と否定しようとして、本当はそうだったのではないかと自分を疑った。


 レギンといた時、イーズは幸せだった。イーズはその幸せを、すべて、さまざまなしがらみから逃れることができたことによるものだと思っていた。


 だが、どうだろう。レギンに正妃になって欲しいといわれたとき、胸に抱いた気持ちは。嫌だと思わなかった。逃げたいと考えなかった。それどころか、幸せだと感じた。


 イーズは恋を知らない。知りたいと思ったこともない。決められた相手と結婚し、決められた相手を愛して、型どおりに暮らしていければ満足だった。


 怖かった。決められた相手以外を好きになったら、毎日が地獄だ。様々なことを背負っていく立場で、恋に溺れるという危険は犯せなかった。イーズの臆病さは恋愛ごとにまで及んで、恋というものを意識の外に追いやっていた。


「……分かった。ちゃんとレギンとも別れるから、心配しないで。長いこと、不安にさせてごめんなさい」


 イーズは動揺を押さえるのに苦労した。無知と無意識ほどたちの悪いものはない。ずっと無邪気にシグラッドを傷つけていたのだと思うと、何が何でも側においておこうとするシグラッドの行き過ぎた行動を許す気持ちになった。


「シグのことが嫌いなわけじゃないんだよ。だから、私のわがままを聞いてくれる?」


 別れてくれるかと、イーズは暗にたずねた。承諾の言葉はなく、額にキスが返ってきた。今までした中で、一番、遠慮がちで、不器用なキスが。


「行ってくる」

「気をつけて」


 扉の外では、ゼレイアとティルギスの大使が厳しい顔をして立っていた。王手がかかってる、とイーズは冷めた心で思った。将軍も大使も、ゲームの駒に見えた。ダルダロスという名の棋士に操られる。


 部屋に帰ってきたシグラッドは、ブレーデンや仮面の男のことを何一ついわなかった。イーズもまた、たずねなかった。


 イーズとシグラッド、二人の事柄についても同様だった。何もないはずはないのに、シグラッドは頑として平静を保ちつづけ、イーズもそれに付き合った。


 閉ざされた部屋の中に、外で起きていることは何一つ持ち込まれなかった。二人は暗黙のうちに不自然な静けさを作り上げ、日々を積み重ねた。


 別れは、イーズにとっては唐突にやってきた。


 夕刻、だいぶ日がくれてから開いた扉に、イーズは腰を浮かせた。シグラッドが帰って来たと思ったのだ。この部屋に訪れる人物は、それ以外になかったから。


 けれども、予測ははずれた。現れたのは、ティルギスの大使だった。イーズにうやうやしく頭を下げる。


「参りましょう、アルカ殿下。もう貴女がここにいる必要はなくなりました」


 来るべき時が来たのだと、理解した。だが、あまりに現実ばなれしたことが実現して、すぐには信じられなかった。杖を手にして立ち上がったものの、一歩も動けない。


「貴女の身を購うだけの対価は、この通り。用意ができている」


 大使が合図をすると、バルクやシャール、外交官や緑竜たちがあらわれた。それぞれ、腕や背に山と金銀財宝をかかえていた。


「どこからこんなに」

「オーレック様です」


 ぽそりと、シャールがイーズに耳打ちした。


「オーレック様から、地下の財宝全部使ってでもアルカ様を自由にするようにと言伝が届いたのです。遠慮なく使わせていただきました」


 ゼレイアやシグラッドの側近たちは、信じられないものを見るように、大量の金銀財宝を凝視していた。払えるわけがないと思っていたことが見て取れた。


「これだけでも不足で、これからティルギスはニールゲンに協力金――上納金めいたものを支払うように要求されているのですけれどね」

「さ、さらに?」

「人質という切り札がないのなら、ニールゲンはティルギスの国力をある程度削ぎつづけておかないといけませんから。心配いりません。それも用意ができています」


 シャールは列の最後に目を配った。暗がりに、バルクがしたり顔でいる。


「鳥の巣頭が、皇妃の地位を欲しがってた人に、皇妃の地位を退く代わりに金を払えと交渉したんです。だから何も心配いりません」


 財宝が床を、椅子を、机を、部屋を埋めていく。イーズは一歩、二歩、と出口へと近づいていく。


 ゼレイアが渋い顔で進み出てきて、その昔、イーダッドがニールゲンとの間に交わした協定書を差し出した。ティルギスの王女アルカとシグラッドの婚姻によって、ニールゲンとティルギスの同盟の証とするという部分に、すでに訂正と追加がなされ、シグラッドの署名があった。


 後は、現ティルギス全権大使であるイーズの署名があれば、変更は成立する。イーズは深く息を吸って、ペンを取った。


「本当に、これがお望みの結果なのですか」


 イーズの署名は、始点に黒いしみが残った。最後の文字は、終わりが細く尾を引く。この名を書くことは、後、何度もないだろう。書かれた姓名は消え入りそうに弱弱しかった。


「こちらにも」


 イーズはレギンと離婚する旨をまとめた書面を、すなおに受け取った。繊細できちんとした文字は、レギンの手によるものだろう。文面を確認していくと、アルカ=アルマンザ=ティルギスの身をティルギスに返すこと、とあった。


 イーズはレギンに感謝した。シグラッドとの確執が深まるのを覚悟で、レギンがわざわざイーズの所有権を主張してくれたのは、イーズが別れなければいけない事情を知っていたからだ。しかも、知ってなお、イーズを許し、ティルギスの行いを見過ごしてくれている。安堵で涙が出そうだった。


「二度と自分の前にアルカ様が姿を現さないことが、陛下の最後の条件です」

「結構です。長い間、お世話をおかけしました」


 最後に一度だけ、イーズは自分が出てきた部屋をふり返った。明かりはついたままで、まだ湯気の立ったカップが机にのっている。裁縫道具も片付けられずに机に出ている。


 本当だったら、この後、シグラッドと一緒に夕餉を食べて、とりとめもなく話をしたり、ゲームをしたり、眠ったりしているはずだった。ここから自分が去ることこそまちがいであるほど、まだ人のいた痕がなまなましく、イーズはつい夢想した。


「さ、行きまショ、姫サン」

「……うん」


 バルクに緑竜に乗せられて、イーズはゆっくりと外にむかって歩きはじめた。


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