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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
黒き竜は空を舞い
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5.

 熱が下がっても、イーズは日によって寝たり起きたりを繰り返した。半分は本当に体調が悪いせいだったが、半分は公の場に出ることを避けたくて、わざとだった。遠くない未来、自分は皇妃を辞めるとなれば、何をする気にもなれなかった。


 大使はイーズの様子を困ったようにしていたが、特に何もいわなかった。近頃、シグラッドの周辺からレノーラがいなくなったらしい。シグラッドもイーズが皇妃とはっきり公言しているので、焦ることはないと安心したのだろう。


「アルカ様、めずらしい方からお手紙が」


 寝台で縫い物をしていると、シャールが差出人を確めながら、手紙を差し出してきた。受け取って、イーズも目を丸くする。


「ブレーデン? 本当に?」

「私があけましょうか」


 今まで何を送ってもなしのつぶてだったブレーデンだ。シャールは唐突な手紙を警戒したが、イーズは自分の手で開けた。


「なんて書いてあるんです?」

「“ローブをありがとうございました”って」

「他には?」

「何も」


 封筒から出てきたカード一枚に、それだけがたった一言書いてある。贈ったのはだいぶ昔の話で、タイミングがずれている。おまけに、前置きも何もない、そっけない手紙だ。丸っこい字はお世辞にもうまいとはいえない。シャールはなんなんだ、と思い切り怪訝そうにしたが、イーズはくすりと笑った。


「今さらでもなんでもいいから書きなさいって、だれかにいわれて、不承不承に書いたのかな。ふふ、きっとすごく嫌な顔しながら書いたんだろうな。想像しちゃう」

「アスラインの宗主殿に書かされたのでは? アルカ様と縁をつないでおくようにいわれて、むりに書いてきたんじゃないでしょうか」


 自分のことに精一杯だったイーズは、今さらながらアスラインの宗主も不調だったことを思い出した。シグラッドが王座に返り咲いたと知って、またブレーデンの身が心配になり、手紙を書かせたのかもしれない。


「ブレーデン殿下、どうなるでしょうね。陛下はパルマン嬢を宗主につけることを考えていらっしゃるようですが、この行動を考えるに、アスラインの宗主様はブレーデン殿下を後継ぎに考えているご様子。

 アスラインは昔ながらの考えの国ですから、やはり娘を宗主にするのは抵抗があるのでしょうね」


「私も……できれば、ブレーデンが宗主になって欲しいけど」


 ふと、隣の部屋で、物音がした。シャールが眉をひそめ、扉を開ける。赤いドレスの裾が見えた。いたのは、レノーラだ。戸棚をいじっていた。


「あら、ごめんあそばせ」


 シャールに見られても、レノーラは少しも動じなかった。きっちりと紅を刷いた唇に余裕の笑みをのせる。


「陛下の御用で来たのよ。お騒がせしてごめんなさいね」

「ここまでこなくとも、侍女に頼めばよいことだと思いますが?」


 ここはシグラッドの私室だ。我が物顔で出入りするレノーラに、シャールは不快そうにした。イーズはイーズで、レノーラが棚から取った物を気にする。


「お加減はいかがです? アルカ殿下。体調がずっと思わしくないそうですけれど」


「ご心配いただき、ありがとうございます、レノーラさん。療養に努めてはいるのですけど、なかなかで。今年の風邪はしつこいようです」


「これから寒くなりますから、いっそうお気をつけなさいませ。わたくしの父も、冬になると体調を大きく崩しますの。……今年はいよいよ危ないかもしれません」


 イーズはブレーデンからの手紙を握った。シャールより一歩前に出て、あの、口を開く。


「ブレーデンのことなんですけれど。どうしていますか?」

「以前よりは部屋の外に出るようになっておりますわよ。仮面で顔を隠して、ですけれど。教育係の後を鳥のヒナのようについてまわっていますわ」

「勉強、しているんですか?」

「少しは。父に頼まれたからと言って、ご心配なさらなくて結構ですわよ。わたくしも従弟を補佐するつもりでおりますから」


 皇帝といえども、属国のことを自由にできるわけではない。属国のことは、その属国の宗主の方が権限が強いのだ。補佐で妥協することになったのだろう。


 宗主にもなれず、シグラッドのそばにもいられず。レノーラの心中を思うと、イーズは気まずい気持ちになった。


「余計なこととは思いますけど、もしよければ、ブレーデンに一度、王宮に来るように言ってください。大嫌いな私に挑発されれば、ブレーデン、負けん気を出して勉強する気になるかもしれませんし」

