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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
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6.

 新しい部屋は、共用の寝室を挟んでシグラッドの私室と隣り合っている。改装途中で放置されていた部屋だが、イーズが入ったときにはきれいに整えられていた。


「三年前、レギン様が陛下のご許可を得て、改装なされたのですよ。お二人の結婚祝いにするためにね」


 侍女頭は窓の縁に積もっていたほこりを払った。改装したものの、いざ引き渡そうとしたところで、イーズとシグラッドの縁談が破談になった。レギンは、まさか自分の側妃になったイーズに部屋を使ってくれというわけにもいかない。結果、この部屋は今の今までむなしくほこりをかぶることになったというわけだった。


「……いい部屋ね」


 自分の背丈に合わせて作られた家具に、イーズはぽつりとつぶやいた。よいのは家具だけではない。イーズが杖にすがって歩かなくて済むよう、壁には手すりがついており、長椅子の生地やカーテンにティルギス風の模様が入っていた。絨毯は草原に似た緑だ。


 部屋の片隅には、イーズが縫物をするための、刺繍糸や道具を納める戸棚まで作ってある。レギンらしいこまかな配慮を感じて、イーズは心がなごんだ。


「よいお部屋でしょう。中身もすばらしいですわよ」


 侍女頭は衣装部屋を開けた。新品の衣装が何着もかかっていた。鏡台の引き出しには、きらびやかな宝飾品がいくつも収められている。こちらはシグラッドかららしい。


「陛下は殿下のためなら、どんなものも惜しまず捧げたいお気持ちなのですわ。うらやましいことでございます」


 侍女頭はまたもシグラッドからだといって、花器にあふれんばかりに真っ赤な花を挿した。机には山と甘い菓子や果物が積まれる。


 むせ返るような香気と甘いにおいに、イーズは心がなごむどころか、胸やけがした。なんともわかりやすいご機嫌取だった。不本意な状態におかれている身には、素直に喜べる代物ではない。


「花は、外で咲いているのをながめるのが一番だわ。どんなおいしいものも、一人で食べるのは味気がないし」


 イーズは言外に、部屋の外に出たいということと、だれか身内と会わせて欲しいことを願ったが、侍女頭の回答は実にあっさりしたものだった。


「では、陛下がお戻りになられたら、お二人で菓子を召し上がりながら、庭園をご覧なさいませ。この窓からは、お庭がよくご覧いただけますから」


 侍女たちはよくしつけられていた。イーズが王宮の様子を聞きたがっても、まるで答えなかった。当たり障りのない話しかせず、しつこく聞いても、それよりも竜王祭の準備をと答えるばかりだった。


 ティルギスの大使としての仕事はもちろん取り上げられ、ティルギスの大使や外交官とも許可のないことには会えなかった。そして、たとえ会えたとしても、彼らはイーズをたしなめた。


「君は一体、何をしたいんだ。君の役目は陛下の歓心を買うこと、世継ぎを産むことのはずだ。それ以外のことに手を出すな」


 騒ぎの後、部屋にやってきた大使はイーズを叱責した。目の下にクマを作っており、頬がやせている。部下が皇帝に抜剣しかけて投獄、自国の顔ともいえる王女が皇帝と喧嘩だ、心労のあまり倒れそうな顔をしていた。


