鉄の女王2
シグラッド皇子とは、いろんな場所へ出掛けた。観劇に舞踏会に狩猟に賭場に町歩き。さまざまな催しに私は付き添った。
王だった頃、皇子は政務ばかりしていたらしい。あまり遊び慣れていなかった。流行りの役者も、歌も、遊びもほとんど知らなかった。出かけると、あれはだれ、これはなに、と質問責めにされて参ったが、聡い皇子に物を教えられることは、私の楽しみの一つになった。
ただし、皇子の物覚えは異様によく、半年も経たないうちに私の知識は吸いつくされ、逆に教えられるようになったが。
うぬぼれなしに、私と皇子は相性がよかった。好奇心旺盛で新しいことをどんどん取り入れていく皇子と、新しいもの好きな私は話が合った。話題の場所にでかけては感想を語り合い、遊んでは笑いあった。心から楽しんでいるときの皇子は年相応に笑い、親しみやすかった。
とくに意識せずとも、私たちは自然と恋人同士と見なされた。他の女性たちからの羨望のまなざしは、私の自尊心を大いに満足させた。
「おや、シグラッド。来ていたのか」
ある夜会で声をかけてきたのは、陛下の叔父上だった。皇子のとなりの私をご覧になって、意外そうになさった。
「おまえがアルカ王女以外を連れている姿をはじめてみた気がするぞ」
「いつまでも過去にこだわったりしませんよ」
皇子は親しげに私を抱き寄せた。陛下の叔父上が、ふむ、と私を検分する。
「アスラインのお嬢様か。こいつ、さっそく高嶺の花をかっさらいおって。宮廷中の男を敵に回したぞ」
「本気の私にかなう敵がいるとでも?」
皇子は不敵に笑って、周囲に見せつけるように私に口づけた。陛下の叔父上は見ている方が恥ずかしいとばかりに、なかば目を覆って去っていき、周りにいた貴婦人たちは、自分がいわれたわけでもないのに頬を赤くした。
「ごめんあそばせ」
すれ違い様に、一人の女性にぶつかられた。わざとだ。私は反射的に、グラスを落とした。女性のドレスの裾に、赤い染みが広がる。
「ああ、ごめんなさい。弁償するわ。そんな流行おくれのドレスよりもっといいのを」
女は怖じ気づいて、逃げるように去っていった。
皇子がくくっと笑う。
「さすが。見込んだだけある」
「倍返しは当たり前でしょう?」
「世の中には、それができないやつもいるんだ」
「こそこそ嫌らしいのよ。私がうらやましいなら、あなたに一言でも話しかければいいんだわ。待っているだけじゃ、何も起きはしないのよ。未来は自分でつかみとるものよ」
憤然とつぶやき、はっとする。この気の強さを、父にはよく咎められる。男性の前でも、普段は隠している。
しまった、と冷や汗をかいたけれど、皇子は気に入ったようだった。あごを取られて、皇子を見上げさせられる。
「レノーラ、おまえはいい女だな」
皇子の指が、唇をなぞる。体の芯がぞくりとしびれた。
「おお、さっそく盛っとるのう」
白髭の老人。マギー老だ。私は敵対心をむき出しにした。
「しかし、盛る相手を間違えとるぞ。おまえさんは五日後、結婚式だということを忘れとらんか?」
「永遠に忘れておきたいな」
「役目をきちんと果たせ」
「子供ができたら、用済みとばかりに殺されたらかなわないんだが」
「レギン様はおまえさんを信じとる。背くな」
「おまえたちはどうなんだ?」
「おまえさんがわしらを信じとる程度に信じとるよ」
ずるい答えを返して、マギー老は私に目を向けた。さっそく手が伸びてきたので、扇でピシリと甲を打つ。
「ひい、気の強い娘じゃ。ブリューデル様を思い出すわい。
小僧はずいぶん好みが変わったのう。アルカ妃殿下のことはあきらめたか」
「おかげさまで、他に目を向ける余裕ができたからな。意外とアルカでなくとも平気だった」
皇子は私の腰に手を回し、マギー老に背を向けた。
「そりゃあよかった。アルカ様も、おぬしがおらんでも平気そうじゃし。むしろおまえさんから解放されて、ほっとしておるような気がするぞ。レギン様のおそばでは、じつにのびのびと、かわいらしい、ええ顔をお見せになるのでな。あれこそアルカ様の本当のお姿よ」
