2.
イーダッドとキールは、アデカ王と打ち合わせを終えると、王より一足先にアンカラへ戻ってきた。
「アデカ王たちは、明日には町にご到着なさるだろう。町に入られた後は、ニールゲン皇帝陛下のご滞在なさっている屋敷へ案内されるそうだ」
「じゃあ、私たちも屋敷でお待ちしていた方がいいよね」
アデカ王と最後に会ったのは、ティルギスを旅立つ時。もう十年近い前のことだ。孫としては、初の顔合わせになる。どんな調子で接すればいいのかと、アルカは早くも緊張した。
「――な、なに?」
イーダッドの黒い目に見つめられ、アルカはちぢこまった。長い間一緒にいても、いまだに慣れない。何かしてしまっただろうかと不安になっていると、キールが微笑した。
「その様子だと、デートはうまくいったのね」
アルカは頬をぱっと赤く染めた。
「なんでわかるの?」
「幸せって顔に書いてあるわよ。肌もかがやいて。女は恋をすると、見違えるようにきれいになるんだから」
アルカは恥ずかしくなって、頬をおさえたり、唇を引き締めてみたりしたが、よけいに笑われただけだった。
イーダッドの方は無表情に問うてくる。
「陛下の身辺はどうだった」
「それなら――」
アルカはシグラッドの妃が銀竜であり、半分いないようなものであることを伝えた。
「だから、シグルドを王宮に連れていっても心配なさそう。後継者争いに巻き込まれる可能性はうすいから」
「なるほど。と、なれば、おまえもシグルドについていくのだな」
「うん。……いい、よね?」
アルカは養父に許しを請うた。成人してなお、イーダッドの顔色を窺ってしまうのは、もはや習性だ。幼いころから刷り込まれた立場関係はいまだに抜けなかった。
「アデカ王にお伺いしなさい。私に決定権はないのだから」
「――はい」
他人事のようにいわれ、とまどう。
自分が本物のティルギスの王女と判明した今では、これが当たり前なのだが、幼少のころからイーダッドの言葉一つで行動を決められてきたので、違和感がぬぐえなかった。
それに、今までイーダッドに行動を決定されてきた身としては、あいまいな態度をとられると、どうでもいいと突き放されているようで、少しさみしい。
「あなた。意地悪しないの」
「……。きっとお許しいただけるだろう」
妻にせっつかれ、イーダッドが付け足す。
「結局、赤竜の小僧が総取りか。おもしろくない」
「お義母様、まあ、まあ。そうおっしゃらないで」
「キール、今日の夕食はいらないからな。船大工組合の宴会に誘われたんだ。
その代わりといったものか。赤竜が来るらしい」
「陛下が? 大変。急いで準備しないと」
「心配ないぞ。アルカががんばって用意しているようだから」
アルカは腕をまくり、前掛けをしているところだった。厨房には、下ごしらえの済んだ食材が山と並んでいる。バルクの手も借りて用意したものだ。
「小僧の浮かれた顔が目に浮かぶようだ」
「母さんに負担をかけちゃいけないと思って」
「食事の後に会ったっていいじゃないか」
「私が作ったなら、シグは安心して食べられるだろうから。
お城での食事って、毒見の間に冷めちゃうから、ここでくらい、温かいものを食べさせてあげたいし……」
アルカはごにょごにょと説明するが、自分でもどこか言い訳めいていると感じずにはいられなかった。
結局、会えるのが楽しみで、こうやって何かをしてあげられることがうれしいのだ。
ますますオーレックがむくれるとわかっていても、アルカは頬がゆるむのを止められなかった。
「入るぞ」
「おいでませ、陛下」
「ハルミット、アデカ王が明日、こちらへおいでになる。おまえとアルカが目的だから、明日は私の滞在している屋敷に来い」
「そうさせていただきます」
イーダッドと端的にやり取りして、シグラッドは奥へ入ってきた。アルカを見つけると、表情をやわらげる。
