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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
赤竜王の結婚
42/44

9.

 残された部屋で、呆然自失でへたりこんでいると、ノックがあった。シャールが顔を出す。


「大丈夫ですか? アルカ様」


 あたりは静かになっていた。アルカは壁にすがって立ちあがる。


「……みんな、無事だよね?」

「無事です。玄関扉が一枚犠牲になっただけですみました」


 玄関ホールへ行くと、分厚く重厚な玄関扉が外に投げ捨てられていた。職員たちが協力して、蝶つがいの壊れた玄関扉を自館に回収する。


「大使館の職員全員、殉職を覚悟しましたが。さすがに陛下も思い止まったようで、中までは入っていらっしゃいませんでした。よかったです」


 大使以下全員が、生きているってすばらしい、と肩を抱き合っていた。アルカは平身低頭するしかない。


「シグラッドが扉壊したって聞いたんですけど、一体何が?」


 じつに開放的になった玄関からやってきたのは、レギンだった。騒ぎを聞いて、走ってきたようだ。息が切れている。


「男性の姿で現れたオーレック様に、アルカ様が仲良くしていたので、陛下が嫉妬なさってこの惨状です」

「……えーっと、つまり」

「痴話喧嘩です」


 シャールは事情を要約した。アルカはまたも平に謝罪する。


「ごめん! ごめん! 本当、ごめん!」

「いや、シグラッドも。何もそこまで妬くことないだろうに。いくら男の姿をしていたって、オーレックは女なんだから」


 あきれるレギンに、アルカも同じ思いだったが、シャールは違った。口に出すのをはばかりながらも、レギンにたずねる。


「あの、レギン様。あの話は本当なのでしょうか? オーレック様が昔――」


 シャールに耳打ちされたレギンは、みるみる表情を変えた。


「……ああ、うん、本当だけど。いや、まさか」

「ですよね。あのお姿は、陛下に対する嫌がらせの一環ですよね?」


 二人は自分で自分を納得させようと努力したが、不安げだった。当事者に問いただす。


「アルカ様、さっきオーレック様にキスされていましたけど。あれは普通によくあることなのですか?」


「キス? よくではないけど、されるよ。でも、私だけじゃないし。オーレックはイーダッドおじ様にもするし、キールおば様にもしようとしてた」


 アルカは思い出すように、目線を上にやった。


「――でも、噛まれたのは初めてだったかなあ」

「噛まれた?」


「ここに戻ることが決まる直前だったかな、オーレックに噛まれたんだよね。もちろん甘噛みだけど。

 でも、シグはすごく警戒してオーレックに近づくなって怒ってたっけ。

 いくらなんでも、オーレックは人間なんて食べないのに。食べちゃいたいくらいかわいい、なんてただの喩えに決まっているじゃない。失礼だよね」


 護衛と友人は神妙な顔につきになった。


「いや、アルカ様、それは陛下のおっしゃる通りですよ」

「大丈夫とは思うけど。今さらないとは思うけど。一応警戒した方がいいと思う」

「二人も食べると思ってるの?」


 詳しいことは陛下に、シグラッドに、と二人は口を閉ざした。


「とりあえず、僕はシグラッドの様子を見てくるよ」


「陛下が落ち着かれるまで、アルカ様にはここにいていただきます。

 くれぐれも、これを機にアルカ様の自由を奪うようなことはないよう、お願い申し上げますよ、レギン様」