皇子は立ち止まった。でも、肩越しにでも振り返ったのは、私だけだった。
白い髭をさわりながら、マギー老は皇子の挙動を観察していた。皇子の心を推し量っているのだ。本当にもう、未練がないのか試している。わざわざ相手が一番嫌がる言葉で揺さぶるあたり、この老人は狡猾で容赦がない。
「おまえさんのときは、なあ。どうも表情が暗いというか、陰があったなあ。無理に笑っているようで、お辛そうじゃった。
足がご不自由なのもあって、まるで羽を切られて籠に飼われている小鳥のように見えたものよ。しかも、飼い主が平気で人殺しするような恐ろしい赤い竜ときた。嫌なことも嫌といえず、窮屈な思いを――」
「その得意の二枚舌で、我が主を勝手に語るのはやめていただけますか? マギー老」
私がなにか言い返すより早く、黒髪の護衛がさえぎった。
「あなた方からどう見えたかは知りませんが、我が主は私を皇子に使わしました。それがすべての答えです」
「そりゃ問題じゃな。アルカ様をいさめねば。レギン様に背くようなことを」
「レギン様はシグラッド様を大事な友と思っておりますよ? 陛下の大事な友をお守することに協力して、何が問題ですか?」
「嬢ちゃん」
「なんです、おじいちゃん」
「相変わらずええ足しとるの」
マギー老は、美人な護衛の足に触って逃げていった。
「なんなんだ、あのスケベジジイ」
「語るに落ちて悔しかったんだろう。シャール、お手柄だ」
今の今まで背をむけて聞いていた皇子が、はじめて振り返った。
「これで抱きたくもない女を抱かなくて済む口実ができた。マギーがまだ私を疑っている言質が取れたからな。レノーラ、五日後の夜も遊ぶぞ」
「闘技場に行ってみません? その日は囚人同士が戦うのだとか。私、ずっと行って見たかったのですけれど、あそこは女が行くところではないと止められていて」
「いいぞ。行くか」
私も皇子も乗り気だったが、黒髪の護衛は厳しい顔をした。
「皇子、陛下のお顔をつぶすような真似はお控えください。式には皇族の方々がお集まりになる。花嫁と夜を過ごさずとも、せめてご親戚の方々とはお過ごしください」
皇子が不服そうにすると、護衛は身をひるがえした。
「分かりました。そういうことでしたら、私はアルカ様のもとへ戻らせていただきます。では」
「待て、シャール。私が悪かった! だから戻ってきてくれ!」
去りゆく恋人にすがる男のように、皇子は護衛を呼び止めた。
皇子は陛下の面子が立つように振る舞うと約束し、私にはしばらくの帰郷をお命じになった。
*****
半年ぶりの故郷は、相変わらずそっけない景観をしていた。
鉄鋼の国、アスライン。鉱物資源以外のものに恵まれなかったこの土地は、草木はまばらで、緑豊かな首都とは正反対だ。目立つものといえば、郊外に広がる選鉱場や製鉄所などの人工物ばかり。青空には絶えず黒煙がたなびいている。味気ない風景だ。
でも、私はこのながめが好き。採掘場の近くまでくると、私は馬車を止めさせた。鉄鉱石を積んだ荷車を、半裸姿の男たちが土埃と汗にまみれながら曳いていく。監督の男が私に気づいて頭を下げた。
「どう?」
「順調ですよ、お嬢様。久しぶりでございますね」
「しばらく王都にいたのよ。やっぱりここの風景が一番落ち着くわ」
「都の方が、よっぽど景色もよくていいと思うんですけどねえ。ここにはなんにもない」
「あるじゃない。私たちが作ってきたものが。見渡す限りに」
「お嬢様だけですよ、そんなふうにおっしゃる女性は」
微笑する監督に、私は菓子の入ったかごを渡した。
「奥さまとお子さんに。みんなへの差し入れは、後で届けるわ」
「いつもありがとうございます」
「当然よ。みんなはアスラインにとって大事な仕事をしてくれているんだから」
アスラインが属国のなかでも大きな力を持てているのは、この鉄鋼あってこそ。ニールゲンの財源の一部であり、ニールゲンの兵の剣や盾を造る大事なものだ。このことから、アスラインは『赤竜の牙』の異名をとっている。
「変わったことはない?」
「新しい鉱山が見つかりましてね。採掘量が今の半倍は増えそうですよ」
