鉄の女王3
一月ほどして、皇子から手紙で奥方と別居したことを知らされた。都にもどることを父に止められるかと思ったが、父はあっさり送り出してくれた。背後に、ダルダロスの姿があった。
あの男の言葉が父を心変わりさせたことは癪だったが、ともかく私は都にもどった。到着したのは夕方だったが、私はさっそく西の棟を訪れた。
「だから、シグラッド。あれは誤解だって。従姉はなにも覚えがないって」
「素っ裸で男と一緒に寝台にいて、言い訳も何もないだろう。離婚だ離婚」
「相手も覚えがないっていうし……ねえ、君が仕組んだんじゃないだろうね?」
「私も何も覚えがないなあ」
居間で皇子と話しているのは、青い髪をした青年。レギン陛下だ。引き返そうとした私を、皇子が呼び止めた。
「レギン、私が最近親しくしているパルマン嬢だ」
「ああ、君の恋人って噂の」
緊張しながら、一礼する。陛下もわざわざ席を立って、私にご挨拶してくださった。立ち居振る舞いのすべてに優雅さがただよっている。理知的で、品のある顔立ちをなさっていて、皇子とはまた違った意味ですてきな方だ。
「どうだった? アスラインは」
「よかったわ」
皇子はさっそく私に口づけをしてきた。陛下の前で、仲のいい恋人同士を演じる必要があるのだと理解して、私も進んで応じた。長く、深く、人目もはばからず。陛下はかるく眉間を押さえて席を外された。
「ブレーデンは相変わらずか」
観客がいなくなった途端に、皇子は私をはなした。余韻のよの字もないくらいあっさりと。
「相変わらずよ。滞在中も姿を見ただけだったわ」
かるくため息が出た。
「嫌になるわ。ちょっと国の話をしただけでも、私はそんなことしなくていいっていわれるんだから」
「どんな話を?」
「他愛ない話よ。新しい鉱山が見つかったとか、新しい火薬が扱いづらいとか、そういう話」
皇子は、部屋の隅に控えている黒髪の護衛を振り返った。
「シャール。昔、ハルミットのやつが安全に火薬を扱えるようにする方法を考えてなかったか?」
「兵器開発の案件の中に、そんなことがあったような気がしますが。……あとで資料を探してみます」
「今から行ってきていい」
護衛と入れ違いに、陛下が戻っていらした。
「レギン、アスラインに新しい鉱山が見つかったとさ」
「へえ。それはいい話だね。どのくらい採掘量が増えそうなの?」
「半倍は期待できると聞いていますけれど……実際には問題がいくつかあるので」
自分が答えていいものなのかと、私はおっかなびっくりしていた。
「問題って?」
「人員です。採掘量が増えるのはうれしいですが、その分、人手もさらにいりますし。製鉄作業も追いつかなくなるので、そちらも拡張しないと。でも、製鉄用の燃料の輸入が今、難しくて。海賊が出てるせいで船が……」
私は思いつくままに問題点を上げた。皇子も陛下も真剣に相槌を打って聞いてくれ、とくに皇子は詳細な現状まで聞きたがってくれた。私は嬉しくて、色々なことを聞かれるままに答えた。
「なるほど。素直に喜んでばかりもいられないね、それは」
「採掘も製鉄も、けが人が多く出る作業ですし。もっと治療院も充実させたいです」
「人員の確保はこっちでも方法を考えるよ。鉄鋼の産量を増やすのは国策だしね」
「ありがとうございます。でも、結果は私でなく父に……」
陛下にそう断りかけると、皇子がいった。
「おまえが聞け。アスラインの宗主は話が要領を得なくて役に立たん。レギン、宗主にもっと娘を活用しろっていってやれ」
「君ねえ。もうちょっと包み隠した言い方しようよ。……まあ、同感だから、そう伝えておくけれど」
二人のやりとりに、私は思わず吹き出してしまった。まともに相手をされて、涙が出そうになった。
「で。シグラッド。まだ何かいいたそうだね?」
「レノーラの話を聞くに、やっぱりアスラインには報告書以上の採掘量や製鉄量がありそうだ。ブリューデル皇太后は、他国に勝手に鉄を融通しているようなフシがあった。よく調べた方がいいぞ」
私は、あ、と口を押さえた。皇子が詳細に現状を聞きたがったのは、こういうわけだったのだ。
はからずも内部告発してしまって、気まずい思いでいると、陛下は大丈夫、とほほえまれた。
「事を荒立てる気はないし、君から知ったってこともわからないようにやるから。安心して」
陛下の気遣いに安心すると同時に、私は感心させられた。レギン様も、とても私より年下とは思えない。ふだん話す同年代の男性たちが幼稚に思えて仕方なくなってきた。