「ただいま」
「……うん」
おかえり、と返さなかったことを、シグラッドが怪訝そうにした。
「ごめん、今さら急に気恥ずかしくなっちゃって」
「気恥ずかしい?」
アルカはいおうか悩んで、両手を擦り合わせた。
「私ね、ニールゲンに行く前、自分は結婚したら、家族だけが住むくらいの大きさの家で、毎日、お料理とかお掃除とか、家のことをして、子供と一緒に旦那さんの帰りを待つような暮らしをするものだとばかり思っていたの。
だから、今、こうやってシグを出迎えていると、ずっと思い描いていた通りの状況だから、夢みたいで……」
アルカは途中で両手で顔をおおった。顔が熱い。鏡を見なくても、自分が真っ赤になっているのがわかった。
「忘れて! 何言ってるんだろ。一人でバカみたいに舞いあがっててすごく恥ずかしい」
「ぜひ続きが聞きたい。アルカの想像だと、この後、最愛の旦那様は、出迎えてくれた妻に何をするんだ?」
シグラッドは上機嫌で、じりじりアルカを壁際に追い詰める。
仇敵が自分の縄張り内で調子に乗りははじめたので、オーレックの目が敵意で赤く染まった。
「アルカ! お鍋が焦げるから、火からおろして!」
不穏な気配を察して、キールが叫ぶ。
ひとまず争いの原因であるアルカをその場から離脱させると、次いで、まだ一触即発の間合いにあるシグラッドとオーレックのもとへ、シグルドを差し向けた。
「シグルド、オーレックおばあさまはお出かけするから、お見送りして」
「ばあば、いってらっしゃいです。のみすぎて、ものこわしちゃだめですよ」
「おお、シグルド。えらいな、かしこいな。もうそんな気遣いができるようになったなんて、すごいぞ。さすが私のかわいいアルカの子供」
孫の見送りに、オーレックは仇敵を忘れて表情をとろけさせた。
「ちちうえ、おかえりなさい。おしごといちにちおつかれさまです」
「なんだ、シグルド。おつかれさまですなんて、もうそんな気遣いのある言葉がいえるようになったのか。さすが私とアルカの子供」
息子の出迎えに、シグラッドは闘志を忘れて上機嫌になった。
何事もなくオーレックを見送り、シグラッドを出迎えると、キールはやれやれと額の汗をぬぐった。
「家を燃やされたら敵わないわ」
「ごめん、母さん。ありがとう」
「お嫁入するのに、一番の問題は黒竜様かもしれないわねえ」
キールのぼやきに、アルカはただ苦笑いした。腰を下ろしたシグラッドの元へ、簡単なつまみと酒を運ぶ。
「さっき、ハルミットにも言ったが。明日、アデカ王がお見えになるそうだから、アルカも」
「うん。お屋敷で、一緒に待たせてね」
シグラッドは揚げた魚介をつまみ、相好をくずす。
「アデカ王にお会いできるのも、もちろん楽しみだが。
アデカ王とお会いできれば、アルカとのことは、すぐに話がつく。本当に、絶好のめぐりあわせだな」
「そうだね。イーダッドおじ様にも、きっとお許しいただけるって、いっていただけたし」
寄ってきたシグルドの口に、シグラッドはつまみを放りこんだ。息子をひざにのせ、満足げにする。
「早く二人を城に連れて帰りたい。シグルドのことを皇子としてお披露目して、アルカともちゃんと結婚式をしたいな」
「私も」
アルカはふわふわと、雲の上に浮いているような幸せな気持ちで、酒杯に酒を注いだ。
だが、天国でいられたのは一時だ。養父の不吉な一言に、暗雲を感じた。
「――すべて許可するといった覚えはございませんので」
ふりむけば、いつもの底なしの黒い目がそこにある。アルカは背筋に悪寒が走った。
「えっ……と? それはどういう?」
「先ほども申しました通り、すべてはアデカ王にお尋ねください」
常闇の瞳が、しずかに嗤っている。
イーダッドの分の酒とつまみを運んできたキールが、ぼそりとつぶやいた。