「それはよかったわ」
はなれたところの坑道で、爆発音がした。不意の爆発だったらしく、人があわてふためいている。
「火薬の扱いを、まただれかしくじったな。けが人を寝かせておく場所があったかどうか。新しい火薬は威力はあるが、扱いにくくて困る」
忙しくなってきたので、私はその場を去った。
町に入り、ひさびさの我が家の門をくぐる。今日は調子が良いようで、父が出迎えてくれた。母は三年前に他界している。
「また一段と美しくなったな、レノーラ」
「ただいま、お父様。また新しい鉱山が見つかったそうね。よかったわ。でも、新しい火薬の扱いが難しくてけが人が多いみたい。前のものに戻した方が……」
「レノーラ、そんな話はいいから。都での話をきかせておくれ。いい相手は見つかったかな?」
父は私の話を打ち切って、私を奥へとうながした。
「娘たちの中で一番の器量よしが、最後まで残るとは思わなかった。おまえは一つ気に入らないことがあると、急に頑固にへそを曲げて、婚約すら破棄してしまうんだから。申し分ない相手だったのに」
嫌な話題が出てきた。私の元婚約者。家柄もよく、容姿もよく、話も合った。結婚に異存はなかった。
なのに、婚約したあと、相手が茶目っ気たっぷりに送ってきた手紙ですべてが崩れた。彼は宛名の私の姓を、自分の姓に変えて手紙を送ってきた。妹たちは気が早いわねえ、お義兄様は、とからかってきたが、私は笑えなかった。吐き気がした。なんの権限があって私にこんなことをと、心の底から怒りがわいてきた。
次に会ったとき、私はなれなれしい真似をしないで、と彼を突っぱねた。彼も、父母も、皆、私の剣幕に驚いた。そんなに怒ることはないだろう、と皆にたしなめられるほど、私はますます意固地になった。ついには彼のささいな欠点をあげつらって、婚約を破棄した。
「結局、本当はなにが嫌だったんだい、あれは」
「……さあ。もう覚えていないわ」
たったあれだけのことで婚約を破棄するなんて、人には理解できないだろう。私だって、自分にあきれている。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
居間へ移る途中、嫌な相手とすれ違った。黒いうろこのついた面をかぶった男、ダルダロス。従弟の教育係として雇われた男だ。
「趣味が少し変わられましたね」
「流行の移り変わりは早いのよ」
「誰かに、変えられましたか」
私は身体がカッと熱くなった。この男は怖いくらい鋭い。
「ダルダロス、ブレーデンはどうだい」
「お部屋でお勉強なさっています」
「君がきてくれて本当によかったよ。君のお陰でブレーデンは部屋から出てくるようになったし、君は他のことでもとても頼りになる。なんでもよく知っていて、びっくりするよ。おまえのような逸材を雇えたのは、我が家の自慢だ」
父はダルダロスの手を、すがるように握った。苛々する。もともと父は優柔不断ぎみで、伯母が生きていた頃は伯母のいいなりだった。今はこの男のいいなりだ。次期当主となるブレーデンもこの男のいいなり。腹が立ってくる。
「お父様、早く。居間で二人でゆっくり話しましょう」
私は父を居間へ急かした。都へは父の代わりに行ったので、父の知人の近況や、王宮の情勢について報告しようとしたけれど、父の関心はそこにはなかった。政権の交代も、その後の人事のことも、だいたいのことは、父はすでに叔父からの手紙で知っていた。父の名代のつもりでいたのは、私だけだった。
「妹からの手紙で知ったが、レノーラ、おまえ、シグラッド皇子とずいぶん親しくしているらしいな」
「ええ、お付き合いしているの」
父は渋面を作った。
「皇子はご結婚なさるのだろう。おまえ以外と」
「ええ、そうよ。今、ちょうど結婚式じゃないかしら。でも、皇子は本当は結婚なんてしたくないみたい。奥方と寝室をともにするのもまっぴらだって」
「おまえはまだ未婚なんだ。不倫は世間体が悪い」
「もし皇子が離婚なさったら、私が妻になるかもしれないわよ?」
父はやはり渋った。