皇室には時折、シグラッド様やレギン様のように突出した方があらわれる。昔々はめずらしくなかったそうだけれど、時代が下がるにつれ数は減り、今ではまれになってしまった。
彼らを見ていると、ニールゲン人としての誇りを思い出す。やはり私たちはこの大陸の主たるべき存在なのだ。
「もどったら、さっそく資料を集めさせよう」
「それなら、前に私が資料をさらってまとめたことがある。今も残ってるなら、資料室のシールズ三の棚の一番下につっこんであるはずだ」
陛下は皇子を、穴があきそうなほど見つめた。
「君ってさ、本当に優秀だよね」
「ふふん、今さら気づいたか。爪の垢を煎じて飲ませてやろうか?」
「官吏全員に飲ませたい。切実に」
陛下は皇子の両肩を強くつかんだ。
「ねえ、一緒に仕事しよ! 君を遊ばせておくなんて、国家の損失だよ!」
「断る。私は貴重なセイシュンを謳歌している真っ最中なんだから、邪魔するな」
皇子は陛下の手は振り払って、私を抱き寄せた。私の頬に口づけて、陛下に聞こえるようにささやく。
「今夜は泊っていくだろう? 久々なんだから」
きわどいところに触られたが、恋人役の私はもちろん、跳ねのけるようなことはしなかった。初めてのことだったが、嫌な気持ちは湧いてこない。むしろ進んで皇子の手を取って、私に触らせたりした。
「シグラッド、君、彼女のどこを気に入ったの?」
陛下はうろんげにお尋ねになった。
「二倍にしてやり返す気の強さ?」
「ずいぶんな方向転換だね」
「何かあっても自力でなんとかしそうだし。手間がかからない。自分で逃げられもしない足手まといはもういらない」
「なるほど」
陛下は、そういうことね、と小さくつぶやいた。
「従姉とやり直す気は皆無?」
「かけらもない。なんだってあの人選だったんだ。おまえも納得してのことだったのか?」
「早く親戚と打ち解けて欲しかったんだ。皆が君を気に入ってくれれば……君をまた王にするかもしれないから」
陛下はニールゲン人らしくない白い手で拳を作った。
「マギーにいっとけ。次を寄越すにしても、身内はやめろと」
「どうして?」
「おまえに配慮がない」
陛下は束の間考え、ああ、と笑った。どこか泣き出しそうに。
「親愛なる弟を力いっぱい抱擁していい?」
「やだ」
「ちょっとぐらいいいじゃないか。お兄ちゃんって呼んでよ」
「いやだ!」
結局陛下は皇子に触れられないまま、帰っていかれた。
「まったく。ああだから、やりづらい。いっそ憎々しい敵であればよかったのに」
「仲がよろしいのね」
陛下がいなくなると、皇子はまたすぐに私をはなした。皇子の体温が名残惜しい。もっと話していたくて、話をつなぐ。
「どうして身内と結婚するのは嫌だとおっしゃったのですか?」
「私が身内と結婚すると、色違いが生まれる可能性が高い」
皇子は、色違いの青い竜であるレギン様に、同じ色違いを処分するところを見せるな、と怒っているのだ。
「お優しいですのね、皇子は」
「おまえならどうする? レノーラ。もし自分に、色違いが生まれたら」
「殺しますわ。青い竜が赤い竜の国を治めるなんて、そんな驚天動地が起きると、色違いは不吉と呼ばれるわけを納得します」
率直に即答して、はっとする。殺す、なんて。女の口から出す言葉ではない。この皇子の前では、自分を偽ることを忘れてしまう。
反応をうかがうと、皇子は楽しそうに口の端を上げていた。
「おまえはいいな。言葉を飾らないから、話していて気が楽だ」
「皇子なら、どうなされます?」
「もちろん処分する。こんな目にあわされるのは、二度とごめんだ」
皇子がきっぱり言い切ったので、私は安堵した。皇子に寄り添おうとしたが、皇子はそれを拒むように距離を取った。
「もう帰っていい」
「……帰って、よろしいのですの?」
「レギンにああ言った手前があるから、見つからないように出ていけよ」
皇子はあっさりしたものだった。私だけが、ここに泊まるという、演技の言葉にまだとらわれていた。
「シャール、あったか?」
「それらしきものがありましたが、知らない言語で書いてあって読めません」
「たぶん北の方の言語だな。ゼレイアのところにいるエルダの捕虜に読ませてみるか。明日、ちょうど会うし」
「パッセン将軍と会わせてもらえるようになったんですか?」
「お互い、おとなしくしていた成果だな。奥方と別居する私をいさめるという名目を作ったら、通ったらしい」
「エイデの方も監視がゆるんできたといっていました。解散させられた飛竜隊の面々は、皇子のご指示通り、一般兵として入隊し直すか、城内で働くかして、いつでもすぐに動けるように潜伏が完了したそうです」