「ブレーデン殿下に同情する気持ちは分かる。だが、それが政治だ。イーダッド様なら同じ決断を下しただろうよ」


 イーズを説得する方法を、大使はよく心得ていた。イーダッドの名を出されると、イーズは反論の矛先をおさめた。


「シャールは? まだ牢屋ですか?」

「謝罪すれば許すと陛下はおっしゃったのだがな。主人が自分の意に添わない扱いを受けている以上、謝罪する気はないと啖呵を切った」


 またもシグラッドの神経を逆なでする発言をしたのだと知って、イーズは青ざめた。頭に血が上っているときのシャールは、敵がだれでもひるまないのだ。


「陛下は、さすがティルギスの兵は質が高い、主君への忠義が厚いと、鷹揚に流してくださったがな。君の態度次第でいつ機嫌が変わるか分からんぞ」

「……申し訳ありません」


 イーズはかすれた声で謝罪した。四方八方をふさがれ、大使に叱責され、イーズも大使と同じくやつれていた。


「シャールを、私の護衛から外してください。そうすれば、シャールの逆らう理由はなくなる」

「君が態度を改めたら外す」

「今すぐに。どうかお願いします」


 イーズの決意に満ちた表情を、大使は怪訝にした。


「どういう意味だ。態度を改める気はないと、そういいたいのか?」

「そうとって頂いて、結構です」


 大使はしばらく無言だった。イーズは両手を握り、目に見えない圧力に耐えた。


「なぜだ? その強情さは、君らしくない。ブレーデン殿下のこと以外にも、何か思うところがあったのか」

「何をすればいいのか、分からないんです。どうすればよかったのか、どうしていけばいいのか。自分が何を信じて、何を正しいと思っていけばいいのか分からない。……つかれた」


 つぶやく声はうつろに響いた。自分と同じくらい疲弊しているイーズに、大使はやるせなさそうに溜息を吐く。


「君と陛下の婚姻はもう決まっていることだ。今さら変えることはできない」

「どうやっても?」

「膨大な額の身代金を支払い、禍根を残さないよう皇帝を説得できるか?」


 無理だろう、と大使は苦虫をかみつぶす。しばらく卓上のペンを無意味にいじくりまわした後、部屋を注意深く見回し、ティルギス語でイーズにささやいた。


「君が寝込んでいたとき、ティルギスから知らせが一つ入った。イルハラントの捕虜が、アデカ王の甥を人質に取り、逃走を図ったのだ。


 事件は無事に解決したが、逃走中、捕虜ははげしくティルギスを非難した。というよりも、捕虜の目的はティルギスの非難にあったんだろう。


 “そもそも我々が争っている原因はニールゲンにあるのに、なぜティルギスはニールゲンに与するのか。恥知らずの裏切者め”――この主張に同調し、捕虜の脱走を幇助する者があらわれ、一時、集団が小隊ほどになった。


 おかげで、事件が解決した後も、ティルギスとニールゲンの親密すぎる仲について波紋が起きている。諸外国にもこの件が広まれば、かの捕虜に同情する国も出てくるだろう。外交に影響が出る。諸国との付き合い方に留意せよ、とのことだった」


「……わざわざ私にお話になるということは、大使ご自身は、その考えに同調なさっている?」

「一理あると思っているよ」


 私的な感情だと、大使は暗に念を押した。イーズが離婚する必要条件を満たすのは難しすぎる。多少の非難を受けても、ニールゲンとの関係を続けていくのが一番だと判じているようだ。


 個人的な意見を吐き出した後は、また大使としての顔にもどった。竜笛をイーズの前に置く。


「半年後にはまた竜王祭だ。君は今度、皇妃として出ることになる。竜笛の練習をするように」

「もし、私が皇妃になる以上にティルギスに貢献する案があれば、話は別ですか?」

「あるのか?」

「……今は、まだ」


 部屋の隅で、侍女が二人の会話に耳をそばだてていた。ティルギス語での会話があまりに長いので、不審そうにしていた。見張りの不信を招けば、次回の面会はなくなるだろう。大使は会話を切り上げた。


「しかし、まさかここまで陛下が君を気に入るとはな。イーダッド様が君を皇妃にするといった時は、そんなことは無理だと思っていたが。竜たちの気にいるように君を育てたといったのは、全く過言でなかった」


「やめてください。私にそんな気はないのですから」


「ただ、イーダッド様は素晴らしかったといいたいだけだよ。

 鋭い爪と牙をもち、硬いうろこで自身をおおい、欲深く気性の荒い相手の懐深くに入り込むには、何の武器も持たない、欲もない、無垢な赤子のような者を用いるのが一番――その通り、見事、シグラッド様のみならず、竜たちは君にぞっこんだ。イーダッド様は竜の性質をよくご存じだったのだな」