「やめておきなさい。シグラッド様は。あの方は危険だ」
「叔父夫婦は喜んでくださっていたわ。たとえ愛人でも、皇子の方がいいって。私もそう思うわ。格下の貴族の子息に嫁ぐよりいいわよ」
「皇子はな、ほんの十かそこらの頃に、兄を自らの手で殺すような気性の激しいお方なんだぞ。自分を殺そうとしたからとはいえ……恐ろしい。おまえの相手になるようなお方ではないよ」
「お父様は相変わらず意気地無しね。アスラインのためにもなるのに」
「おまえは本当に、姉に似た」
父は額を押さえ、なおも私を説き伏せる。
「……皇子が姉を殺したという噂がある。ブレーデンがああなったのも、皇子のせいだとか。いわば我が家の仇だぞ」
「強い者を、より強い者が食べる。それが伯母様の口癖だった。その通りになっただけね」
途方に暮れる父の前で、私は薄荷のお茶を口に運んだ。前に皇子が飲んでいたものだ。口に含むと、舌がすっと冷えるような感覚があったが、悪くない。気に入った。
「殿方の前で、そんなあけすけに物はいうんじゃないぞ」
「難しいことはよくわからなくて。そう申しておりますわよ、もちろん。相手の間違いも指摘しないで寛容に見過ごしておりますわ」
腹立ちを飲み込むように、私は一息にお茶を飲み下した。
父は、私が伯母のようになるのを恐れている。気が強く、とても利己的で、気分屋で、身勝手だった伯母。亡き母も彼女にいびられていたので、両親は私に少しでも伯母の影が垣間見えると、女性はそんなことはしてはいけない、女性はそんなことはいってはいけないと、強くたしなめてきた。
たまに、思う。私は女として欠陥品なのかもしれないと。
化粧を凝らし、女らしいしぐさを心がけ、髪の先から爪の先まで整えているおかげで、だれも気づきはしないけれど。私の心には、どこかに激しく荒れ狂うものが潜んでいる。どんなものをも打ち負かそうと、暴れるときを虎視眈々と待ちかまえている。それは、多くの男性が望む女性像から私を遠ざけるものだ。
「本当、お姉様は男らしいんだから」
きゃは、と高めの笑い声がした。末の妹だ。今年のはじめに、運良く、好きになった相手と結婚したばかり。遊びに来ていたらしい。
「見た目はだれより女らしいのにねえ」
「ちょっと。やめなさいよ」
ゆたかな胸を妹が無遠慮にさわってくる。
「いいじゃない。ちょっとくらい」
強調するようにもちあげて、妹はちらりと視線を戸口にやった。妹の夫がいた。私の胸元に釘付けになっている。妹は私から手を引いた。
「お姉様、頼んでたもの、買ってきてくれた?」
「あるわよ」
「それとね、お姉様のドレス、一着譲って? 今度の晩餐会に必要なの」
「ちゃっかりしてるんだから」
本当にちゃっかりしている。人を夫の愛情をはかるために使っておきながら、ねだるのは忘れないのだから。
「わざわざ取りに来なくても、送ったのに」
「この人が行こうっていうから」
妹はぎゅっと夫の腕を握りしめた。私に取られまいとするように。
私はうんざりした。なぜ実の妹にまで牽制されなければいけないのか。妹が結婚するまで、私たちの仲は良好だったのに。
早熟だった私の体は、早いうちから異性の興味を惹き、それは同性の反感を買った。服の好みが派手なせいで、遊び好きなように見えるのも災いした。
友人に服を地味にしたらいいと助言されたけれど、自分が曲げさせられるのが嫌で変えなかった。すると、友人は影で私を男好きと噂しだした。私は友人だった人をひっぱたいて絶交し、彼女が下男と通じているという秘密を暴露してやった。
「お義姉さんも晩餐会にきませんか?」
「ありがとう。でも、また今度にするわ」
家族の手前、角が立たないよう、やんわりと断らなければいけないのがもどかしい。義弟は直接的なことはしてこないけれど、何かと私のまわりをうろちょろする。わずらわしい。
見た目やふるまいとは裏腹に、私は自分の女という性が恨めしくて仕方ない。
「ほら、部屋にきなさいよ。ドレス、欲しいんでしょ? 好きなのあげるわよ」
私は義弟から奪うように乱暴に、妹の腕を取った。




