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黒き竜は空を舞い  作者: サモト
番外編
33/44

鉄の女王4

 皇子はめずらしく元気がなかった。


 長椅子に寝そべって、天井をながめたり、横をむいてため息を吐いたり、とにかく暗い。私がその様子をじっと見つめていても、まるで気づかない。


 黒髪の護衛が訊く。


「どうかなさいましたか」

「鍛錬場にアルカとレギンがいたんだ」

「はあ。で、抱き締めあってキスでもしていたんですか?」


 皇子はものすごい目つきで護衛をにらみつけた。


「そんなことあるわけないだろ。あの二人だぞ。

 たとえ恋に落ちても、だれかに指摘されなければ一生無自覚にいそうな朴念仁コンビだぞ。

 友情を恋と錯覚するどころか、恋を友情と錯覚しそうな天然達だぞ。

 周りがどんなにお膳立てしても、死ぬまで手をつなぐ止まりで、老後に日向で仲良く茶を飲む仲で終わってそうなボケボケ達だぞ。

 普通にレギンの鍛練をアルカが見学していただけに決まっているだろ!」


 ですよね、と護衛はいわれなくとも知っていたふうに返す。


「それなのに、何が不安なんです、皇子は」


「アルカがレギンに弓のコツを教えてたんだ」

「はあ。今年は狩猟祭をやるんでしたね。陛下も参加だとか」


「レギンがローラのために獲物が一匹でもとれるといいけどっていってて」

「ああ。バルクのやつが、アルカ様はレギン様とローラ様がうまくいくように画策しているといっていましたよ」


「二人とも、がんばれ、がんばる、と励まし励まされあっていたんだ」

「あの。どこに皇子の不安がる要素があるのかさっぱりわからないのですが」


「心配するようなことが何一つ起きなくて、逆に夫婦ならではの余裕を見せつけられている気分になった」

「もはやいいがかりですよ」


 律儀に応じていた護衛は、あきれ返った。


「ちがう! いいがかりじゃない!

 何か、こう、二人の間に漂う雰囲気が前とちがうんだ。より親密さが増したというか。二人だけの世界が出来上がっている気がする!」


「はあ……。ところで、アルカ様のご様子はいかがでしたか? 直接お会いする機会がないのでわからないのですが、お元気でした?」


 付き合い切れなくなってきた護衛が、無難な話題に舵を切ると、皇子はぴたりと動きを止めた。


「……元気だった。すごく元気だった」

「そうですか。公務がなくなって、余裕ができたおかげかもしれませんね。よかったです」

「……そうだな」

「皇子、ひょっとしてマギー老のいっていたこと、結構気にしてます……?」


 護衛は窓に目をやった。暗くなっているのを見て、そろそろ失礼します、と退室する。皇子がやっと起き上がった。


「レノーラ、おまえももう帰れ」

「いつまで経っても、ここの棟には泊めて頂けませんのね」


「未婚の良家の子女は男の家には泊まらんものだぞ」

「まわりは私がとっくに殿下のものと思っておりますわ」


 私は皇子の寝そべる長椅子の、わずかな隙間に座った。


「世継ぎの生母の座が欲しくなったか?」


 皇子の指摘に、私は身を堅くした。マギー老たちと会ったことはいっていなかったのに、皇子は何もかもお見通しだった。相手がそう出ることを、予想していたのかもしれない。


「一人の女として、あなたの子供が欲しくなりましたの」


 世継ぎの生母という名誉が欲しいのも事実だが、これも本心だった。


「私ではアルカ王女の代わりになりませんか?」

「ならん」


 にべもなかった。椅子から降りようとする皇子を、私は強く押し止めた。


「なぜ? 足の悪い王女にいつまで未練を? たとえ形だけでも、もうレギン様の妃ですわよ? あなたに今必要なのは、ティルギスでなく国内の有力者の力でしょう? アスラインをあなたの味方にしたくはない?」


