6.
アルカがファブロ城に帰り、ほどなくして、シグルド皇子のお披露目会が行われた。皇子生誕を祝う会でもあるため、国を挙げて盛大な祭りになった。
主役のシグルドが赤い礼服に袖を通したのと同じく、アルカも久々にきらびやかなドレスを身にまとう。
極上の絹で織られた生地は肌に心地よく、サイズもぴったりで、申し分ないドレスだったが、一つ気になることがあった。袖や胴、裾に、うろこ状の銀の金属片が縫い付けられているのだ。
「この飾り、どうにかなりませんか?」
銀竜をイメージしたような衣装に、アルカは抗議した。
「本物の銀竜様に失礼ですよ」
「そんな。わたくしどもは、ただただ、アルカ様にお似合いだと思って白いドレスをご用意しただけで」
「うろこは、竜の国の妃だからおつけしただけです」
侍女たちはとんでもないと首を横にふるが、アルカは念を押した。
「私、人間ですからね?」
「ええ、ええ、よく存じておりますとも」
「アルカ様がそうおっしゃるなら、そうですとも」
「……」
アルカは議論をあきらめた。代わりに、シャールに愚痴をこぼす。
「ああ、もう、やだ。お披露目会、出たくない。こんな格好で出ていったら、よけいに誤解がひどくなりそう」
「お気持ちはわかりますが、シグルド様のためですから。ね」
「他にドレスない?」
「探してみます」
シャールと入れ替わりに、従者を連れてシグラッドがやってきた。こちらは赤が基調の礼服で、随所にさりげなくうろこの模様が入っている。赤竜王の異名にふさわしい礼服だ。
「――よく似合ってる」
アルカを一目見るなり、シグラッドは手放しに褒めた。
明るい黄褐色の目はうっとりと細められ、言葉に嘘偽りがないことを示していた。
「母親になって、アルカはいっそう魅力的になった」
まぶたに口づけが降りると、アルカは頬を赤くした。赤くなった頬にさらに口づけられるので、心臓がはねていそがしい。
「これを」
シグラッドの合図で、従者が進み出てきた。手に持った革張りの箱を、うやうやしく差してくる。白金と金剛石でつくられた、豪奢な首飾りが鎮座していた。
「皇子を生んだお祝いでございます。お納めください」
アルカは手に取るのをためらった。
これは今日のドレスの仕上げに身に着けるものだとわかったが、嫌だった。
なぜなら首飾りも、銀のうろこを連想させるような形状だったからだ。
「世間ではアルカが銀竜なんていう珍説がささやかれて、困ったものだと思っているが――」
「シグ」
アルカは、シグラッドが物事をきちんとわかってくれていると安心したが、
「アルカが私にとっての銀竜だということはまちがいないからな。そういう意味では正しい」
堂々のろけられて、言葉も出なかった。呆然としている間に、シグラッドの手で首飾りをつけられてしまう。
「シグ、私――」
「行こう」
差し出された腕に、アルカはためらいの言葉を飲み込んで、自分の腕を絡ませた。代わりを探してきてくれたシャールには、いらない、と手で合図する。
息子のお披露目会とあって、今日のシグラッドはたいそう機嫌がいい。シグラッドの無邪気な微笑に弱いアルカとしては、誘いを断ることなどできはしない。
「……前に、オーレックのことで喧嘩したとき、大嫌いっていったの、ごめんね。言い過ぎた」
「本当は?」
手をのばすと、膝裏をかかえられた。アルカはキスをする。
胸がじわりと熱くなる。硬い髪の感触も、自分よりも体温が高く熱い身体も、ときに危険にかがやく目も、愛おしくてならない。
ああ、やっぱり自分はこの人のことが好きなのだ――と改めて自覚させられる。
「オーレックと会うの、許してくれる?」
「だめ」
「どうして」
「アルカがかわいすぎるのがいけない」
悩ましげにため息を吐くシグラッドに、アルカは怒った。
「ごまかすのはやめて。アンカラで、シグがうちに通っている間、オーレックだって気を使ってくれていたんだよ。シグも譲ってよ」
「アルカは本当に何もわかっていないんだな。まあ、いい。私があの女の毒牙からアルカを守れば済む話だ」
会話が成り立たないので、アルカは途方にくれた。これでは妥協点など見つかりはしない。