 大使は感嘆していたが、イーズは少しも笑えなかった。


「竜笛の音は、まだ聞かせてくれないのか?」


 夕食の後、ゆったりと酒杯をかたむけながら、シグラッドがいった。小卓には、イーズがほとんど手を付けなかった食事が、冷たくなって放置されている。


 イーズはシグラッドから遠くはなれた窓際に身を寄せて、外を見つめていた。日がしずみ、屋外は暗闇に包まれている。何が見えるわけもない。日がな一日、窓辺に寄って、外を眺めて過ごす姿勢が習慣と化していた。


「笛の音、好きなのに」


 イーズはぴくりとも動かない。


「知っているか? 竜王祭に吹く竜笛は、銀竜の鳴き声を模したものなんだと。竜の王たちを呼ぶとき、銀竜が歌った旋律をまねたものらしい。赤竜妃はたまたま銀竜の声を聴き、それをまねて吹いていたから、赤竜王の目に留まったという話もある」


「ブレーデンのこと、考え直して。殺さなくとも、王位継承権を放棄させるとか、他に方法があるでしょう?」

「レギンで懲りた。危険の芽は完全に摘み取っておくに限る」


 シグラッドは悩む間もなく、きっぱり言い切った。


「王位継承権を剥奪した後、遠い遠い土地に追放するとか」

「レギンが逃げ延びたおかげで、今度の竜王祭、出席をしぶる属国が出てきた。レギンの再起を願っているんだ。逃がしたのは本当に失策だった」


 本人が望んでなくとも、事態が動く実例がすでにあるのだ。イーズもそれは実感しているので、反論が出ない。どうにもならない歯がゆさに唇を噛んだ。


「こんなことになるなら、私が死んだ方がよかった?」

「そんなこといってないよ」


 イーズはぎょっとして、強い口調になった。レノーラの批判が脳裏をかすめ、まごつく。シグラッドの言い分も分かる。今の状況で、ブレーデンやレギンのことを心配するのは、シグラッドの身を軽んじているのと同じことだ。


「私はただ……できるだけ、皆、元気で無事でいられればと思って」


 かすかなため息とともに、酒杯が小卓におかれた。椅子の動く音に、イーズは身をこわばらせる。シグラッドの距離が縮まるほどに、壁との密着度が増した。


「寝よう」


 議論を打ち切る一言に、イーズは落胆した。差し伸べられた手から目をそむける。


「ここでいい。シャールにも同じように辛い思いをさせているから」

「ちゃんと食事と寝床を与えてる。また体調をくずすといけない」


 腕をつかまれると、イーズは抵抗した。何とか突きはなそうと理由を探す。手の甲の、青い竜の紋が目に留まった。


「レギンはまだ生きてる。だから、私はまだレギンのものだよ」

「何をバカなことを。レギンとは本当の夫婦でもなかったし、いまさら、レギンのもとに戻れる身でもないのに」

「それでも、まずレギンと私の離婚が成立しないと。重婚はできないでしょう? 私とシグの結婚が、世間に非難されるものであるのは良くないよね」


 シグラッドは口惜しそうに歯噛みした。シグラッドの方は、既に妻を離縁している。ニールゲンでは、夫が妻を離縁するのは簡単だが、逆は難しい。シグラッドの目の奥に、ぎらぎらと嫉妬の炎が燃える。


「レギンが私と離婚するといったなら、私はシグと結婚するよ」

「そんなこと必要ない。相手がいなくなれば、自然と成立することだ」

「そうしたら、私は後を追わないと。昔、ニールゲンでは、皇帝がお亡くなりになると、妃妾も一緒に埋葬したんだってね」

「アルカ」


 イーズは懐剣に手を伸ばした。すぐに乱暴に取り上げられる。シグラッドが硬い表情で、こちらをにらんでいた。


「好きに言っていればいい」


 シグラッドは憎々しげに吐き捨て、部屋を出て行った。


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