5.
シグルドは王城の生活に、すぐになじんだ。
客がよく出入りする家にいたせいか、シグルドは人見知りしない性質だった。すれちがった人にも、愛想よくニコニコとするので、城内の人々は、だれでもこの皇子に好意をあらわにした。
シグルドの世話は乳母や侍女の手で十分に足りたし、遊び相手は同じような年頃の子供が連れてこられたし、勉強は専属の教師がおり、警護は兵が油断なくしてくれている。
アルカが手を出すことはまったくなく、少し離れたところで息子をながめる日々がつづいた。息子が心配でついてきたのだが、何の不安もないことは十分に分かった。さすがに飽きてきて、アルカは腰を上げる。
「少し、城内を散歩してきます」
「どうぞどうぞ。皇子も機嫌よく遊んでおいでですし」
シグルドは若い侍女たちに囲まれて、きゃっきゃと楽しく遊んでいた。
出かけてくるね、と声をかけると、はーい、と生返事がある。親がなくとも子は育つ、の単語が脳裏をよぎった。
数年ぶりのファブロ城は、記憶にあるものとは少し変わっていた。シグラッドとレギンで王位を争った際に、さまざまな騒ぎが城内で勃発して、壊れたせいだ。改築の痕を、シャールを連れて見て回る。
「鍛錬場、前よりりっぱになったね。人もかなり増えたよね」
「軍馬用の厩舎の数も増えました。近頃はティルギス人が呼ばれて、馬の調教と指導を任されています」
通りかかると、鍛錬中の兵士たちが一斉に跪いたので、アルカはあわててそこからはなれた。こういうときはねぎらいの言葉でもかけるのが正しいのだろうが、久々の王女職はやっぱり慣れなかった。
「知らない顔ばっかりだね」
本宮を行き交う官吏を、アルカは見回す。自分のおぼえている人間が少ない、というのもあるが、わかる顔が数えるほどしかいない。
「雰囲気も変わったね。なんかこう、気楽になって、にぎやかになったというか」
「登用される人材の層が変わりましたから。パッセン将軍にいわせれば、階級を問わず優秀な人材が、マギー老にいわせれば、品性がなく道理をわきまえない野蛮人ばかりが」
廊下で、口論している一群に出くわす。身なりと言葉づかいで、一方は下級貴族の子息たちで、一方は上級貴族の子息たちと見当がついた。
前者は相手を鼻持ちならない口ばかりの能無し、と非難しており、後者はそんな貧乏くさい格好で出入りするのは王への敬意が足りない、考えるのが我々の仕事で、動くのは下の仕事、と主張している。
両者譲らず、つかみ合いになりそうな雰囲気だ。アルカがはらはらしていると、数人が、こちらに気づいた。人食い熊にでも遭遇したかのように、硬直される。
「ご……ごきげんよう」
なにも声をかけないのも感じが悪い気がして、アルカはとりあえずあいさつした。口論が一斉に止む。
「お見苦しいところを!」
「申し訳ありません!」
「それだけ、皆さま一生懸命なんですよね。毎日、おつとめご苦労様です」
王女用の気品ある微笑を貼りつけてねぎらうと、全員に深く頭を下げられた。
「もったいないお言葉でございます!」
「皆、一丸となって、仕事にはげみます! 銀竜様!」
最終的に平伏された。銀竜様とはなんぞや、と思ったが、アルカは深く詮索せずにそそくさとその場をはなれた。後から、きょろきょろあたりを見回す。
「どうかなさいました?」
「さっきから、過剰に丁寧にされるから。近くに、シグがレギンでもいるのかと思って」
他にだれもいない。アルカはしきりに首をかしげた。
城壁近くまできたので、塔に上って城下を見渡す。以前より住居がひしめいていた。
「お屋敷が増えてない?」
「陛下が、家臣に妻子共々、城下に住居を構えることを推奨していますから。都に居を構える余裕のなかった家臣でも、無理して持つようになったんです。出世にかかわるので必死ですよ」
かつて離宮や皇族の別荘があったところは壊され、惜しみなく住居地として提供されていた。
皇帝自身がわが身を削って推奨しているので、貴族もいわずもがなだ。広々としていた貴族たちの敷地も分割されていた。
「近い方が便利だし、すぐに家族に会えた方がいいもんね」
「そう……ですね」
シャールは何かいおうとして、口を閉ざした。二人は塔を降りる。これでおおよそ、城内は一周した。
「そういえば、地下道はふさいだの?」
「当然。また敵の侵入に使われてはかないませんからね」
地下通路を番していた緑竜は、今は外に出て、我が物顔で城内を闊歩していた。かごをかかえた召使を押し倒し、落ちた果物をむしゃむしゃ食べる。アルカは緑竜をたしなめた。
「あとで後宮にきて。ごはん用意しておくから、他で食べちゃだめだよ」
緑竜は、了解、とばかりに鼻面を押しつけてきた。まだちゃんと、アルカをおぼえているらしい。
「大丈夫ですか?」