王の間には、多数の来賓があつまっていた。シグラッドの隣に座って、多くの祝辞を受ける。ひざの上のシグルドが退屈してぐずりださないか心配していたが、予想よりも早く式典は終了した。
「式典って、こんなに短かったっけ? 昔はもっと長くなかった?」
「陛下が短縮させていますから」
シャールに、次の会場である広間にうながされる。同じように移動する人の流れを見ていて、アルカは少ない、と思った。以前は祝宴ともなれば紳士淑女がひしめいていたが、いやに空いている。
「……私が産んだ子供だから、皆に歓迎されてないのかな」
「ちがいますよ! たんに、人が減っただけですから。ご心配なく。今はこれくらいが普通になっているだけです」
「招く人を減らしたの?」
「ええ、まあ。そんな感じです」
シャールの歯切れは悪かった。理由を聞く前に、にぎやかに祝宴が始まった。楽師たちが音楽を奏で、大道芸が披露され、遠くからやってきたという歌姫が自慢ののどをふるわせた。
銀色の髪に、褐色の肌の歌姫だった。
長くのびる高音が耳に心地よい。竜笛の音に似ている、とアルカは思った。銀竜の鳴き声を模したあの笛の音に。
「いい声をしていますなあ」
「なんとうつくしい」
広間の全員が、うっとりと耳をかたむける。
とくに、ニールゲンの貴族たちは聞きほれていた。シグラッドも心地よさそうに目を閉じ、シグルドもぼうっとしている。歌姫が王座に近づき過ぎていても、だれもさえぎらない。
歌姫の、空を映したような青い瞳。深く澄んだ清らかな色。
いつか、どこかで見たような気がする。
「――銀竜様!」
歌い終わった歌姫が、突然、アルカにむかって叫んだ。
余韻に浸っていたアルカは、急に現実に引きもどされた。
歌姫はすがるように一心にこちらを見つめている。ちがう、と両の手のひらをみせるが、効果はなかった。両手を握りあわせ、決死の表情で、懇願してくる。
「銀竜様、お願いします。どうか金竜様をお救い下さいませ!」
*******
許しもなく壇上の人物にすがった歌姫は、すぐに衛兵に捕らえられた。
「だれだ、あんなものを呼んだのは」
シグラッドはすっかり興ざめしていた。他の人々の反応も似たり寄ったりで、外へと連れ出されていく歌姫をうろんげにした。宴が仕切り直されると、何事もなかったように談笑にもどる。
アルカだけが、いつまでも歌姫のことに気をもんでいた。
「シグ、金竜様ってどなた?」
「アルカが気にすることじゃない」
シグラッドは足を組み、頬杖をついた。
くわしいことを話すのを嫌がっているのはわかったが、アルカは食い下がった。
「『金の竜』のこと? うろこもようのついた金色の面をかぶった薬師さんでしょう? アンカラにいたとき、うちで薬を仕入れさせてもらっていたんだけれど」
「国家反逆罪に問われている罪人だ」
冷たくいい放たれた一言に、アルカは愕然とした。
さらに詳細を聞こうとすると、その前に釘を刺される。
「あとはこっちの話だ。アルカは気にしなくていい」
明確な線引きをされて、アルカは黙った。といっても、あきらめたわけではなかった。化粧を直しに席を立った際、控えの部屋で、化粧筆を持つシャールに頼んだ。
「さっきの歌姫さん、引き留めておいてもらえる? 他にはわからないように」
「アルカ様、深入りすると、銀竜様の称号が外れなくなりますよ?」
「だって、放っておけないよ」
シャールは主人の人の好さにあきれながらも、わかりましたと承諾した。
「シャールは金竜のこと、何か知ってる?」
「いいえ。『金の竜』という薬師がいたことも知りませんでしたし、国家反逆罪に問われているとも知りませんでした。
というか、国家反逆罪に問われるような罪人が出ていたことすら、聞いたことがなくて。
――妙ですね」
シャールの夫は、皇帝の近くに仕えるニールゲン人の高官だ。恋愛結婚ではあるが、ニールゲン側の事情をつねに把握しておきたい、という打算を含んだ結婚であるため、シャールは日々、夫との情報共有をおこたらない。
だというのに、国家反逆罪の金竜の話題が出なかったのは、不自然だった。
「帰ったら、エイデを問いただしてみます」
シャールはキビキビと請け負った。
しばきたおします、といっているように聞こえたのは、たぶん気のせいだろう。