「こちらからも、今回の件、詳細は本国に伏せてくれるよう頼むよ。とくにハルミット様にはね。扉の修理代はこちらで持つから、請求して」


 有能なる護衛と、優秀なる皇帝補佐はまたたくまに話し合いを終えた。アルカの出る幕はなかった。


「色々ありがとう、シャール。本当、助かったよ。シャールがいなかったら、どうなったことか」

「以前の二の舞が避けられてよかったです」


「私も、しっかりしなくちゃ。結婚の条件に、過干渉はしないことって書いてもいいと思う?」

「アリです。ぜひ書きましょう」


 一段落つくと、アルカは息子のことを思い出した。シグルドがぐずるので、シグラッドはここへ来たのだ。


 両親が盛大な痴話げんかをはじめたので、幼い息子はさぞおどろいたことだろう。泣いていた気がする。


 とりあえず、シャールにシグルドの様子を見に行ってもらうと、予想通りだった。ぐずって、乳母や侍女たちが手を焼いていたと報告があった。


「こっちへ連れてこられない?」

「私もそうしようとしたんですが。……陛下がダメの一点張りで」


 息子のことは気になるが、アルカも今日の今日は、さすがにまだシグラッドに近づきたくない。しばし考えを巡らせる。


「シャール、今、着替えって持っていない?」

「ございますけど。大使館に何着か替えをおいてあるので」


「ちょっと貸してもらえないかな?」

「でも、男物ですよ?」


「それでいいの。ティルギス大使館の新人職員になりきるから」

「ええ?」


 渋るシャールを押し切って、アルカは男物の服に着替えた。シャールと同じく男装の女性職員を装うためだ。鼻のいいシグラッドに、体臭で正体を気づかれないよう、服にはあらかじめ香をたきしめる。


 化粧で眉の形を変えたり、目元の印象を変えたり、そばかすを散らしたり、あれこれ工夫する。大使館の間諜要員にも協力を仰いだので、変装は予想以上のできになった。最後に、髪を三つ編みにする。


「じゃあ、私、今からシャールの後輩だから。名前はルーネ。出身地はシャールと一緒ね。

 後輩指導で城内を案内してまわっているっていう設定で、シグルドのところへ連れていって。お願い」


「いやに設定が具体的ですね」


「うまくいきそうだったら、今後も使おうと思って。……みんなに銀竜様銀竜様って目で見られて、辛いんだよね」


 力関係が逆転の設定となり、シャールは落ちつかない様子だったが、変装はうまくいった。

 人々はほとんどアルカの姿を気に留めなかったし、挨拶をしても気づかなかった。シャールがぎこちなく「後輩です」と紹介すると、それで納得した。


「おや? あれは……シグルド様の乳母では?」


 妃妾の棟のまわりを、乳母や侍女たちがうろうろしていた。皇子、と呼んで探し回っている。


「シャール様、皇子がそちらに行っていらっしゃいませんか」

「いいえ? まさか、妃妾の棟から抜け出されてしまったのですか?」


 乳母の憂い顔がそれを肯定していた。


 アルカは思わず、先輩であるはずのシャールをおしのけた。


「どのくらい前のことですか?」

「ついさっきです。お部屋でおとなしく遊んでいらして。ちょっと目をはなしたら、緑竜と姿を消してしまわれていて」


「わかりました。私たちは、ティルギスの大使館に行ってみます」

「よろしくお願いします。――ところで、あなたは?」


「ティルギス大使館の新人で、シャールの後輩のルーネです」


 日頃よく顔を会わせている相手なので、気づかれるかもしれないと思ったが、乳母は素直にうなずいただけだった。間諜要員に、声の変え方の指導も受けたので、それが功を奏したようだ。