「まちがえた。問題は、黒竜様“たち”だったわ」
*****
翌日、アルカはシグラッドの滞在している屋敷へとおもむいた。
このあたりを治めている領主の別荘だ。広い庭園を有しており、ハスの浮いた池もある。
室内はモザイクタイルで美しくかざられ、ふだん、アルカが生活している家とは天と地ほどのちがいだ。シグルドなどは、はしゃいで緑竜と庭園をかけまわった。
「なんだか落ち着かないなあ」
池のふちに腰かけて、アルカは胸を押さえた。悠然と腕を組んでいるシグラッドを見上げる。
「シグの方が落ち着いてるね。私、久しぶりだから、おじい様と話すのに緊張しそう」
「私は手紙でよくやり取りしているからな。はじめてという気がしない」
「そうなの?」
「ああ。毎年、欠かさずアデカ王の誕生日をお祝いしたり、戦に勝つたびに祝文を送ったりしている」
「え」
「一代で、ティルギスという、今までにない種類の国を作り上げたアデカ王を、私はとても尊敬しているからな。
十五で一度退位した時は、ティルギスに亡命してアデカ王の傘下に入るという思案もしたほどだ」
「うそ」
「うれしいことに、アデカ王の方も、私に好意を持ってくださっている上に、私を若輩者と侮ることなく、敬意を払って接してくださる。
私がおじいさまとお呼びしたいと申し上げたら、自分も僭越ながら、親しみを込めて孫の婿ということで――婿殿とお呼びしたいとおっしゃってくださってな。気さくな、いいお方だな」
「……」
アルカもアデカ王とそれなりにやり取りはしていたが、家臣の娘としてだった。
シグラッドの方が、よほど自分より肉親らしい付き合いをしている。
「そういうわけだから、何も心配ない。
アデカ王は、アルカと別れた私に、ご自分のご親戚の中から、アルカに似た娘を探して寄こそうかといってくださったほどだから、私たちの結婚も、こころよく許して下さるだろう」
「そうだよね」
「あとはアルカの心ひとつ。アルカはただ私についてきてくれればいいんだ」
外堀はきっちり埋めてある――といわれたような気がしたのは、たぶんおそらくきっと自分の被害妄想というやつだろう。
「陛下、こちらは本当にいただいてもよろしいのですか?」
庭園に、キールがやってきた。身に着けたりっぱな衣装に、落ちつかなさげにしている。
シグラッドが用意した正装だ。アルカだけでなく、イーダッドやシグルドの分もすべて用意されていた。
「ここ数日の、もてなしの礼と思って受け取ってくれ。昨日は出先から帰ってきたばかりで疲れているところ、世話をかけたな」
「あんなことくらいで」
「思った通り。キールは私と同じで、赤が似合う」
シグラッドは、キールの胸元を彩る金とルビーの飾りを、指先でかるくひっかけた。己の美貌を活用した、魅力的な微笑を浮かべる。
「キールはアルカの母同然だろう? なら、私にとっても母同然。私のことは息子と思って、頼ってくれ」
「あらまあ。うれしいこと」
手をにぎられたキールが、はずんだ声を上げる。
バルクが感心したように、あきれたように、口を開けた。
「さすがヘーカは、抑えるところをわかってらっしゃる」
ハルミット家において、アルカの育ての親であり、イーダッドの妻であり、オーレックに気に入られているキールの影響力は無視できないものだ。味方につけておいて損はない。
皇帝陛下の状況判断は的確だった。
「見えてきた」
シグラッドが庭園の端に寄って、目をほそめた。
高台にある屋敷の庭園は、空中庭園になっており、町の外までも見渡せる。遠くに砂塵をともなって、こちらにかけてくる馬影があった。
「さすがはティルギス。まさに風だな」
豆粒だった影が、みるみるうちに大きくなってくる。シグラッドは感嘆した。
「護衛をおつけするといったが――あれでは、ニールゲンの護衛など邪魔なだけだな」