緑竜に押し倒されていた召使に、手を差しだす。真ん丸に目を見開かれた。
「ぎっ、銀竜様!」
叫ぶなり、召使はその場に平伏した。アルカは手を差しだしたままの姿勢で固まる。
「あの……私はアルカです。銀竜じゃありません」
誤解を解く努力をしてみたが、召使は平伏したままだ。
気づけば、やたら周囲の見晴らしがよくなっていた。水をくんでいた召使も、見回りの兵士も、庭師も、通りすがりの官吏もその場に平伏しているせいだ。
助け起こそうとした召使が、畏れ多いといって、頑として面を上げてくれないので、アルカはまだ話せそうな官吏に声をかけた。
「顔をあげてください。ティルギスの王女、アルカ=アルマンザ=ティルギスです。一時、銀竜様が私の姿で陛下の前に現れたということは聞いていますが――」
「ええ、ええ、よく存じておりますとも。あなた様は、アルカ殿下。それが、今の銀竜様の世を忍ぶ仮のお姿なのですよね」
世を忍んでないし、仮の姿でもない。
なにかとんでもない誤解が生まれている。
「思い返してみれば、あなたは最初から不思議なお方だった。
陛下を虜にし、レギン殿下とは友となり、いとも簡単に黒竜様の庇護を得、緑竜たちを手なずけていた。そんなこと、ふつうの人間にできようはずがありません!」
力説する相手に、もはやアルカの声は届かない。きらきらした目で見上げてくるばかりだ。
「銀竜様は、ティルギスの王女と入れ替わって、ティルギスで生まれ育ったように装い、我が国にやっていらした。
それは陛下の妃となって、陛下とともにニールゲンの繁栄を築いていくため。
ああ、なんという――なんというすばらしい治世に私は生まれたのだろう」
官吏はついに感極まって涙ぐむ。興奮に周囲が叫んだ。
「ニールゲン万歳!」
「シグラッド陛下万歳!」
「銀竜様万歳!」
万歳三唱がこだまする。
アルカはそばのシャールの腕にすがった。
「……私、ちゃんと人間の母親のお腹から生まれて、ずっと人間をやってきているんだけど。生まれてこの方、人間以外やったことないんだけど!? シャールはわかってるよね?」
「ええ、ええ、よく存じておりますとも、アルカ様。
ですが、以前、銀竜様がアルカ様のお姿で現れて以来、ニールゲンの方々は、我が国の王女のことを銀竜様といってきかないのです。
もちろん、幾度となく、私だけでなく、大使も大使館の職員も、ちがうと否定してきましたが――幽霊話と同じです、人間、話が大きい方がおもしろい。どんどん話が盛られて、あっという間に広まってしまって。
たかだか一国の王女に、彼らの崇拝する人物たちがそろって魅了されていることは、彼らのプライドが許さないというのもあるのでしょうね」
シャールは額を押さえ、アルカは茫然とした。
万歳三唱をやめさせたのは、騒ぎを聞きつけてやってきたレギンだった。ほらほら、と手で人をはらうしぐさをする。
「仕事にもどって。あんまり騒ぎ立てると、銀竜様はまた空にお帰りになられてしまうから、今後はお姿を見ても静かにね」
「レギン! お願いだから一緒に否定して!」
アルカは友の裏切りに泣いた。
「ごめん、アルカ。じつは僕、アルカの親友として『アルカ殿下は銀竜様なんですか?』って質問をされたときに、否定ができなくてさ」
「じつはアルカ様。私もです。アルカ様の一番の部下として同じ質問をされたとき、答えをにごしてしまって」
二人は申し訳なさそうに肩をすぼめた。
「なにせ、ほんのついさっきまでアルカだと思っていた人物が、銀の竜になって飛んでいったから、自分の信じていたものが信じられなくなったんだよね」
「ひょっとしたら、アルカ様は本当に銀竜だったのかも、なんてことをちらりと思ってしまいまして……すみません」
「二人が否定してくれなかったら、皆、信じちゃうじゃない」
冗談をいわないシャールと、誠実なレギンが口をそろえたなら、ガチョウも白鳥になろうというものだ。
「まあまあ、いいじゃない。銀竜様ってことにしておけば。だれにも襲われないよ。シグラッドは例外だけど」
「害はないですし、もう放っておきましょう」
「罰当たりだって」
二人にちっとも誤解を解く気がなさそうなので、アルカはふてくされた。
******
本宮にもどるレギンに、アルカもついて歩いた。
西の棟を通りかかったので、ついでにたずねてみる。
「レギンは今、西の棟に住んでるの?」
「そうだよ。ローラと、娘のリンデも一緒。ローラがアルカと話したがっていたから、気軽にお茶でもしにきてよ」
西の棟から出てきた貴婦人が、レギンに丁寧に頭を下げた。アルカにも、深々と頭を下げる。侍女を連れていて、身分が高そうだが、アルカにはとんと見覚えがなかった。
「ごめん、どなた?」
「僕の側室だよ。この棟、僕の側室が三人いるから、そっちもよかったらよろしく」