「ありがとう。でも、私が気にしているから聞く、っていうふうには聞かないで欲しいの。世間話って感じで聞いてもらえると助かる」
「陛下に気取られないように、ですよね。わかっております」
アルカは少し迷ってから、とある事実を舌にのせた。
「金竜はね、ブレーデンなんだ」
化粧筆をしまっていたシャールの手が止まる。
「ブレーデン様というと、シグラッド様の異母弟で、先王様の第三皇子の、あのブレーデン様ですか?」
「そう。そのブレーデン」
「たしか、行方不明になられていたはずですが……確かなのですか?」
アルカはうなずいた。
「実際に会って話して確かめたわけではないけれど、イーダッドおじ様からそう教えられて」
なぜイーダッドがそれ知っているかというと、イーダッドがブレーデンを僻地に追いやり、薬師に育てた張本人だからである。
べつに、薬師に育てるつもりはなかったのだが、監視をつけて僻地において、死なない程度に面倒を見ていたら、いつの間にか流れ者の薬師と親しくなり、知識を身につけていたらしい。
「国家反逆罪なんて、嘘だよ。ブレーデンがそんなことするはずない。
ブレーデンは昔、本国からアスラインを独立させようって誘ってきた人に、どんな甘い言葉をかけられても、どんな脅しをされても、ニールゲンを――兄を裏切ることはできないっていって、その誘いを断ったんだから」
兄はおまえのことを愛していない、自分の母親を苦しめた女の息子として憎んでいる、うとましく思っている、気に入られようとしても無駄だ。
シグラッド陛下についていても、いいことはない。命を狙われる危険すらある。だから、本国から独立した方がよい。その方が身のためだ。
そうそう、さらに付け加えるならば、おまえの母親を殺したのは、おまえの敬愛する兄だ。敵討ちだよ。おまえをそんな二目とみられない姿にしたのも、計算のうちだ――
イーダッドから次々残酷な事実をつきつけられても、ブレーデンはシグラッドを裏切らなかった。断れば殺されることだってありえたのに、だ。今更、裏切るとは考えにくかった。
「今度こそ、助けなくちゃ」
化粧を直し終え、広間にもどる。アルカは平静を装っていたが、壇上で、シグラッドと話している人物を見て、表情を硬くした。
つややかで豊かな栗色の髪を結い上げた、うつくしい顔立ちの女性。レノーラ=デュレ=パルマン嬢だ。
二人は他愛のないことを話しているようだった。レノーラは、じたばた暴れる息子に手を焼ている皇帝をからかっており、シグラッドは憮然としているものの、気を悪くはしていなかった。気安い調子で何事か返している。
二人は相変わらず気のおけない仲らしい。
「……パルマン嬢は、アスラインの宗主になられたの?」
「いいえ。宗主代行として、実質的な権限は握っておられますが」
ブレーデンは、本来であれば、アスラインの宗主になっていたはずの人物だった。
そしてレノーラは、アスラインの実権を握っていたい立場である。
「なるほど。金竜の存在を握りつぶしたいわけが、わかってきましたね」
シャールは壇上へ油断ならない目をむけ、アルカは小さく嘆息した。
******
残念なことに、宴の席で無礼を働いた歌姫とは話せなかった。
拘置所に確保されていたのだが、衛兵が少し目をはなしたすきに、忽然と姿を消してしまったらしい。ついでに彼らの夜食も消えていたとかで、衛兵たちは悔しがっていた。
「くわしい話を聞きたかったのに」
「金竜のこと、だいたいわかりましたよ」
シャールは金竜に関する調書の写しを取りだした。
「金竜。名前や出身地、年齢や来歴は不明。住んでいる村に来る前の記憶はない、と本人は証言しています。
職業は薬師で、竜化病にかかっており、そのために薬の研究しているとのことです。
竜化病というのは、ニールゲン人特有の病だそうです。レギン様の竜化のように、自分の意志とは関係なく、一部の肌が硬化してうろこ状になるのだとか。
調書には、病がひどいので顔を面で隠すことを許した、と特筆されているので、まだ相当お悪いようですね」
昔、ブレーデンは竜涎香で竜化しそこね、肌があちこちうろこ状になったり、ひきつれたりと、人目をはばかるような姿になった。痕をごまかすための理由には、最適な病だろう。