「まあ、わざわざ憎まれ役を買ってくださるの? 殿下は本当にお優しいのね」


 レノーラは笑ったが、とげとげしかった。本当によけいなことだった、とイーズは後悔する。今の状況では、何を言ってもそうなるかもしれないが。


「すみません。自分も不自由な身だけに、ブレーデンのことが放っておけなくて。レノーラさんがいるから大丈夫ですよね。ごめんなさい」

「いいえ、お気遣いありがとうございます。でも、殿下、ブレーデンのこと、あまり口に出さない方がよろしいですわよ。シグラッド様も、あの従弟のことは見捨てておいでですもの」


 イーズはきょとんとした。


「見捨ててって……どうして?」

「以前にも申し上げましたわよね。どこからともなく突然やってきた怪しげな男――教育係となりましたけれど――を信用して、その男のいいなりなのです。一つうなずくにも、教育係の顔色をうかがうありさま。アスラインの後継ぎともあろうものが!」


 レノーラはいらだたしげに、つややかな茶褐色の髪を払った。


「愚鈍な領主に支配される民ほど哀れな者はない――陛下はそうおっしゃっておいででしたわ。私も同じ意見です。あの従弟は、今やアスラインにとって害悪でしかない」


「……まだそう判断するのは、早いのではないでしょうか。ブレーデンはずっと部屋に閉じこもっていたんです。世間のことを何も知らない。その人に騙されているというのなら、正しいことを教えてあげるべきだと思います」


 一度はレノーラに対して及び腰になったイーズだったが、ブレーデンへのあまりの言いように、腹を立てた。毅然と反論した。


 だが、レノーラも負けてはいない。ふっと哂う。


「貴女なら、正しいことを教えてあげられるというの? たいしたご自信ね」

「私が、というつもりはありません。そう聞こえたのなら、謝ります。ただ、まだ、考える余地があるといいたかっただけで」

「考える余地、ねえ」


 レノーラは明らかな失笑を漏らした。もう遠慮はなかった。レノーラは声高にイーズを批判した。


「お優しいアルカ殿下。きっと、貴女はレギン殿下が助かったことにも、よかったよかったと、喜んでおいでなのでしょうね。レギン殿下が生き延びたことで、ニールゲンはまた亡国の憂慮を抱えたというのに」


 これにはイーズの方が気色ばんだ。が、レノーラはひるまなかった。何もわかっていない愚か者として、イーズをにらむ。


「どうして陛下がブレーデンを疎んじているか、分かる? 曲がりなりにも王位継承権を持った第三皇子だからよ。競争相手なの。しかもアスラインという強力な後ろ盾を持ったね。

 だというのに、あなたはひどいのね。陛下の身を案じるどころか、ブレーデンを心配するのだから。それでも皇妃なの?」


「ブレーデンは心の底から陛下を慕っているんです。私は陛下にブレーデンを信じてあげて欲しい」


「信じてどうなるの? 陛下は信じて、レギン様に裏切られている。信じるだけではどうにもならないということが、まだわからないなんて!」


「違う。レギンは裏切ってなんかない。裏切ったのは」


 真実を語れるのなら、よかった。イーズが言葉を濁すと、レノーラは嘲笑をうかべた。駄々をこねる子供を相手にしているような、そんな態度だった。


「戸棚から取った物を渡してください」

「これ? 父の薬にもらっていくのよ」


 レノーラは左手を隠して、見せようとはしない。レノーラのいじっていた戸棚は、毒の瓶がならんだ棚だ。たしかに毒は薬にもなるが、イーズは素直に見過ごすわけにはいかなかった。レノーラが本当に宗主に使う薬とは限らない。ブレーデンに使う可能性だって、あるのだから。


「陛下に確認しても?」

「ええ。どうぞ」


 レノーラの隙のない笑顔に緊張が走った。許可を取ってというのは嘘だったのだ、とイーズは直感した。シャールを使いにやると、本人がやってきた。肩をいからせている。


「何をしている、レノーラ。勝手に人の部屋に上がりこむな」

「どうしてもこれを頂いていきたかったから」


 レノーラははじめて、隠していた左手を上げた。イーズの位置からは見えないように。


「父の薬に、頂くというお約束でしたでしょう?」


 イーズはシグラッドが否定することを期待した。が、予想に反して、シグラッドは肯定した。かるくにらんだものの、行け、とだけいう。


「今度こんな勝手なことをしたら、いくらおまえでも許さない」


「ブレーデンを愚鈍と罵るなら、そのお姫様のことも同じように罵ったらどうなの?