「妃妾の棟には見張りがいるのに。シグルド、外に抜け出せたのかな」

「アルカ様のお子ですから。脱走はお手のものでは」


 脱走の前科がたんまりある主人を持つシャールは、落ちついたものだった。


 ティルギスの大使館には、シグルドは来ていなかった。大使に、皇子が妃妾の棟にいないことを伝え、大使館に来たら引き留めておくように頼む。


「他の職員にも探させよう。子供がここらを一人でうろついていたら目立つから、すぐに見つかると思うが――まあ君の子供だからな」

「そうそう。アルカ様のお子ですからね」

「何が起こっても不思議じゃないっていうか」


 大使や職員たちにまで揶揄されても、今現在、変装して不在を名乗っている身では、何一つ言い返せないアルカだった。


「――あ、皇子!」 


 職員の一人が、扉のない玄関を指さした。

 くだんの探し人が、いつの間にか玄関前に立っていた。あわてふためく大人たちとは対照的に、落ちつきはらってあいさつする。


「こんばんわ。シグルドです。ははうえにあいにまいりました。しつれいします」


 よくできた三歳児は、ぺこりと頭を下げて玄関ホールを横切った。


「シグルド、すごい。もうあんなに礼儀正しく挨拶できるなんて」

「アルカ様、感動している場合じゃないです」


 涙ぐむのは後にして、アルカは息子を呼んだ。

 声は母親なのに、見た目がちがうので、シグルドはとまどっていた。


「今ね、ちょっと遊んでいるの」

「あそびですか?」

「そう。違う人になっているの。シグルドも、この姿の時は、母上とは呼ばないでね。ルーネって呼んで」


 事情はよく分からないでも、母親に会えれば満足だ、シグルドは笑顔でアルカの腕に飛びこんできた。顔をすりつけて甘えてくる。


「どうやってきたの?」

「リューのおかあさんが、あんないしてくれたです」


 外に、親緑竜がうずくまっていた。城内を我が物顔で闊歩する緑竜たちは、抜け道もよく知っている。アルカはいくつか果物をあげた。


「ははうえ、おなかすきました」

「もう夕食の時間だものね。妃妾の棟にもどりましょうか」


 日は暮れ、空に星がまたたきはじめている。

 城壁で区切られた狭い夜空を見上げると、シグルドが進路とはちがう方向へ手を引いてきた。


「あそこにのぼりたいです。ひろいのがみたいです」


 小さな手が指すのは、城壁の上だ。オーレックやイーダッドに、よく空を散歩させてもらったシグルドは、高い景色をなつかしんでいるらしい。


「わかったわ。でも、一度、妃妾の棟にもどらないと。みんな、心配しているから。夕食の後に、ゆっくりね」

「今がいいです」


 シグルドはぐずって、アルカの足に抱き着いた。今日はさみしい思いをさせてしまった負い目から、アルカは結局、要求を受け入れた。


 夜風が髪をあおる。高い城壁の上からは、ニールゲンの王都が一望できた。シグルドははしゃいだ声を上げる。


「きれいね」

「はい」


 平穏に見惚れていられたのは、そこまでだった。

 急に、軍靴の音が迫ってきた。あっというまに、左右を衛兵たちにはさまれる。衛兵たちは剣呑な雰囲気だった。


 槍をかまえた兵の後ろから、シグラッドがあらわれた。松明の炎を浴びて、目が金に光っている。


「私の息子をどこに連れていく気だ、この誘拐犯」


 アルカの変装は見事、シグラッドの目をもあざむき、ついでに厄介な誤解を生みだした。



******



 あれよあれよという間に、シグルドと引きはがされ、アルカは硬い地面に押さえつけられた。誤解を解こうとするシャールを、アルカは目で制す。


 自分がアルカだと知られると、それはそれで厄介だ。こんな念入りな変装をしていると、また逃走を疑われ、軟禁生活になるかもしれない。


「肌の色と髪の色からするに、ティルギス人か? 見ない顔だな」

「……先ごろ、ティルギスの大使館に配属されました新人のルーネです」


 不審者の名乗りを、シグラッドは鼻で笑った。


「笑わせるな。ティルギス大使館の新人? 私がティルギス大使館に出入りする人間の名前から素性まで、残らずすべて把握しているのを知らないのか」


「の、残らず全部?」


「昔、アルカが身内に裏切られて窮地に陥ったことがあったようだから、それ以来、完璧に把握してある。

 新人が入るときは、必ず私に報告するよう、大使にもいってあるしな。シャールはそれで騙せても、私は無理だぞ? もっとよく調べてから嘘をつくんだったな」


 肩口を踏みつけられて、アルカはうめいた。自分以上にティルギス大使館を把握している皇帝陛下の有能さにおどろくしかない。


「さて、何者だ? 何が目的だ。だれの指示だ?」


 そのとき、容疑者の身体検査をしていた兵が、隠しから変わったものを発見し、主君に差し出した。