アルカは驚愕した。なにせ、青い竜であるために、レギンは結婚もはばかられていた身なのだ。ローラも含めて四人の女性にかこまれて生活しているのはおどろきだった。
「シグラッドが側室はとらない宣言しているからねえ。必要な婚姻は、全部こっちにまわってくるんだよね。もちろん誰ともこれ以上、子供は持てないけど」
「だ、大丈夫?」
アルカは色恋ごとに奥手な友人を気づかったが、レギンはさして動じなかった。スタスタと側室に歩み寄っていく。
「出かけるの? 気をつけてね。今日は風が強いから、帽子が飛ばないようにね。その帽子、新しく作ったんだね? 小鳥の羽根飾りがいい。君の雰囲気にぴったりだ」
流れるように気づかいと賛辞を述べ、レギンは手の甲に口づけた。相手はうっとり、レギン様もお気をつけて、と返して、出かけていく。アルカは感嘆した。
「すごいよ、レギン。あんなに奥手だったのに」
「慣れだね。シグラッドには世間ずれしたな、っていわれるよ」
「私がレギンとローラとの仲を取り持つのに努力していたのが嘘みたい」
「ありがとう。アルカ、きれいになったよね。昔がきれいじゃないって意味ではないよ? 今も昔もかわいいけど、今は大人っぽくなって、すごく女性らしくなった。
シグラッドは幸せ者だな。帰るのが楽しみになるわけだよ」
「あは、ありがとう。レギンでなかったら、赤面しちゃうな。
レギンは優しいし、親切だし、気遣いが細やかで、物腰に品があるから、お城の中で女性のエスコートが一番上手だろうなって思っていたんだよね。
こうやって、女性と話す機会が増えていると、レギンの良さをみんなに知ってもらえたみたいでうれしいや」
ほめちぎると、とたんにレギンは昔のレギンにもどって、顔を赤くしてしまった。レギンは、ところで、と咳払いする。
「アルカとシグラッドとの結婚っていつ頃になりそう?
シグルド君の公式お披露目会をやるでしょ? それ、僕としては、シグラッドとアルカの結婚式の方が先か、一緒にやった方がいいんじゃないかって思うんだよね」
レギンはわきに抱えていた書類をめくった。
「でも、シグラッドにそれいったら、結婚はティルギス次第っていっていたから。アルカなら何かわかるかなと思って聞くんだけど」
「結婚ね。うん……結婚は、たぶん、そのうち、そう遠くはないと思うけど」
あきらかに言葉をにごしている友人に、レギンは書類をとじた。
「ああ、やっぱり。妙にシグラッドと距離を取りたがるなあ、って変には思っていたけど。アルカ、結婚は気が進まないんだね」
「いや、ちゃんとするんだよ。最終的にはするんだけど。……心の準備が整わなくて」
「人から聞いただけだけど、色々あったみたいだものね、前」
レギンは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「あれは、シグラッドの一途さが悪い方にでちゃったね。今度、もしあんなことがあったときは僕が味方するし、いくら好きでもやっちゃいけないことがあるってことは、よく言って聞かせるからさ。許してあげて」
「そうだ。今はレギンがいるもんね」
アルカは頼りになる友の手をにぎった。
「レギンが生きててくれてよかった。本当によかった。生きててくれてありがとう」
「アルカのおかげだよ。こちらこそ、アルカがもどってきてくれてうれしいよ。またよろしくね」
レギンも、アルカの手をにぎり返す。二人はしっかと握手を交わした。
「じゃあ、とりあえず、シグルド君のお披露目会が先ってことで決定だね。結婚の件は、心が決まったら教えて」
書類にメモを書き足し、レギンは去っていった。その背を見送っていたシャールが、ぽつりという。
「レギン様が生きておられてうれしいのは、たぶん、アルカ様だけじゃなく、今や城中だと思いますよ」
「そうなの?」
「ええ。様子をよくご覧になっていると分かると思いますが」
向こうから、駆けるようにして官吏たちがやってきた。次々とレギンに助けを求める。
「レギン様、陛下が鍛錬場の壁壊しました!」
「また!?」
「この計画、三ヶ月でやれっていってるんですけど!」
「死ぬよ!?」
「明日の陛下って機嫌よさそうですか?」
「僕が知りたいよ!」
突っ込みながらも、レギンは話を聞き、次々指示を飛ばす。それが終わっても、また次が来る。三歩歩くごとに相談事が舞い込んでくるのではないか、というような様相だった。
「レギン様についたあだ名は『ファブロ城の良識』『陛下のお守り』『駆けこみ相談所』です」
「……大変そうだけど。本人、頼られるの好きみたいだし。生き生きしてるから、よかった」
「きっと、今にニールゲン中に必要にされますよ」
「うん。絶対そうなるよ」
居場所を見つけた友に、アルカは心の中で祝福を贈った。
 




