7.
忙しいレギンは、自分の執務室にいることが稀だった。
アルカは何度か執務室をたずねたが、いつも不在だった。予定は教えてもらえたが、あくまで予定、と念を押されたとおり、他へ会いに行っても話せなかった。
「よければ、お言伝かお手紙か、お預かりしますよ」
「いいの。ちょっと話したいだけだから」
レギンの補佐官の申し出を、アルカは断った。手紙で気軽にきける内容ではなかったし、会えてもシグラッドが一緒だったら困る。
「そうだ。レギン様は、午後の休憩になると、乳母に娘のリンデ様を西の庭園に連れてこさせて、一緒に遊んでいらっしゃるんです。
その時間はさすがに皆、話を持ちこむのを遠慮しておりますが、アルカ様でしたらよろしいのでは?」
「西の庭園ね。ありがとう」
執務室の前をはなれて最初の曲がり角で、シグラッドと行き会った。何も言わなくても、シグラッドはなぜここにアルカがいるか察した。
「レギンなら、私の執務室にいるぞ」
「ありがとう。またにする」
「なんの用だ?」
シグラッドが廊下の真ん中で立ち止まってしまったので、アルカも立ち止まらざるを得なかった。
「たいしたことじゃないの。ただちょっと話したいだけ」
いってから、苦しい言い訳だとアルカは後悔した。自分が世間話程度のことで執務中の相手のところへいったりはしないと、シグラッドはよく知っているからだ。
「あいかわらず、アルカはレギンにばかり相談するんだな」
「シグだって、私にしないで、レギンに相談することはあるでしょ?」
「私とアルカじゃ、事情がちがう」
そういって、シグラッドは家臣たちとまた歩いていった。
シャールが苦笑いする。
「陛下は、いまだにアルカ様とレギン様の仲が心配なのですね」
アルカは面食らい、次に、あきれた。
「お互い子供もいるのに? まだ疑うの?」
「アルカ様が健全につつましやかにお育ちになられて、誇らしい限りですが。
宮廷では、浮気や不倫はよくあることですからね。陛下はよく見聞きするので、どうしても万が一が頭をよぎるのでしょう」
「どうしたら信じてくれるんだろ?」
「とりあえず、ご結婚なされば、少しは陛下の嫉妬もおさまるのでは?」
ヤブヘビだった、とアルカは疑問を後悔した。
シグラッドが城を出ている日を狙って、アルカは西の庭園を訪れた。蝶を追う女の子を、レギンが少し離れたところで見守っていた。こちらに気づくと、気安い笑みを浮かべる。
「いい天気だね」
「うん。いい天気」
「相談事?」
相変わらずレギンは話が早かった。
「金竜のことなんだけど」
「ブレーデンでしょ?」
アルカは目を真ん丸にした。そこまで察しているとは予想だにしていなかった。
「知っていたんだね」
「金竜自身はブレーデンだなんて、一度も名乗っていないけれど。特徴や経歴から考えると、そうとしか思えないからね」
「詳しいんだね」
「詳しいよ。なにせ、金竜減刑の嘆願書を受け取ったの、僕だから。たまたまそこの領主と知り合いだったから、口添えを頼まれちゃって」
「そうだったんだ。私、金竜の余罪について知りたいの。
金竜には幇助罪の他に、余罪があるんだけど、何かわからない? 調書には機密事項って書いてあったけど、何か心当たりない?」
「『夜来香』」
レギンは声をひそめた。
「金竜は『夜来香』の研究をしていた咎で、死罪を課せられたんだ。じつはあれ、研究にも製造にも国の許可がいるんだよね。
皇子でもその秘密を漏らすと死罪になるようなシロモノだから、研究は重罪を課せられても、たしかに仕方ない」
たしかに仕方ない、といういい方には、レギンの不満が見え隠れしていた。
「アルカは金竜を助けたいの?」
「どうにか助けたいよ。だって、ブレーデンを治すために、まだ夜来香を持ってるもの」
覚悟に唇を引き結ぶと、レギンはさらに語り始めた。
「金竜の余罪はね、捏造だ。
なぜなら、僕は嘆願書に口添えする際に、事件のことをよくよく調べさせた。金竜の家の中も、持ち物も、洗いざらい書き出させたくらいだ。だから、後からそんな余罪なんて出てくるはずがないんだよ」
「そんな。どうしていわないの?」
レギンは苦い顔をした。
「アルカは、どうやって僕が機密事項である余罪の中身を知ったと思う?」
「そういえば。余罪の中身を聞こうとしたら、レギン様でも教えられない内容だからって断られたのに。どうして?」
疑問に疑問で返して、アルカは嫌な予感がした。レギンがますます苦い顔になる。
「そう。この国のすべてを知れる人物――シグラッドから聞いたからさ」
「……シグが、捏造を許したの?」
「余罪なんてありえないって抗議しに行ったらね、いわれたよ。『アスラインの女王様のやっつけ仕事は腹立たしいだろうが、あっちも必死だから譲ってやってくれ』だってさ」
レギンは天を仰いだ。
「パルマン嬢はシグラッドの王位奪還に貢献したし、その後はいい手足として働いている。