「陛下、こんなものが」

「なんだ、これは?」


 それは月の光に、銀色にきらめいた。今朝、オーレックがわざわざアンカラからアルカに届けに来たもの。大きな銀色の、うろこ。

 シグルドに渡そうと思って持っていたものの、今の今まで忘れてアルカがもっていたものだ。


「変わったうろこですね。魚のうろこではないようですし……なんともうつくしい。宝石を削り出したようです」

「硬いな」


 シグラッドの怪力をもってしても、うろこは曲がらない。城壁の石に擦りつけると、石の方が削れ、うろこには傷一つない。ためしに剣で斬りつけてみれば、刃がこぼれた。


「これはまるで、竜のうろこのようです」


 シグラッドが眉をひそめた。まじまじと下手人の顔を観察する。


「おまえ……まさか銀竜か?」


 アルカは否定も肯定もできなかった。

 アルカだということがバレれば、なぜ変装していたのかと質問責めにされるだろうが、肯定するのは畏れ多い。


「なんだ、早くいえ。姿をコロコロ変えてあらわれるんじゃ、分からんだろうが」


 シグラッドは珍客に、うろんげにした。


「何をしに来た」

「ただシグルドに会いにきただけです」


 嘘はいっていない。


「ふん、私に世継ぎができたから、祝いにでもきたか? そのわりには、祝いの品もなく手ぶらだが」

「ええと、お祝いには、そのうろこを」


 ちょうどいいので、アルカはシグルドに渡す予定だった銀色のうろこを指さした。

 本物の銀竜のうろこかは知らないが、竜のうろこは、ニールゲンでお守りとして珍重されている。お祝いの品にはぴったりだろう。


 周りの人々も、なんとおめでたい品、とうなずいたが、シグラッドだけは顔をしかめた。


「自分の体の一部を渡すとか。想い人の記念日に、自分の髪の毛やら自分の爪を贈りつける勘違いの変態か、おまえ」


 銀竜嫌いのシグラッドの前では、銀竜は神秘性のカケラもない。しかし、うろこは結局、欲しがったシグルドの手におさまった。


「で?」


 疑り深く、シグラッドはたずねてきた。


「本当は何をしに来た」

「本当はって、何です?」

「おまえは私の邪魔ばかりする。どうせ今度も、なにか邪魔しに来たんだろう」


 シグラッドは少し考えこんで、ああ、とうなずいた。


「アレか。金竜か。たしか、あれはおまえの弟子だとか」


 調書にはなかったが、金竜は銀竜の弟子だという噂を、シグラッドも知っていたらしい。ふん、と鼻を鳴らす。


「残念だな。おまえが出てきたからといって、従うような私でないことは、よく知っているだろう」


 赤竜王陛下は、御自らの御手で銀竜の首根っこをつかんだ。


「師弟仲良く牢にぶち込んでやる」


 乱暴に引きずられるアルカをかばったのは、シグルドだった。

 銀竜と呼ばれているこの人物が、じつは母親だと分かっている皇子は、母親を粗雑に扱う父親をべしべし叩いた。


「らんぼうしちゃダメ!」

「シグルド。これは危険人物だから。むこうにいってろ」

「いや!」


 シグルドは父親の腰に頭突きを食らわせた。いいところに決まったらしく、シグラッドが体勢をくずす。


「陛下!」

「……私がゼレイアを蹴り飛ばしたのもこの年だったな。武術も見込みがありそうだ」

「感心なさってる場合ではないです!」


 父親の手が離れたすきに、シグルドは銀竜にひしとしがみついていた。


「はなれろ、シグルド。そんな何千年も世界中をただただ歌って踊って放浪して過ごしている宿無し職無し甲斐性なしと付き合ったらダメな大人になるぞ」


 正体が母親だと知っているシグルドは、もちろんアルカからはなれない。父親がいくら引きはがそうとしても、かたくなに抵抗した。


「銀竜なんぞに惑わされるな! そいつは牢屋で残飯でも食わせておくのがお似合いなんだ!」

「ちがうもん! ぼくといっしょにごはんたべるんだもん! いっしょにねるの!」

「シグルド!」

「ちちうえきらい!」


 シグルドは父親の手にかみついた。


 アルカの背筋がぞっと粟立った。こちらをにらみつけるシグラッドの目が、憎悪に燃えていたので。


「……銀竜。貴様に宿と食事を提供してやる。ありがたく思え、このろくでなし竜」


 結局、泣く子に皇帝陛下が折れた。


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― 新着の感想 ―
[一言] >じゃあ、私、今からシャールの後輩だから。名前はルーネ。出身地はシャールと一緒ね。 ルーネって、将来生まれる末娘の名前と同じ……。 この後変装がバレたということですね。 >「はなれろ、シ…
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