「おまえは私の味方を名乗るやつらと同じことをいうな」


 皇子は私をせせら笑った。すこしも脈がないことが分かってなお、私はすがった。


「私の何がいけませんの? よい女だと、お褒め下さったではありませんか」

「似た者同士の私がいい男なんだから、おまえもいい女に決まってるだろう?」


 皇子は肩をすくめた。


「おまえとは私と同じように、欲も野心も利己心も十分に持ち合わせている。だから、共に戦うことはできる。でも、共に安らぎを楽しむことはできない」


「いいえ、できますわ。私だって女ですもの。あなたが知らないだけで、私にだって殿方をいやすような女らしい心はございます」


「私は、色違いであっても、我が子を殺すと即答できる人間に、隣に眠って欲しいとは思わないんだ」


 この間の話だ。私は必死で言い返した。


「あなただって、そうお答えなさったわ」


「そうやって即答できる自分が、絶対にやる自分が、後悔もしない自分が、私は一番怖い。

 もし、自分に似た人間がそばに眠っていたなら、安眠なんてできやしない。危険だ。いつ、何をしてくるかわかったものじゃない。だから、伴侶にはちがう答えを求める」


「……アルカ王女の答えは?」


「さあ。聞いたことはないが、予想はつくだろう? 青い竜を友として、黒い竜を母としているんだから。きっと子供を連れて逃亡するな」


「それが、満点の回答なのね」


 私は皇子に覆いかぶさった。


「そんな回答ができるようになったら、考え直してくださいます?」

「馬鹿みたいにしおらしいことをいうな。おまえらしくもない」

「あなたが私のすべてを変えてしまったのですわ」


 皇子は笑った。残酷に。


「ただの恋人役のはずが? 本当に? そんなのは話の中だけで十分だ」

「あなたは夢を見ないのね」

「私に近づく人間は見るようだがな」


 そうかもしれない。彼の権力に、容姿に、聡明さに、野心に、情熱に、圧倒的な力強さに。私たちはすばらしいものを夢見て近づく。彼は暗闇に燃える炎のように魅力的だから。


 でも、平気なのは、燃えている彼自身だけ。夜の明かりに引き付けられる蛾のように、ふらふらと彼に近づいたなら、彼のまとう炎に焼き尽くされる。私のように。


「しっかりしろ、鉄の処女。おまえは男に愛を乞うような女じゃないだろう?」

「ひどいあだ名で呼ぶのね。私はどんな男の愛も必要としない、冷たい女でいるのがお似合いだって仰るの? 私はそんな女でいたくなんかありませんのに!」


 叫ぶと、皇子は人の気も知らずやっぱり笑った。


「本気でそう思っているのか?」

「本気も本気よ。当たり前でしょう? 笑わないで!」

「おまえは自分のことをわかっていないんだな」

「自分のことは自分が一番わかっておりますわ」

「いいや。分かってない」


 なおも反論しようとした唇は、皇子の人差し指に押さえられた。


「おまえはまだなにも知らないんだ、鉄の処女」


*****


 どういう経緯でここまで来たのか、よく覚えていない。


 私は皇子の呼び出しをすっぽかして、男友達と夜会に参加した。そして、今は夜会のあった屋敷とは別の屋敷で、よく知らない男とベッドの上にいる。お酒をたくさん飲んでいるので、くわしいことはあいまいだ。


「君はうつくしい」


 男がささやく。名前もおぼえていない。ただ、遊びなれていて、顔のいい男を見つけて、アプローチした。男はすぐに私になびいた。


「指先から足先まで、どこもかしこも女らしい。君のように完全な女性はどこにもいないよ」


 男は山と賛辞を降らせてくる。キスが額から下へと降りてくる。唇に落ちるときだけ、少しためらいをみせた。わざとだ。思った通り、男はすぐに捕まえるようにしてキスをしてきた。私はすこし笑った。


「何がおもしろいのかな?」

「なんでもないわ。もっとして」


 男は私のいう通りにした。熱情のこもったキス。あの皇子の、なんの感情もない口づけとはまるでちがう。


 抱き締められると、私も腕を広げた。妙な安心感が胸に広がった。優越感に近い。思惑通りに私の胸に納まった男を、私は抱き締めた。


 自分の体を好きなように触られることが、最初は不快だった。けれど、今は夢中で私の唇をむさぼる男がかわいく思えてきた。


「愛してる……」


 男がなにかをいっているが、頭がもうろうとして聞き取れない。聞き取る必要もない。自分が働く不貞への言い訳なのだから。


 この男は、何度もこうやって甘い言葉で女を罠にかけてきたのだろう。引っかかった女を、自分の思い通りになる阿呆な女と思っているのだろう。女が近づいてくるのは、自分が魅力的だからと信じて疑ったことがないに違いない。


 バカな男。私が心の中でどれだけこの男を侮蔑しているか、この男は知らない。気づきもしない。なんて愚かなのだろう。笑わせる。


「おい、起きろ」


 突然に、冷や水を浴びせられた。文字通りの冷水を。


 いつの間にか、寝台に赤い髪の皇子が上がりこんでいた。しかも、土足で。手には空の水差しを持っている。


 ベッドから床の上に放り出された男が叫ぶ。


「急に何する!」

「私の女に手を出しておいて何を、とはずいぶんだな?」

「そっちが誘ってきたんだよ」


 男は皇子を嘲笑した。


「本当にいつまでも偉そうだな。

 自分の女? 今やそんな口を叩けるご身分でもないだろうに。王座から追放されて、取り巻きもいなくなって、種馬として残されているだけの、何の力もないただの負け犬のくせに。