率先して皇帝の言に従って、属国に新しいことを取り入れて、どんどん発展させている。シグラッドは彼女にアスラインの実権を握っていてもらいたいんだろう。
――僕も、彼女はよくやっていると感心してるよ。なみの人間より、はるかに。アスラインの宗主にふさわしい人材だ」
レギンもまた、その捏造を許したのだと分かって、アルカは心が萎えそうになった。声がふるえる。
「だからといって、冤罪を着せるの? ブレーデンに、アスラインの宗主を継ぐ気がなかったとしても?」
「本人が望んでいなくても、火種になる例はある。僕のように。
それにブレーデンは、シグラッドにとって、消したい過去でもある。
ブリューデル皇太后に対する復讐も、それにブレーデンを使ったことも、後悔していないと思うけど、明るみにされては困る。
たとえブレーデンが訴えなくとも、弱みをにぎられているようなものだ。消せるものなら消したいはずだ」
レギンは友とは目を合わせずにつづけた。
「シグラッドは、捏造を許す代わりに、ずっと結婚を渋っていたパルマン嬢に結婚を命じた。
僕の方は、捏造に目をつぶる代わりに、ずっと幽閉されていた伯母や従姉の解放を約束してくれた。
シグラッドは飴と鞭の使い方が的確だ」
「……レギンが抗議して無理なら、私にも無理だね」
つい気弱が口を突いて出た。
とたんに、ちがう、と強い調子で否定される。
「僕だから、ここまでなんだよ。僕はどうやってもシグラッドの手の平の上だ。でも、アルカ。君がいうなら、きっと結果は変わるよ」
「昔、ブレーデンが殺されそうになったとき、見捨てないでって何度もシグにお願いしたの。だけど――無駄だった」
最後の方は声がうわずった。涙がこみ上げてくる。
休憩時間の終わりを告げる鐘が鳴っていた。レギンに頭を下げる。
「休憩時間なのに、相談に乗ってくれてありがとう」
「アルカ、待って。僕も一緒に、もう一度いうから」
「これは私のわがままだから、いいの。私と話したことは、忘れて」
急ぐ身に枝がからまる。もどかしくてならない。
リンデへの挨拶もそこそこに、アルカは庭園を後にした。
******
今朝も空は晴れていた。
さわやかな青空をながめやりながら、アルカは出仕してきたシャールにたずねた。
「ねえ、シャール」
「はい」
「牢獄を爆破しようと思うと、どのくらい火薬がいるのかな」
「アルカ様、しっかりしてください。発想が陛下になってます」
シャールは朝から現実逃避している主人の肩を揺さぶった。
「ごめん、私に強行突破はムチャだって分かっているんだけど。考え過ぎて、頭がおかしくなってる」
「やはり、一度直訴してみるしかないのでは?」
「そうだよね……」
大いに気が進まない。アルカはため息を吐いた。
「朝、大使館に寄ったら、アルカ様宛にお手紙が来ていましたよ。イーダッド様から」
「イーダッドおじ様? こわいなあ。なんだろう」
さっそく手紙を開き、内容を確認する。
「どうでした?」
「ここ三、四年の、ニールゲンの動向を書き送れってさ。ティルギス大使館の報告書にある範囲でいいからって」
「私がやりましょうか?」
「ううん、私がやるよ。私に、ちゃんとおまえも情勢を把握しておきなさいっていう意味をこめての指示だと思うから。
見てよ、この書き出し。『どうせ暇だろう。ぐずぐず思い悩んでいるだろうから手を動かす仕事をやる』――だって。どこかで見ているのかと思うよ」
容赦ない叱咤激励に苦笑い部屋を出る。すぐにシグルドが追ってきた。
「ははうえ、どこにいくんですか?」
「ティルギスの大使館に行ってくるわ。イーダッドおじ様のご用があるから」
「ぼくもいきます」
「大使館は遠いから。シグルドはお留守番してて」
シグルドは渋ったが、侍女たちになだめられて留まった。
「シグルド、どうしたんだろ? 前は、私が出かけるっていっても、見向きもしなかったのに」
「アルカ様が心ここにあらずだからでは? 金竜のことで頭がいっぱいでいらっしゃるから」
「そうだった? シグルドといるときは、シグルドのことだけだけど」
「子供は意外と鋭いですから」
大使館を訪れると、アルカは大使に眉を上げられた。おどろきと困惑が見て取れる。
「ここまできて大丈夫か? 陛下にご許可は」
「とっていませんが。まだ、ただのティルギスの王女ですし」
大使は難しい顔をしたが、まあいいか、と自分を納得させた。
「君はニールゲンの人々に銀竜と誤解されているし。銀竜様に手出しする者はいないだろう」
「その誤解にはとても困っていますけれど。自国の大使館に来るのに、陛下のご許可が必要なのですか?」
「ちがう。ただ、君も身辺を警戒しろという話さ。陛下はニールゲンの王として圧倒的な支持を受けているが、敵がいないわけではないからな」
大使は読んでいた書類を手放し、深々と椅子に腰かけた。息抜きに、嗜好品である木の根をくわえる。
「陛下は家臣に、城下に妻子ともども住むことを奨励しているだろう?