シグラッドは痛快、というように、手をたたいた。
かつて、ティルギスの戦士タタールが言ったように、本気で走るティルギスの馬は風だった。道中、たとえ盗賊が襲おうと思っても、まず捕まえられない。
「せっかくここまでいらしてくださったんだ。玄関でお出迎えしよう」
アルカは目を丸くしたが、シグルドを連れて庭の階段を降りた。
大国ニールゲンの皇帝と会見となれば、一国の王でも、身を清め、服装を改め、皇帝の待っている場所へ赴くというのが通例だ。皇帝の方が足を運ぶというのは、異例のことだった。
しばらくして、アデカ王をふくめて十人のティルギス人たちが案内されてきた。すでに馬は降り、武器は手放している。
数年ぶりでも、アルカはすぐに祖父のことが分かった。
白髪やしわはあるものの、年よりも若く見える顔つき。陽によく焼けた肌の中で、幼い子供のようにまっしろな白目が印象的だ。鼻先はまるく、やや垂れ目でやさしげな面立ちをしている。
剣や弓をもっているよりは、杖をもって羊の放牧をしていた方がよほどに合いそうだが、戦場では一撃必中で敵を倒すというのだから、人間というのは見た目ではわからない。
「おぉ! ムコ殿! 会いたかったぞ!」
シグラッドと相対すると、アデカ王は元気に、屈託なくシグラッドに両腕をひろげた。
が、自分より頭一つ分ほど高い位置にある相手の顔を見て、残念そうに眉尻をさげる。アデカ王もアルカと同じくらいしか背丈がないのだ。
「今日という日を何年もお待ちしておりました、アデカ王」
意を察して、シグラッドは身をかがめ、頬をふれさせる。皇帝の挨拶はティルギス語だった。頬を触れさせるのもティルギス流だ。
「アルカのいっていたように、ムコ殿はお優しいな」
気遣いにあふれた挨拶に、アデカ王は顔をしわくちゃにした。力いっぱい、息子を抱くようにシグラッドを抱く。
穏健な挨拶の場面だが、アルカははらはらした。
なぜなら、本来、目上があいさつするまで、目下はあいさつしないものだ。国力を考えれば、ニールゲン皇帝であるシグラッドが声をかけるまで、アデカ王は黙っていなければならないのだ。
「大丈夫っすか? アデカ王の方から挨拶なさっちゃいましたけど。まさかわざと?」
同じ心配をしたバルクが、イーダッドにたずねる。
「いや。何も考えてない。興奮しすぎて、忘れているだけだ」
「さりげなくお止めします?」
旅装のまま、アデカ王は親しげにシグラッドに接している。周囲は皇帝の召し物が汚れることを気にして、眉をひそめていた。
「何も気にしなくてよい。好きにさせよ。あれでよいのだ」
「でもー」
渋るバルクと、アルカも同じ気持ちだった。
アルカも、アデカ王の気取らない挨拶を好ましく思ったが、口さがない人々に、作法をわきまえない蛮族と陰口を叩かれるようなことがあるかもしれないと思うと悲しい。
「あれがあの方の良さだ。分からない連中は捨てておけ」
バルクは口をつぐみ、アルカも前を向いた。
イーダッドはたいがいな主人バカだと思い知らされた。
「だいたい、コレの大元だぞ。心配するまでもないわ」
「ああ、天然竜キラーですもんネ~」
「え、何? だれが?」
内輪で話している間に、二王の挨拶が終わった。
シグラッドがアデカ王を、アルカやイーダッドたちの方に案内する。
「アデカ王は人を探していらしたとのことでしたが――お探しは、こちらでしょう?」
「お――おお! ヒサシブリダナ、イーダッド」
アデカ王の挨拶は、とてもぎこちなかった。再会の抱擁をかわしつつ、イーダッドはつめたくつぶやく。
「死んだと思っていた部下との再会ですので、もう少し驚いていただけますか」
「すまん」
主人バカだがイーダッドのダメ出しは容赦ない。
「……で。アルカ、か」
「お久しぶりです、おじいさま」