「シャール、エイデとの仲は進行したようだな? 呼び捨てなんて」
「様づけをやめないと、情報はあげられないといわれたので」
皇子は戻ってきた黒髪の護衛とあれこれ話しこみ始めた。私はそっと、裏口から外へ出た。
夜空に上り始めた月を見上げる。
さっきの回答は合格点だったはず。皆、言い方に若干の違いはあれど、結局は色違いを排除すると答えるはずで、皇子もそうお答えになった。
「なんて答えれば、満点をいただけたのかしら」
帰り道、自問しつづけたけれど、答えは出なかった。
*****
皇子と付き合い出して一年ほど経った頃。私は一人でいるところを、年嵩の侍女につかまった。
レギン様付きの侍女だった。有無をいわせない口調でついてくるようにいわれ、私は陛下の執務室に連れていかれた。そこには陛下の他に、マギー老もいた。
「皇子とは続いておるようじゃな、パルマン嬢」
「別れろ、というお話かしら?」
脅されたところで別れる気はなかった。私は身がまえたが、その必要はなかった。マギー老は正反対のことをいった。
「逆じゃ。あの皇子の子供を生んでくれ。あの小僧、おまえさん以外はまるきり相手にせん」
私はほくそ笑んだ。あたりまえだ。皇子も、そして私も、他の女が近づけないよう気を配っているのだから。
「男児を生んだなら、おまえさんを皇子の妻にしよう」
「今すぐそうしては頂けませんの?」
「結果を出してください。他にいくらでも候補はおりますので」
侍女は相変わらず、有無を言わせない、高慢な物言いだった。
「もし男児ができたとして、皇子のお命は心配ないのですよね?」
「そのつもりですよ」
「確約をいただきたいわ」
「嬢ちゃん、世継ぎの生母になりたくはないかい?」
自尊心をくすぐられる魅力的な一言に、水掛け論は終わった。
「では、よい知らせをお待ちしております」
「ちょっといいかな」
侍女が扉を開けようとすると、陛下が口を開いた。侍女と老人には、出ていくよう合図する。執務室には二人きりになった。
「本当にいい? うまいこと男の子が生まれればいいけれど、生まれなかった時、君の人生は辛いものになるかもしれない。
君はまだ未婚だ。シグラッドとの仲も、今ならまだ男女の関係はなかったと言い逃れはできる。他の縁談を検討しなくて大丈夫?」
陛下はやはりお優しい方だった。貴族の娘が、嫁ぐ前に傷物になるのは歓迎されない。来る縁談の質も量も減る。男児を産めず、皇子との仲をあきらめ、他の男性に嫁ごうと思ったとき、私にくる縁談は今よりずっと条件の悪いものになるだろう。陛下はそれを心配してくださっているのだ。女の人生は、ほぼ結婚で決まるから。
「かまいませんわ。人生を棒にふってもいいと思うくらい、皇子は魅力的な方ですもの。後悔なんて致しません」
心からの言葉だった。それならもう、僕からいうことはないな、とレギン様も納得してくださった。
「シグラッドも、君なら安心だろうな。シグラッドは人質をとられることを恐れているから。弱い人間では務まらない」
さっと、私は体の熱が引いた。
皇子は私に、遊びに連れ歩く相手が欲しいから恋人になれとおっしゃった。私を女として見る気はないと最初に断言していて、実際、私には明確な一線を引いて付き合っていたけれど、私はまだ少し疑っていた。
なぜなら、恋人役をするにあたり、皇子は私に女らしさを強調する装いを要求したからだ。
いくら賢く大人びたことをいっていても、中身は同じ年頃の男たちと変わらないのだと私は内心侮っていた。
ふりだといいながら、私に触れるとき、私に甘い言葉をささやくとき、少しは本気が混じっていると私は予想した。皇子の中の男の性に安心し、きっとそうだと期待していた。
自分の浅はかさに、呆然とする。
恋人役を欲しがったのは、本当に守りたいものから目をそらさせるためだったとしたら。
なにしろ皇子が前に大事にしていた王女は、足が不自由だったのだ。私とちがって、やられてもやり返せるような性格でもない。人質にでも取られれば、救出は困難をともなう。
嫌っていた女の性にうぬぼれていた自分に、はげしい羞恥を覚えた。
「シグラッドは君に優しい?」
「……ええ」
なけなしのプライドがそう言わせた。
もう恋人役としての模範解答を述べているのか、願望を述べているのか、自分で判断がつかない。
「ならよかった。あいつは自分が身内と認めた相手には優しいから」
理知的な灰色の目に微笑まれて、私は泣きたくなった。
この方は、本当はなにもかもわかっているのかもしれない。私が仮初めの恋人だと、知っているのかもしれない。