「そうそう、調書にはありませんが、取り調べをした係が、おもしろいことを言っていましたよ。いわく――金竜は銀竜様の弟子だとか」
「銀竜様の弟子?」
「村人たちが、そういっていたそうです。金竜の薬は、領主も愛用するほどよく効くので、それを褒めたたとえとは思いますけれどね」
「……あながち、嘘じゃないかも」
心の中で、アルカは、自分に金竜の助命を嘆願してきた歌姫のことを思い出していた。
「罪状は幇助罪です。金竜は、犯罪を犯して、他国へ亡命しようとしていた役人をかくまった罪で捕らわれました。
かくまったのは、故意ではなかったようですね。犯罪者とは知らず、森でケガをして倒れていたので助けただけです」
「それなのに、捕まったの?」
「犯人を引き渡すように要求されても、引き渡さなかったのが問題で。
だれであってもケガ人はケガ人。ケガ人を治すのは自分の仕事だから、治療が終わるまでは引き渡せないと、つっぱねたらしいんです」
拍手を送りたいくらい立派な心意気だった。それが仇になったわけだが。
「金竜は治療が終わったら引き渡すつもりでした。自分を心配する村人たちにも、はっきりそういっていて、村人たちの証言も取れています。
ところが、引き渡す前に、スキを見て犯人が逃げ出してしまった。だから一緒に罪に問われてしまった」
「引き渡しを拒否したのは確かにまずかったけど、それなら情状酌量の余地はありそうだよね。処罰は?」
「懲役三ヶ月。最初はもっと重かったのですが、そこの領主が嘆願書を提出したおかげで、減刑されています」
アルカは思い切り、首をかしげた。
「あれ? シグは、重罪人っていっていた気がするけど。そもそも、罪状も国家反逆罪じゃないし。全然話がちがうよね」
「いえ、余罪が発覚しまして。それが国家反逆罪で、死罪が下されています」
アルカは余罪の調書を見るため手を差しだしたが、シャールは何も持っていなかった。ただ手をふられる。
「調書がありません。あるにはありましたが、詳細はいっさいなし。機密事項のため記載なし、の文言だけで、紙一枚で終わりです」
「嘘でしょ?」
アルカは目が点になった。
「なんにも分からないの?」
「掛け合ってみましたが、機密事項だから一切話せないときっぱり断られました。レギン様相手でも教えられないことだから無理だと」
「レギン? ここでレギンが出てくるってことは、レギンもどこかで関わってるの?」
「可能性はあります。金竜の調書、とてもくわしくて。レギン様の名はどこにもないのですが、細やかなレギン様のお仕事ぶりがちらつくんですよね」
ならば次はレギンに聞いてみよう、と思い立ち、アルカは椅子から立ちあがった。自室を出る。
庭で、シグルドが同じ年頃の男の子――シャールの息子とじゃれていた。アルカが会いたいと頼んで、連れて出仕してきてもらったのだ。遊びに夢中で、こちらには目もくれない。
「シグルド、出かけてくるね」
簡単に言い残して出かけようとすると、裾を引っ張られた。シグルドだった。ふだんは遊びに夢中だと、母親が出かけるといっても生返事なのだが、今日に限って、後追いされる。
「ぼくもいきます」
「シグルドは連れていけないところだから」
しゃがんでやんわり言い聞かせたが、シグルドはいっそうだだをこねた。
「だめです。ははうえは、ぼくのははうえだから、ぼくといっしょにいないといけないんです」
手を取られ、何度も小さな唇を押し当てられる。父親であるシグラッドのマネだ。親の姿を、子供はじつによく見ていた。
シャールの方も、ついていくという息子を説得するのに手を焼いてていた。
「私はアルカ様のお供をしないといけないんだ。おまえは残って、皇子をお守りしなさい」
「しゃーるは、あいかわらずつめたいんですから。そこがいいですけど」
こちらも、誰かをまねているらしかった。言葉がたどたどしい。
「でも、たまにはいいでしょう? ほら、ぼくのとなりが、あいてますよ」
ポンポン自分の隣をたたく息子に、シャールは絶句していた。
そもそも段取りもなしに、忙しいレギンを捕まえるのは容易でない。
結局、母親二人は息子たちの父親をまねた口説きに屈し、その日は会いに行くのをあきらめた。