アルカは身を固くしながら、前に進み出た。まぶしそうに目を細められる。
「ふしぎなものだ。一度も会わずに育っても、親子は似るのだなあ。息子に――おまえの父親に、雰囲気が似ている。一見おだやかに見えるのに、芯に一本、どうしようもなく硬いものが通っている」
皮の分厚い手が、アルカの両頬をはさんだ。あたたかな手に、緊張がほどけて、自然と笑みがこぼれた。アデカ王の目には涙まで浮かんでいる。
「いろいろ苦労をかけたな、アルカ」
「いえ、おじい様。楽しい苦労でしたから」
ねぎらわれ、アルカが恐縮すると、アデカ王はうっと嗚咽をこらえた。
「そんな大人なことを言って。小さいころに故郷をはなれて心細かったろうに、わしらの――国のためにとこらえてくれて、ありがとうな、アルカ」
アデカ王は孫を抱きしめ、おいおいと泣き出した。人目をはばからず涙をこぼす。
あんまり泣くので、最初、アルカはびっくりしていたが、次第に、祖父が今まで自分が泣きたくても泣けなかった分を泣いてくれているような心持になって、自然と自分も祖父を抱擁していた。
どんな相手にも屈託ない態度を、イーダッドはアデカ王の長所と称賛したが、その通りだろう。百と数えないうちに、アルカはアデカ王に心を開いてしまった。
「なんかわかんないスけど、オイラ、感動が止まんないっス」
バルクがずびずびと鼻を鳴らし、涙をぬぐう。
バルクだけでなく、その場にいたニールゲン人もだった。大の大人が泣くさまを、みっともないと冷ややかに見ていたはずなのに、数年ぶりの肉親同士の再会に目をうるませていた。
「これこそがアデカ王の最大の武器だ。ティルギスに勇猛果敢な戦士などいくらでもいる。その中でも、あの方が抜きんでた存在になったのは、天然の人たらしだからこそ」
「アデカ王なら、自分を殺しに来た相手すら味方につけそうですね。
『わしが殺されるのは仕方ないが、わしのために君が人殺しになるのは耐えられん。やめなさい』なんて諭されたら、オイラ、剣を投げ捨てて、抱きついちゃいそう」
イーダッドの冷静な解説に、バルクが目元を押さえながら相槌を打った。
感動の再会の後、アルカは祖父にシグルドを紹介した。つづいて、キールとバルクと挨拶がつづく。オーレックは留守番なので、この場にはいない。
「ひとまず、旅の汗を流しておいでください。広間で宴の用意をしてお待ちしております」
アデカ王といったん別れた後、シグラッドがいった。
「アデカ王はニールゲン語を勉強なされたそうだ」
「おじいさまの挨拶、ニールゲン語だったよね。私もびっくりした」
「私が直筆で、ティルギス語の手紙を書き送っていたから、わざわざ勉強なさったのだと。たかだか子供の手紙を。そこまで真剣に取り合っていてくれたとは思わなかった」
シグラッドは上機嫌で、張り切って宴の支度を申し付ける。
アルカはバルクとともに呆然とした。
「あの警戒心の強いシグが。もうあんなに心を開いて」
「ニールゲンを懐柔するのに姫サンを嫁がせなくても、アデカ王をヘーカと会わせれば、万事解決していたんぢゃ……」
二人は元ティルギス軍師の人選ミスを疑ったが、イーダッドは知らん顔であさってをむいていた。
アデカ王の身支度が終わると、広間では遅い昼餐会が催された。
アンカラでは時と場合、人によって椅子座と床座の生活が使い分けられるが、今日の食事会は床座だった。シグラッドがティルギスの様式に合わせたのだ。
たくさんの料理と酒瓶を囲むようにして、食器がならべられている。二人の王はもちろん隣あって座り、イーダッドたちはアデカ王側に座した。
「アルカはそちらに座らせていただきなさい。こっちは満席だから」
アデカ王に指示され、アルカははにかみながらシグラッドの隣へ座った。シグルドはアルカの膝の上だ。