 その子は後先考えずブレーデンを助けようとしただけでなく、あなたのためにレギン皇子と敵対する覚悟もなかったのよ。自分の感情に流されて行動しているだけ。あなたにとって害悪にしかならない」


 レノーラはイーズを激しく非難したが、すればするほど、シグラッドはイーズを腕の中にかばった。邪魔者は自分だと悟らざるを得ない状態に、レノーラは衣装の裾をおおきくひるがえす。イーズは引き留めようとしたが、シグラッドに阻まれた。


「さすが皇太后の姪だな。人の家に乗り込んでくるなんて、胆が据わってる」

「どうして止めるの? レノーラさんに薬をあげる約束なんて、本当にしたの?」

「部屋に勝手に上がっていい約束まではしてないが」

「嘘!」


 イーズが叫んでも、シグラッドは動じなかった。困った顔をして、出て行こうともがくイーズをなだめるばかりだった。


「また誰かが勝手に入り込むといけない。本宮に部屋を移ろう。私の隣に、アルカの部屋も用意してある」

「はなして」


 イーズがなおも抵抗すると、強引に抱き上げられた。声を荒げ、暴れ、全身で拒むと、部屋に控えていたシャールがかけつけてきた。


「どうなさいましたか」

「なんでもない。シャール、ここを引き払う。部屋を片付けてくれ」

「降ろして! 私はここにいたいの!」


 シャールは双方から正反対の指示を与えられ、とまどった。レギンと争うことを決めるときのように。だが、今回はイーズに味方した。


「陛下、アルカ様には今しばらく、ここでの静養が必要です。無理にお連れすることはないと思います。どうか降ろしてください」

「より安全な場所に連れていこうとしているだけだ」

「大義名分があればどんな行いも許されるとお思いにならないでください」


 静かだが、シャールの声音は燃え上がる炎のよう激しい。皇帝の眉間が狭まった。シャールをつめたく見下ろし、尊大にあごで出口を指し示す。


「もういい、下がれ。私のいうことが分からないなら、おまえはアルカの護衛に不適当だ」

「それがアルカ様のご命令だというのなら、いくらでも」


 シグラッドが気色ばむと、シャールの手が反射的に自分の剣に伸びた。落雷のように命令が轟く。


「衛兵、この女を牢にぶちこめ!」

「やめて! 私が悪かったから! お願い!」


 イーズは叫びは悲鳴に近い。シャールは駆けつけてきた衛兵に対して抵抗したが、結局、床に取り押さえられた。


「シャール!」


 もがくシャールの姿が遠ざかっていく。イーズは助けをもとめたかったが、周囲に味方はいなかった。侍女や衛兵たちは、皆、イーズのものではなく、シグラッドのものだった。皇帝の側仕えとなっている優秀な彼らは、皇帝が平然としている意を汲みとり、やはり平然と騒ぎを黙殺した。


 棟の外に出ても、それは同じだった。暴れるティルギスの姫にぎょっとする者はいたが、それだけだった。シグラッドの行動を妨げる者はおらず、戻ってきた主君に報告を再開するありさまだった。イーズはそのまま新しい部屋に連れて行かれた。


「牢なら私が入るから! シャールをはなして! 何もしないで!」

「落ち着け。何もしない。だからここで大人しくしているんだ」


 言外に、ブレーデンに対してこれ以上何もするなといわれたような気がして、イーズは怒りにふるえた。


「卑怯だよ。シャールを人質にするなんて」

「そんなつもりはない」

「じゃあ早く出して。私が悪いんだから、私を牢に入れればいいでしょ!?」

「私に対して抜剣しかけたんだ。すぐに解放はできない」


 興奮して涙まじりにわめくイーズに、シグラッドはあくまで冷静に応じる。何年も年上の群臣たちを相手にしてきたシグラッドにとって、イーズの非難など子供の癇癪に過ぎないようだった。イーズを長椅子に無理矢理落ち着かせると、侍女たちに世話を命じ、衛兵たちにはだれも通さないよう厳命する。


「出して!」


 イーズの半狂乱の叫びには、扉の閉まる音が返った。


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