 こうやって女にまで見限られて、他の男に走られるんだから、哀れなことこの上ないな!」


「で?」


 ひどくつまらなさそうに皇子は返した。


「何の力もない哀れな負け犬に、いつまでそうやって吠えてるんだ? 早く殴りかかってこいザコ役。ちゃんとザコ役としての使命をまっとうさせてやるから」


 人を人とも思わない発言に、男が怒った。皇子に殴りかかる。もちろん、片手で窓の外へ放り投げられたが。


「シャール、水」

「はい」


 黒髪の護衛が、隣室からさらに水差しを調達してきた。呆けている私に、皇子はまたもそれをかける。


「ちょっ――!」


 抗議のために開けた口に、水を流し込まれる。むせた。


「目は覚めたか?」

「何するのよ!」


「しっかりしろ。なんだってこんな馬鹿をやっている? 鉄の処女のくせに」

「処女処女うるさいわね! あなたがそういうから、あだ名を捨ててやりたくなったのよ!」


「ほお。で。どうだ。未遂で終わったが、男と遊んでみた感想は」

「男ってバカね」

「ほら。やっぱり鉄の処女だ」


 皇子はにんまり笑った。私の両腕を取る。


「おまえはこのたおやかな腕で男を抱きしめ、胸に秘めたあざけりでひそかに男を刺す。なぜなら、おまえは男が大嫌いだから。


 おまえを見たとき、思ったのさ。おまえのできすぎた女らしさは、まるで男に押さえつけられた結果のようだと。


 でも、私に一人で会いに来るような気の強さはある。だからきっとこの胸の奥には、なみの男よりも獰猛なものが眠っているのだと思ったんだ」


 皇子はあらわになっている私の胸元を指さした。


 だれにも。だれにも気づかれまいと隠してきたものを、はじめて言い当てられて、私は身がすくんだ。


 でも、皇子のいう通りだった。自分で気づいていなかったけれど、いわれて、はじめて腑に落ちた。私は私の女の性を憎んでいるわけではない。私は男を憎んでいる。


 私を押さえつける男を、私の知性をふみにじる男を、私をみだらな目でしかみない男を、婚姻によって私を愛すべき土地から引き離し、誇りに思う姓を奪う男を、友人や妹との仲を壊す男を。憎んでいる。


「おまえがすべきことは、男ともてあそぶことでも、私に愛を乞うことでもない。男に奪われたものを取り返すこと」


 皇子は私を立ちあがらせた。半分脱げていた服が、脱げた。全身があらわになったけれど、ふしぎと羞恥心はなかった。


「奪われたものを取りもどせ。何一つ奪わせたりするな。そして、奪え。それこそが竜の血を引く私たちの、ニールゲン人の本性なのだから」


 皇子の目が金に光っている。その美しさに魅入られた。奥に、炎が見えた。激しく燃える炎が。


 前回の竜王祭を思い出す。勇ましいこの王に、だれもが熱狂したあの夜を。大きな焚き火のまわりで踊り狂い、ふりそそぐ火の粉に狂喜したあの夜。ニールゲン人ならだれもがきっと、自分たちの中に眠る荒々しく狂暴な性に気づいたに違いない。


 皇子の奥に燃える炎が、私の心にも火をつける。


 私は獰猛に笑った。


「そうよ。何一つ譲ったりするものですか。何もかも奪いつくしてやるわ。それこそが、私だもの」


 手はじめに、私は噛みつくように皇子に口づけた。戴冠式で奪われた、私の心を奪い返すために。


 私の中に眠っていた竜が、目を醒ました。


*****


 香水は元にもどした。服の好みは、もう少し大胆になった。


「そのにおい、嫌いなんだが」

「私は好きよ」

「ドレス、派手すぎないか?」

「そうかしら」


 皇子は不満そうだったが、私は気にしなかった。馬車の準備ができたと、黒髪の護衛が呼びに来る。


「改めてきくが。おまえは何をしたくて私とくる?」

「アスラインの宗主の座が欲しい。あの国は私のものよ。他の誰にもやるものですか」


「いい覚悟だ」

「それから、やっぱりあなたも欲しいわ」


 私は皇子の腕に自分の腕をからめた。


「まずはあなたの口から、アルカ王女の名が出なくなるようにしたいわね」


 人差し指で、皇子の唇を押さえる。皇子は護衛の方を向いた。


「シャール、そういえば、聞いたか? 鳥の巣頭がアルカに、姉さんがいなくなっても自分がいるって言い寄っていたらしいぞ」

「あのもじゃ男……代役の分際で」


「しかもしっかり手を握っていたらしい。私がいないのをいいことに、調子に乗りすぎだな」

「お仕置きが必要ですね」

「同感だ。明日の朝、鍛練場に呼び出しておいたから、おまえもこい 」


 いったそばから、皇子は元婚約者の話題でもりあがる。私は強く腕を引いた。


「さあ、参りましょ? 今日も私をちゃんと恋人としてエスコートしてくださいませね」

「もう勘違いをしてくれるなよ」

「皇子こそ。そのうち本当にならないようにお気をつけくださいませ」


 挑戦的にいうと、皇子の目が愉しげに笑った。


「行くぞ」

「ええ、参りましょ」


 私たちは腕を組み、そろって足を踏み出した。


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[一言] >たとえ恋に落ちても、だれかに指摘されなければ一生無自覚にいそうな朴念仁コンビだぞ。 友情を恋と錯覚するどころか、恋を友情と錯覚しそうな天然達だぞ。 周りがどんなにお膳立てしても、死ぬまで手…
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