表向きは家臣たちを気づかってのことだが、平たくいえば、人質をとったわけさ。彼らがもし逆らっても、その家族の身柄をすぐ抑えられるように。同じように人質を取られるのを恐れていると思うぞ」
大使のいったことを飲み込むのに、アルカは少々時間がかかった。
根っこをかじりながら、大使はぼやく。
「陛下は自らの離宮やお屋敷を壊してまで、家臣に住む場所を提供なされた。
ニールゲンの家臣たちは、都に家族で住居を持てると大喜びしていたが――気が知れん。自らくびきをはめに行くようなものなのに」
その場で仕事をしていた職員たちも、怖い、怖い、と背をまるめる。
「陛下が『ファブロ城の獄吏』といわれるのが、きびしい仕事ぶり故でないことを、何人が気づいていることやら」
「恐ろしいお方だ、まったく」
ぼやく大使と職員たちに、シャールが咳払いする。将来のニールゲン皇妃の御前だということを思い出し、皆、あわてて仕事にもどった。
「批判するようなことをいってしまったが、陛下の策はすばらしい。遊牧民の我々には、住まいをエサにするような策は思いつかないからな。
アデカ王の悲願である諸国の統一はもうまもなくだが、我々のような遊牧民は定住民の国家を治める術に長けていない。
諸国統一後は、どうしても統治の手管に長けたニールゲンの力を借りる必要がある。陛下はじつに頼もしいよ。うん」
大使は早口に付け加え、木の根を捨てた。また書類と格闘しはじめる。
アルカは資料をお借りします、とだけ答えて、資料室へと足をむけた。
「イーダッド様のご用は、この棚の資料をご覧いただければ、事足りるかと思います」
「ありがと、シャール」
「お茶でも入れてきますね」
棚には、職員が情報を共有するために作成された報告書が、国ごと、年ごとにまとめてある。アルカは自分がいない間の、ニールゲンに関する報告書を取った。
最初に目についたのは、イルハラントのことだった。
ティルギスの仇敵だったイルハラントは、ティルギスを助けたニールゲンを恨み、ファブロ城の地下通路を利用して、奇襲をしかけたことがあった。
「イルハラント人は、女子供も皆殺し、か」
ニールゲンの要人が幾人も命を落とした騒ぎだったので、報復は仕方のないことだが。逃亡を助けた者にも処罰が下される命令が出されていた。
罰は人間だけではなかった。イルハラントに関する書物は焼かれ、遺跡は壊され、言語も使用を禁じられていた。存在を丸ごと消し去るような、苛烈な報復だった。
イーダッドがシグラッドにいっていた『壊滅灰塵』の異名が思い出される。
『首斬り皇帝』の異名の意味も、すぐにわかった。シグラッドが王座に復帰してからというもの、報告書には連日、おびただしい数の処刑人が列挙されていた。
まず皇族の男子は、王位継承権を持つ可能性にある男子は排除されている。女性や子供についても、処刑又は幽閉、国外へ追放されていた。
レギン側についていた貴族は全滅に等しく、廃絶されるか、どこかに吸収されるか、家名は残ったが当主がすげ替わるかしていた。これでは祝宴に集まる人数も減るわけだった。
「手伝いましょうか?」
血なまぐさい報告書をまとめる主人を、シャールが気づかう。
アルカは首を横にふった。
「私の仕事だから」
甘い夢など見るな、と養父にいわれている気がした。記憶の中で、あの底知れない黒い目が嗤っている。
「それにしても数が多いね。後の方になってくると、処刑の理由がわけわからないし。『笑い方が下品で不敬な為』って。もういいがかりだよ」
「皆が、レギン様に陛下の機嫌をおたずねする理由がわかるでしょう?」
「他に理由があったんじゃないかと思うけど。シグは自分の感情でなく、理性に従うもの。
みんなが酔って浮かれているときに、一人だけ冷静にみんなを観察してる。そういう人」
「さすが。長いこと陛下のおそばにいらっしゃるだけありますね。
レギン様も同じことをおっしゃっていましたよ。その時の客人に脅しを効かせたかったんだと思う、と」
文字を書く手の力が、萎える。アルカは泣きそうに笑った。
「金竜の助命嘆願って。自分がとんでもなく無謀に思えてきた」
「アルカ様」
「でも、死ぬ人は一人でも少ない方がいい」
アルカは自分を叱咤して、ふたたび書類と格闘しはじめた。