「どうしてそんな当たり前のことをお尋ねになられるのですか?」
「深い意味はないよ。僕にも、もうあいつがよくわからないから聞いただけさ。
おかしなものだね。あいつと同じ立場になってみたら、あいつの気持ちがもっとわかると思ったのに、返ってあいつがわからなくなった。
本当は、君は恋人いう役をさせられているのかなと思ったのだけれど、違ったんだね。ごめん。シグラッドのことをよろしく。一途でいいやつだよ。分かっていると思うけど」
「ええ。よく存じ上げておりますわ」
私は精いっぱい笑顔を作って一礼し、執務室を後にした。
西の棟にすぐに戻る気になれず、私は王宮をさまよい歩いた。噴水のベンチに座ろうとして、忘れ物に気づく。
杖だ。先が金属で補強され、異国の彫り模様がほどこされた木製の杖。かなり年季の入った渋好みのその忘れ物がだれのものなのか、私は知っていた。
「いい天気だね」
「そうっスねー。絶好の日向ぼっこびよりですよネ」
アルカ王女が緑竜に乗って去っていくところだった。竜の手綱を取っているもじゃもじゃ頭の護衛も、忘れ物には気づかないでいる。
「そういや姫さん、知ってます? 姉サンが皇子に、私のものになれ! って迫られていたらしいっスよ」
「ええ!? ……シグってば、完全にシャールを自分の部下にしようとしているんだね。
どうしよう、シャールに私のところには戻りたくないっていわれたら。シャール、サバサバしてるから、シグと気が合いそうだよね」
「泣かないで、姫サン。オイラじゃダメっすか? オイラじゃ姉さんのかわりにはならないっスか!?」
声が遠ざかっていく。私は杖を取ったが、後を追わなかった。
美人というよりは、かわいらしいという形容がぴったりのティルギスの王女。
ニールゲン人とちがって体つきはよくないけれど、彼女は東方の人種として、私たちとは違った魅力をもっている。昔から『耳を楽しませるは北の女、舌を楽しませるは南の女、目を楽しませるは西の女、手を楽しませるは東の女』という言葉があるけれど、王女はその言葉通りで、しかもその魅力が際だっている。
やわらかでまろやかな体の線や、細くつややかな黒い髪や、なめらかな白い肌は、だれもが触ってみたいと思う質感をしており、ある時、酒に酔った勢いもあって、その願望を少々下卑た思いで口にした貴族の男は、シグラッド様に身体的な制裁を加えられた上、王女を汚したという理由で城を出入り禁止になったという逸話つきだ。
一方で、シグラッド様は私の女らしさについては、周囲に見せびらかす。着るものを変えて色気をふりまけといわれた時点で、私は一切のうぬぼれなしに、自覚しておくべきだった。役だということを。
ちがいをさまざまと思い知らされた私は、たとえ、杖を渡す合間だけであっても、アルカ王女と向かい合う自信を無くした。
ふと、意地の悪い心が頭をもたげる。私は杖をもって、西の棟へもどった。
皇子は数十人が入れるような広間で、巨大な剣をふりまわしていた。うまいぐあいに、アルカ王女の護衛はいなかった。
「長い散歩だったな」
「途中で、おもしろいものを見つけましたわ」
後ろ手に隠していた杖を、私は差し出した。
「ご覧になってみたら? この杖の秘密を」
少しでいい。皇子の、あの王女への想いに翳りが欲しかった。人の秘密を盗み見るということは恥ずかしい行為だけれど、皇子にそれをして欲しかった。実際は私が想像するほど強く想っていないと思いたかった。
でも、皇子は杖を取らなかった。すこし見ただけで、すぐにこちらへ背をむけた。
「早く届けてこい。今ごろ、持ち主が困ってる」
皇子はまた身の丈ほどもある、どんな敵を想定しているのかわからない巨大な剣を振り回しはじめた。
噴水へもどると、もじゃもじゃ頭がうろうろしていた。私を見て、あっという顔をする。
「皇子のカノジョさんだ。杖、拾っててくれたんですか。アリガトございマス」
私は無言で杖を差し出した。
「助かりました。姫さん、これがないと歩けないから。……大丈夫スか?」
「なにが?」
「なんかどっか痛そうだから」
お菓子食べます? と包みを出された。痛いことと、お菓子になんの関連性があるのか分からないけれど、そんな指摘をする気力もない。私は逃げるようにその場を後にした。
喉の奥から、嗚咽がもれる。
人気のない場所まで来ると、私はしげみで膝をついた。涙がとめどなくあふれてくる。
どうして。いつの間に。こんなにも。
私の中で、恋人役が役でなくなっていることに、私は気づかされた。