王たちの酒杯が満たされ、乾杯とともに話がはじまる。
「しかし、アデカ王。よくお出でになれましたね。
こちらにおいでになると知らせを受け取ったときは、おどろきましたよ。大変なときでしょうに」
「そうなんですが。私が直接出向かないと、こやつは絶対帰ってこないと思いまして」
こやつ、というのは、イーダッドのことだ。
「今のごたごたを収められるのは、イーダッド以外おりませんから。――な、イーダッド。頼むぞ。お前だけが頼りなんだからな」
「いやはや。気が進まないことこの上ない。せっかく第二の人生を楽しもうと思っていたのに」
イーダッドは玻璃の酒杯を片手に、意地悪く目をほそめた。
「私がいなくなって喜んだ者たちが、またさぞがっかりするでしょうね。私を軍師として登用したときのように、何人離反者がでることやら」
離反者、の言葉に、アデカ王の連れてきていた部下たちがひるんだ。予想通りの反応に、イーダッドはうっすら口の端に笑みをのせる。
「考え直されては?」
「そんなこともあったな、イーダッド。あの時はすまなかったな、私が皆を説得しきれなかったがために、おまえにも居心地の悪い思いをさせてしまった」
「周りの反応など、私にはどうでもよろしい」
まったくひるまないアデカ王に、イーダッドは憮然とした。
「もし、がっかりした者がいたら、わしがそれ以上に喜ぶから。それでは不満か? わしはおまえが生きていてくれて、本当にうれしいよ」
なんの引っかかりもない笑顔に、イーダッドはつまらなさそうに杯をおろした。アデカ王に対してだけは、イーダッドは全面降伏しているらしい。
「そういうことで、ムコ殿。
この二、三年、ティルギスとニールゲンの間には、ぎくしゃくすることがつづいたが、ハルミットがもどってきたからには、心配ない。
ニールゲンとよい関係を続けていきたいというわしの心を、どうか疑わないで欲しい」
「もちろんですよ、アデカ王。あなたの心を、私が疑うはずがありません。国が大きくなればなるほど、我々指導者の考えが末端に伝わりにくくなるのはよくあることです」
シグラッドは杯をいったん手放した。
「思うのですが、ここのところ、私たちの関係が緊張感のあるものになってしまったのは、私たちの同盟に確たる証というものがなかったせいだと思うのです」
シグラッドは、アデカ王の孫であり、ティルギスの王女であるアルカの身体を抱き寄せた。
「こうして目に見えて形のあるものがあれば、皆、また私たちが友人同士だということを思い出すことでしょう。
あなたの孫が、このタイミングに私の元へ帰ってきてくれて、本当によかった」
シグラッドはどさくさにまぎれて、アルカとの復縁を決定事項のように扱った。
だが、妙なところでニブいアルカの祖父、アデカ王はさらりとそれを無視する。
「まったくで。ニールゲンとティルギス、両方の血をひく子供。これほど同盟の証にふさわしいものはありますまい」
アデカ王は、自分の膝に遊びに来たひ孫に、目じりを下げた。
「――っ」
アルカは頬をこわばらせた。
無意識にだろうが、肩におかれたシグラッドの手に力がこもった。痛い。自分の肩がくだける前に、祖父に申し出る。
「おじいさま、私、シグルドと都へもどります。シグルドを一人で王宮においておくのは、不安ですから」
「そうだろうなあ」
「私、もう一度陛下とやり直します。無理をいってお別れしましたのに、何をまたと呆れられることでしょうが」
とたん、アデカ王の表情がくもった。眉が八の字になる。
許してもらえるとばかり思っていたアルカは、えっととまどう。手指がこわばった。
「……うん、参ったな」
「おじいさま?」
アデカ王は目線を落とし、申し訳なさそうにうなだれた。
「すまんがアルカ、おまえには国に戻ってきてもらわねばならん」




